第24話 目覚め、そして得た力
目の前には、ただただ暗闇が広がっていた。何もない、無の空間、後ろから僅かに光が差し込んでいるように思えたが、それで照らせるほどその暗闇は浅くはなかった。
ここはまるで、今の俺のようだ。
何もない。希望などなく、文字通り望み絶たれた絶望のみが広がっている。劣等感に苛まされたあの時も、今思えば色んな物を持っていた。
少なくとも、血の滲む努力を捧げた剣技が。だから、僅かに光が見えるのだ...それすらも絶えたのだから、なるほど、確かに目の前の光景が暗闇なのは納得できた。
『このままで良いと本当に思っているのか?』
誰かの声が頭に響く。
良いんだ、このままで。もう諦めたんだ、何もかもな。そう自暴自棄で無気力な言葉を吐こうとしたが、口から出る寸前、それは喉元で消え失せた。
「...分かってる、起きるべきだってのは。だけどどうしようもないんだ」
言い訳だろうか。でも事実だ、まごう事無く。
仮に、この曇ったガラス越しの悪夢から抜け出しても、そこにあるのは本物の悪夢だ、未来のない絶望だ。
『分かってるじゃないか。それは言い訳だ、今のお前は完全に諦めている』
―――返す言葉がなかった。
明確にイメージできてしまった。仮に、俺に可能性があっても、望んで止まなかった未来があったとしても、今の俺ならば、そこから逃げてしまうのではないか?
『お前はどうしたい』
誰かからの問いかけ、その答えは直ぐには出なかった。
俺は一体何がしたいのだろうか。脱獄をして、復讐を果たして、それで?起こり得ないと諦めるのではなく、限りなく低い可能性を想像する。
しかし、やはり答えは出てこなかった。
湧き上がってくるのは怒りと、しかしその感情への疲弊だった。
「多分、俺はもう疲れたんだ」
『疲れた?』
「劣等感、腕を失った事への絶望、怒りと復讐心。そしてアベルを死なせてしまった罪悪感。全部、不の感情だ。ここずっと、喜びを感じた事はない」
或いは、この劣悪な環境もあるかもしれない。まともな食事など出ない。火の光を浴びる事もなく、ベッドで眠る事は許されず、人との触れ合いなどない。
そんな状態で、どうこの復讐心を、怒りを維持しろと言うのか。
もう疲れたんだ、もう終わりにしたいんだ。
『勿体ない』
「...何がだ?」
今度こそ何を言っているのか分からなかった。理解ができなかった。何もかもを失った俺には、もうもったいないと思う程の何かはないのだ。
『違うな。お前は確かに腕を失った、努力の結晶を、お前の全てを失った』
「じゃあなんだよ、勿体ないって!?」
『諦める事だ』
未だに意味が分からなかった。何を言っているんだ、良いじゃないか、諦めたって。どうせ、復讐など無意味なんだから。
『お前の怒りには正当性がある、完全な理不尽へ怒り、復讐を執行する権利がある』
...あぁ、確かにそうだよ。思い出すだけで腸が煮えくり返る。憎々しい、恨めしい。しかし、だから何だと言うのだ。
『それを使わずして、理不尽を押し付けられたまま諦める今の状態が勿体ないと言っているんだ。腑抜けが、情けない』
「ッ...!腑抜けだと―――」
『あぁ、断言する。今のお前は腑抜けだッ!じゃあ聞くが、お前が一番大切なのはなんだ!』
大切な物。その問いの答えは、考えるまでもなく一瞬出て来た。
「復讐に、決まっているだろう...ッ!」
アベルに託された言葉を伝える。それも確かに大切だ。けれど、この胸を焼くような怒り、それを消火できる唯一の手段である復讐こそが、俺にとって何よりも大切な物だった。それだけは断言できる。
『ならばお前のやるべき事は決まりきっている!』
その絶叫には、憤怒が籠っているように思えた。頭の中で反響するように、こびり付いて離れなかった。
疲れ切っていたと思っていた心の何処かに、火が灯ったように思えた。
『疲れただと、もう終わりにしたいだと!?そんな物は心を守る為の防衛反応だ!心を燃やし尽くせ、その炎を以て復讐を完遂しろ!優先順位を間違えるな、お前にとって復讐が何よりも大切なら、それ以外の全てを無視してみせろッ!!』
―――あぁ、そうだな。その通りだ。
心に灯った火が、爆発するように膨れ上がったのを感じた。きっと、この火は健全な物ではないだろう。いずれ己を焼き尽くす、危うい業火だ。
しかし、今の俺に必要なのはこれだ。
言い訳は止めだ。
ふつふつと...いや、轟々と胸を突く怒りのまま、俺は新たな決意を、覚悟を決めた。
『目覚めろ、ライト・スペンサー。全てを剣に捧げ、全てを奪われた復讐者よ』
誰とも分からぬ声、しかしその主は自分自身。奥底で気付いていて、それでも無視していた思いの具現化だ。
「あぁ、諦めない。今度こそ」
己との会話が終わりを告げる。
―――――そうして、俺は目を覚ましたのだった。
〇
体を刺すような冷たい石畳の感触、カビ臭い湿った空気。
何度も目覚め、その度に眠りについたここで、しかし今までにない程冴えた思考を持って、今度こそ目を覚ます。
何の運命だろうか。
丁度その時、監獄を揺らす衝撃が走った。
揺れる独房、パラパラと舞い落ちる埃と小石。それらが顔に掛かるが、浮かぶ表情は笑みだった。運命的。神は嫌いだ、ここまで幾つもの不運と不幸を齎して来たのだから。しかし、この時ばかりは感謝してやろう。
監獄島が攻撃を受けている。大方、合衆王国による物だろう。王国の戦線が後退したのか、将又ここに囚われた合衆王国軍の捕虜の救出目的の奇襲か。
あぁ、あぁ!
