第54話 突入作戦
「あハッ」
狂気的な笑だった。狂喜とも呼べるだろうか。
楽しくて仕方がない、そんな表情だ。
「死んでる。俺が殺してる。王国の連中を...!!」
恍惚とした表情で叫んでいるのはテンバーだった。この中で一番年下で、少年のようなその顔に、しかし狂気に満ちた悍ましい表情を浮かべている。
その目には、炎に包まれる王国陣地があった。
魔術障壁はとっくの昔に破られ、只ただ敵を殺し尽くさんと放ち続けた魔術の弾幕。その成果にして成れの果てが川の向こうに広がっている。
攻撃を始めてから丸一日。手を止める理由はないとぶっ通しで魔術を撃ち込んだのだ。三秒に一発として、およそ二十時間に及ぶぶっ通しの制圧攻撃、隊員の数は三十人。食事や交代での休息を加味しても、俺達が叩き込んだ魔術の数は五十万発は下らないでろう。
荒れ地とも呼べない。クレーターと、一体何を燃やしているのか不明な炎。地獄の果てのような光景だった。
そして、それを作ったのは俺達だ。
「...まさか、ここまでとは」
「死後は期待できそうにないな」
ガルが、ハハ、と乾いた笑いを口にする。
全く同意だ。グラスゴー砦での虐殺は記憶に新しいが、今俺達が殺した兵士の数はその比ではないだろう。
何千人、いや、万は行っているだろうか。
だが直接殺した手応えは無い。広がる光景と、敵の姿や陣地が消失しているという事実のみが俺達に罪を伝えていた。故に、なんだか現実味がない。
「何を仰られているのです」
紳士的な口調。しかしそこに含まれている狂気を俺達は知っていた。
気おくれしながらも声を辿って発言者を見る。
「王国は悪魔、ならばあれらは悪魔の従僕です。主は微笑まれている事でしょう」
「悪魔は俺達だぜ...セドリック」
セドリック・ドゥラヴィール、元王国の聖職者。監獄島の悪夢を、壊れた信仰心で以て乗り越えた狂った司祭だ。
その優しい微笑みは一介の聖職者に見えるが、目の奥で燃ゆる焔が彼を歪に見せていた。テンバーと並ぶ過激な復讐派の一人である。
「けッ、気持ち悪ぃ狂信者がよ」
「――何と?」
「あーもう...何で誰彼構わず暴言吐くんだよ」
相変わらずの悪口をかますするマイルズにディランが呆れる。
これもいつもの流れと言えばそれまでだが...なんというか、隊内部での確執は深い。
「あーあ、呆気なかったなぁ...独断で動いて良いんだろう?次はどうすんだよ」
テンバーが詰まら無さそうに腕を組みながら言った。口元に浮かぶ欠伸は長時間に及ぶ攻撃による疲労か、或いは本当にその呆気なさに退屈を感じたのか。
「うーん、両翼のどちらかへの支援か...これは上の判断を仰ぐべきだが、敵陣への突入もあり得るかもな」
正直に言えば、今目の前に広がる光景には俺も驚かされた。
数千人は居た筈の防御陣地が、比喩表現ではなく灰燼と化しているのだ。俺達が作りだした地獄であり成果、その大きさは正に想定以上だった。
俺達は張り巡らされた魔術障壁を一瞬で破り、その下の王国軍の殆どを殺し尽くした。この力は戦略的価値すらも有するだろう。
故に、それをどう運用すべきなのかなんて俺に分かり様がない。
「サラはどう思う」
彼女はこの部隊の責任者という肩書を持っている。
ならば指示を仰ぐのは必然だろう...大分気は引けるが。
「あ...うん。良いんじゃない...かな?」
困惑というか、悩みというか、彼女からはそういった類の感情が見て取れた。
何処か意表を突かれたような複雑な感情。その理由には勿論心当たりがある。
「...こんなに、いいえ、ここまでする必要はあったの?」
傍から見たらどころか、俺達の主観で見てもこれは只の虐殺行為に他ならない。例え白旗が上がったとしてもそれを認識すらできないような密度の弾幕。情け容赦の欠片も無い非情な攻撃の連続。
こんな行為を迷いなく冒す俺達に、果たして彼女はどんな思いを抱いたのだろうか。
「私達の目的はあくまでも時間稼ぎのはず。こんなに積極的な攻勢は...ただ、悪戯に人の命を奪っていると思う」
目に迷いは無かった。罪人を断罪する天使のような顔だ、と思う。
言い得て妙だ。俺達は名実ともに罪人なのだから。
「姫さんの頼みと言えども、無理だな」
答えたのはガルだった。
諦めきった、感情の読み取れない表情を浮かべている。
けれど、言葉に含まれた意味は十分理解できた。懲罰部隊を形作る感情はそう簡単に無くなる物ではない。彼女はそれを知らないのだ。
「っ、なんで――」
「憎いんだよ」
