第42話 把握
―――コケェーーッ!
鶏の鳴き声が、微睡を吹き飛ばすように耳を突いた。
最初に抱いたのは朝からうるせぇな、なんて文句だったけれど、よくよく考えればおかしい事だらけだった。
寝起きの顔に怪訝な表情を浮かべながら思案する。
俺が寝ているのはベッドだった。ご丁寧にブランケットまで掛けられている。木で出来た部屋は暖かな雰囲気が籠っていた。
窓の外からは太陽の光が優しく差し込んでいて、その下には長閑な景色が広がっている。先程目覚まし代わりの鳴き声を上げた鶏や、その近くで草を食む馬。更に奥へ目線を巡らせば、牛が放牧されているのが分かった。
「...分からん」
手にも足にも拘束具は嵌められていなかった。
俺の記憶はサラを合衆王国軍らしき騎馬の一団へ託した所で途絶えているが、故にこの状況が理解できなかった。
ただ一抹の不安が渦巻く。俺はサラを救えたのだろうか、あの少女は無事なのだろうか。死の淵に立っていた彼女が今どうなっているのか、何よりもそんな不安と疑念が湧き上がる。
しかし、この待遇を見るに不安は無意味なのかもしれない。彼らにとって俺は敵兵。合衆王国軍所属のサラを救えた、それ以外に俺がこんな待遇を受ける理由はない。
とは言え確証が無いのもまた確か。ソワソワと落ち着かなかった。
起き上がって部屋の外に出てみようか。そう意味もなく迷っている俺の耳に、木が軋むような甲高い音が届いた。
「あ、起きました?少し待って下さいね、今人を呼んできます」
声が響く。開かれたドアの方に目をやれば、そこには軍服を着崩した青年が居た。しかしドアノブから手を離す事すらなく、言葉を残して再びドアを閉じてしまう。
何がしたかったんだと顔を顰めていると、再度扉の奥から足音。それはノックする事なく、入るぞと何処か聞き覚えのなる声で言うと部屋に入って来た。
燃え盛る炎。彼女を一目見た瞬間、そんな言葉が脳裏を過った。苛烈なまでに赤い髪色、その目からは確固たる自信や誇りが覗いている。
只者ではない。雰囲気でそう分からされるような女性だった。
彼女は部屋に足を踏み入れ、俺が寝ていたベッドの横の椅子の上に座って口を開く。
「先ずは名を。私の事はアレクシアと呼び給え」
「ライトです。あの、今どういう状況なのか聞いても?」
若干の緊張が滲んでしまった。恐らくは見透かされている。
しかし仕方ないだろう、何せ彼女には強者特有の空気を纏っているのだ。俺が良く知る剣聖の様なそれは、俺を緊張させるには十分だった。
「いいや、それよりも先に感謝させ欲しい...ありがとう、ライト。君はあの少女を救った」
「っ、良かった...」
頭を下げながら真摯な口調で放たれた言葉に、全身の気が抜けたような心地になる。心の底から安心した。彼女の無事に、俺が彼女を救えたことに。
あぁ、本当に良かった。
万感にしてたった一つの感情が胸を支配する。少しばかりそれに浸っていたい。
「それで状況だったな。何から知りたい?」
しかし、そんな感傷も程々にアレクシアが尋ねて来る。
確かに知りたい事は多い。俺に起きた状況の変化から、サラやアレクシアが何者なのかなどの情報まで、俺は知らない事だらけなのだ。
「ではまず、ここは何処ですか?」
「君が倒れた地点より北西の農村だ。君とサラの為に部屋を借りている」
サラと、そう呼んだ彼女の顔には親しみが浮かんでいた。一体どういう関係だろうか。やはり疑問は絶えない。
「あの、彼女は一体何者なんです?」
監獄島で出会い、隊員達に光を差し込んだ謎の少女。砦では正体を隠すようにしながら戦っていた彼女の素性。やはり一番気になるのはそれだった。
「君、それを知らずに命を張ってまで救ったのか...?」
返って来たのは呆れだった。
心底理解ができないような困惑の色も見られる。その感情の意図が理解出来ずに首を傾げる俺に、彼女は溜息をつくと言葉を続けた。
「では聞くが、何故彼女を救おうとした」
「...分かりません。ただ、何かを思う前に体が動いていた」
あの時の事は鮮明に思い出せる。絶望と諦めをその顔に浮かべ、力なく谷の底へ落ちていく彼女の事は...そして、それを見た瞬間に湧き上がった感情は。
自分との誓いだった。男の意地と言えばそれまでだが、俺はそこに命を掛けた。他の何よりも彼女の為にただ突き進もうと、胸の底の想いのままに。
「まぁ良い...彼女はサラスティア・ブリセーニョ、この国の第二王女だ」
「...え?」
第二王女ってなんだ?いや言葉の意味は分かる。しかしあの少女がこの国の王族?今までにない戸惑いが渦巻いた。
しかし、同時に全てが嚙み合ったような納得が浮かんだ。
あの少女を見て、一言では表せぬ複雑な表情を浮かべたクラウ。その違和感の正体がこれだったのだ。正体を隠していた理由も考えなくとも分かった。
「クソ、そうだったのか」
故に歯噛みする。手を握り締める。これが何の感情なのか分からない。
彼女は言っていたではないか、苦しくも悲しげな、救いを求める様な声色で――『兄さん』と。俺が殺したアベルの事だ。
あぁ、クソ。
なんて言えばいいのか分からない。なんと表現すれば良いのか見当がつかない。
友の妹を、彼にとって何よりも大切だった存在を救えたことを喜ぶべきだろうか。それとも救った少女の大切な存在を奪ったのが俺だったという事に罪悪感を覚えるべきだろうか。
