第50話 任務
二週間が経過した。
あっと言う間だった。
サラも訓練に参加して、銀で出来た短剣を授かって。特筆すべき出来事はこの二つだけだった。
それ故なのだろうか。或いは、有意義と思える時間だったからだろうか。
まず体力が付いた。骨と皮だけだったこの体に、肉と少しの筋肉が戻った。
勿論二週間では全盛期のそれには程遠い。まだまだ痩せている。けれど、病的なまでの状態からは脱した。
心肺機能もかなり回復したと思う。走り込みではやっと教官についていけるようになった。
座学や魔術、剣の自主鍛錬もずっとやっていた。やはり二週間というのは詰め込むにしても短すぎる期間。決して十分に学んだとは言えない。
しかし基本的な知識については身についたと言って良いだろう。軍事用語から幾つ戦術、魔術の使い方や相性等だ。
忙しくも充実していたのだ。
そうして一瞬で過ぎ去っていった二週間の後、つまり今日は出撃予定日である。
「それでは、これよりブリーフィングを行う」
会議室にリチャードの声が響く。
中央に戦略地図を乗せた大きな机が一つ。部屋の中に居るメンバー俺を含めて六人だけだった。
他の隊員達は外で待機している頃だろう。
これから行うのは出撃に向けた最後の会議と情報共有、つまりは今言われた通りブリーフィングである。
「戦況の共有からだ。頼んだ」
「了解。先ずは王国の攻勢と戦況の推移について説明する」
リチャードが早々に会話を副官に投げた。
堅物そうな青年は一歩前に出る。
「現時点で我々が敵と対峙している戦線は三つ。ここドミニオンクレストを中心とし北北西に150にて展開されている北方戦域、東にて敵攻勢部隊と戦闘中の東部戦域、そして西部の河川で防衛戦闘が展開されている西部戦域だ」
青年が地図に指示棒を突き付ける。城の簡易的な模型が示すのはこの王都、その南方に広がる二色の駒。互いに対峙するそれは王国軍と合衆王国軍を示している。
北方には距離を置いて、南方のそれよりも多くの駒と広い戦線が展開されていた。
「ペネストラ地方、マセリア全域、ロードヴィア全域、ジェルセリア全域、そしてバースタウン。また我が国第二の都市であるアークヴィンを含め、王国が占領している我が国の領土は北方に集中している」
カッ、と乾いた音を鳴らしながら指揮棒を戦略地図に突く。
王国の勢力を示す赤い駒は、確かに北方の海沿いに集中していた。
「しかし今回の王国による攻勢の主力は南方。現時点で確認している戦力は以下の通りだ」
再び指揮棒を動かす。
南方戦線を指すその先には幾つかの特徴的な駒があった。
「王国本土より送られた援軍とみられる剣聖、エイベル、聖女、第二特戦団。そして既存の第四特戦団が南方の攻勢に参加している」
...クソ、忌々しい。
どうにも面識のある――それも悪い方で――連中ばかりだ。
先ず剣聖。俺に劣等感を植え付けた父親失格のクソ野郎。
エイベルもクソだ。アイツが居なければアベルが死ぬ事はなかった。
しかし特に聖女が忌々しい。今すぐにでも殺したい。
ギリギリと軋む。片方しかない拳を震える程に握りしめる。
あの女こそ全ての元凶。恩をあだで返された、なんてレベルではない。善意のつもりだった。しかし帰って来たのは憎悪と理不尽、苦悩と地獄だ。
だが今考えるべき事ではない。復讐はともかくして、今の俺には立場とそれに伴う責任がある。個人的な欲望は抑えよう。いざ対面すればそうもいかないだろうが。
ともかく、聞いた限りでは南方戦線に投入されている戦力はかなり大きい。
王国にはまだ大量の通常戦力があるが、さりとて今挙げられた戦力は替えが効かない類のものだ。王国は今回の攻勢に可能な限りの全力を充てていると見ていいだろう。
「しかし北方戦線に動きはない。よってこの攻勢部隊の目標はドミニオンクレストの占領、及び北方戦線にて戦闘中の我が軍主力を挟撃する事と思われる」
戦略地図の全容を見る。
南に位置する巨大な半島を掌握している王国軍。特種戦力を伴って北進を試みるこの敵勢力を阻止する合衆王国軍、その北にドミニオンクレスト。そして、その北北東には長大な北方戦線があった。
つまりは、王国軍は増援として派遣された戦力の全てを南方に投入。少数故の機動力を以て南方戦線を突破し、北方の友軍と挟撃する形で合衆王国軍に大きな損害を与える事を目的としているようだ。
あとは占領地拡大もあるだろう。
「これに対し北方戦線はサスクエハナ川まで後退。参謀本部はこの河川を絶対防衛線として死守命令を発令した」
見れば、確かに北方の青い駒は川を前に防衛線を構築している。
見る限りでは問題は無いだろう。何せ敵の攻勢の主戦力は南方なのだから。
「しかし問題は南方だな。これはドミニオンクレスト及び合衆王国の危機と言って差支えないだろう」
リチャードが珍しく険しい表情で言う。
その通りだ。こと南方戦線に於いては彼我の戦力差は大きい。
特に敵の特種戦力への対策が問題となるだろう。戦線の全てをアレクシア王女が守る訳にもいくまい。
「それで?」
「あぁ、話を続ける。南方戦線西部は開けた平原地帯、東部には河川が広がっている。この主戦場の地形的差異及び距離の問題から我々は戦域軍編成を取る事とした」
戦域軍編成。小難しい単語ばかり並べ立てられて余り理解できないが、おそらくは複数の軍を束ね特定の戦域を担当させる編成方式だった筈だ。
「編成された野戦軍は二つ。平原地である東部戦域をA野戦軍団、河川防衛中の西部戦域をB野戦軍団が担当する」
負担の大きさは間違いなくA軍集団の方が大きいだろう。要塞や塹壕は多数配置されているだろうが、防衛に於いて河川程力強い物はない。
広範囲の平原で王国軍と対峙するにはかなりの戦力が要求される。
「各軍集団の戦力構成はどうなっている?」
隣で腕を組んで聞きに徹していたレオが口を開いた。彼には副官として参加を許可してもらったのだ。正直、自分一人で全てを把握できる自信が無かった。
そして、それは俺も気になる所であった。
東部戦域が崩壊すれば王国軍はドミニオンクレストの攻略に入るだろう。西部戦域は河川を突破されても後退と戦線の再構築が可能だが、東部はその限りではないのだ。西部は戦術的に防衛が要求されるが、東部は戦略規模で重要な戦線の筈。
そんな問いにはしかし、答えを予め用意していたと思わせる程に間を置かず答えが返って来た。
「では、東部戦域を担当するA野戦軍団の戦力構成について伝える。アレクシア第一王女と麾下の第1親衛師団、第4魔術攻撃大隊、第9長弓兵大隊、第6槍騎士旅団、第22歩偵察連隊、第4重装騎兵大隊、第一、第三並びに第四歩兵師団」
単語ごとに一つずつ駒を指す。
細かな差異を持った駒はそれぞれ役目が違うのだろう。その内の一つ、大きく王族の紋章が描かれた駒が真ん中に置かれていた。恐らくはあれがアレクシア第一王女だ。
「軍団長はアレクシア第一王女。三個通常歩兵師団を主軸とし、機動力と火力を重視した二個師団級の各戦力と攻撃の主力を担う第一親衛師団を配置。計六個師団を以て決戦防衛戦術を遂行中である」
二週間の座学は無駄ではなかったらしい。ある程度言っている事が理解できた。
決戦防衛戦術。防衛と名のついているそれだが、名前に反して攻撃的な戦術だ。決戦という言葉が示すように、敵に損害を与える事を目的とした防衛戦術である。
まぁアレクシア王女らしいと言えばらしいのだろう。彼女に純粋な防衛は似合わないし、適正を考慮するならば攻撃的であるのが正解だ。
頼もしいの一言に尽きる。
「次に、諸君ら懲罰部隊が派遣されるのは西部戦域を担当するB野戦軍団となる。保有戦力は故アベル第一王子の第2親衛師団、第1重装騎兵中隊と第2重装歩兵大隊を有する第1重装連隊、第5魔術支援連隊、第3及び第5歩兵師団、第1、第2弓兵大隊を保有する特設弓兵連隊、第5軽騎兵連隊、第3攻城兵団、二個敷設科大隊からなる特設敷設連隊、特殊工作中隊」
反対に、こちらは防衛に特化した戦力構成だ。
また幾つか機動力の高い戦力と陣地敷設部隊もある事から、仮に河川を突破されても再び戦線を構築する事も視野に入れているようだ。
「軍集団長はエルンスト陸軍大将。二個通常歩兵師団を主軸とし、河川防衛に特化した二個師団級の戦力を配置した編成だ。こちらは計四個師団、ポトミール川周辺で水際防衛戦術を実行中だ」
バランスは良いように思える。しかし、俺達が派遣されるという事は戦力が足りていないのだろうか?
アレクシア王女のような最高戦力が足りていないのだろうか。特戦団は兎も角、剣聖や聖女、エイベルが持つ戦術的価値はとんでもない。通常戦力の範疇を出ない限り対処は厳しいかも知れない。
まぁ、だからこそ俺達が派遣されるのだろうが。
「懲罰部隊が派遣されるのはB野戦軍団の中翼。火力支援並びに対岸の王国軍へ損害を与える事を目標とする」
「了解した...しかし、どうも引っ掛かる事が一つ」
先程から話を聞きながらも、ずっと疑問が胸にあったのだ。
西部戦域も北部戦線も河川防衛に徹している。東部戦域だって結局は防衛だ。
率直に言えば、あまりにも受動的な動きに見える。
王国の補給不足でも待っているのだろうか?しかし彼我の戦力差がある以上時間稼ぎは合理的に思えない。
「反撃の目途は立っているのか?これでは戦況を打開できない」
何らかの策でもあるのだろうか。そんな疑念をそのままぶつけてみた。
「それに関しては俺が答えよう」
リチャードが笑みを浮かべながら言った。
自信があるのだろうか。この不利な状況を覆せる何かを持っているのだろうか。
期待を込めて見る俺に、彼は一つ宣言をする。
「アレクシア王女含め、全ての既存戦力は時間稼ぎが目的だ」
だが口から放たれたのは非現実的な言葉。
何故、何の為に。そんな事をして何になる?
「何の為の時間稼ぎだ」
「真の意味での合衆王国軍の到着さ」
イマイチ...というか全く理解できない。
そもそも会話が噛み合っているのか?
「...というと?」
「合衆王国と言えども所詮は元小国の集まり。国から州へと名前を変えたところで旧勢力同士の連携が上手くいかなかったんだよ」
この戦況の言い訳ではない。苦々しい感情が読み取れるそれは事実に思える。
――と、放たれた言葉に違和感を覚えた。
連携が上手く行ってなかった、だと?
まさか、そんな状態で今まで戦っていたのか。
「だがな、陛下の激務のお陰もあってようやく...ようやく州を跨いで一本化された指揮系統下の軍を編成できた」
安堵と疲労が滲んだ言葉。
それが示す意味は一つだけだった。
「だから真の意味での合衆王国軍だ。名を合衆国統合陸軍。海岸を含む全方面より四個軍団、計20万人の援軍がこちらに急行している」
驚愕が俺とレオの間に広がる。
20万。しかも話しぶりからするに正規の職業軍人。
...なんだそれ。すげぇなこの国。
合衆王国の事を舐めていたようだ。国家の規模から何まで認識を改める必要がありそうである。
「この統合陸軍とは、これまで各州が保持していた通常戦力を集約し、合理的な役割分担を徹底した軍だ。勝敗の全てを握る切り札でもある」
なるほど、ならば時間稼ぎというのも大いに納得できる。
それほどの戦力が援軍としてこちらに急行中ならば、確かに時間稼ぎこそ最も有効な戦法だろう。
「この到着まで王国軍の攻勢を凌げるか。そしてそれは諸君ら懲罰部隊にも掛かっているんだよ」
「なるほど...了解した」
少しだけ緊張する。
このドミニオンクレスト防衛は俺達次第でもあるという事だ。
全力を尽くさねば。
最初からそのつもりではあったが、やはりこうして期待の言葉をかけられると感じるものが違う。
「質問は?」
「ありません」
「よろしい。それでは健闘を祈る」
言葉と共に、互いに敬礼をする。
二週間の成果だろうか。自分でも恰好が付いている筈だ。
ともかく、知るべき情報は得、俺達が遂行すべき任務は確認した。
ならば、あとは実行あるのみだ。
――――――――――
※2024/11/16 修正
以降は修正が間に合ってないです。修正前と後では展開含め様々な変更がされているため、唐突な場面の変化や大量の矛盾が発生します。申し訳ございません。
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