テンバーがサラの言葉を遮る。
憎い。文字にしてしまえばありふれた感情で、しかし彼のそれには重みと、狂気さえも纏っていた。
「クソ貴族共が憎い、兵士共が憎い、みんなみんな憎い。世界が憎い。この感情は止められねぇし、止まるつもりもねぇんだ」
理解できる。できてしまう。
俺から剣を奪い、貶めた連中が皆憎い。俺に関わっていた全ての人間が憎くて、ただ必死に努力していただけの俺から全てを奪った世界そのものが憎い。
この感情が間違っているなんて分かっている。正しい訳がない。
けれど、それはこの復讐の火を消す理由にはならない。
執念で、妄執だ。狂気と苦しみの底で縋り、俺という存在を存続させることが出来た復讐心という支柱。それを否定する事は過去の苦悩、即ち自分を否定する事になる。だからもう、止まることなんてできない。
「っ、でも彼らは無関係なはず!」
「いいや、関係あるね。アイツら全員ブチ殺せば王国が損害受けんだろ」
多分、彼女にとって、今の俺達は理解できない存在だ。
人が人に優しくするのに、理由なんてないと信じたいから。かつて彼女が隊員達に掛けた言葉だ。彼女の善性を示す、短くも暖かみに満ちた言葉だ。
俺達はそれに反していると言える。ただ無情に、冷たく、それでいて燃え滾る憎しみのままに人を殺しまくる俺達は。
「...私は斯様に歪んではいない。しかし理解出来てしまう。何を言っても聞かないでしょうな、あそこまで歪み切ってしまえば」
顔を険しくそう言ったのはレオだった。懲罰部隊の中で最も知理的な男、しかしここに居るという事は経験したはずである。この世界の悪意と理不尽を、そして胸から溢れる憎しみの炎を。
故に、分かってしまうのだ。サラには分からぬ事を。
「...でも」
「馬鹿馬鹿しい。何でも良いだろう、敵兵を殺すのに理由なんているか」
冷たく言うのはダリス。彼にはああして、物事を冷たく見過ぎる節がある。だが今回に限っては何も間違っていない。
「そりゃあそうだけどよ...でもさ、ああやって降参の時間も与えないで全員殺すってのはどうなんだよ」
フランクが自分なりに考えて言った。彼は何処か抜けているところがあるけれど、決して間抜けではない。的を突いた言葉。
相方のクルトは変わらず沈黙しているが、その顔はフランクに同意しているように見えた。
「悪魔の従僕に慈悲など不要」
「えっと...命令に背けない兵士だって居るんじゃ」
ぶっ飛んだ理論を押し通すセドリックに、いつも周りに流されているアッシャーが珍しく口を挟んだ。しかし自信がないのか、その視線は気まずげに地面を見ていた。
彼は隊員の中で最も平凡だ。けれど、ぶっ飛んだ連中ばかりな懲罰部隊ではそれはアイデンティティと言えるだろう。
そしてそんな彼が振り絞った勇気は、何処か不味い方向に進み始めた議論の収束の切っ掛けとなった。
「いやぁ、歪んでますね」
「落ち着こうよ...仲間じゃないか」
「うん、僕はこの空気嫌いだな」
「自分の理性に耳を傾けろ」
エリオット、ヴァンサン、ノア、ロイク。今まで黙って話を聞いていた彼らが口々にそう訴えた。彼らは大きな復讐心を抱えている訳でもなく、だが復讐派の行動に口を出すでもない隊員達だ。
レオやフランクを筆頭とした穏健派、テンバーやセドリック等の復讐派、そしてリアム含む彼らはどっちつかずの陣営である。ちなみに俺は消極的な復讐派だ。率先して王国兵を殺したいとは思わないが、俺の目標も目的も復讐に集約されるのだから。
隊内部で派閥が割れているというのはかなり不味い状態なのだろうが、そもそも社会不適合の烙印を押された犯罪者の集まりである。必然と言えば必然。
「...一度軍団長に指示を仰ぐ。行動はそれからだな」
吐き出しそうになる溜息を喉元で呑み込み、眉を顰めながらもそう言う。
前途多難だ。
〇
「...凄まじいですな。まさか派遣されて一日でこのような成果を上げるとは」
前と似た様な光景。天幕の中、机の向こうではエルンスト軍団長が座っている。
だがその顔に浮かんでいる表情は前回のそれと異なっていた。具体的に言えば、困惑だろうか。
俺達が挙げた成果そのものは認めているようだが、その冷酷さに戸惑いと僅かな不信感を抱いているのだろう。
「それで、軍団長として我々はどう動くべきだと思いますか」
「...進撃以外にありませんな。この機会を逃すべきではない」
その見た目からは想像もしていなかった言葉だった。
進撃?まさか、さっき開けた大穴を抉じ開けるつもりなのか?