やはり俺はツイてる。なんてタイミングだ、運命的だ、物語のようだ!
それだけではない。いや、寧ろこちらが本題で、何よりも劇的な変化。
起きた瞬間から、俺は自分の体に違和感があったのだ。
―――魔力量が変化している。
そして、その理由に何となく心当たりがあった。
左腕と足首に着けられた特殊な拘束具。魔力の吸収、それによる魔術発動の妨害の為の物。その内前者の機能が上手く嚙み合ったのだろう。
本来なら、魔力量とは生まれ持って決まる物。後天的に増えるというのは定説に反するのだ。
しかし、こんな事を聞いた事がある。とあるとことに殆ど同じ魔力量を持って生まれた双子が居た。片方は魔術師、片方は剣士になった。再び両者の魔力量を調べた時、そこには明確な差があった。これが意味する事は?
魔力量は変化する。魔術を使えば使う程、魔力量は増加する。
―――言い換えれば、魔力回路を使えば使うほど、魔力は増える。
俺はずっと、何をしていた?
もしや、この王国で誰よりも魔力回路を酷使していたのではないか?どのくらいの期間かは分からない。だが、一カ月や二カ月ではないだろう。
「行くか」
足に力を込める。確信があった。今この瞬間は、俺は運命を信じ切れた。
その足に力はなく、フラフラと立ち上がる姿は滑稽かもしれない、誰よりも惰弱に見えるかも知れない。
今それを否定してみせよう。
苦しみの中で得たこの力で、復讐がてらに見せつけてやろう。
その拘束具に、全力で魔力を注ぎ込んだ。
ピキッ、そんな音が独房に虚しく反響する。腕輪から薄く発光、それは最期の輝きであった。今しがた鳴った音は差し詰め断末魔。
腕輪が、真っ二つに割れた。
カランと音を立てて固く冷たい石畳に落ちるその様は、アベルと共に脱獄しようとした時を思い出させる。しかし、その時とは何もかもが違っていた。
「呆気ないな」
呟く。それは俺を拘束していた物に対してではない、俺の前に立ちはだかる壁への言葉であった。
さぁ、歩き出そう。
復讐の道へ、もう止められない、止まらない血に塗れた道へ。
〇
「要塞内から敵一個小隊出現!!」
「突っ込めぇ!!」
「うおおおおおぉ!」
「魔術隊攻撃開始!味方に当てるなよ!」
監獄島に上陸した私たちは、要塞目掛けて一直線に走っていた。
敵の抵抗は激しい。幾つもの魔術が飛来し、爆炎と血の華が咲き乱れる。
「障壁そのまま、方陣、盾持ち前方隊列」
「魔術来るぞ!盾ェ構えぇ!」
軍事的価値がある要塞だ、無論侮っていた訳ではなかった。が、その練度はあまりにも予想を超えていた。
統一された行動、仲間の死にも同様せず、迫りくる魔術に恐怖の欠片も見せぬその姿勢。違和感を感じた。
「【
思案をそのままに魔術を放つ。省略詠唱、威力は低くなるがこの状況では十分。障壁をギリギリ破る程度の攻撃力しかないが、今は探りを入れたかった。
青い炎が敵陣を襲う。他の魔術とは一線を画す威力と、何よりも見た目のインパクトがあるそれは敵を動かすのにピッタリの魔術だった。
「【
――やはり食いついた。
同じく省略詠唱、しかしそこに込められた魔力は段違い。実力のある魔術師が一人居る。直感だけど、それは指揮官でもあるような気がした。
「いいじゃないか!半年ぶりにまともに戦えそうなヤツが来たぞ!」
傲慢そうな声。
その発生源は笑みを浮かべながら、仰々しく両手を広げていた。特徴的な緑色の目が私を見る。すると、その笑みは更に深くなった。
「で、異大陸の蛮族が何の用かな?」
蛮族という煽り文句。よく聞く言葉だ。確かに技術力では劣っている、それは間違いではない。
「まずは名乗ったら?蛮族と言う割には礼儀を知らないのね」
「これは一本取られた。では改めて、エイベル・メルハウザーと申します。私も貴方の名前に興味津々ですよ、レディ。戦場と舞踏会を間違えた間抜けの名前にね」
うーん、こちらをイラつかせる為と分かっていてもイライラしそう。
深呼吸、深呼吸。気にしてないと笑みを浮かべながら口を開いたけれど、どうにもその端がピクピクと痙攣している気がした。
勿論彼の名前は知っている。その悪名高さは有名だ。警戒心は跳ね上がった。
「私はサラスティア・ブリセーニョ。合衆王国第二王女よ」
