第45話 クラウ


 夜が深ける。丑三つ時、誰もが夢の世界に沈む時間だ。

 皆眠っていた。春先という時期もあってか、その辺で雑魚寝しても問題ないような気温だ。放置しても問題ないだろう。


「少し話そうぜ、クラウ」


 そして今は秘密を離すのには丁度いい時間帯でもある。

 疑問を解消せんと、ヘルムを付けたまま寝転がっているクラウに声を掛けた。


「あぁ」


 ヘルムの奥からくぐもった短い言葉が返って来る。

 寝ていなかったのだろう。寝付けなかったのか、将又俺が話し掛けて来る事を見越していたのだろうか。


「少し場所を変えよう」


 言うや否や歩き出す。全員が全員深い睡眠をしている訳では無いのだ。話声で隊員を起こしてしまう事も考えられる。

 彼は黙ってついて来た。数分歩いた頃、やがて小さな木が目に入る。ここで十分だろう。俺はその気の根元に腰を下ろした。


「さてと」


 息を吐いて座り込む。

 クラウの方を見れば、重苦しいのか、ヘルムは早々にクラウの頭から外れている。それを放り投げた彼は芝に寝転がっていた。

 長話になるという事だろう。


「お前はなんで正体を隠したいんだ」


 前置きなんて物は要らない。クラウは明確な理由があって正体を隠しているのだろうし、俺はそのことを疑問に思っている。だから単純な質疑応答に過ぎないのだ。

 ただ単に、その理由というのが複雑であろうといのが問題なだけで。


「そうだな、何処から話した物か...」


 思案しているのだろう、短い沈黙が場を支配する。

 俺はただ言葉を待っていた。


「...まぁ、察しているだろうが言っておく。俺はこの国の第二王子、クラウディア・ブリセーニョだ」


 それは一種、事実確認のような物だった。コイツの本名については確かに知らなかったが、驚くような情報はない。妙に女性らしい名前なのは違和感を覚えるが、貴族や王族の男児の女性名を与えるのはそう珍しい事ではないのだ。


「まず、俺はお前に対して如何なる負の感情も抱いていない。アベルが死んだことに関して謝罪する必要はねぇって事だ」

「それは...」


 なんだろう、酷く複雑だ。

 言っている事はサラとさして変わらない。しかし、そう言った時の表情が全く違う。そこに宿る感情は自嘲だろうか。


「アイツは優秀だった。魔力量も才も、人望もあった。そして何より、妹の為に血の滲む努力をして、周囲からの期待に全て応えた。劣等感を抱いたよ、自己嫌悪も」


 ――覚えがあった。その感情に、思いに、苦しみに。

 似ている。その対象に違いはあれど、彼もまた劣等感の最中で生きた人間だ。そして最後に裏切られ、全てを奪われた人間だ。


 彼は監獄に居た。

 そして、彼自身が説明したではないか。かつて、王国に引き渡された王族が居ると。国益の為に犠牲になった王子が一人居ると。それが彼だ。もはや疑いようはなかった。


「姉も優秀だった...いや、あれに優秀という評価は正しくない。最強の名をほしいままにする、王族の中でも最も優れた人間だった。父親も非常に有能な人間だ。国益と言う名の天秤を前に全ての感情を排除できる、国家元首としては正しい男だった」


 やはり覚えがある。周りからの評価は高く、実際肩書で見れば優秀な父親。しかし親としては失格も同然なのだろう。口調からも読み取れるが、何より人質として己の息子を王国に引き渡したのがそれを証明していた。


「別に家族が嫌いな訳では無い。ただ、何の能力も無い俺が...期待に応えられなかった才無き王子が戻ったところでな」


 諦め、その根底にある自己嫌悪が見て取れる。

 俺は事情を知らない。今聞いた話でしか判断を下せない。だから、俺はただ黙って聞いていた。罪の告白のような、己を蔑む言葉を。


「それ以上に、迷惑なんだよ。姉を見ただろう、誰よりも力と人望を持つ最強を。だがアイツは王女で、本来は王位継承権を持たないんだ」


 淡々と事実を語るクラウ。しかし、その言葉の続きが恐ろしく思えて仕方が無かった。それは彼の存在意義すらも揺るがすだろう。全てからその生を否定される事になってしまうだろう。


