第38話 壊滅


「抉じ開けます...!」


 大勢の王国兵が居る。仲間の兵士達が死んでも守ろうとした私を殺さんと構えている。彼らを倒さなければ、その先には進めない。

 盾と剣を構える兵士達の奥で魔力が高まるのを感じた。大魔術が飛んでくる。数を減らした私達を一撃のもとで屠らんと詠唱をしているのだ。


「【燈火集いて劫火、蛍火集いて焔光】」


 対抗する様に詠唱を口にする。


 証明しよう。

 彼らに報いよう。

 守って良かったと、この命を掛ける価値のある人だったと。そう思わせる為に、私もまた全力を尽くそう。


「【幾多の魂よ、我が呼声に応じ給え】」


 魔術、それは詠唱と魔力のみで成り立つ物ではない。

 詠唱はあくまでも手段。その目的は胸の内の想像を固め現実世界に顕現させることにある。

 こうあれば、こんな事ができれば。そんな願いを補強するのが詠唱の目的だ。


「【踊れ、焦がせ、咆哮せよ】」


 小さな火が、光が浮遊する。

 その一つ一つには大きさに関係なく揺るぎない光が宿っている。

 小さくとも力強い。なれば、集まればもっと力強いのは必然だ。


 浮遊する燈火が集い始める。やがてそれは一つの塊に、立ちはだかる全てを滅消する巨大な炎へと昇華した。


「【憤怒は大罪、なればこの炎は救済である】」


 詠唱は完成した。

 王国の魔術もまた時を同じくして放たれる。


「正面より一斉詠唱ォ!」


 声が枯れんばかりの報告。一斉詠唱とは、高い魔力量を持つ複数人の魔術師が連携する事で初めて扱える高度な技術だ。

 そんな魔術が弱い訳がない。王国軍の頭上を見れば、何もかもを飲み込まんと巨大な深紅の炎があった。


「【煉獄燼滅ブライト・ヘルフレイム】」


 一直線、私達を阻まんとする王国軍に向け魔術を放つ。

 対になるように、青く神々しい炎が轟々と音を立てる。それは彗星のように尾を引き光を撒き散らしながら飛翔する。


 相手の一斉詠唱魔術もまた同じタイミングで飛来する。青と赤、二つの炎が激突する。見た目からしてどちらが勝つのかなど明白であった。

 圧倒的な力を前に粉砕される赤、その威力を減衰させることなく飛び続ける青。


 着弾、衝撃と共に爆炎が立ち昇る。爆散し吹き飛ばされる王国の魔術師達。

 襲い掛かる光と爆風から目を守る様に腕を掲げる。それらは数秒も経てば収まり、再び視界に色が灯る。


 しかし、視界を埋め尽くすのは土煙だった。

 数多くの敵の攻撃に晒されないのは利点と言えるだろう。しかし視界が制限された状況は彼らの土俵なのだ。


 水音、溺れた様な呻き声に次いでどさりと何かが倒れた音。一人やられた。やはりこの状況は不味い。


「総員警戒!」


 制限された視界、何処から襲ってくるのか分からないダガーナイフ。そんなものよりは敵の視線に晒されるリスクの方が遥かにマシだ。


「【疾風ウィンド】」


 風魔術を口にする。正面の視界はこれで晴れた。

 私に倣って他の兵士達も風魔術を口にする。完全にとはいかないが、これで幾ばくかはまともな視界が手に入った。


 改めて周囲を見渡そうとしその時、緊迫した叫び声が耳を突く。


「ッ、来るぞぉ!」


 どの方向から何が来るのか。報告というには余りにも情報量が少なかったが誰もそれを咎められない。何故なら、そう叫んだ兵士の喉は既に切り裂かれていたからだ。


 接近された。喰らいつかれた。

 中隊の背後から、およそ三十名ほどの王国兵が突撃してきた。


 手練れだ。その三十名の動きは洗練されていた。瞬く間に合衆王国の兵士達が地に倒されていく。


「クソッ...第二と第三小隊は分離し迎撃せよ...ッ!」


 その命令は、下された兵士にとっては死ねと言われるのと同義。

 こんな包囲の中、後ろから食い潰さんと攻撃してくる王国の手練れの兵士を相手に孤立し戦えということだ。それが意味する事は一つ、ここで死ね。


「了解!幸運を祈る!」

「了解。王女様は任せたぞ」


 命令が下された小隊の隊長が返事をする。

 死を告げられたはずの彼らの表情は晴れやかだった。負の感情など見当たらなかった。彼らは、自分達が向かう先に待つのが終わりだけであると分かりながらあの表情を浮かべていた。


 そんな彼らの姿が遠ざかる。振り向き背中を見せる。


 およそ四十名。私の為に散り行くつわものの人数だ。

 その最後の姿を目に焼き付けると再び視線を正面へ戻す。


 ――希望の光が差し込む。私達の前には変わらず王国兵が居たけれど、その先には南へ突撃した合衆王国軍の大部分があった。

 持ち直している。戦えている。


 一抹の安堵が、焦りと危機感で張り詰めていた心を少しだけ緩める。


 向こうで戦う味方も私達の事を確認したらしい。防御から攻撃に回り、その余力の全てを注いで王国の包囲網を突破せんと突撃を開始する。

 私達もそれを援護する様に速度を上げ、ありったけの魔術を王国兵の背中に叩きつける。やがて耐え切れずはち切れたように、包囲網に穴が空いた。


 その穴から、突撃の先頭を務めていた合衆王国の騎馬兵達が抜けて来る。あれは味方だ。取り合えずの危機は脱した。味方と合流した後は幾らでもやり様はある。そう、少しだけ気を緩めた。