「おいおい、お前でダブルスコアじゃないか!この功績で本国に戻れる!」
「...ダブルスコア?」
嫌な予感がした。聞きたくない、認めたくない現実を、さらっと告げられてしまったような感覚が襲う。そんな、まさか。兄さんがこんなヤツにやられる訳ない。
「あぁ、そうそう。俺に勝てないと絶望して自爆したよ、君のお兄さんは!」
「――汚い口を閉じて」
スッと、彼女の心に影が落ちた。
認めがたい現実を突き付けられた。膝をついて絶望したくなるが、その前に怒りが湧いて来た。いけない、復讐は心を濁らせる。
そう言い聞かせる事はできなかった。
緑髪の指揮官を、仇敵を見る。
もう手加減は無しだ、全力を出そう。
「【炎よ、審判の焔となりて我が掌に宿らん】」
覚えている。あの時の光景は決して忘れないだろう。私の原点、生まれ変わったあの時の光景を、優しい笑みを浮かべながら私に手を差し伸べる彼を。
「【秘儀の光輝よ、その摂理を示せ】」
「...へぇ、随分と優秀な一族だ」
心のどこかでは、頭では分かっていた。きっと生きてない、その可能性は限りなく低いのだと。それでも諦められなかった。
それだけ、私にとって大切な存在だったから。
「【万象を浄化し灰燼と化さん――】」
「【
――邪魔をしないで。
知っている、貴方の
だから疑問に思った。そんな物で止められるとでも?
「【杯に満ち溢れしは汝が至高の力】」
詠唱は続く。
貴方は殺した。
私の大切な人を奪った。私を救ってくれた兄を、生かしてくれた兄を、名前を、生きる意味を、生きる場所を与えてくれた兄を。
許さない、絶対に許さない。
「【真理にして摂理、絶対にして宿命、その焔は万人へ】」
空中に炎が出現する。
それは只管に巨大で、何処か神々しさを纏っていた。ただの火魔術ではない、エイベルは確信した。あれが纏う雰囲気は、聖女のそれよりも遥かに神秘的にして荘厳。絶対にただの火魔術ではない。
遺物か?おかしい、合衆王国にそんな物は無い筈だ。
(まぁどちらにせよ、俺にあれは防げん)
「喜べお前ら、二階級特進だぞ」
「「えっ」」
「【
巨大な火球が着弾する。響き渡る爆音、太陽よりも明るく攻撃的に辺りを照らす爆炎。王国の兵士達は瞬く間に蒸発し、石と煉瓦でできた要塞はその一部を消し飛ばされる。
その衝撃は、監獄島の地下牢までも揺らした。
〇
「っぶねぇえ...死ぬところだった」
巨大な爆発が起きた場所の反対に位置する小さな入江。そこはエイベルにとって秘密の脱出経路であった。外からは分からないようカモフラージュされた外洋へのルート、そしてご丁寧に設置された一人で操縦できる帆船。
だが最も重要なのは、そこへ繋がる転移魔術陣であった。
光を失う魔術陣の上でエイベルは立ち尽くす。
転移魔術は実現不可能に近い超高難易度の技術だ。王国の学園を主席で卒業した彼を以てしても、単独では決して実現できなかっただろう。
「ジジィから学んでて良かったよ、コレ」
だが彼の師匠は彼の魔術王。あまりにも厳しい修行に当時は反感を抱いていた物だが、こうして命が救われる事になろうとは。
彼は安堵の溜息をついた。にしても、
「っと、早く戦線復帰しないとな。もう降格は勘弁―――」
振り向く、あの王女がホルダーなのは意外だったが、そうと分かればやり様はある。そう思い、例の如くあの笑みを浮かべながら。
振り向く。
「...ハハ、アハハはッ!!やっぱ運命だ!お前もそう思うだろう、エイベル・メルハウザアァァッ!!」
小さな入り江に笑い声が響き渡った。エイベルの傲慢な、馬鹿にしたような笑いではない。
狂気を存分に孕んだ、異常者の笑い声だった。
「...何故お前がここに居る、ライト・スペンサー」
「お前が最初の復讐相手だ!アベルの仇、肉片も残さず擦り潰してやるよ!」
目に尋常ではない狂気と怒りを滲ませながら叫んだ少年。
その身を血で染め上げた彼を、煮詰めた不の感情を宿した目を見る。
かつてこの手で希望を断った剣聖の息子が、そこには居た。
―――――――――――――
※2024/10/02 修正
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます