第51話 到着、振るわれる猛威




 立ち込めるは死の香り、空を回遊する不気味の象徴。

 荒れ果てた土地にて顕現されたのは地獄。


 ――さて、という事でやってきました戦場。

 ここは南方戦線・西部戦域。ドミニオンクレストから出撃してたったの二日の距離であった。

 主戦場の一角であるこの防衛線がそんなに近いとは。俺達がここに来るまでの道のりは合衆王国に残った余裕を示している。

 もしここが突破されれば、目の前の地獄が汚染する様に広がり、やがてドミニオンクレストまで染め上げる事だろう。


 僅かばかりの危機感と緊張感を覚える。


「で、何すれば良いんだっけ」

「そんなんで良いのか隊長...」


 戦場に到着したは良いが、その後の行動がすっかり頭から抜け落ちていた。

 どうにも気の抜ける話だ。これに関しては完全に俺に非がある。


「現地指揮官、つまりこのB野戦軍団の軍団長へ指示を仰ぐ。そうリチャード殿の副官は言っていたな」

「ありがてぇ...やっぱお前が隊長で良いんじゃないかな」


 軽口半分、しかし残りの半分は本気である。

 俺よりレオの方が頼りになるのはもはや一目瞭然であった。


「冗談を。ともかく、我々は本陣へ行きましょう」

「冗談じゃねぇんだけどなぁ」


 まぁ、もう手遅れではある。

 レオへの頼もしさと己の不甲斐なさを噛み締めながらも俺は再び歩を進める。


 数分、或いは数十分だろうか。

 都度哨戒中の兵士に声を掛け場所を尋ね、どんどんと厳重になる陣地を歩く。


 泊められて階級を聞かれる事もあった。しかしこの隊に対して命令権を持つのは王女である。問題など起こる筈もなく、本陣にはスムーズに到着した。


「ここから先は二名まででお願いします」


 途中から案内してくれた男が言う。

 目の前には天幕があった。ここが目的地、つまり軍団長の居る場所だろう。


 振り返ったサラが俺の方へ目配せをする。

 隊長として一緒に来て、と言ったところだろうか。

 俺は黙って頷く。レオの方が頼もしいと思ったばかりだが、だからと言って責任を放り投げられる訳が無い。


 そうして天幕の布を払って中へ足を踏み入れた。

 そして直後に立ち止まって敬礼をする。


「懲罰部隊の責任者のサラスティア・ブリセーニョです」

「隊長のライトです」


 直立不動のサラの一歩後ろで敬礼を続ける。

 この中で最も地位が高いのは彼女で、最も低いのは俺。階級が上の人間に対する敬礼は絶対と叩き込まれているのだ。


「軍団長のエルンストです。この度は応援感謝します...楽にしていいですよ」


 執務机の向こうに座る男が柔らかい笑みを浮かべながら言った。

 言われるがままに敬礼を解いて相手を観察する。リチャードとは違う意味で軍人らしからぬ男。その優し気な見た目と口調はどうも親近感を抱くものだった。


「王女様に対して質素な歓待もできぬことを御赦し下さい。何せ余裕が無い物で」

「いえいえ、こちらこそ態々時間を作って下さりありがとうございます!」


 ここが最前線なのか疑いたくなるような光景だ。

 中高年の男、そして十代の少女。互いに邪気のない笑みを浮かべるその姿は孫と子のようにしか見えない。


「...さて、次の仕事が迫っているので手短に済ませましょう」


 ――雰囲気が一変する。

 目を細め笑みを消しただけ。しかし、それだけで優し気な初老の男は消え去った。

 なるほど、確かに数万人を預かる男なだけある...と言ったところだろうか。


「先ずはこの西部戦域で確認されている特種戦力についてですが、現時点では剣聖と第三特戦団がこれに当たりますね」


 剣聖。忌まわしき父を示す二文字の単語。

 それを聞くや否や心中に赤黒い感情が湧きたつ。もはや条件反射の域。


 しかしどうにも違和感がある。この西部戦域はアイツの得意とする戦場ではない。近距離に特化した能力とあまりにもミスマッチだ。


「剣聖...?河川防衛でか?」

「えぇ。恐らくは渡河作戦時の突破力としてでしょう。確認できたのは偶然です」


 ...成る程。

 という事は王国の渡河作戦が近いとみて良いだろう。

 飛来する魔術を切り裂けるアイツは、確かにそういうシチュエーションならば厄介極まりない。上陸されてしまえば苦戦間違いなしだろう。


「もう察しているでしょうが、敵はもう直ぐ仕掛けてきます。貴方達は最高のタイミングで駆けつけてくれた」


 少しだけ安堵の感情が見える。

 戦場に到着したと思ったら防衛戦線が既に崩壊していた、なんて事は経験したくもない。しかし敵の仕掛けるタイミング次第ではそうなっていたかもしれないのだ。


「貴方達は中央軍での火力支援を要請します。配置等の細かい裁量権はサラスティア様に帰属しますので、独自の判断で動いてもらって構いません」


 ...ここでサラに有難みを感じる事になるとは。

 彼女が戦う事には依然として抵抗があるが、現実問題として比較的自由に行動できるのはかなりのアドバンテージだ。ちょっと複雑な気持ちにはなるが。


「感謝します」

「いえ。質問等はありますか?」

ありませんNo sir


 どうやらこれで会話は終了のようだ。

 現状は大方把握できたと言って良いだろう。


「それでは頼みますよ」

「分かりました」

「了解」


 身分の違い故だろう、返答には共通性がない。

 しかし込められた思いは同じだった。


 緊張と戦意。期待に応えようと奮起する気持ちである。





 〇












「なぁ、知ってるかデイビッド」


 退廃的な雰囲気だった。戦場という一種の地獄の奥底、人はやがて生気を失う。

 目をもくれずに、独り言のように少年が言葉を吐き出す。


「なんだ?」


 応えるのは平凡な少年。戦場に居なければ、その顔に心身からの疲労が滲み出ていなければ、きっと何処にでもいる少年にしか見えないだろう。

 それでも少年の目の奥には希望の光が灯っている。生きる理由がそこには存在する。その存在とやらに、言葉を掛けた方の少年は心当たりがあった。嫌という程。


「近頃あるらしいな、渡河作戦」

「まじかぁ...ってか戦力足りないだろ」


 何時もこうだ。馬鹿馬鹿しい作戦に、戦争に、下っ端の気持ちを考えもせずに命を投入する。

 スラム街出身の二人の少年に愛国心などなかった。しかし突き付けられた徴兵令には頷くしかなかった。

 でなければ、大切な家族を置いてこんなクソッたれた所に来るもんか。


「あとあれだ、第二特戦団がやられたらしい」

「噂だろ?そんな簡単に特戦団が負けるかっての」


 スラム育ちとまでは行かなくとも、彼らの生い立ちは決して恵まれた物ではない。

 孤児同士肩を寄せ合って生きて来た彼らにとって、それ以上に厳しい生まれながらも名誉を手にした第二特戦団は特別な存在だった。


 故に簡単にやられるとは思っていない。

 話を振ったサムとてそれは同じであった。



 少しの間沈黙が広がる。しかし静けさは存在しない。

