第28話 父



「おい、ライト」



 カモメの鳴き声が湿った空気の中響き渡る。青空の中のんびりと飛ぶその姿に、何か羨望のような感情が湧き上がった。

 自由。復讐なんて考えなくてよくて、苦悩も憎しみもなく空を駆ける。それは一体、どれだけ幸せな事なのだろうか。


「聞こえてんだろ。おいって」


 視線を海でなく空に固定する。ずっとこうしていたかった。これが現実逃避だと分かっている以上そういう訳にはいかないのだが。


「無視すんなよ、殺すぞ」

「...んだよ」


 不機嫌なガルの声が耳に入った。何が言いたいのかは分かる。俺だって頭を悩ませていたのだ。ただ、それが面倒に思えて現実逃避をしていただけである。


「何なんだよあの艦隊。ぜってぇ過剰だろ」


 溜息をつきながら、渋々視線を海面へやる。そして再び溜息。そこには、水平線を埋め尽くさんばかりの艦隊があった。


「そもそもここが目的地じゃないんだろ。タイミング的にもおかしい」


 どれくらいの船が居るのだろうか。数えるのも馬鹿馬鹿しいが、少なくとも百は下らないだろう。となれば人員は二万程度。

 この数の艦艇と人員を集めるのには相当な時間が掛かる。監獄島への急襲があったのはつい昨日だ。となれば、あの艦隊の派遣は元から予定されていたのだろう。恐らくは異大陸の前線への増援。


「...で、どうすんだよこれ」

「逆に聞くが、あの数を俺達だけで全員ブチ殺せるとでも?」

「チッ、結局下るしかねぇのかよ」

「昨日話しただろ。その方が現実的だ」


 火を囲んでの話し合いの結論、それは「取り合えず臨機応変に」である。あんまりだ。あんまりにもガバガバすぎる。コイツらに知能を求めた俺が馬鹿だった。いや、俺だって知能が無いからこんな結論に至ったのだが。

 とはえいそれは仕方の無い事とも言える。何せ、俺達全員の目的が一致している訳でもないのだ。目的地のない旅でどうルートを決めろと言うのか。


「どうするよ、ついで感覚で殺されそうになったら」

「そん時は抵抗するしかないだろ」


 会話はそれで終わりだった。

 目を瞑る、再び息を吐く。それは諦めを以て視界を暗闇に包んだのではなく、心の内を吐露するような溜息ではなく。


「よし、やるぞ」


 ――己を奮い立たせるための物だ。

 目を開ける。そこに迷いはなく、緊張はなく、静かで熱い何かを内包していた。


 戦うかどうかは分からない。それこそ今ガルと話したように、こちらを皆殺しにするつもりならばそうせざるを得ないであろう。だがそんな事に関係はなく、今から俺が、俺達が取る行動は重要なのだ。



 敵を見やる。ヤツらは丁度、港に停泊した所だった。

 さぁ、運命の時だ。気合い入れて行こう。




 〇



「閣下、報告が届きました」


 簡素な言葉と共に、コンコン、と質感の良い木の扉の奥から乾いた音が響いた。

 書類を机の上に放り投げた男は口を開く。


「入れ」


 扉が開かれる。高価な調度品で煌びやかに飾られた部屋に似合わぬ軍服を着た男が、入室するや否や敬礼をした。閣下と呼んだ人間の腹心である。


「俺相手にそんなに固くならなくていいと言っているだろう」


 ぶっきらぼうに言う男。彼もまた、部屋に似合わなかった。大柄、堅く真面目そうな雰囲気。表情も言葉もぶっきらぼう。そして、纏う雰囲気は武人のそれであった。


 ――名をエイトール・スペンサー。王国きっての最高戦力、かの有名な剣聖である。

 彼は今、征伐軍の名誉大将として職務に励んでいた。名誉とつく事から分かるように、実質的な命令権は大きくはない。故にただサインをするだけである。

 彼の本領が発揮されるのは卓上ではなく戦場。ペンは剣よりも強しは彼には適応されないのだ。つまるところ、今この時ばかりは名前だけの総司令であった。


「やはり監獄島は陥落してました。要塞内の戦力は全滅、一部設備と船舶には破壊工作の痕跡があったとのこと」


 溜息をつきながら眉間を揉む。

 まったく面倒な、その弊害が直ぐに出るという事はあるまいが、航行計画に監獄島での補給を入れている以上影響はある。

 とはいえ、それは奴から既に伝えられている事でもある。予想通りと言えば予想通りだ。


「敵は居なかったのだな」

「は...しかし一部の囚人が独房から抜け出していたそうです」


 囚人。その一言でエイトールは更に顔を顰めた。険しい表情、その目からは複雑の一言で片づけられない感情が垣間見える。


「その中に俺の息子は居たか」

「えぇ、居ましたよ。どうします?」


 手を組んで唸りながら思案する。どうしたものか。奴が言っていたな、今のライトは大量の魔力を持っていると。雑に扱えばどうなるか分からない。あのエイベルをも超える魔力と言うのは中々信じ難いし、その要因も知るべきだろう。


