第25話 邂逅


「あれだけ力を欲しても得られなかったのになぁ...」


独房から出たライトは呟く。

皮肉、という言葉が脳裏に浮かんだ。


求めていた、燻る劣等感を一撃で消し飛ばせるような、絶大で都合の良い力を。そんな簡単に得られるものではないと分かりながらも、強く願った。

しかし、その結果として俺は腕を失った。もっと、もっと力を寄越せとばかりにエルに教えを乞い、そして俺は全てを失ったのだ―――


アベルと共に駆けた廊下を歩く。今は走る気にならなかった。揺ら揺らと歩きながら思案に耽っていたい気分だった。


やがて、アベルのスキルによって開かれた重厚な扉の元に辿り着く。地下牢と地上建造物を隔てる扉だ。

如何にも頑丈そうだ、今までの俺ならば傷一つつけられないであろう。


――故に、丁度良い。


「【火炎弾ファイアボール】」


大して魔術の技量のない俺では大規模な魔術は展開できない。精々が中級程度、省略詠唱など以ての外。


今までの俺ならば、こんな魔術は意味を成さなかっただろう。



―――しかし、今の俺が持つ魔力量は桁違いである。


熱気と衝撃波が自分の身を襲う。それでも目を見開き続ければ、爆音と共に吹き飛ばされていった鉄製の扉が見えた。


「ハハッ」


笑う。やっぱり皮肉じゃないか。


「ッ、脱獄し―――」

「【火炎弾ファイアボール】」


一言、それだけで看守は爆散した。臓物が辺りに巻き散らかれ、雨の様に降り注ぐ血を浴びながら笑う。断末魔などなかった、悲鳴も絶望的な表情もなかった。驚愕のままに己の四肢を、血液を、内臓を、脳髄を撒き散らした。


笑みが止まらなかった。


あれだけ力を望んでいた。しかし、その欲は全てを失わせた。

全てを諦め、自棄になって目を閉じた。そして、俺は力を得た。



皮肉。いや、最早運命とまで思えた。



...まぁ良い。さて、次はどうしようか。馬鹿正直に、前と同じ道を進むのはなんだか面倒くさい。迷路のようなこの監獄は、脱出するのが非常に億劫なのだ。


ならばどうするのか、その答えは直ぐに出た。


「【火炎弾ファイアボール】」


爆発、舞う爆炎と塵芥。石でできた壁が、敵の攻撃に晒されよとも崩れぬよう設計された要塞の一角が、脆く壊れていく。


「【火炎弾ファイアボール】、【火炎弾ファイアボール】、【火炎弾ファイアボール】」


何度も、何度も、同じ魔術を口にする。狂ったように、只ひたすらに壁を攻撃し続ける。


数十秒もしない内に、眩い光が俺の目を焼いた。

外だ。こんなにも簡単に、俺は外に出てこれたのだ。


辺りを見渡す。そこには、遠くで響き渡り続ける戦闘音とは掛け離れた光景が広がっていた。


澄んだ青空、眩い太陽とそれを反射し輝く海面。ぐるっと辺りを一周するように生えている青々しい木々。そこは長閑な入り江だった。


「...ハハッ」


笑いが止まらない、笑みが顔から零れて仕方がない。

居たんだ。そこにはアイツが居たんだ。

何という皮肉、なんという運命!これを笑わずして何を笑う!こんな滑稽な事があるか!こんな面白い事があるか!


「アハハはッ!!やっぱ運命だ!お前もそう思うだろう、エイベル・メルハウザアァァッ!!」

「...何故お前がここに居る、ライト・スペンサー」


――――こんなに、心が躍る事がある物か!


「お前が最初の復讐相手だ!アベルの仇、肉片も残さず擦り潰してやるよ!」


楽しくて仕方がない、面白くてどうしようもない。

最高の気分だ、俺の人生で、こんなにも気分が高揚した事があっただろうか?


「チッ、厄介事が次から次へと...まぁお前はそうでもないか、あの時も足を引っ張っていただけだもんな」

「御託は良い!やろう、今すぐ殺り合おう!!さぁ、さぁ!」


あぁ、気分が良い。

どんなことを言われようとも、興が覚める気がしなかった。


「【火炎弾ファイアボール!!】」

「...ッ、なんだそれ!?」


強い。あまりにも強い。

俺の魔力量に狂喜するばかりだ。


これがあれば、この力があれば。そう思わずには居られない。

あのエイベルが焦燥を表しながら必死に俺の魔術を防いでいた。なんて心地いい光景だ。俺を見下してた奴が今、俺を相手に必死になっている。その事実が、どうしようもなく俺を震わせた。


