第19話 アベル
「名前は?」
コイツには何かある。そう思わせる様な雰囲気を纏った、明らかに普通の少年ではない新たな同居人。
もしかしたら、これが転機となるかもしれない。そう思って発した言葉は、しかし虚しく無視された。
「んだよ、答えられねぇってか」
「...犯罪者と話すつもりはない。それだけだ」
分からない。一体俺が何をやったというのか。最近こういうのばかりだ。ヒロの時だって心当たりのない怒りをぶつけられた。
...あぁ、もしかして。この金髪野郎、自分は冤罪だけどコイツは犯罪者だと決めつけてやがるのか?
あり得る。というか、思い返せば俺だってそうではないか。ここに居る連中は皆大罪人だと思っていたが、もしかしたら俺の様に冤罪で連れてこられた人間だっているかもしれない。
だがこれとそれは別である。犯罪者と決めつけられるのはどうも腹が立って仕方がないのだ。俺は馬鹿にした様な笑みを浮かべて口を開く。
「ハッ、ここに来たって事はテメェも犯罪者だろうがよ」
「っ、一緒にするな!」
「いーや、一緒だね。俺もお前も底辺だ」
八つ当たりかもしれない。誰かを貶さないと正気が保てない、と言う訳ではないが、胸の内の理不尽をぶつけたかった。
「これだから王国の人間は...ッ!」
「と言われてもなぁ、俺も王国に捨てられた人間だし」
思えば、あの裁判はおかしかった。
聖女が襲われた現場に行けば、下半身を露出したままの間抜けな死体が転がっている筈だ。あの時は精神状態もあってまともに喋る事が出来なかったのは確かだが、にしたってあんなにも性急に判決が下るのは異常である。
聖女を穢された教会による見せしめ、庶子出身の親父に対するエイトール本家による圧力。理由は幾つか考えられるが、何にせよ碌でもない事は確かだ。
正直、俺は王国そのものを憎んでいると言っても過言ではなかった。
「なぁ、止めようぜ。どうでも良いだろう、俺が何者なのかなんて」
冤罪だと言っても信じないだろう。だが、今は信じて貰わなければいけなかった。コイツに何ができるかは分からないが、協力関係を築ければ脱獄へ一歩近づくかもしれないのだ。
「しかし...」
「目ぇ見れば分かる。お前は何も諦めてない」
―――早速だが、本題に入らせてもらおう。ガリガリと体力と気力が削られていくこの地獄の中で、俺達に余裕なんて贅沢なものはない。
「お前、ここから抜け出したいんだろう?」
断定する様に言った。美しい碧い目が、驚いたように見開かれる。
「...違う、と言ったら?」
警戒心を滲ませながらも、試すような口調。そこからは知性と覚悟が見て取れた。どうやら俺の目に狂いはなかったようだ。
「その時は、まぁ諦めるよ」
「何をだ」
「脱獄」
肩をすくめながら、なんでもないように軽く言い切る。繰り返すが、俺には余裕はない。現在進行形で体中の筋肉が衰えているのだ。時間の経過は脱獄の可能性の低下を意味する。
そして、俺にはもう一つの確信があった。
「お前、捕虜にされたんだろ?」
「っ、何故そう思った」
再び警戒心を滲ませて聞いて来た。俺はどう説明したものかと思案する。
...長くなりそうである。話は王国とコイツの国との戦争、その勃発と戦況の変遷まで関わっているのだから。
王国は今、海を挟んだ向こうの国とかれこれ数年は続く戦争をしている。帝国との戦争で有利な条件で停戦する事に成功した王国が、調子に乗って海の向こうに手を出したの事で始まったのだ。
最初は快進撃が続いていたらしい。大陸が丸ごと手に入るとかなんとか、当時は全てが思い通りに進むと誰もが信じていて、まるで戦争が遊びにでもなったかのように浮かれていた。経済、特に造船関係が盛り上がっていて、国中が好景気だった。
それもそのはず、当時その大陸には大きな国家がなかったのだ。精々が都市国家程度の勢力が点在するだけで、故に王国軍に抵抗できなかった。
だが、王国は調子に乗り過ぎた。
豊富な資源だけを求めていた王国軍は、大陸の人間を虐殺し出したのだ。
危機感と怒りを覚えた彼らは、最も有力だった一族を王として新たな国家を建設。当初は幾つかの都市国家の集合体であったそれは、しかしすぐさま王国に匹敵する大きさへと成長した。
そうして反撃に出たその国家、合衆王国だったが、指揮系統や技術力、単純な戦闘力の問題で王国軍を撃退する事はできなかった。しかし、地の利と数の力によりなんとか撤退させることに成功。
しかし、そこで膠着状態になった。堅固な陣地を防衛する王国軍、攻めあぐねる合衆王国軍。だが王国軍にとって、現状維持は敗北を意味した。
王国本土で巻き起こった厭戦の風が彼らの耳まで届いたのだ。目立った戦果を得られないどころか手にした土地の殆どを失ったと分かれば、国に帰っても待っているのは嘲笑いであろう。
