幕間 穏やかと不穏、或いは光と闇



 首都近郊、国立公園がある自然豊かなその場所は墓地だった。

 国に命を捧げた全ての人への感謝を。礎となった彼らへの敬意を。


 戦にて命を落とした人々の眠るそこを、サラは嫌いではなかった。清浄な場所だった。人々の祈りが宿り、祝福が渦巻いていた。


 目を瞑って手を組む彼女の前に、墓石が一つ。

 そこに眠るのは、彼女の忠実で親しかった従者で、友達。


 サラは今、アナを弔う為一人墓地に居た。


 彼女は逝ってしまった。

 私の為に、なんて思うのは傲慢だろうか。けれど、きっと彼女は私の為に戦って、私の為に命を落とした。


 ただ黒い視界、瞼の裏に広がる闇の中で考える。


 もっと生きたかった筈だ。彼女には帰りを待つ家族が居るから。そうでなくとも、人は幸福の為に生きているのだから。


 私が居なければ彼女は生きていた。

 それは紛れもない事実。だけど、そんな事を言ってしまえば彼女に怒られてしまう。


 だから、私が放つべき言の葉は、


「ありがとう」


 きっとこれで合ってる。

 掛け替えのない人を無くしてしまった。

 喪失感と悲しみがある。


 それでも、目を曇らせて謝罪を口にしてはいけない。絶望してはいけない。

 死んでしまった彼女がどう思っているかなんて分からないけれど、彼女は私の為にその生を使ってくれた。


 それに応えよう。


「【主の祝福と共に、憩いの地にて休み給え】」


 聖句を一つ呟く。


 心は軽くならない。

 寧ろ重みを増す。或いは、私の生きる理由が増える。

 前を向かせてくれる、暖かみの籠った重み。


 心に痛みが走る。

 温かくも鋭く、心臓が破れて血が流れ出ているみたいだった。


 言葉を並べ立てたけれど、やっぱり悲しいものは悲しい。


 最近、どうも涙脆くて叶わない。


 一人、墓石の前で涙を溢す。

 涙が零れ落ち、墓石に黒いシミを作る。


 けれど、決して独りではなかった。

 誰かが傍に居るような安心感がある。包み込まれているような気がした。


 あぁ、本当に叶わない。


 泣き笑いを浮かべる彼女は、ただ感謝を捧げるのだった。




 〇





 ――と、そんなサラを隠れ見る存在が二つ。



「ホントにやるんすか、団長」


 呆れた様な声色。

 退廃的な雰囲気を纏う青年が、苦々し気に顔を歪ませている男に向け言う。

 彼らの目線の先には一人少女が居た。墓石の前で腕を組む彼女は祈りでもしているのだろう。そして、その姿には見覚えがあった。


「野蛮人に負けたままでいられっか。成果を手に華々しく生還してやる」


 憎しみがありありと見て取れる言葉、そして言い方だった。

 無理もない。手塩を掛けて育てた大事な部下を大勢喰われたのだ。


 青年は思う。あれは理不尽、理外と思わせる力だった。

 赤き葬者、その噂は聞いた事がある。底の見えぬ魔力に、万物を融解する強力な火魔術の使い手。赤い髪と、王国軍を焼き尽くす深紅の焔。


 しかし所詮は野蛮人。王国の中でも指折りの力を誇る特戦団を前にすれば、その名が崩れ去る事間違いなしと男は確信していた。


 だが蓋を開けてみたらどうだ、副官である青年や団長の男は逃げ延びたが、その他大勢の団員は灰となって空へ舞った。

 これではおめおめと帰る事はできない。

 何せ、南方戦線深くへの奇襲は男の提案なのだ。一定の戦果は挙げた物の、無様に敗北したまま逃げ帰る事など許されぬ。


「...しかし、成果と言っても何を?」

「王族の首、最低二つだ。エイベルの野郎が返り咲くのは見逃せねェ」


 青年は記憶を巡らす。エイベル、たしか、かつて征伐軍の大将をやっていた男の名前だ。そしてそんな男が最近参謀として復権しつつあるとも聞いた。


「良いじゃないですか、王国軍の勝利が確実になりますよ」

「知るか。俺様は金と栄誉が欲しいんだ」


 溜息をつく。男の軽薄な本性についてはとうの昔から知っているが、さりとて落胆を重ねる。

 確かに王族の首は成果になるだろう。あそこに居る少女、あれはこの国の王女だ。今ならば容易い。

 だがもう一人となると難易度が跳ね上がる。無警戒のあの王女とは違い、他の王族は警備が厳重な王城に居る筈だ。


 と思うが。


 男も青年もスラム育ち。底辺から成り上がった人間。どれだけ薄汚い事だってやるし、計算高さは四つある特戦団の中で随一だ。

 その主戦力、第二特戦団持つ独自性の全てを担うのが彼ら。


「はぁ...今回も生きて帰りますよ」

「当たりめェだ。俺様を誰だと思ってる」


 冷たくも固い絆が途絶える事はない。

 泥を啜り、ネズミを食べたあの時の約束がある限り。