 騎馬兵達は近付いてくる。

 ――安心しきった心に、一粒の違和感の種が芽吹いた。


 おかしい。私達にあんな騎馬兵なんて居ただろうか。あの攻撃は余りにも都合が良かった。あんなにも簡単に包囲網を破れる物なのだろうか。


 そもそも。指揮系統が破壊された二千の合衆王国軍が、五千の州兵を瞬く間に壊滅させた彼らとまともに戦闘など出来るだろうか。


 そして安心しきったその背中から首を刈る様な奇襲、それこそ彼らの最も得意とするものだった筈だ。


「ッ――姫!あれは味方ではありません!!」



 幻影、数十名にまでその数を減らした私達には、それを看破する術はなかった。幻が、都合の良い夢が崩れていく。防衛線を張って王国と戦う味方など存在しなかった。あるのは、潰走する合衆王国軍だったものだけだった。


 騎馬兵の姿もまた変わる。合衆王国の軍装から王国のそれへと、溶けるように見た目が変わっていった。

 そしてそこに居たのはあの男。


 ダガーナイフではなく槍を手に吶喊してくる数十人の騎兵。

 傷だらけ、呆然とした数十人の兵士等相手にもならない。


「散か――」

「おせェーなぁッ!」


 一閃、振るわれた槍は指揮官の首を切り裂いた。

 どんな苦境でも諦めず指示を出し続けていた彼が、呆気なく死んだ。


 後ろからは王国兵、右も左も王国兵。正面からは数十人の騎兵。対する私達はせいぜい五十人。しかもたった今指揮官が死んだ。

 今までよりも更に圧倒的な窮地。一筋たりとも、希望の光は見えなかった。


 もう出し惜しみはしていられない。兄さんとの約束を破ってしまうけれど、兄さんならばそんな物守って死ぬなんて馬鹿げていると言うだろう。唯一の活路であるソレに向かって魔力を送る。


「...なんで、なんで応えてくれないの...!?」


 しかし、返答はなかった。

 どれだけ呼び覚まそうとしても、それはうんともすんとも言わなかった。


 あの時は応えてくれたのに。なぜ、どうして。疑問と焦りだけが胸を渦巻く。しかし、やはりそれは沈黙を貫くだけだった。


「姫、もはや我らに勝機は残っていません。せめて姫だけでも脱出を」


 それは最終勧告のように思えた。これを逃せばもう生き残る術はないと、言外に言われているような気がしたのだ。

 きっとその通りだ。絶望的ではなく純粋な絶望、望みは絶たれた。勝機なんてものはもうどこにもなく、私の力も応えず目覚めず。けれどこんなところで死ぬ訳にはいかないのもまた事実。


「彼らの死を無駄にするつもりですか!」


 アナが叫ぶ。そこには焦りがありながらも、それ以上の真摯さがあった。私の事を何よりも優先しているから出て来る言葉だった。


 歯を噛み締めながら周囲を見渡す。


 ここは死地だ。強烈な攻撃を仕掛けて来る騎馬兵を相手に盾を構えるも吹き飛ばされ、馬を狙おうとしても引き潰される。

 その顔に望みなんて物は無かった。苦痛、怒り、絶望、悔しさ。あらゆる負の感情を煮詰めた表情を浮かべていた。


 かれど、彼らは一様に私を見ていた。

 私の為に、望みのない勝負をしかけて死んでいく。


 悔しくてならなかった。己の無力さが、どうしようもなく悔しかった。

 けれど自分の感情に身を任せてはならない。今の私は責任ある立場の人間だ。兵士達の命の預け先だ。

 ならば、やるべき事は決まっていた。


「...分かった。撤退するわ」


 覚悟を決めよう。

 もう、私は自分の感情だけ動いてはいけないのだ。


「【地霧紗ジオ・ミスト】」


 一言詠唱を放てば、周囲にはもうもうと土煙が発生した。かなりの魔力を込めた魔術、そう一瞬では視界は晴れない。


「では、それを」

「...うん」


 何を、なんて無粋な事は聞かなかった。彼女の表情を見れば一目瞭然だ。何を求め、それを以て何を為すつもりなのかなんて。


 ヘルムを外し彼女に手渡す。

 名残惜しかった。こんな重苦しくて不快なだけのヘルムを彼女に渡すのが躊躇われた。友人を失うのが恐い、そんな感情が何よりも私の手を引っ張っている。


 心の軋む音がする。

 目を閉じ思いを馳せる。彼女と出会い、現在に至るまでの軌跡を辿る。一瞬の内に、刹那に、勢いよくページを捲る様に物語が進む。


 再び、目を開く。やはり胸は痛む。心は悲鳴を上げる。

 でも迷いはもうなかった。


「今まで良く仕えてくれました...ありがとう」

「私こそ。貴方は最高の主で友人でした」


 ――その会話が合図となった。

 最期に、一度だけ互いに視線を巡らす。


 ヘルムの奥、彼女は優しくも悲し気な目をしていた。

 私はどんな目をしているだろうか。


 そんな疑問に費やす時間は残っていない。私達は互いに真反対へ走り出した。


「第二王女、サラスティア・ブリセーニョが命じます!!総員南西へ!どれだけ犠牲を払ってでも突破してください!!」



――――――――――

※2024/10/23 修正

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