 遠くで地を揺らす爆発が耳を突く。頭上から明かりと衝撃が降り注ぐ。

 魔術障壁に敵の魔術が当たったのだ。ストレスを与えたいのか、或いは隙を伺っているのか。爆発音は常に傍にあった。


「...なあ、デイビッド」


 何か話をしなければ気が狂いそうだ。

 特に意味のない、何度も繰り返した会話を再び口にする。


「こんな所でくたばるの、割に合わねぇよな」


 何処か疲労が滲んでいた。

 当たり前の事。しかしそこには万感の思いが籠っているのだろう。或いは悲惨な現状が作り出す地獄への感想か。


「割に合う戦争なんてないだろ」

「そりゃそうだ」


 ハハハ、と二人笑みを浮かべる。

 楽しそうには決して見えない。互いに楽しいとは思っていない。


 皮肉と、虚無感と、目の前に広がる終わりなき地獄にいっその事笑えて来たのだ。

 いや、無理にでも笑わなければ壊れてしまうからかもしれない。


「明るい話でもしよう、サムは国に帰ったら何をしたい?」

「タブーだろその話題」


 呆れが顔いっぱいに広がる。

 そういう話をしたヤツから死ぬのは最早定め。死にたいのかコイツとでも言いたげな表情である。


「別に良いじゃないか。死にはしない」

「...知らねぇからな」


 サムは溜息をつく。

 デイビットは何時もこうなのだ。何処か抜けているのに、変なところで真面目で頭が固い。ジンクスを信じるタイプじゃないのは確かである。


「言い出しっぺだろ。お前のは何なんだよ」

「そうだな...」


 そう言うとデイビットは思案を始める。

 しかし、答えは案外直ぐに思い浮かんだ。


「マリーの手料理を食べたい」

「けッ、言うと思ったぜ」


 苦々しい表情でサムは吐き捨てるように言う。別にデイビットは己の幸福を誇示するつもりはないのだが、その純粋さはサムには直視できるものではなかった。


「あーあ...お前は良いよなぁ、帰りを待ってくれてるヤツが居て」

「そんな事言うなよ。マリーもエマもお前の帰りを待ってるさ」

「デイビットのついでに帰ってくれば嬉しいなくらいにしか思われてないっての」


 けれど、その純粋さ故に彼は選ばれたのだろう。自分にはなく、デイビットにあるその心の美しさが。

 明るい話題なのに暗い感情が浮かぶ。頭を振りかぶってやめだやめだとそれを追い出した。


「サムはどうなんだ?」


 話題、即ち死の旗が振られる。

 どうしたものか。確かに迷信を信じて会話を止めるのは馬鹿らしい。


「俺かぁ...」


 こんな地獄からはさっさと帰たいが、さりとて帰ったらやりたい事がある訳では無かったのだ。


「まぁ、俺はテキトーに生きてぇな」



 なんとも中身のない答え。

 しかしそんな物ではなかろうか。今まで誇れるような人生ではないし、愛してくれる人も愛すべき人もいない。だが不快なのは嫌なので帰りたい。


「ははっ、サムらしい――――」


 優し気な笑みと共に塹壕に柔らかく響いた言葉は、しかし何の前触れもなく途絶える。



 ――――ゥゥウ...ンッ...



 不快な風切り音、それは兵士に恐怖を与える音。

 何時ものではない。デカいのが来る。


「頭下げろよサムッ...!」

「言われなくてもやるっての!」


 それは二人はとっさに目と耳を塞ぎ口を開け身を縮ませたのと同時であった。



 カッ、と周囲に赤い光が広がる。目を焼かんばかりの炎が頭上の魔術障壁一杯に押しかかった。

 その規模に驚く間もなく、



 ―――ッガアァァアアアアアンンッッッ!!