「【蒼海の守護壁ウォーター・イージス!】」


防がれる。しかし何てことはない。俺の魔力量はまだ底につく様子を見せない。それどころか、減っている感覚すらなかった。


「【火炎弾ファイアボール】。【火炎弾ファイアボール】【火炎弾ファイアボール】【火炎弾ファイアボール】...ほらほら、防いで見せろよ!」


立場が逆転している。その甘美な事実は、俺に復讐の成功を約束している様に思えた。だからこそ、嬉しくて仕方がない。


―――だが、それ以上に。


「お前が、お前さえいなければ!!アベルは死なずに済んだ!」


仇敵を殺せることが、何よりも嬉しかった。

憎しみが溢れる。確かに俺は足手纏いだった。俺がいなければ、或いは彼は単独で脱獄を成功させたかもしれない。だから、彼の死は俺の罪でもある。


しかし、それ以上に。

ヤツが憎くて堪らなかった。


「調子に...乗るなよクソガキッ!」


―――魔力が蠢く。俺はこの感覚を知っていた。あり得ない、そんな思いは直ぐに打ち砕かれる。ヤツの師匠の事を考えれば、それは現実味のある事だった。


直感のまま全力で飛び退く。


...やはり正解。俺は間違っていなかった。


勢いよく抉られた地面を見ながらそう息を吐く。

―――今、ヤツは間違いなく詠唱をしていなかった。


「ハッ」


無詠唱魔術。本来ならば魔術王しか使えない思われていた特殊な技術。しかし、これで三人目だ。どうやら、世界は思ったより広いらしい。


「上等、上等だよこの野郎...!【火炎弾ファイアボール!!】」

「芸がないなクソガキ!それで勝てるとでも!?」


戦いは続く。

魔術王の一番弟子、エイベル・メルハウザー。無詠唱魔術の使い手にして強力なスキルの持ち主。相手にとって不足なし。


お前には、復讐の礎となって貰おうか。













「チッ、しつこいぞクソガキ...!」

「クソが、テメェこそいい加減くたばれや!」



悪態と魔術が飛び交う。戦いはまだ終わらなかった。

底をつかない魔力量だけが取り柄の俺にとって、戦いとは只のゴリ押しと化しているのだ。確かな技術と戦術を持つエイベル相手には相性が悪かった。それは相手にとっても言える事だろうが。


同じ事の繰り返しだ。俺が馬鹿みたいに連続で魔術を放って、それをエイベルがスキルや防御魔術で以て防ぐ。その内容に変化はあれど、やっている事は結局一緒である。


だが、故に変わった事は明確に分かる。


魔力量の差。それはこの状況を作り出した原因であり、この勝負の行方を決定付ける要素でもあった。


特徴的な緑色の目が俺を睨む。そこには焦燥感が浮かんでいるように思えた。

ヤツは疲弊しているのだ。魔力消費を抑えた魔術ばかり使っている事がそれを証明している。


あと少し。真上から俺を照らしていた太陽は今やその身を隠し始め、ギラついていた海面は赤く染まりだした。夜になる事には決着はついているだろう。



――そんな事を考えていたその時だった。


「...マジかよおい。終わったなこりゃ」


焦燥感を滲ませながらも一抹の余裕を孕んでいたヤツの目が、ありありと絶望の色に染め上げられた。

俺の意識を逸らす為。とは思えなかった。先程から監獄島の至る所で鳴り響いていた戦闘音はもう止んでいたのだ。では、今まで戦闘をしていた連中は何処に行くだろうか?彼らが何者であれ、ずっと続けられている、しかし自分達の物ではない戦闘音の正体を確認しに来るだろう。



「ごめんなさい、貴方が何者か知らないけど」



凛とした、荘厳な声が耳を突いた。

振り返る。黄金色が光り輝いていた。目の全てを独占してしまいそうな美しさを纏う少女が、そこに居た。




「大切な人の仇なの。私にやらせて」




俺以上の怒りをその身から迸らせている彼女は、静かにそう言った。

気圧されるように頷く。口を開く事ができなかった。


「やってられっか、俺は逃げるぞ」


ヤツの判断はあまりにも早かった。無詠唱魔術で己の体を宙に打ち上げる。まるで、俺とアベルが脱獄しようとした時のように。


「させない」

「逃がすかよ」


同じタイミング、同じ意味を持つ言葉。それに続く詠唱は違えど、意図は全く一緒だった。やらせるか、逃がして堪るものか、と。


「【火炎弾ファイアボール】」

「【蒼き不死鳥ノーブル・フェニックス】」


赤と蒼、対を成す二色の炎が紅色の空を切り裂いた。

それは狙い違わず命中する。しかし、宙に咲いたのは血の華ではなかった。


「そう来ると思ったぜ」


―――魔術障壁。透明な対魔術の盾。何時の間にそんな物を、そう思う間もなかった。二つの高威力な魔術が激突した反動をそのまま自分が逃げるのに使う。風に舞い飛ばされる砂塵のように、ヤツは一瞬で遥か彼方へと飛んで行った。


