第64話





――――意識が浮上する。目に映るのは、青々とした空と、一種の痛みを伴う程の眩しさを纏う太陽。


何故意識を失っていたのか。今どんな状況なのか。


それを確認しようと、痛む頭で記憶を手繰り寄せる。


(...そうだ。確か嵐の中を突っ切ろうとして、それで...)


記憶に残っている最後の光景は酷いものだった。視界を埋め尽くす暗雲と軋む船体。大きな衝撃と、暗転していく意識。考えうる中で最悪の状況だった。


だが俺は生きている。そしてそれが意味することは一つしかないだろう。


―――どうやら、俺たちはあの嵐を耐え抜いたようだ。


そう安堵したその時、俺の耳に揶揄うような声が聞こえる。


「...いつまで寝てんだ隊長」


そう言うや否や、視界に移りこんでくる不敵な笑み。


「...剣聖にぶった斬られた時と言い、どうやらお前は悪運が強いようだな、ガル。」

「ハッ、言ってろ。」


ともかく、危機は去った。


...今からやるべき事を考えると頭が痛くなるが、取り合えずの危機は去ったのだ。

いまはそれを喜ぶことにしよう。






「はああぁ~...やっと一息つける...」



1時間後。船の応急処置を終えたウィンソン号は再び監獄島に向かって航行していた。


晴渡った青空に、鼻孔をくすぐる潮の香り。そして、どこまでも続く水平線。それを眺めながら、俺は思案の海に沈む。


船を使っての移動は3度目だが、今までの航海は碌でもなかった。一度目はカビの生えかかった船倉で、囚人として運ばれた。二度目は幾らかマシだったとは言え、それでも罪人として運ばれていたのだ。こうして甲板上で景色を眺めるなんて出来っこなかった。


ここから監獄島まで、この船速を維持すればおよそ6日で到着する。そうすれば、また戦いだ。それまでの短い間とは言え、のんびり空でも眺めながら昼寝でもしよう。


そう思った俺は、甲板の上で微睡む意識を手放すのだった。








船が再び航海を始めた初日、俺たちはのんびりしていた。何せやることがないのだ。折角なので久々の休暇と思い、各々好きなことをしている。


...まぁ、あまり快適とは言えないが。


水兵の仕事は非常に過酷だ。長らく家族とは会えないし、壊血病でしょっちゅう人が死ぬ。

仕事内容も過酷だ。船乗りのほとんどは一日中オールを漕ぎ続けるし、見張りは太陽が照りつく中常に気を張り続けていなければいけない。

その過酷さから、王国海軍の海兵は犯罪者か徴収された一般人が多くを占めている。


そして、海兵の仕事が過酷と言われる一番の理由は――


「まっずぅ...」


食べ物が不味い。これに限るだろう。

長期間海に出る船乗り達の食料は勿論保存の効く物でなければいけないし、上陸しない限り途中で補給などできない。よって船乗りたちの食べ物は塩漬けにされた肉や乾パンだ。肉は塩分過多で不味いし、パンはパンで口の中の水分を全部持ってってしまう。ものによってはカビていたりするのだ。しかも栄養が偏りまくっているので、壊血病という病気にかかることもある。そうなったら死ぬしかない。

そして現在俺たちが食っているのも似たような物だ。不味過ぎるとは言え、食べなければエネルギー不足で倒れてしまう。戦いが始ま前に死ぬなど笑い事ではないと無理やり口に運んでいるのだ。

まぁ、食べたところで栄養不足になればぶっ倒れるのだが。


いくら仕事がないとはいえ、暇も過ぎれば苦痛となるし、何よりメシが不味い。



そうなっても俺の証で治せる可能性はあるが、可能性はあくまでも可能性だ。けがは直せたが病気を治せる保証はない。出来るだけ体には気を付けよう。


「...にしても不味過ぎだろマジで。」


そう悪態をつきながらも、俺たちは食べ物(?)を口に押し込み続けるのだった。


(全く、俺の船旅はいつも快適とは程遠いな。)


いつかのんびりと快適な航海をすることは出来るのだろうか。デカくて揺れない船で、ウマい飯を食いながらのんびりと過ごしてみたい。


そんな無意味な事を考えて意識を逸らしながら食べ終え、俺たちは船倉へと向かうのだった。








「...寝れん。」


昼寝なんてしなければよかった。

いくら寝返り――と言ってもハンモックなので姿勢を精々変えるだけ――をうっても全く落ち着かないし、妙に胸騒ぎもする。


(本当はこの夜空の下になんか出たくないのだが...)


「...仕方ない、少し船を歩いてみよう。」


そう呟いて、ハンモックにつるされている他の隊員を起こさないようにそっと地面に足をつける。まぁ、いびきをかきながら爆睡してるコイツらがこの程度の物音で起きてくるとは思えないが。


ともかく、船倉から出た俺は無意味に船内を歩いていた。

と、その時。


「おや、ライト殿ではありませんか。こんな所で何を?」

「いやなに、眠れなかっただけさ。」


船長であるバークに声を掛けられた。適当に返事をしながら、俺はふと思いついた事を口に出してみる。


「あんまりに暇すぎてな。何か仕事をくれないか?」

「...では見張り係でもやってみたらいかがです?」


しまった。迂闊にこんな事を言うべきでなかったか。よりにもよって見張りとは...