 真の臓をも震わせる爆音が二人の鼓膜を揺らした。

 彼らが目を空けていれば、空気そのものが歪み振動する様を見れただろう。魔術障壁という鍋の内に居る彼らにとって、外からのそれは衝撃波を伴って襲い掛かる。


 なんだってんだよクソ、と心の中で悪態を付くサムを他所に、爆音は尚も響き続ける。

 数秒、数十秒。耳を塞ぎながら魔術の雨が止むのを待つ。しかしその時はどれだけ待てど訪れる気配すら見せなかった。


「クソッ、持たねぇぞ!!」


 サムは目を細めながらも、炎に包まれる魔術障壁を見上げた。


 許容量を超えている。限界が近い。あれが破られるのは最早時間の問題であり、つまるところ崩壊は避けらぬ運命だった。


 まさか、あの赤き葬者でも居るのか。


 あまりにも唐突な状況の変化、しかし戦場でそれは日常。なんとか冷静さを保ちながら頭を回す。

 これは只の制圧攻撃ではない。それにしては投射される魔術が多すぎる。ならば突撃前の飽和攻撃か。



「どうする!?」

「退くしかねぇッ!」


 魔力障壁には罅が走っている。あと数十秒もすれば破られ、そしてあの恐ろしい大火力が今度は自分達へと降り注ぐだろう。


 そうなれば死しかない。


「後退の命令は出てないぞ!?」

「関係あるかッ!死にたくねぇならさっさと走れ!!」



 言うや否やサムは塹壕から飛び出す。それは敵前逃亡という命令違反であり、露見すれば重い処罰は避けられぬであろう。しかし死とは比べるまでもない。


「くっ...!」


 生真面目さ故に悩みと躊躇を見せたデイビット。だがやがて意を決したようにサムの背を追って走り出した。



 空に広がる色は青でも灰色でもなく、終末の如き獄炎の赤。

 そしてその光景が地上に降り注ぐときがやってくる。


 魔術障壁は、兵士を敵の魔術から守る結界は、スタンドガラスか何かのように呆気なく砕け散る。乾いた甲高い音は、しかし爆音に阻まれ彼らの耳に届く事は無かった。


 しかし誰もがその瞬間に理解した。


 絶えず響き渡っていた轟音が鳴り止む。

 それは単に、音を鳴らしていた魔術障壁が消滅したから。或いは、次の楽器がその下にある大地と兵士に変わったから。


 静寂は、より大きな嵐の予兆に過ぎない。


「くッ―――」


 世界が揺れる。

 炎、しかし炎と認識することのできぬ巨大さ。太陽が地に墜ちた。

 形容し難い、文字に起こす事など不可能であろう音が戦場を包み込む。鼓膜は限界を訴え、ただ甲高くも籠った音が脳内に反響する。


 それは絶え間なく。文字通り止むことなく。


 背後から熱が迫っている。

 二人にとって振り返る事は、即ち死。そう直感的に確信する二人の目に収まる事はないが、やはりそこに広がる光景は地獄。


 断末魔さえ上げられず、血飛沫をも蒸発させ、塹壕は意味を成さない。運よく直撃を免れようとも、目を焼かれ耳を破裂する。何もかもが炎と爆発に包まれた。


「あと少しだッ...!」


 塹壕とは戦場に張り巡らされた巨大迷路。何も一直線に広がっている訳では無い。

 二人が先程まで居た最前線のそれは壊滅しているが、一つ後方の塹壕はまだ生きている。


 肺が痛い、足も悲鳴を上げている。しかし、理性も本能も只管に走れと命令している。


「らああああァッ!」


 塹壕は既に直ぐそこ。サムは泥でぬかるんだ戦場を滑るように塹壕に飛び込んだ。

 しかし安堵するには早い、直ぐに起き上がってデイビッドの方へ目を向ける。


「急げ!!」


 必死に走るデイビッドに手を差し伸べる。

 彼の背には炎の壁が広がっていた。あれに呑み込まれればどうなるのか、考えたくもない。


 彼に返事する余裕はない。

 額に汗を浮かべ、恐怖と必死さをただ顔に浮かばせながら走る。


 しかし、背後の炎との距離はどんどん近くなっていた。



「クソッ、飛び込めぇッ!」



 焦りと一抹の恐怖のままに叫ぶ。

 声はデイビッドの元に届き、しかし彼もまた焦り故に返答はできない。



 彼はただ、己の全てを振り絞って跳ぶ。


 足が千切れても良い。

 跳んだ先に目指すのは塹壕ではない、しみったれた地獄などではない。