逃げられた。ヤツの方が一枚上手だった。


舌打ち一つ、悔しさが心を支配する。しかし、それはアベルの仇を取り損ねたという事実よりは軽かった。俺を相手に尻尾を巻いて逃げ出した、それで、復讐が少しだけ達成されたような気がしたのだ。俺を見下していたヤツを見返した、その事実はあるのだから。


まぁ、いずれヤツとは対峙する事になるだろう。そんな直感があった。仇はその時に取ればいい。俺はまだこの力を使いこなせていないのだ、結果は上々と思う事にしよう。


「――さて」


思考を切り替える。先程までの戦いではなく、今そこで呆然と佇んでいる少女へとそのリソースを割く。

正直、彼女の事は気になって仕方がなかった。普通ではない、尋常ではない。そんなありきたりな言葉では表せないような雰囲気を纏っていた黄金の少女。

改めてよく見ると、今はそうでもなかった。その事実が一層先程の異常さを引き立てている。


「悪いな。仇、逃がしちまった」

「...あっ、うん...こちらこそごめんなさい。私が邪魔をしなければ...」


茫洋とした目をしていた。その美しい金色の目は、しかし何処か濁っているように思えた。ショックで呆然としている。絶望から目を逸らすようにエイベルを倒そうとした、しかしその機を逃した事で、目を逸らしていた絶望が心を支配しつつある。そんな所だろうか、ただの憶測だが。


俺に慰めなど掛けられる訳がない。事情も何も知らないのだから。なんと声を掛ければ良いのか分からなかった...いや、別にその必要もないか。


彼女達が合衆王国の人間である事は間違いない。しかし、俺は合衆王国に下る事を考えていなかった。間違いなく自由は与えられないだろう、王国に侵攻するかどうかも分からない。それで復讐が遂行できるとは思えなかったのだ。


アベルから遺された言葉は伝えなければいけないだろうが、それは復讐の後で良い。一瞬彼女に託すという考えが過ったが、こんな博打染みた奇襲作戦に参加してる彼女が高い立場の人間とは思えなかった。きっと無意味だろう。


向こう、俺がブチ開けた要塞の穴の奥から大量の足音が聞こえていた。きっと彼女と同じ所属の人間だ。鉢合えば厄介な事になるのは自明の理。ならば、俺はもうここから退散するとしよう。


「じゃあな」


何故か後ろ髪を引かれるような思いがしたが、俺は足を止めず彼女の元を後にした。








何も考えられなかった。

心から溢れる思いのままエイベルを殺そうとした。でも逃げられた。


兄さんが死んだ。

事実が重しのように体中を縛り付けているようで、何を考えれば良いのかも分からなかった。呆然と立ち尽くす事しかできなかった。


隻腕の少年が立ち去った。

魔術師殺しと呼ばれた最高戦力の一角。そんなエイベルを相手に押していた少年が、一言じゃあなとだけ言って。その素性も、戦っていた理由も何も分からなかった。その話を聞くべきなのかもしれないけれど、やはり私は何もできなかった。


「――姫様、ご無事で!」


反射的に振り向く。そこには、かつて兄さんの腹心だった青年が居た。


「...ごめんなさい。エイベル、逃げちゃった」

「いえ、今は姫様の安全が第一です。それに情報も集めなければ」


あぁ、そうだ。私にはまだやるべき事がある。落ち込んではいられない。分かっていた事なのだから、もっとしっかりとしなければ。


「時間もありません。本国から艦隊を寄越されれば一巻の終わりです」

「うん。手分けして監獄内部を調査、一時間後に上陸地点にて集合して」

「了解...姫様はどうしますか」


その顔に不安げな表情を浮かべながら彼がそう言った。そんなに危なっかしく見えるだろうか。大丈夫、責務は全うするよ。


「私は一人で回る」

「ですが...」

「ごめん。少し一人にして欲しいかな」


なんだか、全てに現実味がなかった。

この力を久しぶりに使ったから?違う。ただただ、兄さんが死んでいるとう事実が受け入れられなかったんだ。


心のどこかでは分かっていた事?違う。兄さんが王国に捕まった時から、私は彼が生きているとずっと信じていた。理性がどんな事を訴えても、私の心は耳を貸さず、ただ兄さんが生きている事だけを信じて願っていた。


