第33話 方針
「うぐっ...オヴェッ」
耐えようとした、しかし耐えられなかった。気持ち悪さの余り込み上げた吐き気のままに吐瀉物が吐き出された。
誰がそれを責められようか。周りを見渡しても、普段通りの表情を浮かべている人間など殆ど居なかった。
赤かった。時間帯もあるだろうか、空を見れば温かな炎の色をしていた。しかし、それ以上に深い赤が辺りに満ちていた。人だったもの、人体を構成するすべて。もはや何処の部位なのかも判断つかなかった。死体とも呼べぬ肉塊が辺りには満ちていた。
砦内は、今しがた終わったばかりの虐殺で出来た凄惨な光景が広がっていた。
俺達が作り出した光景である。
そこに何の感情も浮かばぬなどあり得ない。
罪悪感はさしてない。ただただ、気持ち悪かったのだ。
手の震えを隠すのに精いっぱいだ。俺がここで吐く訳にはいかない。隊長なのだ、気張らなければ。そう己を叱咤しなければ立っていられない気がした。
「...動ける奴だけで良い。死体を一か所に集めて燃やすぞ」
声の震えは隠せなかった。しかし今はそれでいい。伝えるべき事は伝えた。
隊員の反応を確認せずに動きだす。手を動かしていたい気分だった。それが死体集めだとしても。
「馬鹿馬鹿しい、こんだけ殺しておいて弔いはするんだな」
いつもの様に、刺々しい口調を隠しもせずに言葉が放たれた。
その声の元を辿るまでもなかった。振り返るのも返事をするのも面倒だ。
「口を慎めダリス。では聞くが、貴様は疫病で死にたいか」
レオが厳しい口調で告げた言葉こそ、俺が今こんな作業をしている理由だった。
戦場で最も恐れられているのは何か?
縦横無尽に駆ける最強の剣士、否。その大火力で全てを消し飛ばす魔術師、否。彼らは一思いに殺してくれるだけまだマシだろう。
答えは疫病である。苦しみ抜き、血を吐き、必ず助からぬが故に見方からも見捨てられ、やがて絶望と共に息絶える。それが疫病というものだ。
だからこそこの凄惨な光景を放置する訳にはいかなかった。見上げれば、オレンジ色に染まりだした空にはポツポツと黒点が浮かんでいた。鴉だ。もう死体を啄みに来たらしい。奴らもまた疫病を運ぶ。
「...俺も手伝うよ。何もできなかったし」
フランクが顔を険しくしながら言った。相方であるクルトの復帰はしばらくは難しそうだ。確認すると、俺はまた黙々と作業を再開した。
片方しかない腕で肉塊を集める。この砦の中庭、その中心辺りにむけ放り投げる。終わりなど見えない。訳千人分の死体だ。炎魔術で幾ばくかは蒸発したが、それでもとんでもない量である事に変わりはなかった。
しかし、埒が明かない。
なにせ俺達は30人ぽっちだ。手作業で全て砦のあちこちに散乱した千人分の肉塊を一か所に集めるとなれば、一日やそこらでは終わらないだろう。日が沈む前には終わらせたかった。
「【
詠唱を口にする。咽返るような鉄の匂いが鼻を突く、妙に気持ち悪い温もりと吐き気を催す臓物の匂いが顔を覆ったような気がした。
風に煽られて、比較的小さい肉塊は狙い通りにズリズリと音を立てながら動いた。
結局、作業は日が沈むころにやっと終わった。
〇
黒煙が立ち昇る。薄暗くなり始めた空を照らすように、轟々と炎が上がっていた。その明かりの発生源は薪ではなく死体。気持ちが悪い。そんな概念そのものを纏った様な悪臭が漂う。
それを引き起こしたのは自分達だという感情面でもそうだし、そもそも人体に有害な見た目と匂いをしているのだ。故に気持ち悪いという概念そのものを現実に落とし込んだように思えた。
「胸糞わりいな、最初に殺すのが敵とも言い切れねェ連中とは」
その目に火に包まれる死体の山を映しながらガルが溢す。数人の狂人を除けば、それは俺達の総意と言って違いなかった。
「...どうする事もできなかったのかよ、本当に」
リアムがぽつりと言った。それは己の心を守る為の問いかけのように思える。こうするしかなかった、しょうがなかった。そう言って己を納得させなければ、到底受け入れらない所業なのだ。
「あぁ、これしか方法は無かった」
故に断言する。その語調に言い聞かせるような意図はあった。自身へのそれも含めて。しかし、それは間違いのない事実であった。
「食糧庫は殆ど空だ、俺達だけでも二カ月は持たない」
では千人居てはどうだろうか。答えは明白である。仮に合理的な配分をしたとしても一週間後には仲良く餓死だ。そして、俺達が懲罰部隊である以上そんな事はあり得ない。少ない食料を争って結局殺し合いになるだろう。
だからこそ、これが最も合理的かつ正しい判断だ。
「まさか、ここまで悪辣とは思ってもみなかった」
クラウが吐き捨てた。そこには明確な侮蔑が浮かんでいた。
彼曰く人権国家である合衆王国からすれば考えられないのだろう。敵としてその非道さを知っていても、まさか味方にまでこのような扱いをするとは思ってもみなかったのだろう。
「レオ、どう思う」
さっき、死体の処理をしている時。ふと脳裏を過った推測があった。ありえない、そんな訳が無いと訴える感情を斬り捨てるように、理性は一貫してそれを肯定していた。
何について、と主語をつけるまでもなかった。俺ですら薄々気付いているのだ、俺達がどうしてこの砦に派遣されたのか。ならば戦場の経験が長いレオに気付かない道理などなかった。
「最早疑うまでもない。我々そのものを生物兵器として運用するつもりだったのだろうな」
「ハァ...クソが、やっぱりかよ」
溜息と共に思わず毒づく。悪辣の一言では表現できない程に、王国というのは残虐で非道だった。
この砦はそもそも千人の人間が暮らせるように設計されていない。恐らくは五百人規模の砦。となれば、自然と内部は不衛生になる。餓死にしろ何にしろ、死体が出ればそれに拍車がかかるだろう。
疫病の発生、それこそ俺達がここに派遣された理由だった。
それを確信たらしめたのは、井戸に浮いていた野鳥の死体だ。連中はこの砦を完全に放棄する予定だったのだ。しかし敵国に利用されては叶わない。だが完全に破壊するには時間が足りない。ならば、病を蔓延させて使い物に出来ぬようすれば良いのだ。そんなところだろうか。
―――千人。俺達にとっては大きい数字だ。しかし王国軍全体を見れば微小。しかもその全てが使い物にならぬ懲罰部隊。殺した方が良いが、さりとて殺すには罪が軽い。ならばひとたび病の源として砦を使用不可に。
吐き気がする。まさか、ここまでとは。
己の祖国の悪辣さに慄くばかりだ。剣聖は、父親は、こんな国を守っていたのか。そう思わずには居られない。
「...じゃあ、直ぐに降伏すれば良かったんじゃ」
リアムが言葉を続けた。食料が足りないなら、井戸が汚染されているなら、直ぐに合衆王国に向け白旗を挙げれば良いじゃないか。そう言う事だろうか。ある意味で慈悲がある。だが俺達に利がない。
「それでどうする。コイツらは只の犯罪者だけど俺達は違います。そのうえ強力な力も持ってますとでも主張するか?」
「っ、悪い。考えなしだった」
そも、この千人が降伏に同意するかも分からない。勝手に混乱して勝手に殺し合いを始めるのではないか。それこそ王国が意図していたように。
リアムは覆しようのない現実から、こうなるしかなかった死体達から目を逸らすように俯いた。結局、俺達は自分の為に他者を殺したのだ。
暗い空気が流れる。鼻に突く悪臭が酷くなったように感じた。耐え切れずに、或いは流れを変える様にガルが口を開く。
「...これからどうするよ。全く見当がつかねぇ」
これから。それは何度も話した内容である。状況が変わる度に、或いは確定するたびに重ねて来た会話である。そして、今もまた状況が変わった。故に考えなければならなかった、この先の事について。
「まずは現状把握だな」
炎は未だ燃え続ける。筋肉が熱せられ、時折生きているかのように死体が蠢く。会議の場にしては随分趣味が悪い。
「井戸は汚染されていたが、今は幸い雨季だ。煮沸すれば飲料水は確保できる。食料の残量から考えるに現状維持は六週間が上限だ」
レオが厳つい顔で言葉を放った。六週間、それは俺達が持つ猶予だ。それまでに何か行動を起こさなけばならないのだ。
俺達の方針そのものは決まっている。ここへ運ばれた時の船内で既に話した。よって、今決めるべきはその具体的な内容だった。
「そして合衆王国への投降は確定事項、となれば議題はその方法とタイミングだな」
「...今直ぐじゃダメ、か」