確かにチャンスではあるけれど、少し性急に感じる。
「具体的には」
要領を得ない。故に問う必要があった。
実際の責任はサラにあるけれど、あの部隊を預かっているのは自分だ。軍団長ともあろう男が無謀な作戦に戦力を割くようなことをするとは思えないが、さりとてよく理解できないままに隊員を死地に送る訳にはいかない。
「貴隊が作り出した敵戦力の空白地帯に部隊を送り込みます。上陸後に主戦場である東部戦域を目指して北東へ進軍、当戦域の敵戦力を挟撃するのが理想でしょうな」
頭の中で地図を作る。
ここ西部戦域中央より東に王国の占領地である半島、その半島に蓋をするように戦線を構築しているのが東部戦域。そしてそこから見て南西に広がる河を防衛線とするのが西部戦域だ。
つまりは、つい先程壊滅させた陣地から東部戦域までは距離がある。左翼ならまだしもここは中央だ。
仮に敵地上陸後に東北を目指すとして、こちらの右翼と睨み合っている敵部隊が南方、つまり後方に、そしてこちらの左翼と対峙している敵部隊が北西に。それに東部戦域の敵がこちの迎撃に向かって来れば、三方向から包囲されてしまうことになる。
つまり、挟撃されるのはこちらになるリスクが高い。
「...馬鹿げています。包囲されて終わりですよ」
「そうならない様に、当作戦は機動戦力のみで実行します」
「だとしても...!敵が迎撃に来れば足止めされます、そうなればどの道包囲されるんですよ!?」
思わず声を荒げてしまう。それほどまでにこの作戦は無謀だった。あまりにも無計画だった。
俺達が秀でているのは制圧力であって、機動打撃力ではないのだ。昨日のように戦線に張り付いている敵を焼き尽くす事こそ最も向いているのだ。
非合理的の一言に限るとしか言えない。
「安心してください。そこまで愚かではありませんよ」
彼は、その顔に相変わらずの柔らかい笑みを浮かべていた。
孫を諭すような表情に思わず毒気を抜かれる。彼を前にすれば、なんだか緊張感を保てない。
「二日後に東部戦域で大規模な反攻作戦が開始します。これは我々だけで行う反撃としては、統合陸軍の到着前の最後のものとなるでしょう」
「...つまりタイミングを合わせると?」
「えぇ。向こうにはアレクシア王女が居ます。敵はそちらに釘付けとなるでしょうな」
鮮烈な赤髪が脳裏を過る。今まで目にして来た強者の中でも突出した空気を纏っていた、この大陸最強の王女の姿を思い浮かべる。
...確証はない。けれど、彼女ならば或いはと思わせる何かがあった。
「その背後をつく、と」
なるほど、そう考えると歩い程度は現実味を帯びた策だ。
変わらず幾つかのリスクは存在するが、無謀と銘打てる類のものではない。
この作戦が上手く行けば、敵は正面にアレクシア王女を、背後に俺達を控えた状態で戦わなければいけなくなるのだ。
上手く行けば敵戦力を完全に粉砕できる。
「そして貴隊及び投入する機動戦力...そうですね、仮設機動群と仮称しましょう。当部隊が包囲されるリスクについてですが、これについても問題はないですな」
「...なぜです?」
「まず左翼の敵については、中央軍を移動させてより圧力を掛けます。そして右翼の敵は、機動力を以て戦闘を回避してください。敵は多数の戦力を失って混乱しているでしょうし、仮設機動群の存在に気付いた頃にはもう手遅れとなる可能性が高い」
極めて理性的で合理的だった。
全てのリスクを排除した安全な策など存在しないし、彼の提案する強襲作戦は依然として危険なものである。
しかし、危険要素を最大限排除しようと考えられているものだ。無謀なんてものではない。考えの巡らされた策。故に信頼できる。
「――しかし、最も大きいリスクは別にあります」
彼は笑みを消した。
覚悟を問う様な表情。俺は今試されている。
「退路は一つもありません。勝利を取りこぼせば命はない」
――当り前だ。敵地の奥深くに入り込み、別の戦場の味方と敵を挟撃するのだから。リスクは必ず付いて回る。
勝利と敗北は表裏一体。カードを手にするまで、それがどちらかなのかは分からない。勝利か、死か。
前者を掴む為ならば、どんな事だってしてみせよう。
その先にある勝利の為に、俺達を受け入れてくれたこの国の為に。
「やってみせます」
「...よろしい。正午に渡河作戦を開始します。仮設機動群の部隊編成についてはその時に」
「了解」
昨日とは違う。俺達は危険地帯に突入する。
しかし恐怖はない。
一つ、予感があった。
俺達が相対する事になる敵に、確証のない確信が。
エルンスト軍団長が言っていた、剣聖の姿を確認したと。
まず間違いなく、俺達はヤツと戦う事になる。
俺がどう思っているかは関係なく、ヤツは血の繋がった父親。けれど躊躇はない。滾るのは闘争心と、僅かばかりの緊張。
王国の先槍にして剣。その聖剣が切り裂いた敵は数知れず。
そんなアイツと、きっと戦う事になる。
そんな予感が、直感があった。
――――――――――
※2024/12/03 修正
以降は修正が間に合ってないです。唐突な場面変化、複数の異なる設定と矛盾などが発生します
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