他に何かないのか、と思わず訪ねそうになるが、俺は隻腕だ。任せられる仕事なぞ他にないのだろう。それに、こちらから言い出しておいてやっぱり辞めたというのはあまりにも恰好がつかない。


結局、俺は見張りの仕事をすることになるのだった。









バークとの会話を終えた俺は今、船のマストを登っていた。だが、その速さは亀の歩みより遅い。なんせ片腕だからだ。梯子を上るのも碌に出来ないのかとイライラしていると、ふと違和感を感じだ。上を見上げると、そこには見張り台があるだけだったからだ。明かりが付いておらず、人がいる雰囲気がこれっぽっちも見当たらない。もともとこの時間を担当している船乗りと共同でやると聞いていた俺は、本当にその人物がいるのかと疑問を持ってしまう。

とは言え、それは登り切れば分かる事。そう思って梯子に掛かっている足に力を入れようとしたその時、見張り台から手が伸びてきた。

思わずぎょっとして固まっていると、手を伸ばした人物の物と思わしき声が聞こえた。


「早く登って来いよ、俺も1人で見張んの飽きてきた所なんだ。」


その言葉とともに、気だるげな顔がこちらを覗いてくる。どうやら彼がもう一人の見張り兵のようだ。俺は彼の手を取って口を開く。


「ライトだ、よろしく。」


何か気の利いた言葉でも掛けようと思ったのだが、何も出てこなかったので簡素な言葉になってしまった。しかし、彼はそんな俺の様子を気にした様子はなく、何処かガルに似た雰囲気で再び口を開く。


「オーティスだ、せいぜい話し相手になってくれよな。」







「それでオーティス、なんで明かりを消していたんだ?」


見張りの任務についた俺達だが、気の抜けたことに無駄話をしていた。

最初は不味いのではないかと思ったのだが、オーティスいわく嵐が通り過ぎた後の海域は安全だから気を張る必要は無いとの事。


「あぁ、海上じゃちょっとの明かりで敵に見つかることがあってな。マッチの光でも数キロ先の敵から見えちまう。」

「へー」


それは凄いな。とは言え夜に明かりが使えないのは中々キツイものがあるらしいが。

そう益体のない事を考えていると、今度はオーティスが声を掛けてくる。


「にしても、今夜は空が綺麗だな。こんな空中々出くわせないぜ。」


...夜空、特に夜空には嫌な思い出がある。俺はあれから俺は夜空を見上げないようにしているのだ。しかも、今日の夜空はある意味最悪だ。なにせ嵐の直後なのだから。だから見張りは嫌だったのだ、と今更過ぎる事を考えながら、俺は渋い声で返答した。


「...あぁ、そうだな。」

「んだよ、しけてんなぁ。折角の機会なんだから少しは上向いてみろよ。」

「...いや、やめておくよ。あんまり良い思い出がないんだ。」


まさか断られるとは思っていなかったのだろう。オーティスが変なモノでも見るような目でこちらを見てくる。


「...その思い出って聞いても良いヤツ?」


...まぁ、これくらいだった話してもいいかもしれない。今日は何か話したい気分なのだ。遥か昔の思い出くらい語ってもいいだろう。


そう思った俺は、昔の記憶を掘り超すのだった。






――嵐はね、お空の汚れを拭いてくれるんだよ。


遠い昔、顔すら覚えていない母の言葉だ。嵐が怖くて母のベッドに潜り込んだ、あの日の記憶。生きていた母との、最後にして唯一の記憶。


体調の悪い母の体力を使わせてはいけないと、周りからは止められていた気がする。

それでもベッドに潜り込んでくる俺を、母は優しげな目で見ていた。


外から吹き付けてくる風、ガタガタと音を立てて不安を掻き立てる窓、太陽も月も覆い隠す灰色の雲。一寸先も見通せなくなるような大雨。怖くて怖くて仕方がないのに、そんな優しい顔で居られる母が不思議でならなかった。

だから俺は聞いたのだ、“お母さんは怖くないの?”と。


俺の問いに対する母の答えが、その言葉だ。


彼女の言葉を証明するかのように、その日の夜は美しかった。


空を舞う塵芥も、汚れた空気も、王都の人間の負の心まで吹き飛ばして、嵐は去っていって。嵐が去った後に残ったのは、美しい夜空だった。

闇よりも深いのに、人々を安心させるようなまっ黒。その空に散りばめられた、数えるのも馬鹿らしくなる程の無数の星々。


母の部屋から戻った俺は、部屋の窓からそんな美しい空を眺めていた。


――母の体調が急変したと聞いたのは、その時だった。


...空が美しいのは、嵐が去った後だから。それ以外の要素がこんな雄大な自然に影響を与えられるとは思えないし、実際そうなのだろう。

だが、星々の輝きが。煌めく夜空が。彼女の命の最後の輝きに見えて仕方なくて。


“こんな美しい空なんていらないから、お母さんを助けて。”


そう願ったのを、今でも覚えている。だが神は無慈悲で、母の命をあっさりと持ち去ってしまった。



そしてあれ以来、俺は一度も夜空を眺めていない。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――

以前アメリカや大英帝国を元にしたなんてほざきましたが、そんな世界観ではちょっと無視できないくらい矛盾点が生じ始めるので、最近「どうにかしないとなー」と思っています。ここから修正できる気がしないので、これからはその設定一回無視してくれると助かります。


いやね、たいして考えもしないうちに投稿しちゃったもんだから設定がガバガバ過ぎたんです。それにこれからの展開を考えると不都合だらけなので...


だからもうたただの異世界と考えて貰っていいです(投げやり)!

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