第21話 更なる絶望へと
ライトたちが走る先にある、微かな光。
間違いなく、あれは太陽の光だ。
(日の下に出ることを、どれだけ待ち望んできたか――!!)
逸る気持ちを抑えられなかった。渇望していたこの瞬間を想像して、俺はあの暗闇を耐え忍んだのだから。
全力で駆ける。足音なんて気にしていられなかった。
疲労も足裏の痛みも気にならなかった。唯只管に、太陽と、広がっているであろう青空の下に躍り出たかった。
逸る気持ちが、抑えられなかった。
「...おかしい」
――後ろで呟かれた、アベルの言葉など耳に入らないくらいに。
気付けば、扉が直ぐそこにあった。警戒もクソもなく、その取っ手を握り締める。
「開けるぞ!」
「ライト!まっ―――」
警戒も注意も、何もせずに。俺は扉を全力で開け放った。
自分が脱獄犯で、そしてここが堅牢な要塞を転用した強固な監獄である事を忘れ、ただ待ち焦がれた自由を手に入れるために、なんの警戒もせずに扉を開いた。
それが、いけなかったのだろう。
考えれば当たり前の事だ。箱の中を走り回るネズミが捕まえられないなら、出口を塞いでしまえばいい。ただそれだけの事だ。
扉の外には、予想通り青空が広がっていた。久しぶりの太陽は、閃光のように目を焼いた。潮風の匂いが、柔らかく身を包んだ。
しかし、それに何らかの思いを抱く時間は許されなかった。
「動くな!!」
青空の下、開かれた扉の先には、大勢の兵士が居た。
予想外の光景に思わず目を見開く。阿保面を晒しているのが自分でも分かった。
俺達が今出て来た場所は、入江にある港の一角。荷揚げでもする場所なのだろうか、やけに広くなっているそこには、隊列を組んで俺達を見据える兵士達が居た。
「...突破する。気張れよ、ライト」
呆然としている俺の肩に手を掛けながら、アベルがそう言った。
自分の間抜けさに悪態をつくのを抑える。切り替えよう。
目を瞑る、息を吸う、得物を握り締める。
ここが正念場だ。絶対に切り抜ける。
脳裏に
目を開ける。そこには、隊列を組んだ敵。その向こうに、海があった。
「初めてだよ、地下牢から出て来た奴は!」
やけに目立つ緑色の髪をした指揮官らしき男が叫ぶ。その顔は何処か楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「諦めるなら今だぜ!剣聖の子に異国の王子よ!」
「...剣聖の子?」
「今は気にすんな」
会話はこれで終わりだ。後のアベルを見れば、彼は何も言わずに頷いていた。
あぁ、任せろ。だから任せるぞ。
「【火よ、我らが叡智の始祖よ】」
俺達の出した答えは魔術の詠唱だった。その男が舌打ちをするのが分かった。
「【灯れ、焦がせ、穿て、焼き尽くせ】」
「やれ、殺すなよ」
隊列を組んでいた兵士たちに号令がかかる。武装は盾と短剣、数はおよそ40。俺だけでは凌げないだろう、だが今は時間を稼げばいい。
「【母なる大地、その加護を我に】」
俺の魔術の技量では省略詠唱は出来ないが、短縮くらいならばできる。そして、訓練された兵士を一網打尽にする事もまた出来ないが、時間稼ぎくらいはできるのだ。
「【
石畳の地面が隆起する。俺達を守る壁というよりは、敵の接近を妨害する塀のような役割を持たせた土魔術だ。
「【荒れ狂え、天地焦がす滅びと化せ】」
その間にも詠唱は続いていた。俺の真後ろで魔力が唸っている様な圧迫感を感じる。敵であれば恐怖を感じるあろうが、今はただ力強く感じた。
「【
詠唱は終わりを告げた。
突然、上から熱を感じる。見上げれば、そこには巨大な火球があった。魔術に明るくない俺ではそれが何の魔術なのかは分からなかったが、一目見ればそれは途轍もない魔力と破壊力を宿しているのは分かった。
正面に目を戻せば、今まさに俺の土魔術を乗り越えた兵士達が見えた。その目に驚愕と絶望を浮かべながらも、訓練された彼らは一斉に盾を掲げた。だが、それはこの魔術を前にすれば紙も同然。
