第39話 再会と

 ヘルムを被ったアナが叫ぶ。

 こんなものは策とは呼べない。精々が博打。けれど、それすら無しにこの包囲網は突破できないだろう。

 たかが博打の為に、彼女はその命を危険に晒す覚悟を決めたのだ。


 ならば私も応えなければ。どんな形であれど。


 振り返らずに走り続ける。アナと兵士達が敵を引き付けている間に、ただ只管に。



 ――数秒とも数分とも思える時間が経って、私は自分が作り出した土煙から抜け出した。先程の騎馬兵の姿は見えない。


 上手く行った。しかし相変わらず油断はできなかった。もう私達の軍の壊滅を防ぐ事は叶わない。抵抗の火はそこかしこで上がれど、もはや風前の灯火。ならば私だけで脱出...いや、逃亡をした方が安全だ。

 走り続ける。主戦力が集結している北西へ、脇目も振らずに。そうして駆け続けて、どれくらいの時間が経っただろうか。

 東の空はオレンジ色に染まりだしている。日の出が近い。


 もう大丈夫だろうか、痛みを訴える肺と足を無視して、一瞬だけ後ろを見る。


「っ、そんな...!」



 騎馬兵、およそ三十。先頭には例の如くあの男が居た。

 その顔に嘲るような笑みを浮かべ、槍ではなくダガーナイフを手にしながら接近してきていた。

 まだ距離はある。しかし彼我の速度差は歴然。


 焦りと共に、視線を再び前方へ戻す。

 地形はいつの間にか、平原から山間部のそれへと様変わりしていた。今走っている丘の右手は農作地、左手には森がある。

 駆ける、走る。丘の先から差し込み始めた朝日、その向こうに希望があると信じて丘を駆けあがる。



 けれど、待っていたのは無情な現実だった。

 絶たれていた。希望というか、地面が。


 広がっていたのは高い崖、下には大きな水音を奏でる激しい川。

 飛び込んで生還できるとは思えない。


「あぁ...――ッ...!?」


 絶望と共に声を吐き出す。その瞬間だった、途轍もない悪寒が背筋を襲ったのは。

 直感のまま横に飛ぶ。姿勢も受け身も考えずに我武者羅に。


 直後頬を襲う熱。目の直前を通過する、見覚えのあるダガーナイフ。危なかった。頭に突き刺さる所だった。

 幸い頬を少し切り裂かれただけ。睨むように振り返る。

 やはり、私は王国の騎馬兵達によって包囲されていた。


 もはや森に駆け込む事すら出来ない。


「さっきのは良い機転だったぜェ、殺すまで気付かなかった」


 ――あぁ...アナはもう。

 手を握り締める。折角貴方が作ってくれた時間が無駄になってしまう。

 意味のない、しかし止めどない罪悪感が溢れて来る。


 それを全て怒りに変え、見下した口調で話す男をキッと睨みつける。


「もう終わりだ」

「...いいえ、まだよ」


 ジリジリと後ずさる。無謀、死ぬかもしれない。落水の衝撃で意識を失えば間違いなく死ぬ。そうでなくとも、あの激流に揉まれてタダで済むとは思えない。

 それでもやる意味はある。そう信じて放った言葉は、しかし容易く否定された。


「おせェよ、さっきのナイフには猛毒が塗ってある」


 ――ふらり、と。男の言った言葉を肯定するように、体がぐらつく。平衡感覚がつかめない。体は妙に熱を持ち始めて、でも悪寒に震えるような気持ち悪さが襲う。


 あと一歩後ろに下がれば崖から落ちれる。けれど、それに意味があるのか分からなくなってしまった。


 あぁ、そんな。

 彼らが命を賭して守ってくれたのに。兄さんが、アナが、兵士達が繋いでくれたのに。なのに、ここで終わり?


