第52話 ありふれた物語で
即席の地下壕というのにはやや出来過ぎているうように見えた。
底はぬかるんでいないし換気口もしっかりついている。
地下壕は思ったよりも狭く、ぬかるんだ床に兵士たちが身を寄せ合っている。誰もが疲労困憊の表情を浮かべ、わずかな灯火がその目の下の深い影を際立たせていた。
「...ツイテねぇなぁお前らも」
「こんな状況だ、仲良くしようや」
中に居るのは十五名にも及ばない小規模な部隊だった。王国軍の部隊編成では、確か小隊は三十名規模の筈。ならばここに居る兵士達はみんな戦友を亡くしたばかりなのだろう。
あぁ、本当にツイテない。
突然とんでもない規模の攻撃にあって、なんとか生き延びたのにデイビッドの野郎は足に重症。
そもそもこんな大陸に来たのが運のツキだったのかもしれない。
「...すまねぇ、世話になる」
だがまぁ、捨てた物では無さそうだ。
攻撃が始まって早々に指揮系統がメチャクチャになって、右も左も分からない状態ながらもここの連中は独断で地下壕の設置をした。
きっと歴戦の部隊だ。不幸中の幸い、というのには不幸がデカいが、まぁ最悪の状況は避けられた。
「良いって事よ...で、どうするんです隊長」
「うーむ...この攻撃が緩むまでは待機するしかあるまい」
まぁ、それが正解な筈だ。
さっきは混乱と恐怖でまともな考えができなかったらしい。
―――ゴ...ォオオっ
爆音は大地に遮られようとも、振動は変わらず内臓を揺らす。
肩にパラパラと小さい土片が降りかかった。きっと上はとんでもない事になっているだろう。
収まる気配なんて欠片も見当たらないが、だからと言って飛び出すなんて論外だ。敵の魔力は絶対に底がある。それを待つしかない。
けれど、やはりどこかに違和感を感じてならなかった。
何かがおかしい。この唐突さもそうだが、俺達が担当していた辺りの川は流れが速くて攻略に向いていない地点なのだ。
つまりここに王国軍の戦力は配置されていない。敵だってそれは承知している筈。なのにこんなバカげた攻撃だ。
「...チッ、考えても仕方ねぇか」
俺に学はない。ってか正規の軍人ですらない。
小難しい事は上層部に任せるしかないのだ。仮に上層部からの命令が届かないとしても。
「頼むから何とかなってくれよ...」
出来るのは神頼みだけ。無力感が虚しさ、巨大な不安がずっと俺を苛んでくる。
当て所のない感情を飲み込んで、未だ目を開かないデイビッドに目をやる。
多少はマシになっているが、その息は未だ荒かった。
クソ、と悪態を付きながら壁に背をつける。
――これは長くなりそうだ。
寝れるとは思っていないが、少しは体を休めよう。
そうやって、無理やり目を瞑る。
体が重かった。
きっとデイビッドを抱えて塹壕の中を這い続けたからだ。
疲れのあまり意識が沈む。それを引き留めるように微かな爆発音と振動が耳を突く。その繰り返しは精神を削って止まなかった。
むしろ疲労がたまっている様に思える。ストレスが溜まってイライラする。
それでも、無理やり目を閉じ続ける。
目を開いたところで、そこにあるのは薄暗い地下壕と辛気臭い兵士達の顔だ。それに気が立っているのは俺だけじゃない。
ただ、精神を食い潰す化け物に負けまいと時が過ぎるのを待つ。
あの音がいずれこの地下壕を食い破って、俺達をミンチにしてしまうかもしれない。何時止むとも知れない攻撃は、地表と同時に精神も削ってゆく。
それでも絶える事しかできない。
頼むから早く止んでくれと願い、目を固く瞑りながら只管に。
――――――しかし、やはりここは地獄。
願いは叶わず、頼みは拒絶され、ただ人間に苦しみのみを齎す世界の果ての果て、或いは底の底。
瞑った目の奥、カッと何かが光った。
「ッ、何だッ!」
ガバックが鋭く声を張り上げる。
その声のままに目を開いて状況を確認しようとした――
「なっ」
が、その判断は間違っていた。
声が上がるより早く、入り口付近が眩い閃光で包まれた。次の瞬間、地面を揺るがすような爆発音が轟き、炎の波が地下壕を飲み込もうとする。
「く...ッ!」
それが何なのか知る間もなく、刹那の内に衝撃と暴風が地下壕の内部に吹き荒れた。最早悪態を付く間もない。
直視すれば目が焼かれると直感する程の閃光。本能的に瞼を固く結ぶ。
―――キ...イィインッ...