クラウが顔を険しくさせる。今彼が言った通り、そこに現実味がない事は分かっているのだろう。俺達にはもう少し危険な橋を渡る必要があった。
「正規兵が破棄した砦、そこに派遣された千人の懲罰部隊、しかし居るのは三十人だけの俺達。信用されるものか」
信用、或いは信頼。それこそ俺達が最も求めているものだった。それが無ければ何もできないのだ。
俺達の目標は一つではない。復讐、平穏、彼らにとっての光である合衆王国の少女への恩返し。多岐に渡るそれらに一貫性などない。しかし、唯一つの共通点があった。それこそ信頼が必要だと言う点だ。
俺のように復讐こそが目的であれば尚更である。王国の地に再び足を踏み入れなければいけないのならば、この国から信頼を得る事は必須事項だった。
「じゃあどうするよ」
「力を見せつける、これに限るな。圧倒的な力を持っている事、しかし敵意そのものは無い事。要するにこれらを証明できればいいのだから」
期間は十分以上にある。証明さえできれば戦う理由は無いのだから、一週間か二週間か、合衆王国軍の妨害にならない範囲で俺達の有用性を見せれば良いのだ。その後に降伏すれば良い。
「どう証明すんだよ」
「攻めて来たら退却させる。それだけで良いだろう」
「馬鹿な、それでは相手に死者が出るぞ」
咎める様な口調。その主張は正しい。そしてそれはもっとも避けるべきことでもあるのだ。何せ味方を殺した連中など信用されないのだから。
「殺さなきゃ良いだけだ」
答えは簡潔だった。殺さずに敵を退かせる、それが成せるのはパワーバランスに大きな偏りがある時だけだ。そしてそのパワーバランスは今の俺達に大きく傾いている。
ここに辿り着く前に確認した事だが、砦を包囲している合衆王国軍の規模は二千程度だった。砦に近付けさせないだけならば難しくはない。
「楽観的に過ぎる。我々の殆どは魔術に於いて素人だ」
「まぁな、そこは認める。だから牽制含む全ての攻撃は魔術をコントロールできる奴がやれば良い」
確かに制御を失敗すれば相手に死者が出る可能性もある。しかしそれを考慮して攻撃手を減らしても尚、パワーバランスは俺達に傾くのだ。
フランクとクルト、レオとリアム。先程の虐殺で確認した事だが、この四人はそれなり以上に魔術をコントロール出来ていた。
攻撃魔術はそこに俺含めた五人だけが行えば問題はないだろう。
「であれば問題はないだろう。他の皆は?」
「防御魔術やらせりゃ良い。発動と維持その物に技量は要らないからな」
嘗てのエイベルとの戦い。奴は何度も防御魔術を使ったが、そこに介入しうる技量の余地はタイミングと発動速度のみだった。制御の緻密さはさして要求されないのだ。ネックと成り得る魔力量も俺達の前では問題ない。
「何か異論や意見は」
言葉を切って皆の顔を見渡す。反感や違和感を覚えていそうな隊員は一人も居なかった。それを確認した俺は再び口を開く。
「次はこれを何時まで続けるかだな」
目的からして、必要以上に合衆王国の軍事行動を妨害するのは憚れる。ヘイトを買ってしまったり大軍を派遣されてしまっては無意味だ。であれば予め期間を設けておくが吉だろう。
「短すぎても長すぎても無意味か。まぁ二週間くらいで良いんじゃねぇか」
ガルが特に考えた様子もなく言った。二週間、確かに短くも長くもない。まぁあくまでも基準に過ぎないのだから考えすぎても無意味だろう。
再び皆の顔を窺う。不満は見当たらなかった。
「じゃあ決定だな。今より二週間、決して敵を殺さずにこの砦を防衛する」
それは初めての具体的な方針だった。決して暗くはない展望である。滑り出しは精神的に最悪に近かったが、現状にも今後にも大きな問題は見られない。あとは宣言通り、この砦を二週間守るだけである。
簡単な事だ。全てが予想通りに進めば、であるが。
そしてこれまで何一つ予想通りにならなかった以上、どうにも嫌な予感がしてならなかった。
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※2024/10/13 修正
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