 成り上がる。それは軽薄で、薄っぺらで、欲望に塗れた夢だ。

 それでいい。穢れたあの地で、今更美しく純白な願いを口にする事はない。汚らしくも咲き誇ろう。成り上がって、俺達が生きた証を刻んでやろう。


 追憶と共に目配せをする。

 彼らが居るのは、合衆王国の首都の近隣にある森。奥には王城の姿もある。


 警備はあるだろう。それなりに戦力も整っているだろう。

 しかし問題は無い。あの怪物のような理外の存在ではなく、システマティックに構築された部隊にこそ彼らは本領を発揮する。

 故にこその薄汚さ。何度も失敗し、しかし必ず何らかの成果をぶんどってしぶとく生きて帰って来た、その戦果こそが第二特戦団の本当の強み。

 団員が失われ様ともそれに違いはない。


 幻影、そして実態を伴う無制限の分身。

 この二人を逃さずに捉えるのは、例えあの魔術王でも不可能だろう。そうまで言わしめた潜入と逃亡の実力が彼らにはあった。

 まずは手始めにあの王女を殺そう。二人はそう立ち上がった。


「いいや、お前らは死ぬよ」

「―――は?」


 余りにも唐突。

 当たり前のように放たれた宣言は物々しかった。そして、それ以上に突然割り込んできた存在に驚愕を隠せない。


「誰だ、てめェ...ッ!」


 男が跳ね退きながら睨む。

 青年は静かに後ずさりする。

 二対の目は、現れたソレを警戒を露わにしながら見ていた。

 その動きには積み重ねらた経験が宿っている。間違いなく強者の類のそれに、しかしその存在は何の感慨も抱かずに口を開く。


「へぇ、裏社会出身なのに僕を知らないとは」


 男は改めて観察する。

 しかし、その正体に気付くのにさして時間は必要ではなかった。

 余りにも特徴過ぎるそれを見れば一目瞭然。


「その気持ちわりィ...てめェ、まさか」

「...あり得ない。なんでアンタがここに」


 仮面の奥、深淵を覗かせる曇った目が歪む。


 それは理不尽の象徴。直ぐに人が死ぬ裏社会であっても、到底許容できぬ理不尽の体現者。

 彼と敵対すれば死ぬ。彼と敵対しなくても死ぬ。

 彼の気に障れば死ぬ。彼に気に入られれば死ぬ。

 彼に認識されたら死ぬ。そうでなくとも突然殺される。


 あれは災害か何かの類だ。

 仮面の男は、心底楽しそうに、仰々しく両手を広げた。


「運命の遂行さ。転換点は近い、その時は直ぐそこに迫っている」


 意味不明、しかし男と青年は悟った。

 目の前の存在は狂気に呑まれた、自分達にとって相性の悪い類のヤツだ。


「だからさ、死んでもらわなきゃ困るんだ」


 もはや予想通りとも呼べる、二度目の宣言。

 対話に意味はない。この仮面を知っているのならば、コイツと戦う事こそもっと無意味だ。

 迷わず迅速に判断を下す。


「【スキル虚夜の幻影ナイト・ファンタズマァッ!!】」

「【スキル真実の鏡影スペクトル・リフレクション!】」


 互いの切り札、今まで一度も破られたことのない組み合わせ。

 こと逃亡に於いては絶対の自信がある二人のそれは、放たれたと同時に世界に影響を与える。


 世界に暗闇と光が溢れる。真昼と真夜中が混在する。寒くて、熱くて、温かくて、涼しかった。矛盾した大量の情報が仮面の男の周囲に展開される。

 それは青年のスキル。対象に五感に干渉する情報をばら撒く、最強の幻影術。


 軽薄そうな男が、何百人も同時に現れる。

 魔術とダガーに於いて一定の能力を、それぞれ理性と思考力を持つ分身術。


 それらを同時に喰らって、尚全速力で走る二人を捉える事など人間なら不可能。


「無駄さ」


 ――しかし、仮面の男は人間ではない。

 相反する二つの概念を宿し、呪いと祝福を授かり、血と罪に塗れた穢れた力を持つ、人間を超えたナニカである。

 そして、男が運命の為に動く時、世界は彼に味方する。


 諦めに似た乾いた笑みが、仮面の奥で浮かんだ。




 二人が首だけになるのに、一秒も掛からなかった。

 比喩ではない。瞬間移動でも説明できない。


 瞼を閉じ、開くその刹那。必死に逃げようとする体を置いて、首から上が綺麗に切断される。

 バタリと二つの体が倒れる。

 二つの頭の髪を掴む。ただのものか何かのように手にぶら下げる。呆然とした表情すらも、何が起きたのか分かっていないような表情すらも浮かべていない。


「――あハ、あはは」


 仮面の奥、男は気味の悪い笑みを浮かべる。

 その目は何処を見ているのだろうか。世界をも憎悪する、曇りに曇った穢れし目。

 今ばかりは、そこにサラという存在を明確に映していた。




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