 しかし、それ以上に―――


「そんな顔で悩むなら顔くらい合わせたらどうです」

「...固くならなくていいとは言ったが、随分と図々しくないか」

「おや、そうでしたか閣下。それでどうするので?」


 苛立ちを覚えないでもない。しかしそれはその態度故でなく、簡単に正解を言われたからだろうか。

 その通りだ。こんなにも悩むくらいならば少しくらい話した方が良いだろう。


 どんな顔をされるだろうか。きっと嫌われているだろう。悩みを殺すように剣聖としての職務に没頭していたが、いずれ向き合わねばならぬ問題なのだ。逃げてばかりでは剣聖の名も泣くという物。


「呼んでくれ」

「そう言うと思ったので既に呼び出しております。では私はこれにて」

「は?」


 その言葉の意味を理解する前にその部下は部屋から出て行った。あまりにも図太すぎやしないか。


 疑念と混乱が止まぬまま数秒後、入れ替わりに様に誰かが入って来た。


「...ライト、なのか」


 声が震えていた。

 そこには、変わり果てた息子が居た。

 片腕、痩せこけた体。何よりも、纏う雰囲気が、その目の奥に潜む何かが、あまりにも自分の知る息子のそれとは違い過ぎた。


「二人にしてくれ」


 ライトの両脇で彼を拘束していた兵士に告げる。困惑の表情を浮かべながらも、敬礼と共に直ぐに出て行った。


 改めてライトを、己の息子を目に入れる。

 茫洋とした、虚ろな、しかしその底には赤い敵意と憎しみを秘めた目だ。奥に潜むその負の感情は何度も見た事がある。戦場で、家族の仇と叫び吶喊してくる兵士の目だ。こんな目ではなかった。劣等感と不満を積らせながらも、その奥に熱い心を持つ若者の目だった。


 自分がこうしたのか?俺が構ってやらないばかりに、ライトはこんな事になってしまったのか?分からない。分かりようがない。


 助けるつもりだった。息子は無実だと信じていたし、今もその気持ちに変わりなどある筈がない。

 あの裁判はおかしかった。間違いなく圧力が掛かっていた。しかし、それを今ライトに言うのは違うような気がした。言い訳のように思えて仕方がなかった。


「...すまなかったな」

「ハッ、何がだよ」


 ライトは覚えていた。あの時放たれた言葉を、「期待していない」という突き放したような言葉を。忘れる事はないだろう。あの言葉がなければ、俺はこんな事にはならなかったかもしれないのだから。


 故に許す事はないだろう。コイツを父親として見る事はもうないだろう。


「謝るくらいなら教えろ。俺はこれからどうなるんだ」


 変わる事のない冷たい目でライト言う。

 ...伝えて良いのだろうか。剣聖としては否、しかし今は只の父親だった。いや、父親失格の烙印を押された以上それも違うか。


「前線の戦力が枯渇している。近年不穏な動きのある帝国の為に国内の常駐兵力の再配置は不可能。護国の要である王立騎士団ロイヤル・ナイツと魔術王は動かす事ができない...そこで目を付けられたのが罪人だ」


 執務室の空気が一気に重くなった。それが意味する事を理解したのだろう、ライトは心底呆れた様な表情を浮かた。


「お前は犯罪者として懲罰部隊の一員となり、この征伐戦争に加わることになる」

「...なんだそれ、監獄の次は戦場ってか。アンタは俺にこの世にある地獄の全てを経験させたいんだな」


 冷たい言葉。到底、血の通った己の父親に吐くものではない。しかしそれには正当性があった。反論も言い訳も許されない言葉であった。


「チッ、もう良い。アンタの事をまともな父親だと思った事は一度もねぇしな」

「...そうか」


 ライトとの仲はずっと悪かった。妻が死んでからというもの、ちゃんと会話をした事もなかった。分からない、一体、どうすれば良かったのだろうか。


 らしくもないとは思う。戦場に行けば、俺は迷う居なく敵を斬る事ができる。この聖剣の輝きが曇る事はないだろう。だからこその悩みだった。剣聖として生きて来た自分に、父親としての接し方など分からなかった。


「せめて地下牢の連中とは同じ所属にしてくれ。そんくらい良いだろ?」


 ...どうしたものか。剣聖として、指揮官として、立場ある人間として、ライトの言葉に頷く事などできない。しかし失格の烙印を押されようとも、自分はライトの父親である事に変わりはない。


「...あぁ、指示を出しておこう」


 あぁ、全く。どうすれば良いのだろうな。

 悩む自分を横目にも入れず、ライトは苛立ちをぶつけるように部屋から出て行った。



「はぁ...」


 溜息をつく。椅子に沈む様にもたれ掛ける。気力が湧かなかった。

 遠い目、力なく壁に立てかけてある愛剣の柄を握り込む。いつもはそれだけで心が凪いだが。冷たくも冷静になれた。しかし、今はそうなってはくれなかった。


「なぁ、聖剣よ...」


 今の自分は、本当にこの剣の主として正しいのだろうか。

 曲げる事無き仁義を手に、勇気を以て人々を救った英雄。そんな伝説の証明であるこの剣の主に、自分は相応しいだろうか。


 しかし、剣は応えてはくれなかった。

 再び溜息をつく。


 どうすればいいのだろうか。疑念だけが頭を支配して、解決策なんてこれっぽっちも見つからなかった。




 ―――――――――

 ※2024/10/07 修正

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る