 その遥か先、大海をも超えたその先。


 自分の帰りを待ってくれている筈の家族に、そこにある幸せ目掛けて。ただただ、全力で飛ぶ。やっと掴んだ幸せを離さぬように。



「ッ...だあああぁァ!!」



 その背を火襲う。轟々と音を立てる地獄の具現が、罪など犯していない善人を焼き尽くさんとばかりに。


 同時に、空気が個体となって彼を吹き飛ばさんと衝撃波が降りかかる。

 体より先に思考が消し飛び、靄がかかった視界は絶望に満ち――


「させるかッ!!」


 こんな地獄から一抜けさせてたまるかと、そんなデイビッドの手が掴まれた。

 叫ぶ。必死に親友の手を掴みながら、決して離さないと全力で握り締める。


 死を傍らにした二人を繋ぎとめるのは友情、離せばこの世からの別れ。

 必死、されど望むのは生。


「あああああぁああああッ!!!!」


 そして願いは叶う。

 爆風がデイビッドの体の全てを包み込む直前、振り絞られたサムの全力によって彼は塹壕に叩きつけられた、地獄に引き留められた。


「ゼぇ...ハァ...クソッ、大丈夫か...」


 僅かに安堵を感じる。それは紙に垂れた水滴の如く全身に広がって、最早体を動かす事すらできなかった。

 力という力が、或いは気が抜ける。


 そうぬかるんだ塹壕の底に横たわる彼に、しかしデイビッドは返事をする事はなかった。


「うッ...ぐ...」



 呻き声。

 まさか、頼むから止めてくれよと祈りながら起き上がる。

 抜けた力は焦りと嫌な予感で舞い戻って来た。


「おいデイビッドッ...!」


 地面にうつ伏せるその背を揺する。

 頼むから返事をしてくれ、どうか死の旗を叩き折ってくれ。


(あぁクソ、最悪だ)


 ふと鼻に突いたは肉の焦げた悪臭。

 その発生源は直ぐそこだった。


「が...あァ...ッ!」



 デイビッドの足が焼け焦げている。両足、膝から下の全てにかけて、肌が赤黒く変色していた。

 不味い、これはそう簡単に直る傷じゃない。


「クソッ、どうすれば...!」



 焦りながら辺りを見渡せど、兵士の一人も見当たらなかった。

 耳を澄ませなくとも轟音は常に響き渡っている。ここもそう遠くない内に塹壕としての役割を失うだろう。


 状況は最悪。見捨てるのは論外として、塹壕から這い上がれば即座に爆散するだろう。そうでなくとも、塹壕内に魔術が直撃すれば命はない。

 その上助けを呼ぼうにもその相手が居ないのだ。


「おい、返事しろ!」

「ぁ...あぁ...っ、大丈夫...だ」


(大丈夫じゃねぇだろッ!)


 叫びたくなる気持ちを抑えながら只管に考える。意識がある事は確認した。となればやはり最大の問題は彼の足。

 どうすれば助けられる、いや俺達は助かる。


 その筋の知識を持つわけではないが、デイビッドのこの傷はそう簡単に治せるものではない。並大抵の聖職者では応急処置が精々だ。治すとなればそれこそ―――



「ッ、そうだ...!聖女なら!」



 戦場の女神、兵士の救世主。彼女が居る戦場に負傷者は存在しない。

 そしてそんな彼女は今この戦場の何処かにいる筈だ。本国から送られてきた応援部隊に彼女の名前もあった。

 そして更に頼もしい事に、後方支援に特化した第四特戦団もバックアップについている筈。


 聖女はこと治癒に関して右に出る者は居ないらしいし、魔力とか治癒の順番や優先順位なんてものも関係ない。数千の兵を一日で癒せるという逸話もあるのだ。

 それに、第四特戦団の心強さは身に染みて知っている。彼らのお陰で命拾いした戦友は数知れず、戦線を支える超強力な後方部隊。


 彼女が、彼らが居るなら問題ない。絶対にこの傷は治る。


 ...しかし、どうやってそこまでたどり着くのかは思いつきもしなかった。



 どうすればこの地獄から抜け出せる。炎と爆発に満ちた地上に出れば死は必須。

 ここは塹壕の何処に当たる位置なのか、それすらも分からない。迷路のように入り組んだ塹壕でそれは致命的だ。



 ―――――ウゥンッ......ドゥッ ウ゛ウ゛ゥ゛ーーンッッ!!


「ッ...クソ!」


 爆音、閃光、振動。

 今のは近かった。デイビッドの頭に覆いかぶさりながら冷や汗を流す。

 もし少しでもズレていれば二人仲良く蒸発していた。



 このままでは不味い。座して待てどもその先に未来はない。


 ただ危機感だけを胸に、サムはデイビッドの脇を抱えながら引き摺り始めるのだった。




 〇





 時間感覚がない。

 一体どれだけの時間が経過しただろうか。


 爆音は耳を痛めつけ、絶えず発生する閃光は太陽の光をも呑み込む。

 数時間だろうか。もしかしたら、たったの数十分かもしれない。


 地獄だと思っていた。塹壕の底で、敵の魔術に怯えていた。けれど、魔術障壁が常に自分達を守っていた。


 しかし今居るのは本当の地獄だ。

 火と赤が視界を埋め尽くし、世界はこの世のモノとは思えない光景へと変化していた。一体、自分が何をしたって言うんだ。


 仕方なく従軍しただけなのに、どうしてこんな目に合わなきゃいけないんだ。

 こんな地獄に堕ちるような罪は犯してない筈だ。


 そんな恨めしい気持ちのぶつけ先なんてない。


 ただ心の中で悪態を付きながら泥中を這うようにデイビッドを引き摺る。痛みが酷いのか、今は気を失っていた。


 頼むから死なないでくれよ、と縋るように祈る。


 お前が死んだらどんな顔をして帰ればいいんだ。

 わりぃ、お前の恋人は死んだわ。なんて言わせるつもりか?

 止めてくれよ、俺まで死ぬ事になっちまう。


 考えるだけで息が荒くなる。

 あぁ、本当に嫌だ。頼むから死ぬな。絶対に死ぬなよ...!



「おい、大丈夫かお前ら!?」

「っ...」


 人の声。爆音でもデイビッドの呻き声でもない。

 やっとだよクソ、何処に居やがったってんだ。


「大丈夫に見えるかよッ!」

「...すまん」


 クソ、これじゃあ当てつけだ。

 どうも精神が嫌な方向にしか行かない。自分の言う事を聞いてくれない。


「容体は?」

「足をやられてる。今は失神してるだけだ」


 中年の兵士が深刻そうな表情でデイビッドの足を見る。

 考えるまでも無く上官だ。流石に口の利き方がまずかったかもしれねぇ...しかしそんな事はどうでもよく、ただただ親友の事が気掛かりでならない。


「命に別状は無さそうだが...直ぐに処置しないと一生歩けなくなるかもしれん」

「クソッ、どうすれば...!」


 拳を地に叩きつける。

 あぁ、だと思ってたよ。見りゃわかる、今すぐ直さねぇとヤバい傷だってな...!


「なあ、後方にはどうやって行きゃ良い!?聖女か第四なら...!」

「落ち着け!こんな状況で後方に移動できる訳ないだろ!」


 歯を噛み締める。その通りだ。取り乱したってどうにもならない。

 けれど、危機感はずっと身を焦がしている。


「じゃあどうすりゃ良いんだ...!」

「こんな魔力を喰いそうな攻撃がそう長く続くか!攻撃が緩むまで待つんだよ!」


 正論だ。だが違和感が拭えない、嫌な予感がする。それで親友を救える気がしない。

 だが他の方法なんて思い浮かばない。


 それしかないのか。悔しさのあまり手が震える。

 ...だが、受け入れるしかないのだろう。


「俺の小隊には土魔術を使えるヤツがいてな、急遽即席の地下壕を作ったんだ。お前もそこに来い」

「...はい、ありがとうございます」



 恨みがましく空を見る。雨あられと攻撃魔術が飛んでいる。

 無差別に、この戦場に居る全てを鏖殺せんとばかりに。


 親友を傷付けたそれが、ただ恨めしくてならなかった。





―――――――――――――

※2024/11/26 修正


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