行ける。この魔術なら、間違いなく敵を一掃できる。
――そう、確信した瞬間だった。
「【
冬の朝、微睡みの中布団が突然剥がされたように。唐突に、上から感じていた熱が消えた。何事かと上を再び向く。そこには、只気持ちのいい青空が広がるだけだった。
――消えた。アベルの火魔術が、長い詠唱を以て顕現した必殺の一撃が。
「残念、そう上手くは行かないんだなぁこれが」
にやけ顔を浮かべながら言う指揮官の男。やけにうざったいその笑みの意味を、やっと理解した。
「...お前、まさか第一次の」
愕然としたようなアベルの声が耳を突いた。
「あぁ、そうだ!魔術師殺しことエイベル・メルハウザーとは私の事さ!」
――聞いた事がある。
第一次征伐軍が犯した禁忌の指導者、かの魔術王の二人しかいない弟子の内一人。最強格の
「ふむ、お前の姉はもっと手応えがあったが...期待外れだな」
傲慢さを滲ませ言葉を吐いている間にも、兵士達は近付いていた。隊列に乱れはない。俺の土魔術への対処も完璧だった。この数と練度の兵士を相手に、大魔術を使えない事が今確定した。
今のを見るに、奴の
思わず固唾を飲み込み槍を構える。倒せるだろうか、今の俺達に。
「君は確か...エイトールの子か!いやはや、なんのジョークかな?剣聖の子が一本しかない腕で槍を握っているとは!しかも大罪人として!」
「っ、クソがッ...」
胸から溢れそうになった憎悪を抑え込む。今は焦ってはいけない。アイツの挑発に乗ったら、今度こそ終わりだ。
「ライト」
「...なんだ」
緊張を孕んだアベルの声。振り向かずに応答する。
「省略詠唱なら妨害されない。一瞬で突破して海に飛び込む」
「分かった」
短く肯定する。確かに、もうそれしか道は残されてないだろう。
包囲網は完成間際、その奥にはヤツが、後ろには引き返せないのだ。最早、時間もチャンスも残りわずかだった。
「行くぞ――」
合図、足に力を入れて駆け出そうとする。
「おいおい、俺が誰の弟子か知らないのか?」
しかし、それは無駄に終わった。
「【
俺が先程使った物と同じく土魔術。しかし、その大きさは比べるのも烏滸がましい程巨大だった。轟々と音を立てながら、地面から生えた壁が空高く聳え立つ。それはやがて直上に伸び始めた。
「閉じ込めるつもりか...!」
事態を把握したアベルが咄嗟に放った魔術は、しかしその壁に傷一つ付ける事も叶わなかった。大地が自らの腕を広げ、逃げ場のない檻を創り出したかのような感覚が俺を襲う。
そして、成す術なくその魔術は完結した。光が遮断される。閉鎖空間の重苦しさ、肌に感じる大地の冷気、それらすべてが無言で「逃げられない」と告げていた。
「クソ...相性が悪すぎるッ!」
魔術師殺し。その呼称が本物ならば、確かにアベルにとって相性は最悪だろう。せめて俺に両手があれば、そう思わずにはいられない。
「...一度だけ。一度だけなら、この状況を打破できる」
そう言うアベルの表情は険しかった。彼が言いたい事は直ぐに理解出来た。ついさっきの事だ、彼が言ったではないか。『門は無く、牢は無く』と。
彼の
しかし、ヤツは二度も同じ手を食らう程愚かではない筈だ。故に一度きり。そのチャンスを逃したら終わり。
「行くぞ、今度こそ」
「あぁ」
再び、足に力を入れる。
何時でも駆け出せるように、その時を待つ。
「【
詠唱、間を置かずして握られた鍵が回された。
その瞬間アベルの手から神々しい光の紐が放射状に飛散した。それは俺達を閉じ込める壁の至る所に当たる。
「っ、
警戒したようなエイベルの声を他所に、ヤツの魔術は崩壊を始めた。文字通り砂と化し、風に連れ去られていった。
その様子を見納める事なく、俺達は既に駆けだしていた。
横列を成して盾を構える兵士達。隙は見当たらなかった。やはり、今の俺だけでは突破は不可能。
