第20話 脱獄
重苦しい静寂、ジメジメとした空気、鼻を突く悪臭、暗闇、体の節々を凍てつかせるような冷たい石畳。
その朝も、相変わらずの不快な目覚めだった。
だが、それも今日で終わりとなるかもしれない。
今日、俺達は脱獄をする。
「起きてたのか」
隣へ目をやると、そこには険しい表情で胡坐をかいているアベルが居た。寝起きで掠れた声でそう尋ねると、呆れた様な表情をその顔に浮かべる。
「こんな所で寝れるとでも?」
なるほど、起きたのではなく寝ていなかっただけの様だ。確かに、ここはどう言い繕っても睡眠に適した環境ではない。俺はもう慣れたが。
「はっ、王族は贅沢だな」
「...まぁ、そうと言えばそうだが」
起き上がって体を解す。入念に、体に不調が無いか確認するように。
「作戦は覚えているな」
「あぁ。シンプルだからな」
俺達が考えた案は至ってシンプルだ。鍵を開けて牢から出る。そして出口を目指しながら、全力で走り抜ける。鍵のかかった扉があったら、その度にアベルの証を使って開ければいい。
だが、俺達が持っている情報は余りにも少ない。看守の位置、この監獄島の構造、出口の場所...少ない、というのは言い過ぎだったか。つまるところ、何も知らない。
そもそもここは海の上の孤島。ここから出たところで、その先はどうすれば良いかなんて全く見当もつかない。
泳いで王国に帰るか?馬鹿馬鹿しい。
この脱獄計画を二文字で表すとしたら、それは間違いなく「無謀」だ。だが、可能性はゼロではない。賭けが成立するとも思えない僅かな可能性ではあるが、確かに存在はするのだ。そして、俺達はそこにフルベットする。
「...主よ、どうか我らに御加護を」
目を閉じて十字架を切るアベルを見る。
勿論、彼にもその事は伝えた。失敗する可能性の方が遥かに高いと、断言するように告げた。
返答は『分かった』。その時思い知った。俺は彼を侮っていたのだと。
目の奥で燃える覚悟と闘志の火、獰猛な獣を連想させる笑み。気品と誇り、自信。過ぎれば愚の証であるそれらを纏いながらも、確かなる知と理を感じさせる彼は間違くなく王の資格があった。
人質は二人も必要ない。つまり、彼は王国に移送されたのち公開処刑される。そんな事になるくらいならば、ここで散ってやろう。そんな思いが、彼の胸を支配している筈だ。
「昨日の話、覚えてるよな」
目を開いたアベルが尋ねてきた。
昨夜。作戦というには烏滸がましい穴だらけのそれが決まった後。どうにも寝る気にならなかった俺とアベルが交わした会話。
「勿論。一言一句違わずにな」
もし彼だけが死んで、俺が生き残るようなことがあれば。そんな不穏な前置きと共に語られた、彼にとって大切な人への遺言。
「そうか。頼むぞ」
頷く。彼の思いは受け取った。その意図も理解した。
なれば、やる事はあと一つしかない。
目を閉じる。深呼吸をする。
鼻を突く悪臭も、今は気にならなかった。
目を開ける。もう、俺に緊張はなかった。
「行こう」
「あぁ」
静かな肯定に続いたのは、アベルの詠唱だった。
「【我が道に扉は無く】」
魔術は使えないのに
形が、質量が宿ったかのように重みを纏う言葉を聞けば、そこに魔力が籠っているのだと認識させられる。
「【門は無く、牢は無く、宝は我が元に】」
詠唱は続く。それはやがて神秘を纏い始めた。付き出された右手の周りに、光の粒子が漂う。薄暗い独房を、神々しく、輝かしく、美しい光が照らす。
「【古の封印、閉ざされし如何なる錠、我が前では無用と知れ】」
目を開いたアベル。その手には、半透明の小さな鍵があった。
天上の、神秘的な、聖なる。思いつく限りの言葉を並べても、その鍵の美しさは表せないであろう。俺には到底触れられぬであろう、そんな威厳の様なものを纏っているように見えた。
「【
何処からともなく、鍵穴が出現した。同じく半透明、同じく神秘的。迷うことなく、アベルはそこに鍵を差し込んだ。
「解...ッ!」
そして、掛け声とともに回す。
ガチャリ。そんな音が響いた。
それは、俺達の手足に嵌められた枷が外れ石床に落ちた音であり。閉ざされていた独房の扉の鍵穴から鳴った音でもあった。
「開いたのか、今ので」
「勿論。ほら」
そう言うと、アベルが鉄格子を軽く押す。
「マジかよ...」
俺達を閉じ込めていた鉄の扉が、なんの抵抗もなく開いた。
そして、それを横目で確認したアベルが誇らしげな顔で口を開く。
