第31話 戦争
「なんでっ...ですか!私は兄さんの仇を討ちたいっ!」
鈴を転がしたような溌剌とした声を荒げながら、金色の少女が必死の形相で訴える様に言った。
豪奢な部屋に似合わぬ冷たい空気が流れる。
「ダメだ、お前が戦場に行く事は許さん」
貫禄、或いは風格。その男を形容としたらそのような言葉だろうか。四十代程、恰幅は良く髭を生やしたその男の頭上には冠があった。この国の国王である。
元から厳つい容姿をしているうえ、その表情を険しく歪ませている彼が放つ威圧感は並大抵の物ではなかった。
しかし、それでも少女は続ける。
「分かって、分かって下さいっ!兄さんを死なせた王国を許せないんです!兄さんは死んだと言った王国の人間の顔が忘れられないんです!」
怒りだろうか、悲しみだろうか。それは痛ましい声だった。狂気的な復讐心ではないだろう、絶望に暮れるのが嫌で、逃避の様に戦場を求めている声だ。
「許可しない。アベルの死を確認した今、王位継承権を保持している直系は残り二人だけだ」
「っ、ですが私は――」
反射的に何か言いかけた彼女に、男は何時になく厳しい表情を浮かべた。
「お前は私の娘でアベルの妹だ。そこから先は言うな」
その口調も雰囲気も厳しかった。それを言う事は許されないと断ずる姿には怒りさえ滲んで見えた。しかし、それは愛ゆえだった。
そして彼女はそれに気づかぬほど愚鈍ではなかった。
唇を噛み締める。悔しくてならなかった。
きっと彼の言っている事は正しい。間違っているのは私だ。合理的に考えても、家族として考えても。それでも考えは変わってはくれなかった。
「...しかし、この前の様に独断専行されては困る。南方戦線かつ後方部隊であれば許可しよう」
溜息と共に言葉が吐かれた。その表情には疲労が浮かんでいる。
「ありがとう、ございます...」
深く腰を折って感謝の言葉を言う。罪悪感があった、申し訳なさもあった。迷惑を掛けたし、これからも迷惑を掛けてしまうことに。
「しかし条件がある。王族の身分は決して明かすな。あとこの前の件で顔も知られているだろうからな。全身鎧でもつけておけ」
「分かりました」
譲歩すべきだ。無理を言っているのはこっちなのだから。責任ある立場としても、そして何より親として認めたくない事を認めてもらったのだから。
「ありがとうございます。無理を言ってしまってごめんなさい」
「...気持ちは十分理解できるからな。だからお前まで居なくなってくれるなよ」
溜息再び。そこには沈痛な感情が籠っていた。国家元首としての重圧、父親としての悲しみ。それらに板挟みになりながらも、大量の仕事と言う名の現実は常にそこにはある。真っ当な人間ではとうの昔に壊れているであろう。
「...姉さんに報告したらすぐに出ます。詳し場所を聞いても良いですか」
顔を上げた少女には、もう悲痛さはなかった。覚悟を決めた戦う者の目だ。その奥底に隠れているのが何であれ、それに変わりはなかった。
「そうだな...グラスゴー砦、だったか。あそこが良いだろう。南方戦線の端も端、そう危険な事はない筈だ。手配しておく」
運命は交わり始める。互いに知らぬ所で、しかし確実に。
〇
「突撃いィッ!!」
不の感情が渦巻く地獄を切り裂かんばかりの大声が耳を突いた。間髪入れずして響き渡る兵士達の叫び声。喉が裂けるのでは、と思わせるような声。それは威嚇なのか、己を奮い立たせるための物なのか。
地響き。馬と人、鎧と空気を震わせる叫び声、爆発音。聞き分ける事などできぬであろう多種多様で、それでいて巨大な音が混ざり合う。一つの生き物のような奇妙な一体感があったが、それは勘違いである。
「おら走れ走れ!転んだら轢き潰されんぞ!」
勇ましい声に交じって、所々から断末魔が聞こえた。悲しきかな、まともな筋肉を持たない多くの元囚人たちにとってこの運動は激しすぎた。少しでももたつけば、そして転びでもしたら、それは人生からの転落を意味する。
前方、最前列を行く騎兵のさらに向こう側へ目を向ける。飛来する色とりどりの魔術の発射源、つまり合衆王国軍がそこにはあった。
俺達は今、戦争の真っただ中に居た。
仲間は大丈夫だろうか、混沌とした周囲に視線を巡らす。
「こんな死に方したくねぇよクソ!」
「口じゃなくて足動かせや!死にてぇのか!」
...案外余裕そうだ。今の所は死者も負傷者も出ていない。
まぁ、現時点では大した事はないのだ。弾幕はそれほどでもないし、見え隠れする合衆王国軍の陣地は大きくない。
戦争と言うからにはもっと激しい物を予想していたが、これは小競り合いの様な物らしい。安堵と、少しの落胆を感じた。
それでも油断だけはしないように気をつける。正面衝突まであと少しだった。
彼我の距離はどんどんと縮まる。比例して魔術の弾幕も激しさを増す。その中で走り続ける事数十秒、風を切る様な音が耳を突いた。
「盾ええ掲ぇッ!」
――矢だ。弓矢の射程圏内に入った。
しかし残念ながら盾は持っていなかった。頭を下げて被弾面積を狭くする。
ヒュウゥーンッ!と音を立てながら、数百とも数千とも思える矢の大軍が降り注ぐ。背筋が凍る音だ。魔術障壁が反応しない分下手な魔術より質が悪い。
「私の後ろに」
「助かる」
盾を構えたレオが先行する。経験者は心強い。
他の隊員達も同様に盾で身を守ったり身を低くしていた。
着弾、軽い衝突音と濁った断末魔が響く。直ぐ横を見れば、別の懲罰部隊の囚人が血の泡を吹きながら倒れ込んでいた。
被害を確認する。幸いな事に同じ隊の人間には当たって居なかった。しかし矢の雨は降り止まない。二射、三射と連続して襲い掛かる。
――ヒュゥ...ッカアアァァンッ!!