「【
だが、今は一人ではない。
直ぐ後ろで奏でられた詠唱。俺達を覆い隠すように、土煙が辺りに立ち込めた。
「小賢しいなぁオイ!」
土煙の向こう、シルエットすら見えないエイベルの声が聞こえた。
「【
やはりヤツは強い。その判断力、何より
だが、今回ばかりは俺達の方が早かった。
「【
ご丁寧に並べられた盾を踏み台にして、二人揃って全力でジャンプする。
その背中を押すように放たれたアベルの魔術。俺達はその加速で、文字通り宙へと飛び出た。彗星の尾のように、未だ残っていた土煙を後に引きながら。
目指すは海。軌道と速度は十分だった。
「させるかよ」
特徴的なエメラルドグリーンの目が俺達を捉えた。
にやけ顔から一転、真剣な表情で口を開く。
「【天より吹き荒ぶ風、轟きて鋼をも裂き砕け】」
その意図に気付いたアベルもまた詠唱を開始する。俺達は空中に居るのだ、回避は不可能。ならば迎撃するしかない。
「【流転する風の障壁、全ての刃を打ち砕かん】」
両者が選んだのは風魔術だった。限られた時間で最大の攻撃力を、防御力を。そんな思いの元短縮、洗練された詠唱が今終わった。俺には見る事しかできない。この高度な魔術戦に参入する事はできなかったのだ。
そして、運命の瞬間が訪れる。
「【風牙裂空】」
「【風護天障!!】」
幾つもの風の刃が飛来する。殺すな、と言っていた割には、それらは余りにも高い殺傷能力を持っているように見えた。
対するエイベルが展開した防御魔術は、渦を巻く嵐が引き延ばされた様な見た目をしていた。
――ッキイイイィンッッ!!
激突、空気を震わせるは甲高い音。
耳を塞ぎたくなるような爆音が響き渡る。それは両者の拮抗を示すように数秒の間続いたが、やがて終わりを迎えた。
パリン、とガラスが割れた様な音がした。それは今の爆音に比べたら、随分と規模の小さい様に思えた。だが、その音が意味する事は非常に大きかった。
「っ...ぐゥッ!」
肉を裂くような音、次いで聞こえたのはアベルの呻き声だった。そして飛び散る血飛沫を見れば、短い勝負の結果は明らかだった。アベルの防御魔術を破った風の刃が、彼を切り裂いたのだ。
勢いを失い、軌道を逸らされたアベル。その体は俺に激突した。揃って力なく墜落する中、せめて落下の衝撃くらいはとアベルの体を引き寄せる。
「くッ、おい大丈夫か――」
「【
その声に力は無かった。だがそれでも魔力は彼に応え、地面に衝突する寸前に一瞬で減速、そのまま倒れ込む様に地面に伏した。
「すま、ない」
彼の声は途切れ途切れだった。
改めてみれば重症。肩から脇腹にかけて、大きな裂傷が広がっていた。
「...クソ、俺にできる事があれば」
今の俺には何もない。ヒロの様な無詠唱も、アベルの様な
(違う、今じゃないだろ)
首を振る。またも胸を支配しようとした暗い感情を追い払う様に。
その代わりに、この状況を打破する方法を必死に考えた。
アベルを担いで海に飛び込む。確かに、今ならば海に飛び込む事が出来るだろう。だがそこまでだ。アベルは失血死する。仮にそうでなくとも、いずれ船を出されて追いつかれる。泳いでいる状態では抵抗できないだろう。
俺だけで戦う。それも論外。
あぁクソ、やはり何も思いつかない。
再びにやけ面を浮かべながらこちらに近付いてくるエイベル。その姿を見ながら、俺は呆然と座り尽くしていた。
「ふむ、足手纏いが居なければ逃げれただろうに」
馬鹿にしたような笑みと共に告げられた言葉は、俺に衝撃を与えるのには十分過ぎた。心当たりがあったのだ。
「分かるだろう?術者であるアベルは負傷を負い、守られているだけのお前は無傷。庇われたんだよ、お前は」
俺には呆然とするしかなかった。何も言い返せなかった。ただ、疑問符が頭を支配した。何故俺なんかの為に。初対面じゃないか。お前には大切な人が居るんだろう?