そして、焦った征伐軍は禁忌に手を出した。
「お前らが王国との取引に応じるのはあり得ないからだ」
「知っているのか、あの事を」
「推測だがな」
合衆王国の王族と引き換えに撤退する。そう言って持ちかけた取引を自ら反故し、反転侵攻。その非道の責任は総大将一人に擦り付けられたが、どう考えても上層部がグルになってやった事だろう。
噂程度にしか知らなかった事だが、反応を見るに事実だったようだ。
「取引じゃないなら捕虜一択だろ。でなければ投降って事になるけど」
「...あぁそうだよ。無様に捕まってしまった。だが、だから何だと言うんだ?」
「お前には時間がないんだ」
「なに?」
俺が言っている事が分からないのか、彼はその端正な顔に怪訝な表情を浮かべた。
遠まわしに言おうか迷ったが、まぁ良い。まずは現実を直視させなければ。
「――人質は二人も必要ない」
「...なんて事だ」
反故にされた取引で確保した王子はまだ生きている。王国ならば見せしめに処刑でもしそうなものだが、死んだという情報がない以上まだ生きてる筈だ。しかし、それは人質としての価値ゆえ。
その価値がない二人目、つまり目の前のコイツには生かす理由がない。となれば、その未来は閉ざされている。
「だからさ、脱獄しようぜ」
言いながら、片方しかない手を差し出す。拒否されれば、俺に未来はないだろう。異種の緊張感が俺と奴の間に走る。
固唾を飲んで相手の顔を見れば、そこには挑戦的な笑みがあった。
「乗った」
差し出した手が握られる。安堵、そして感じる力強さ。
これで共犯者だ。さぁ、共にこの地獄から逃げ出してやろう。
〇
「取り合えず自己紹介からだな。俺はライト。特技は剣だったが今じゃこのザマだ。ちょっとだけ魔術は使えるがな」
家の事は言わないでおいた。別に言ったって構わないのだが、正直俺の事はどうでも良かった。話したところで有益な情報にはならないし、剣聖の息子というだけでやっかみを買うかもしれなない。
「それもそうか...俺の名前はアベル。特技は魔術、五系統なら大体使える。あと
「そりゃ頼もしいな。どんなんだ?」
「開錠、解放が権能だ。おあつらえ向きだろう?」
「...なんだそれ、限定的過ぎるだろ」
聞いた事がなかった。あまりにも尖った、だがある意味で抽象的な能力だ。全く戦闘に向きでもないし、その用途に見当が付かなかった。
「具体的には?」
「封印を解くのがメインだったな。鍵を開ける事だってできる」
なるほど、確かにおあつらえ向きである。正にこの状況にピッタリだ。
しかし、そんなに都合の良い事があるのだろうか。
「対策されるだろ、普通」
「あり得ないな。逆に聞くが、この
どうやら、アベルの証は極秘情報だったらしい。ならば王国側が知らなくても無理はないだろう。ましてや、戦場で使われないであろう
「あと、誤認されてるってのもあるだろうな」
アベルが言葉を続ける。その顔は若干誇らしげであった。
「俺は魔術が得意だ。王国側はそれが
「マジか」
それは素直に凄い。証というのは不可能を可能にする人知を超えた力だ。アベルはそんな証だと間違われる程の想像を絶するような強さを持っているのだろう。でなければ誤認などされない筈だ。
「実用性がないから使ってなかっただけなんだけどな」
「...確かに、なんでそんな
そこについては未だ疑問である。戦闘向けの実用的なものばかりの
独り言の様なその疑問に、しかしアベルは懐かしむ様な表情を浮かべ口を開いた。
「...昔、どうしても開きたい鍵みたいなのがあったんだ。それを開けるのは俺と、解放するのが使命だ、だからこの封印を解く力をと必死に神に祈った」
そんな物だろうか。祈れば手に入る物なのだろうか、
あれだけ渇望していた俺にその兆候すら見られなかったのだから。
「結局、その封印は解けたのか?」
心の中で鎌首をもたげた劣等感を振り払う様に、思いついた事をそのまま口にする。そこに大した意図はなかったが、アベルは満面の笑みを浮かべた。
「もちろん!おかげで世界で一番大切な物が手に入ったのさ!」
「...へぇ」
文字通り、大切な宝物を自慢するような、穢れのない笑みだった。きっと、俺には一生浮かべる事の出来ない類の笑みだ。
...まぁ良い。今は脱獄の事を考えよう。
「よし、じゃあ早速作戦を立てようか」
身を乗り出して話を切り出す。脱獄、ひいては復讐への光明が見えたのだ。この機会を無駄にしてなるものか。
―――――――――
※2024/09/28 加筆・修正
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