激しい金属音。レオが掲げていた盾に矢が直撃した。
危うく喰らうところであった。冷や汗が流れる。
しかし、それは最後の斉射であった。矢の雨は止む。
上空へ向けていた視線を再度正面へ向ける。丁度激突の瞬間だった。
衝突音、最前線で盾を構えていた相手が騎兵によって吹き飛ばされる。しかし数騎は槍に貫かれて即死した。
ここから先は乱戦になるだろう。接近戦だ、魔術や弓矢の出番は終わりである。
剣を構える。正規兵に囲まれる形で走っている俺達にこれの出番が来るかどうか分からなかったが何もしないよりはマシだろう。何せ魔術が使えないのだから。
血飛沫が舞い散る。赤い華と悲鳴、雄叫びが響き渡る。戦況は乱戦の体を成しつつあった。しかし着実に前進はしている。合衆王国軍が包囲していたグラスゴー砦、その全容が見えつつあった。
「仲間を見失うなよ!纏まって行動しろ!!」
叫ぶ。聞こえているかどうかは分からなかったが、正直それが一番怖かった。敵が襲い掛かって来るよりも、分断され仲間を見失う方が恐ろしい。
「了解」
「分かってるっての!!」
「おう!離れんなよクルト!」
聞こえていたらしい。返事は帰って来た。
連携を取りながら一丸となって行動する。初めての戦闘という隊員も多かったが、動きに変な固さや緊張は見られなかった。問題はなさそうだ。
「うおあっぶね!突破してきた!」
誰かが焦りを滲ませながら言った。その声を辿れば、そこには今まさに相手兵士の繰り出した槍を避けたガルが居た。
「今行く!」
すぐさま近くに居たディランが援護に駆け付け、勢いのままショートソードを振りかざす。避けるため仰け反ろうしたその兵士は、しかし見えない壁にぶつかったようにその動きを止めた。
「わりいな」
兵士の槍はガルに掴まれていた。それに気づかなかった兵士に回避は間に合わず、どこか呆然とした表情のまま切り裂かれる。
合衆王国の兵士。俺達が真に殺すべき敵ではない。しかし、俺達の命が脅かされた場合はその限りではなかった。申し訳ないが、恨むなら自分の運を恨め。
「開門!開門!」
誰かが叫ぶ。見れば、もう砦の直ぐそこまで迫っていた。
王国の兵士が鉄で補強された巨大な扉をバンバンと叩き叫び続ける事数秒、耳障りな金属音を鳴らしながらそれは動き出した。
「総員脱出せよ!急げ!」
その扉の向こうからそんな言葉が聞こえた。俺達の任務は要塞内の人員と入れ替わりこれを防衛するという物だ。当たり前だが中の兵士達の脱出が優先である。
そして中から疲労感を全身から放つ兵士達が吐き出される。その鎧や武器、或いは体そのものに何らかの汚れや欠損があった。おそらく、相当長い間この砦を防衛していたのだろう。
数分もしない内に脱出作業は終わった。最後に、これまた疲労困憊な男が出て来る。汚れていて判然としなかったが、その鎧は他の物よりも飾り気があるように見えた。恐らくはこの砦の指揮官。
「これで、全部だ。救援感謝する」
「了解。では懲罰部隊はさっさと中に入れ!」
号令。おそらくはあの指揮官からの最後の命令である。
俺達は迷わず砦の中に足を踏み入れた。
後ろからも続々と懲罰部隊の人間が入って来ることだろう。最後の最後で踏み均されては堪った物ではないのでそのまま奥へと進む。
そしてまた数分後。
ガコン、と重厚な音が響く。今度は何の確認もなく扉が閉められた。
――これは、餌が釣り針に刺さった音だ。
辺りを見渡す。この砦の設計は良くあるものだ。四辺を囲む壁とその角に聳え立つ見張り塔、中庭には厩舎や訓練用の広場とその中心に寝所やら食堂やらがあるであろう建物があった。
「...なぁレオ、嫌な予感がするんだが」
「同感だ。破壊工作が施されている」
その砦の全てが、ボロボロだった。再度防衛施設として使えそうもない。外からは気付かなかったが、壁には亀裂が入っている。建物も厩舎も敢えて破壊したような痕跡があった。
地響きが遠ざかっていく。俺達をここまで届けた王国軍が離れて行く。
やはりしてやられた。最初から俺達を殺すつもりだったらしい。
「...この様子だと食料も残ってないであろうな」
困惑しながらも、王国軍が――つまり監視の目が居なくなった事に呑気に喜ぶ懲罰部隊の罪人が目に入った。
俺達が所属する懲罰部隊は千人少し。まずもって、一週間も生きていけないだろう。
間違いなく足手纏い。
ボス争いやら食料をめぐる戦いも発生するだろう。
生かしておく理由が無かった。
「...クソが」
吐き捨てる。溜息をつく。
確かに俺達は冤罪で監獄島に送られたが、どうもこれからは潔白を声高らかに叫べなさそうだった。
千人、殺すには手間のかかる人数だ。
――――――――――――
※2024/10/11 修正
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