なぜ、復讐しかないようなこの俺を救ったんだ。
しかし、その問いの答えを得る機会は一生訪れない。
「...ライト」
「っ!な、なんだ」
呼ばれた。声の震えを誤魔化せなかった。
地面に伏しているアベルを見れば、何故か穏やかな表情があった。
―――あぁ、もう終わりなのか。
直感、覆しようのない、確定した未来。ストンと、影の様にそんな言葉が脳裏を過った。俺には、もうどうする事もできない。
「頼んだぞ」
何を、と聞き返す事はなかった。
今朝も確認されたばかりだからだ。それだけ、彼にとって大切な事なのだろう。だからこそ理解できなかった。何故、俺なんかを庇ったのかが。
「...任された。すまない、本当に...!」
「気にするな、運命だろうよ」
その手を握る。どんどん、力が抜けているのが分かった。
「仲良しごっこは終わりかな、殿下?」
ニヤニヤと、何処までも馬鹿にしたような声。だが、それに反応できるような余裕は俺にはなかった。
「そうだな、終わりにするよ...何もかもね」
その一言が、全てを表していた。
彼は捕まる訳には行かない。きっと、本国に連れ去られて処刑されるだけだろうから。そんな恥を晒す訳には、いかないのだ。
「じゃあな、ライト」
「あぁ...さよなら、だ――」
言葉を返すのに精いっぱいだった。
アベルは再び口を開く。力強く、弱弱しさなど欠片も見えない姿だった。
「お前らの国にこう伝えろ!!合衆王国の第1王子、アベル・ブリセーニョは、例え敵に捕まろうとも!誇りを忘れる事なく!立派に散っていったとな!!」
彼は、正に王族だった。誇りと栄誉をその胸に抱き、決して諦めない強い心を最後まで抱えていた。その意図に今更の様に気付いたエイベルが、初めて焦りを滲ませた声を出した。
「おいまさか...!」
アベルと目が合う。穏やかだと思っていたそこには、隠しきれぬ強い未練があった。
分かってる。きっと未練だらけだろう。お前には、何にも代えがたい大切な存在があるのだから。
「...ごめんよ、サラ」
泣き笑いのような表情を浮かべた彼は、最期の言葉を口にした。
「【
「よせえぇぇえ!」
――王族は、その死体すらも利用価値がある。
敵国を貶める為に、魂のない死体を街中に晒すこともある。
だから、ただの自害ではなく、己を肉片と化す必要があった。
故に爆発。
アベルの血飛沫が、内臓が、肉片が、青空へ巻き散らかされた。
その衝撃をもろに喰らう。
悍ましい、血に塗れた光景。だが、これは俺のせいだ。
後悔と懺悔を胸にしながら、俺もまた意識を失うのだった。
―――――――――――――――
※2024/10/01 修正
※2024/10/02 修正
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます