第37話 危機

「ここは退却を...!!」


 叫ぶアナは必死の形相をしていた。


 窮地、今までのどんな危機をも上回るそれ。状況は最悪に近い。指揮官は死んでしまった。近くに居た副官を含め何人もの将校も彼の後を追ってしまった。指揮系統は瓦解している。よってこの三千人は最早烏合の衆。


 そして両側面からの挟撃。

 先程繰り出された一閃と、前触れなく襲来した風魔術は、今私達を攻撃している王国軍の練度が高い事を示していた。


「いいえ、私は退かない」

「...っ、意地を張っている場合では――」


 咎めるような、或いは懇願するような視線だった。

 その意図は理解できる。私達は確かに絶望的なまでの危機的状況に陥っている。窮地というよりは死地だろうか。

 でも、やっぱり撤退なんてできっこない。


「意地じゃない。ここで退けば合衆王国は負ける」


 ここが唯の穀倉地帯であれば退いていたかもしれない。何せ合衆王国の食糧事情は豊富にして不足など存在しない。


 けれど、ここは兵站線だ。そして山という天然の要塞を越えた先にある広大な土地でもある。今ここで私達が退けば、この周囲一帯は王国の支配下になってしまう。それは王国軍の持久力という唯一の弱点の消滅を意味する。


 そうなれば勝ち目はない。少なくとも東海岸には王国旗がはためく事になるだろう。最悪、そこで調達した資源でさらに奥深くまで侵攻されてしまうかもしれない。


 だから退けない。これは王女としての、王家の名を背負う私の決定だ。

 きっとアナからは、同年代の友人である彼女からは理解されない。肯定されない。それでも、私を救ってくれた兄さん達に報いる為に。私はこの国の為に戦う。


「...分かりました」


 しかし帰って来たのは予測から逸れて肯定の一言。違和感とともに彼女の顔をみれば、そこには覚悟を決めた壮烈な表情が浮かんでいた。


「必ず生き残ると約束して、サラ」


 従者には本来許されない語調。しかしサラがそこに覚えるのは怒りでなく懐かしさと悲しさである。只の友人であった幼少期、彼女はずっと私の事をそう呼んでいた。しかし従者という立場が与えられてからという物、彼女が私をそう呼んだことは一度たりともない。

 今は放たれたその言葉は、従者という立場でなく友人という関係からの物である。


 繋いでくれた命を無為に捨てる、そんな事は許さない。生きなければいけない。私は、彼らから貰ったこの生を全うしなければいけない。


「うん。私は絶対に生きるよ」


 そして今、生きる理由がもう一つ増えた。

 友達との約束だ。


 ―――グアぁああッ!

 ――― 外道がァー...

 ―――合衆王国に誇り在れ...!


 断末魔が、怒号が、最後の言葉が。兵士達の戦う音が聞こえる。時間が無い。瓦解せども壊滅はしていなかった兵士達に終わりが迎えつつある。


 立ち上がる。アナはただ、私を信頼するような視線で見ていた。


「指揮は私が、サラスティア・ブリセーニョが引き継ぎますッ!まだ勝てます、諦めないで!」



 ――戦場に女神が舞い降りた。

 燃え盛る戦場の炎が、月星の明かりが彼女を祝福する様に包み込む。


 王族、それは戦場に於いて絶対の精神的支柱である。

 混乱と絶望の縁に立つ兵士達は、彼女の声を聞きその姿を一目見るだけで息を吹き返すように声を張り上げた。


「全軍、南へ向け突撃してください!」

「「オオオオーーォォォオッッ!!!」」


 雄叫びが響き渡る。暗殺者の如く合衆王国兵の首を狩り続けていた王国兵は、すわ何事かとその身を震わせた。

 戦場は乱戦の体をなしている。これではただ消耗するだけ。ならば一度態勢を整えなければいけない。


 故に一方向への突撃。無策であるが故犠牲は出るだろう。しかし、このまま少しずつ削られ完全に分断されるより遥かにマシだ。何せ王国軍の数は少なく混乱に乗じるのがその常套手段と予想したサラは、今は何よりも再集合を優先すべきと判断した。


 視界の端で影が蠢く。


 あぁ、それはそうだろう。王族とは味方にとっては心強い存在だが、敵からすれば厄介かつ良い獲物。直ぐに狙ってくるとは思っていた。


「【青き不死鳥ノーブル・フェニックス!】」


 魔術を放つ。

 ここ一週間はずっと魔術を放っていた。もはや無意識で発動できるまでに作業化された、破壊力と速射性に優れる魔術。

 巨大な炎の塊が、疾風の如く地を駆ける影に襲い掛かる。


 その一つ、見覚えのある顔が私を見た。

 伝令兵を装って指揮官を殺した王国兵だ。


「へェー、あれが第二王女か」


 意味深、湧き上がる違和感と警戒心。己に向け飛来する高威力の魔術など視界にないかのような余裕。不敵な笑みと共に吐かれた言葉は、しかし炎によって掻き消された。

 その男を除いた影の一団は必死に避けようとするも時すでに遅し、爆炎に包まれた王国兵達は一瞬で散りと化した。

 今の王国兵、間違いなく只者ではない。強者のみ持ちうる自信、余裕。そして獲物を見るような目。


 死んでいない。間違いなく灰になった。しかしそれが意味するのは必ずしも死ではない。絶対に何かある。



「やるねェ」


 不敵、余裕と嘲りを含んだ声。それは真後ろから囁かれるように聞こえた。

 振り返る余裕はない。身を縮めるように屈んで地面を転がる。


 ――ギィイィィンッッ!!