だから、こんなにも現実が受け入れられないのだ。


ふらふら、ふらふら、と。

暗い感情のままに、私は歩き出した。


何処へ?そんな事は分からない。ただ、何かしなければ正気でいられない気がした。


明確な思考を持たないまま、暗闇の方へと歩いていく。

やがて空気は湿気と腐敗臭を纏い、絶望と暗い感情が漂い始めた。


気付けば、サラは地下牢に居た。



ふと辺りを見渡す。そこには地獄が広がっていた。


虚ろな、何も映さない目が見えた。独房の中に収監されているという事は犯罪者なのだろう、しかも敵国の。ならば、彼らは放置すればいい。


そんな理性の訴えは、しかし心によって無視された。救わなければ、いや、救いたい。さっきまで心を支配していた感情は絶望だと思っていたけれど、この光景を見ればそれは一時の物でしかない事が分かってしまった。


「【嘗て魂を救いし約束の証】」


運命の様に思えた。何故か、これは宿命な気がした。

内に秘めし力が訴えていた、これこそ正しい使い方だと。


「【闇路に彷徨う者達に、主の恩寵を】」


私は浅ましいのかもしれない。誰かを救って、感謝されて、それをもって救われようとしているだけなのかもしれない。

けれど、やっぱり。


「【御身を前に闇は払われる】」


彼らを救いたい。その気持ちに偽りはなかった。

お願い、私に応えて...―――。


「【古の救いの象徴よ、願いに応え給へ】」


薄暗い監獄に聖なる光が満ち溢れる。

この力を正しく使ったのはこれが初めてだった。きっと、これから先もこの力を使う事は許されない。それが兄さんとの約束だから、交わした約束は守らなければならないから。


でも、兄さんだって約束を破った。必ず帰って来ると言ったの、私、ずっと覚えているんだよ?


「【第――節・――――――】」



柔らかく暖かく、しかし何処か寂しそうな光が、ゆっくりと監獄を包み込んだ。



誰かが目を開いた。虚ろな目に色を宿して、何処か驚きと戸惑いを滲ませていた。

その口が開かれる前に、私は彼らに問いかける。


「聞きたい事があるの。合衆王国の王子について知っている人は?」


言葉と共に周りを見渡す。

何の表情も浮かべていなかった彼らは、今は困惑しながら首を傾げていた。


「私は知らないな。ここしばらく記憶がない」

「右に同じく」

「...あぁ、アイツの事か」


首を横に振る囚人達の中、唯一心当たりがあるような言葉を発した人が居た。


「教えて、お願い」

「同室だったガキは居ねぇのか。アイツなら知ってると思ったんだが」


顔を顰めながら言う彼が言う人物に心当たりがあった。

無精ひげを生やしたその男の人の隣の独房、その扉は破壊されていた。この独房の住人はついさっき脱獄したのだ。そして、先程の少年はここの囚人たちと同じようにやつれていた。


先程の隻腕の少年、きっと彼なら何か知っている。

そう確信する私に、その男の人は言葉を続けた。


「脱獄しようとして失敗した、知ってんのはそんだけだ」

「...そう、だったんですね。ありがとうございます」


用件はそれで終わり。もうそろそろ指定の時間だ、戻らなければいけない。

だけど、私は歩き出す事ができなかった。


まただ。また、頭の...理性の言う事を聞いてくれない。



「扉を開けます。少し離れて」


口が、足が、心が。合理的じゃないと叫ぶ頭を、理性を無視してしまう。


「...良いのか。私達は犯罪者だ、しかも敵国だろう」


誰かが訪ねた。

答えは、決まっていた。


「人が人に優しくするのに、理由なんてないと信じたいから」












「...ご報告、します」

「うん」


エイベルのあの言葉、悲しそうに顔を歪ませている彼。状況から見ても、兄上がもう生きていなことは簡単に察せる。


本当なら、報告なんて聞きたくない。今すぐ、耳を塞いで蹲ってしまいたい。

でも、聞かなきゃいけない。私が尊敬する兄さんの最期を。


「合衆王国第一王子、アベル殿下の――――御逝去を、確認しました」



「敵より恥辱を受けることを拒み、誇り高く自決なさったそうです」




―――あぁ...兄上。やっぱり、約束は守ってくれなかったのですね。





―――――――――

※2024/10/05 修正

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