しかし、耳を守るには余りにも時間が足りなかった。甲高く籠った反響音が脳味噌を揺さぶった。不快感のあまりせり上がる何かを無理やり呑み込んだ。
吐き気と頭痛を抑えて必死に耐えた数十秒の後、ゆらゆらと揺らめく視界のまま現状を把握しようとする。
やがて鮮明さを取り戻した視覚で辺りを見渡す。変わり果てた地下壕を、そこに広がるあまりにも悍ましい光景を。
「ひ...っ」
息は荒く、動悸は激しくなる。
戦場に来て暫く経つが、今まさに目にしている光景は群を抜いて残酷でおぞましかった。収まりを見せた筈の吐き気が戻って来るほどに。
「あぁあああッあ、あ...あがッ...ああああ、アアあァ!!?」
一人の兵士が狂乱と恐怖のままに叫んでいる。聞いているこっちの気まで狂いそうだが、それが長くは続かないのは一目瞭然。
それは上半身だった。
出入口付近で座り込んでいた兵士は、崩れ落ちた土砂に下半身をもぎ取られていた。きっと下敷きになった後、衝撃と爆風で千切れたのだろう。
「うあ ...ア、ひっ...あ゛がぁ」
己の胴からはみ出る臓物を意味も無く搔き集めながらの発狂は、やはり数秒も経たぬ内に終わりを迎える。
断末魔というのには小さく、だがただの断末魔よりも遥かに絶望と狂気に満ちた最後の言葉だった...いや、言葉とも呼べない。喉元から捻りだされた最後の空気が、喉に掠って音を奏でただけだ。
目を見開き口を大きく開けた上半身は、その壮絶な表情のままに息絶えた。
「助けっ...助けてくれぇ...死にたくない!死にたくねぇよぉぉ...!」
惨状はそこらに広がっている。地下壕という狭い空間故にどうしても目につく。
次にサムの耳を突いたのは悲愴な叫びだった。
先の兵士は下半分が無くなっていたが、その兵士は左半分が無くなっていた。
腕は肩ごと吹き飛び、脇腹が抉られ、腿から先は潰れていた。
優しそうな中年の男だった。
親しみのある男だった。しかしその表情を苦痛と恐怖に歪ませていた。
「クソッ...気を強く保て!大丈夫だ!お前は助かる!!」
力なく天井に掲げられた右手を、別の兵士が掴む。
しかし、言葉の割には助からないと確信してしまっている表情だった。それは両者に言える事。
「家族が居るんだ...ヘイリーがっ、娘が...俺を...ぉ」
悔しさをありありと浮かべながら訴えた。
「死...ぃ、たく...」
悔恨に満ちた表情のまま、男の体から全ての力が抜け落ちる。
彼の人生にはどんな物語があったのだろうか。想いの人と結ばれて、娘ができて、幸せな人生がそこにはあったのかもしれない。
「クソォッ!!」
けれども、只出入り口の近くで休んでいただけで、彼はその命を落とした。
戦場が理不尽なのは身に染みて分かっていたはずだった。でも、それにしたってあんまりだ。
「嫌だ...嫌だ...嫌だあぁ...」
若い兵士が壁際で震えている。その足元には、頭を失った仲間の遺体が転がっていた。彼の瞳には完全に理性の色がなく、ただ何かを呟きながら虚空を見つめている。
「こぉして...こるぉ、してくれぇ...!」
またしても精神を食い潰す声が耳を突く。
見ても良いことなんてないのに、ついそちらへと視線を向けてしまう。
その兵士は顔を焼かれていた。
瞼も、耳も、髪も、鼻も、唇も、何もかもが焼け爛れて、その顔はのっぺらぼうか何かのように平坦で悍ましかった。
それに腹に大きな傷を負っている。もう助からない。
視界を焼かれて暗闇に包まれ、激痛という情報のみが絶えず襲っていることだろう。
その苦しみは想像を絶する。
「...たのむ、よォ...ダレかァッ...!」
彼は声を上げる。苦しみと恐怖の中、終わりという唯一の救いを求めて必死に。その声は悲鳴と恐怖の中に埋もれていたけれど、確かに届いた。
「畜生が...ッ!!」
ガバックが顔を歪ませながらも剣を抜く。
己の部下を、戦友を手にかける事の苦しさの渦中にいる彼は、しかし悩むそぶりを見せなかった。
「すまねぇ」
一言、謝罪と共に一閃を繰り出す。
それは狙い違わず脳天をカチ割った。
そして一瞬の静寂が広がる。
広がる凄惨な光景に、誰もが声を
出せなかった。
だがこんな異常事態の中で、静寂こそが寧ろ異常。
もう耐えられないとばかりに一人の兵士が立ち上がった。
「...クソォ!!やってられっか!!」
「おい待て!!」
惨状に耐えられずに出口へ向けて駆ける。
こんな所で、あんな風に死んでいくのならばいっそ。
その気持ちは十分理解できる。けれど、無謀と言う他なかった。自棄になって死地に突っ込むのと同義だった。
しかし、理性を失った兵士は隊長の制止も聞かずに飛び出してしまう。
「馬鹿野郎がっ...」
あれは助からない。あれで助かる筈がない。
戦場で生を掴める条件はたったの三つだけ。
一つ、常に冷静であること。
一つ、常に生を諦めないこと。
そして最後に、何があってもこの二つを守ること。
冷静さを欠き生を放棄したあの兵士が死ぬのは必然だろう。
―――――ウゥンッ......ドゥッ ウ゛ウ゛ゥ゛ーーンッッ!!
またしても爆発音。今度も近かった。
先の直撃で風通しが良くなってしまった出入口。その向こうに爆炎が広がって、凄惨な地下壕内部を照らす。
「クソぉ...」
誰かが言葉を漏らす。
血に湿る地下壕に反響したその言葉はきっと、誰もが心の中で思っている事だろう。
―――ボトッ...
と、今度は何処か間抜けな音が響く。
鈍くくぐもった、何かが落ちて転がる音。
「なん...ヒッ」
ゴロゴロ、とそれは転がる。
黒こげ赤に塗れながらも、それが何なのかは直ぐに理解できた。
生首。ここから逃げ出したの兵士の頭部。
さっきの爆発でやられたのだろう。
その光景は、外の過酷さを、或いは望みの無さをありありと見せつけられているようだった。お前らは皆こうなる、という見せつけのようだった。
...神なんている筈が無いと思っていた。神頼みは叶った事が無かったし、もし居るならばこんなクソッタレた地獄を許すわけがないから。
しかし今確信した。
神は居る。
そして、ソイツはきっとこれ以上ないくらい残酷で、残虐で、性悪なヤツだ。
―――――――――――
※2024/11/30 修正
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