複雑。しかし決してポジティブではない負の感情が胸を突く。
それを振り払うように息を吐いて、不思議そうにこちらを見るアレクシアに向かって口を開いた。
「...では、貴方は」
「私は彼女の姉だ」
やはり。その親し気な口調から只ならぬ仲ではないとは思っていた。
目を閉じる。暗闇は俺にあの光景を連想させた。
独房、俺達は冷たく湿った石に寝転んでいた。ぼんやりと天井を眺めながら、アベルは言葉を放ったのだ。
それは遺言。彼から託された、俺の生きる理由の一つ。
「アベルは、貴方の弟ですね」
「急に話が変わったな。そうだが」
躊躇いは生まれない。罪悪感はある、申し訳なさも。だが目を逸らす事などできず、俺は彼女の目を見ながら覚悟を決めた。
「彼とは同じ独房でした。遺言を預かっています」
〇
太陽は天頂に達していた。正午の暖かさが、窓越しに体に伝わってくる。
しかし、部屋の中に漂う空気は重苦しかった。
ただ黙って話を聞いていたアレクシアが、組んでいた手を解いた。険しく歪められた表情は彼女の心情をそのままに表している。
しかし溜息を付き、解すように目頭を押さえ、そして再び開かれた目には、ただ穏やかな色が浮かんでいた。
「全く、感謝しなければいけない事が増えたな」
「...いえ、寧ろ責められるべきです。彼は俺のせいで――」
「止せ。アイツは自分ではなく君を選び、君はサラを救った。ならば誰が責められようか、やはり感謝すべきだろう」
言葉に詰まる。彼女の言っている事は正しいが、何故か納得はできなかった。未だに罪悪感が胸に巣食っているのだ。
いっそ、責めてくれた方が助かったかもしれない。
「サラはこの事を?」
「いえ」
「ならば君が伝えたまえ」
端的に、当たり前のようにそう言われた。
話を聞いていたのだろうか?苦しみの底で他の誰でもなくその名を呼ぶほどの大切な存在なのだろう、俺が死なせたアベルは。ならばその遺言を俺が伝えると言うのは間違っているのではないか?
「私は北方戦線に戻らなければいけない。悪いが時間が無いのだ」
「...そう言う事なら。しかし南方の敵はどうするんです?」
そう言われたら納得するしかない。
彼女は立場と力ある人間だ。常に義務が付き纏っている事だろう。それを邪魔する訳にはいかないのだ。
しかし疑問は残る。彼女は元々、兵站線かつ穀倉地帯に強襲してきた敵――第二特戦団を討つ為に来たのではないか?
「あぁ、連中ならもう灰にした」
「...は?」
特戦団を灰にした?不可能だ。王国の主戦力の一角、多数の
だが燃えるような目の奥に潜む何かを見れば、それが事実である事に疑いようはなかった。
彼女が只者ではないのは知っている。合衆王国の最高戦力であるというのも、彼女の弟であるクラウが語っていた。
しかし、まさかここまでだとは。
目の前に居る女性が得体の知れない何かのように思えて、意図せずとも俄かに体に緊張が走ってしまう。
「他の細かい情報は君の仲間達に聞くと言い。外で暇そうにしていたぞ」
「...懲罰部隊のことですか?」
「そうだ。連中...特戦団の追撃を躱しながら君を追っていた所を保護した」
あいつらの事は気掛かりだった。あの後どうなったのかが全く分からなかったのだ。無事である事は喜ばしい。まぁしぶとく生きているだろうなとは思っていたので特に感傷は湧かないが。
「ではな。また会おう」
そう言うや否や立ち上がるアレクシア王女。意味深ともとれる言葉を残して、振り返る事なく部屋から出て行くのだった。
やがてその背中が視界から消える。
俺は再びベッドに横になって天井を眺めた。
少し疲れた。
ここしばらく気が休まらなかったのだ。彼女との会話も決して気楽な物ではなかったし、夜通し歩き続けた時の疲労は一睡では回復しない。
だが、だからと言ってここで眠る訳にもいくまい。つい先程またやるべき事ができたばかりなのだ。
決して気は進まない。寧ろ心が重くなる。しかし、これは義務のようにも思えた。託された言葉を彼女に伝えるのは約束でもある。
「...うし、行くか」
勢いをつけて立ち上がる。およそ一年ぶりの完璧な寝床だったが、だからこそ直ぐにでも起きなければ微睡んでしまいそうなのだ。
改めて自分の体を見下ろしてみる。どうやら眠っている間に汚れを落としてくれたようで、目新しい服も相まって先日のスラム街の餓鬼からは見違えるようだ。
ベッドの脇には靴が置かれていた。これも新しい物だ。囚人兵に支給されたそれは本当に酷い物で、大きさも合わなければ穴が空いてる上異臭がするような物だったのだ。ありがたい。
しかし何かが足りない。そう思って何となく自分の手を見てみる。
...あぁ、剣だ。常日頃欠かさず持っていたあのオンボロ剣が無いのだ。
気付いて部屋を見渡してみるが、流石に置いてないようだった。
まぁあんなボロい一振りなど、あってないようなものである。気持ちの問題だ。とはいえちょっとだけ愛着があったので少しばかり寂しいが。
まぁ、つまりは身支度はこれで終わりである。
開かれたままの扉を潜り廊下に出る。
気が進まないがやらねばならない。サラに遺言を伝えに行こう。
―――――――――――――
※2024/10/28 修正
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