 心が暗く染まりだした。

 あぁ、きっと私は助からない。


 敵はただ私を見下ろしていた。


 思う。それでも、私の体を王国に渡してやるもんか。

 力の入らない足で、腕で、なんとか崖の淵までたどり着く。


「...ごめん、なさい。私もそちらに向かいます」



 絶望、失意、罪悪感。そして一抹の安堵と共に。

 私は崖から落ち始めた。浮遊感が体を襲う。



「クソが、させるかぁァッ!!」

「くッ、行け隊長!北北東だ!エリクサーなら―――」



 何処か聞いた事のある声が耳を突く。

 違和感と疑念、しかし死にゆく私にそれらは何も齎さない。

 その声すらも遠のき、やがて意識すらも薄れていった。


 しかし、目を閉じようとしたその瞬間。


 ぼやけた視界で、崖から飛び降りる隻腕の少年が見えた。

 黒から青に変わった空を背景に、遂に顔を出した太陽が彼を照らす。


 必死の形相で片方しかない手を伸ばす彼を見ながら、今度こそ私の意識はプツリと途絶えた。




 〇




 目の前を行くクラウを、この国の王子の背中を見る。

 迷いはない。彼のスキルは如何なる目的地へも導く道標だから。


 苦しみの奥底、しかし錆び付く事のない記憶が蘇る。かつてアベルと共に脱獄を企てた時だった。広く複雑な構造をしていた監獄島の建物の中、彼が悔しそうに言い放ったのだ。


『アイツが居れば...!』


 あぁ、居たよ。

 お前が居てくれればと願った兄弟は、俺達と同じ監獄に居たよ。


「...すまない」


 誰への謝罪なのだろうか。

 アベルへのだろうか。それとも、彼の兄弟であるクラウにだろうか。

 では何への謝罪なのだろうか。

 アベルを殺してしまった事か、あの時二人だけで脱獄をしようとした事だろうか。

 判然としなかった。頭の中には未だ混乱が渦巻いていた。


「今は良い」


 冷たくクラウが言う。彼は今の行為によって自身の正体を明かしたと自覚しているのだ。でなければその様な言葉は出てこないだろう。

 今は良い、確かにその通りだ。彼は己の正体を明かすか悩んでいただろうが、今は緊急事態故に止むを得ずスキルを発動した。


 そう、緊急事態なのだ。ならば会話している余裕はない。

 俺は黙って彼の後ろを走るのみである。


 事ここに至って尚混乱から脱出する気配を見せない心を捨て置く。どうでも良いのだ。どうして同じ監獄に二人も王族が居たのか、何故今までその正体を隠していたのかなんて疑問は。


 戦いが終わってからでいい。

 今はただ目の前の事に集中しよう。


 山の向こうから赤い光と黒煙が立ち昇る。あの下に王国軍が、真に殺すべき敵が居る。容赦もクソもない、俺達の全力を以て叩き潰すべき敵だ。隊員達の復讐心の原因――つまりは王国――の尖兵である。

 そう言った心情的な面でも奴らは俺達が殺さなければならない。だがそれ以上に、連中を殺さなければ、窮地に陥っているであろう合衆王国を援護しなければ、俺達は謀略に加担した悪党である。


 故に王国軍の打倒は絶対。

 焦りが身を焦がす。失敗すればどうなるかは考えたくない。


 祈る様にクラウの背を追い続ける。


「おい、本当にこっちであってんのか!?」


 ガルが叫ぶように言った。

 どういう事かとクラウの向こう側、俺達が走っている方向へと目をやる。


 ――成る程。ガルの言わんとしている事が分かった。

 逸れているのだ、俺達の進行方向と立ち昇る黒煙の柱達の方向が。しかし、クラウが間違っていると言う訳ではあるまい。こんな時にスキルが誤作動を起こしたなんて事よりは、彼なりの意図があると考えた方が幾らか現実味がある。


 遠回りしていると言う訳では無い。先程からずっと直進しているのだから、この先にクラウが求めているものがあると考えて間違いないだろう。


「なぁ、何処向かってんだ!?」


 しかし、ならそれは何だ。及ばぬ理解を口にする。


「...説明する時間はない。だがこの方向が正しい事は断言できる」


 静かながらも揺るぎない言葉だった。ならば信じるしかあるまい。

 どの道、俺達の運命などクラウに預けているも同然なのだから。



 その後に会話は発生しなかった。ただ黙って走り続ける。

 やがて闇夜は明けはじめ、空の東には淡い炎の色が滲んだ。

 明け方だ。もう直ぐ朝日が昇る。


 まだ走り続けるのか、そんな疑問が浮かんだ瞬間だった。


「ここだ、全員静かにしろよ」



 突如としてクラウが立ち止まる。つんのめりながらもなんとか停止し、言われた通り俺達は声を潜めた。

 あと少しで開けたところに出る、ここは森の端だった。


 何かあるのか、そう思って目を凝らす。


「...王国兵か?」

「違う、その先だ」


 馬に乗った、偵察兵のような恰好をした王国兵達。俺の目に映ったのはそれけだったが、クラウの目的地は連中ではなかったらしい。


 再び目を凝らして奥の方を見る。


 見覚えのある鎧が光った。

 無骨で、魔術師が付けるにしては鈍重すぎると思ったそれが光った。



 ―――見覚えのある金色が、光った。

 美しく、神々しく煌めく金髪が目に入った。


 まさか、と誰かが呟く。それはここに居る全員の気持ちを代弁していた。


「――俺達を救ってくれた少女だ」




――――――――――――――

※2024/10/23 修正

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