 不快な金属音。ヘルムをダガーが削る。衝撃が頭を揺らし、文字通り目の前で火花が散った。今の一撃の狙いは首元、ヘルムと鎧の狭間だ。間一髪、少しでも躊躇ってっていたら首を取られていた。


「【蒼炎そうえん!】」


 受け身は取っている。直ぐに立ち上がって魔術を振り撒く。そこに居たのは、予想通り先程の王国兵だった。

 再び、その姿が炎に包まれる。またしても無抵抗、一瞬で体が消滅する。


 ――ダメだ。まだやっていない。


 先程の不可解な現象は間違いなくスキルによるもの。ならば、その時と何ら変わりない攻撃をした所で倒せる訳がない。

 倒したかと油断した所を、背後から一撃で仕留める。それがあの兵士の戦い方。原理は分からないけれど、それが分かればやるべき事は決まっている。


 直感のままに屈む。直後、頭上で何かが風を切る。

 鞘から抜剣、振り返る勢いのまま後ろへ切り掛かった。


「勘が良いねェ」


 初めて、その顔を直視した。

 四十代から五十代、皺の刻まれた顔に笑みを浮かべる男。それが不可思議な力を扱う兵士はそんな見た目をしていた。


 その痩身に刃が食い込む。装飾が施された質の良いショートソードは胴の半ばまで切り裂いた。間違いなく致命傷。しかし、その男は未だ笑みを浮かべていた。


 魔力が渦巻く。急速に、己の体を巻き込む大威力の魔術の前兆。

 自爆される。剣を離して飛び退こうとする、しかし間に合わないと心の何処かでは分かっていた。もはや、一言詠唱されるだけで私の命は潰える。


「【炎舞う爆エクスプロー――】」


 死の瞬間が目の前にある。歯を食いしばり目を瞑り、衝撃を待つ。

 しかしその瞬間は来なかった。耳を突いたのは小さな斬撃音。


「全隊円陣、王女様をお守りしろ!」

「「了解!」」


 男の首が夜空に舞う。血飛沫がちらちらと踊る火を反射する。

 合衆王国兵の剣が間に合ったのだ。


「気をつけて、その男はスキル持ちよ!」


 私達を囲むのはおよそ百数十名程度の中隊だった。

 彼らが居たとしても状況は未だ悪い。周囲の王国軍はその目標を南へ突撃する合衆王国兵の背中ではなく私へ定めた。包囲網が完成しつつある。


「全方位を警戒しながら南方向へ進む!俺達の背に居られるはこの国の誉れにして誇りである、死んでも通すなよッ!!」

「「サー、イェッサー!!」」


 緊張感のある命令、私とアナを囲む様に立つ兵士達は強く返答した。

 そこには決死の表情がある。揺らがぬ覚悟と決意がある。


 彼らは窮地に陥った私を見て自ら死地へ飛び込んだ。しかし、彼らの表情を見て申し訳ない気持ちになる事などあろうか。感じるのは頼もしさのみである。


「七時の方向より中度火魔術3飛来!」

「防御!」

「【堅牙地壁グラウンド・バスティオン!】」


 右後方より迫る三つの火魔術、隊長はそれを見るや否や直ぐに指示を出す。その指示から間髪入れずして詠唱が行われる。ピンポイントに展開された防御魔術によってその攻撃は火の粉を撒き散らしながら潰えた。

 高度な連携だった。一つでも間違いを犯せば全滅するであろうこの修羅場に於いて、彼らは常に全力を出し続けていた。


「三時と十一時より十字砲火!!」

「突破する!駆け足、盾ェ掲げええェッ!!」


 目の前が赤に染まる。一つ一つの威力は小さい、しかし濃密な弾幕による攻撃。正面の左右よりクロスファイアが展開される。その交差点は今の私達の位置。

 ならば突き進む。十字砲火は対象の位置がずれれば、つまり交差点から脱せればその破壊力は大幅に低下するのだ。

 隊長の命令の元駆け出す。正面の兵士達が歯を食いしばって盾を掲げる。


 連続する破裂音、風切り音と金属音。風魔術や火魔術、矢や投げやりなどの多種多様な攻撃が私達の直ぐ後ろに着弾する。しかし狙いから敢えて逸らされた幾つもの攻撃が正面を行く兵士たちを襲う。


「っお...おおおおオォ!!」

「くッ!」


 盾に着弾、足を踏み締め耐える兵士達。しかし数人はあまりの破壊力を前に吹き飛ばされ、数人は盾以外の部分に魔術が当たった。


「ゥうッ...くそッ、足をやられたッ...」


 右前で盾を掲げていた兵士が倒れ込む。その左足は膝から先が消失していた。傷口から溢れるように血が流れている。その兵士は痛みの余り唸りながら険しい表情を浮かべていた。

 しかし、その目には変わらぬ戦意が宿っていた。


「――捨て置け...ッ!足を止めるな、振り返るなァッ!」


 血と共に口から吐き出された言葉は、己を顧みぬ物だった。迷いはなく、揺らぎなど欠片も見られない強い言葉だった。

 手を握り締める。まただ、また生きる理由が増えた。死の縁にありながらも私を守ろうとする彼らに、私は報いなければならない。


「ありがとう」


 一言告げる。そして、再び前を向く。

 言われた通り振り返らない、この足は止めない。



――――――――――――

※2024/10/23 修正

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