「さぁ、行こうじゃないか!!」
言うや否や、アベルは独房から飛び出した。追う様に俺も足を踏み出す。この独房から出たのは...いつぶりだろうか。時間感覚もなければ感慨もクソもないが、そこに感情を抱くよりも前に走りだした。
暗い。だが視界は確保できている。問題は、全身の筋肉が衰えたせいで俺の足取りが覚束ない事だろうか。だがアベル足を引っ張る訳にはいかない。食らい付かんばかりに必死に暗中を駆ける。
「このまま突っ切るぞ!」
「ああ!」
看守たちに気づかれる前に、出来るだけ進んでおきたい。今はたったの一秒が脱獄の可能性に直結する貴重な時間だ。
「扉だ!」
走る先に、如何にも頑丈そうな鉄製の扉があった。微かに見覚えがある。あれは地下牢と地上建造物を隔てる扉だ。俺、そしてアベルも、あの扉を通ってここに来た。
故に堅牢。向こう側から閂が掛けられているのだろう、こちらには鍵穴の一つも見つからなかった。
「行けるか!?」
「舐めるな!」
未だその手にある神々しい鍵。アベルは躊躇なく掲げると、先程と同じように鍵穴が空中に出現する。挿入、回転。無駄のない一連の動作を終えると、再び金属音が耳を突いた。
確信。あの扉はアベルを前にしてその意味を失った。
足を止めずに走り、それを全力で蹴り開ける。
「....!?」
「...ッ!脱獄者だ!!」
やはり居るか。ここは重要な扉で、向こう側に閂が掛かっていた。当然分かっていた事だ。
即座に辺りを見渡す。看守が二人。得物は槍、しかし無防備。
驚愕でその顔を染めながら、持っていたトランプを投げ出して槍を構えようとしている最中だった。
「ライト!」
「任せろ!」
だが、俺たちがそんな隙を見逃すはずもない。慌てている看守を全力でぶん殴る。
――重心が安定しない。腕一本ないと言うのは戦闘において巨大なディスアドバンテージだ。しかし、何とか初撃は狙い通り行った。右の拳が看守の顎に直撃した。
安物のトランプが宙を舞う。勝負の続きは天国でやれ。
昏倒する一人目、その槍を掴んで即座にもう一人の喉元へ繰り出す。首に掛けていた笛を咥えていた所だった。
肉を刺す感触、次いで手に伝わる固い抵抗、躊躇せずにそれすらも貫通させる。脊髄を貫いた。
最後の務めとばかりに、余力の全てを以て咥えた笛を吹こうとした看守。しかし、気道は既に貫通していた。コヒュー、と掠れた音のみが響いた。
引き抜く。返り血を浴びるが、構わずにそのまま殴られ意識を失っている看守の脳天を貫いた。いつ起きるか分からないのだ、悪いが死んでもらおう。
「受け取れ」
「あぁ、助かるよ」
床に落ちていたもう一本の槍を投げ渡す。
迷いなく受け取ったアベルを見ると、そこには覚悟が決まった目があった。
「急ごう」
今の俺達に出来るのは、ただ突っ走るのみ。
頷いた俺は再び駆けだした。
〇
(...もう感づかれたか)
焦りを滲ませた怒号、慌ただしい足音が監獄内部の至る所から聞こえてきていた。今の所エンカウントはしていないが、それも時間の問題となりつつある。
極力足音が響かないように、それでいて敵の目に見つからない様に走る。体力も消耗していたが、それ以上の問題があった。
(どんだけデカいんだよここ!?)
出口が見当たらない。
ここが唯の監獄ではなく要塞としての働きもしている以上、この複雑怪奇な構造は敵の侵入を防ぐ為なのだろう。
大量の扉で閉じ込める様な形であればアベルの
「アイツが居れば...!」
悔しそうにアベルがそう言った。その発言に気になりはせど、アイツって誰だよと聞くような余裕はなかった。
「おいアベル!このままじゃ追いつかれるぞ!」
「分かってる!もう少しで出れる筈だ!」
その時、俺達の物ではない声が聞こえた。
「早く――!脱獄――許すな――!!」
途切れ途切れの言葉。まだ遠い。今すぐに見つかるという事はないだろう、だが、着実に追い込まれている事は確かだった。
警戒の為後を振り向くが、そこには暗闇しかなかった。
「ライト!」
「なんだ!?」
喜色が滲んだ呼び声。何事かと前へ視線を戻す。
その瞬間、彼が俺を呼んだ理由が分かった。
「――出口だ!」
俺達が進む先から、光が差し込んでいたのだ。
待ち望んでいた、太陽の光である。
――――――――――――
※2024/9/30 加筆・修正
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