「――だけど俺が消えて、アベルが死んだ。きっと喜んだヤツも居るだろうよ、これでアイツを王にできると。そしてそれは間違ってない。姉こそ王に相応しい。故に、俺が邪魔をする訳にはいかないんだ...!」


 抑えられなかったのだろう。感情のままに叫ぶ彼は、文字通り絶望しているように見えた。あぁ、納得してしまう。その通りだ。

 大陸で最強の力と、それに溺れる事なく役目に従事する精神性。アレクシア第一王女は王に相応しい...周りはそう思っていて、そこにクラウが生きていると知られればその方針で固まっているであろう国に混乱を齎すだろう。

 そして、国家の危機である現状でそれは許されない。


 彼の悩みは俺には想像もつかぬほど苦しみに満ちていた。


「...だから、良いんだよ。これで」


 諦めだった。悔しさとか劣等感とか、そんな感情は一切なく、彼はただただ諦めていた。


「良いのかよ、一生顔を隠して生きるつもりか」

「あぁ、もうそれで良いよ。この懲罰部隊は気楽だ、少なくとも昔のように無能の烙印を押される事はない」


 そう言うクラウの表情は、なるほど確かに穏やかだった。きっと本音なのだろう。この部隊は居心地が良い。確執はあれど仲間だから。しかし、どうも口調が投げやりに思える。


「心の底からそう思っているなら否定しない。ここは懲罰部隊だ、どんなヤツも受け入れられる...けれど、お前はその生で何を為したいんだ」


 諦めている。それはつまり、彼が元来求めていた事が別にあるのではないか。そしてそれを状況を理由に諦めているのだ。憶測に過ぎないそれの結論は、しかしクラウの反応を見れば明らかだった。


「...為したい事、そりゃあ在るさ。見返してぇよ、尊敬されてぇし、人を導く立場にもなってみてぇよ。だけどもう諦めた」


 やはり。何処か遠い目でそう言うクラウに確信を抱く。

 ならばやりようはある。きっと後悔する。話し合いもせずに、投げやりな結論で人生を決定づけてしまうのは。


「諦めんなよ、せめて家族にだけは正体を明かせば良いじゃねぇか。それで話し合えば良い。その上で結論が変わらないなら、その時はまた戻ってくりゃ良いだろ」


 きっとまだ何とかなる。彼の妹も姉も人格者だ。兄弟が生きている事に喜びはせども、拒絶する事は絶対にないだろう。正体を明かす相手を限定すれば混乱も発生しない。戦況が落ち着いた時にでも結論は出せる。

 何にせよ、話し合いすら放棄するのは完全な自棄だ。


「...俺は怖いんだ。生きて帰ってきたと伝えても、待っているのが『あぁ、アベルだったらよかったのに』なんて顔だったら。そう考えると怖くて堪らない」


 ――これが本音だ。正体を明かさない本当の理由だ。

 顔を歪めるクラウにやっと納得した。どこか違和感を覚えていたこれまでの会話だったが、その根底にあるこの恐怖が分からなかったからそれを覚えたのだ。


「あり得ねぇよ。姉妹なら分かるだろ、少なくともサラは絶対に喜ぶぞ」


 断言する。

 彼も心のどこかではそう分かっているだろう。だが得体の知れない恐怖と不安がそれを阻んでいた。それらを取り払う様に強い口調で断じる。

 サラは、彼女は、優しさを振り向く善性の証明者だ。きっと心の底から兄の生還を喜んでくれるだろう。


「...そう、かな」

「あぁ、そうだ。ちゃんと話し合えよ、失敗しても俺達が居るから」


 安心させるように言う。それはまごう事無き事実であり、悩む彼の背を押したいという個人的な思いもあった。

 再び、場に沈黙が流れる。

 彼は考え込むように目を瞑っている。

 やがて長い思案の後、彼は目を開くと共にこう言った。


「...あぁ、じゃあちゃんと話し合ってみるよ」


 己の過去と決着をつける。彼の目に浮かぶのはそんな思いだろうか。覚悟を決めた、腹を括った男の顔をしていた。



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※2024/11/05 修正

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