第18話 底辺の暮らし



監獄島。そこは生きている者の地獄、死ぬことを許されなかった者たちの墓場だった。


一歩踏み出すごとに、無機質で冷たい石の感触が足裏を突き刺す。鎖で繋がれた体は重く、体を引きずるように前へ進んだ。押し込められた監獄の中で、鉄格子の向こうに広がるのは、同じように絶望に染まった囚人たちの顔だった。


「おい、見ろよあの新人。最年少更新じゃん」

「あー...でもあれくらいのヤツ何人か居なかったか?」

「どっちにしろすげぇな。あの年で何やったんだらこんなとこ連れてこられんだよ」


その嘲笑が、耳を刺すように響く。舌打ちしたくなるような屈辱が、静かに胸を焼きつけた。だが、怒りを露わにすることすら無意味だとわかっていた。反抗すれば、その結果は暴力か、さらにひどい侮辱だけだ。


「入れ」


相変わらず淡泊な口調で、俺の鎖を引いていた男がそう言った。

薄汚れた独房。血痕がそこかしこにある、日の光が差し込むことのない闇の空間。ここで暮らすのか。揺れないだけで船の中と対して変わらないじゃないか。


「いッ...ってぇなオイ!」


時間を掛けすぎたらしい。俺は背中を蹴られて独房の中に押し込まれた。苛立ちのまま悪態を付きながら男を睨んだが、奴は扉の気にせずに踵を返して薄暗い廊下へと消えて行った。


...さて、早速考えなければ。どうすればここから脱獄出来るのかを。


窓はない。ここは地下牢、壁を削っても無意味。牢の鉄格子を試しに蹴ってみるが、ピクリとも動かなかった。こちらも突破は不可能。


...まぁ、分かっていた事だが。事実上正面突破は不可能である。

ちなみに、魔術はもう試した。狙うなら船が出港したタイミングだと思って詠唱を口にしたのだ。だが、何故か魔力を魔術に変換する事が出来なかった。


手枷と足枷。鎖で繋がれているそれらが、魔術の発動を妨害しているのだ。魔力を放出しようとすると、その全てがこれに吸収されてしまう。

これの破壊も既に試みたが、敢え無く失敗。重さからも分かるが、相当頑丈な代物のようだ。


「...クソ、どうしろってんだよ」


詰んでやがる。いや、簡単に脱獄できるとは端から思っていないが。

そもそも、俺そんなに頭が良い訳では無いのだ。剣一本の落第生。それが学園での俺の評価である。今は平民に負けた腹いせに聖女を犯したクズであろうが。


...あぁ、しかし。今の俺にできる事はなさそうだ。


何かするにしても、囚人がどのように管理されているのか、看守の見張りの頻度はどうなっているのか、そういう情報を集めてからだろう。


取り合えず、俺は固く冷たい石床の上で横になった。










『それでも剣聖の子か?』

『次の担い手は君ではないかもな』


うるさい。


『うわ、また負けてる...』

スキルの一つも持っていない奴がどうやってここ来たんだよ』

『どうせコネでしょ。剣聖の息子だもんアイツ』


うるさい、うるさい、うるさい。

勝手に期待して勝手に失望するな。


『君にはガッカリだよ。ライト君』

『お前には、期待していない』


うるさい、うるさい、うるさい!黙れ!

俺は努力してきたんだ!!お前らなんかよりもずっと!!


『失望した。君は僕が一番嫌いな類の人間だ』

『言い逃れするつもりか!』

『最低...!』

『その犯行は非常に卑劣です。神の申し子である聖女に汚らわしい欲望をぶつけたのだ。死刑にしなかっただけマシと思いなさい』


うるさいうるさい!!

冤罪だ!!俺はそんな事してないっ!


『確かに冤罪だ。だが、アイツは犯罪者であると分かっていたのだろう?劣等感の末に犯罪者に教えを乞うなんて考えられん。自業自得じゃないか』



ああああああ!うるさいうるさいうるさいうるさい!!黙れェ!




―――声にならぬ絶叫。それが引き金だった。


浅く早い呼吸。目を開け辺りを見渡すと、そこには暗く汚い独房が広がっていた。

体の節々が痛い。石の床は、寝るのには余りにも固すぎた。


「...クソ、夢か」


舌打ち、悪態。

認めざるを得ない。俺の精神は少しずつ消耗していた。



監獄島という地獄に送り込まれるて、一週間ほど経った。


相変わらずクソみたいな生活を送っているが、船で移送されていた時よりは幾分かマシだ。とは言え、地獄は地獄。精神がガリガリと削られている実感がある。


それは、自分にはまだ削られる精神と、それを自覚できる判断力があるという事だ。

それすらもなくなってしまう前に、何としても行動を起さなければいけない。


だがしかし、俺にやれる事はなかった。

無かったのだ。この牢から出る機会が、一度たりとも。

普通の牢獄ならば、食事やら運動、囚人によっては軽作業の為に独房から出される。だがここは普通ではなかった。脱獄の機会を徹底的に減らすためだろう、俺がこの独房の外に足を踏み出す事は無かった。


変化があるとすれば、一日に一度、食事が独房の外から届くだけ。食器はない。鎖が切断されない為だろう、俺達は手で食わなければならなかった。食器は全て木製。

流石に、カビの生えたパンだけ何てことはなかったが、それでも生きていける最低限の物しか入っていない。


だから、俺にはただ待つことしかできなかった。タイミングを、機会を窺う事しか、俺にはできる事がなかった。


持つだろうか、この心は、精神は。


怒りが薄れる事は無い。相も変わらず俺は復讐心に縋る事で生きている。

だが、怒りだけが残ったところで、復讐など成せないだろう。壊れた精神で、思考で、一体どうやって復讐を果たせるというのだ。


未来は、変わらず絶望的だった。





思う。一体、なんでこんな事になったのだろうか。


考えないようにしていた。復讐の事だけを考えていた。そうでもないと、気が狂いそうだった。目まぐるしい状況の変化に精神が付いていけなくて、壊れない為にに現実逃避のように目を逸らしていた。



しかしこの静かで何もない独房では、どうもその疑問が頭を支配して止まなかった。

達成の手段に全く見当がつかない復讐よりも、現状への不満と怒りが上回って来たのだ。


俺がいったい、何をしたと言うのだ。


努力をしていた。剣聖の息子という肩書に見劣りしないよう、父親の栄光の影に沈まぬよう、この手で剣を振り続けていた。


どれほど馬鹿にされようとも、見下され様とも、嘲笑されようとも、変わらぬ思いの元剣を振り続けていた。

次の剣聖になる。そして、古代より伝わるあの伝説の剣に認められる。それが俺の夢だった。


唯の夢などではない。

約束だった。己との、そして今は亡き母との。


病に伏した母に誓ったんだ。俺が剣聖になって見せる、だから元気になってくれと。それは最後の約束となってしまったが、故に破る訳にはいかなかった。


なのに、なのに。


肘から先が無い左腕を見る。これで、一体どうやって剣聖になれると言うのか。どのような方法で、あの剣に認められると言うのか。あんまりじゃないか。


確かに、俺はエルに教えを乞うた。だが、それは強くなりたい一心だったんだ。見返したくて、認めさせたくて。強くなったな、その一言さえあれば。


しかし、それは全て叶わない。

失ったのだ、何もかも。


急展開だった。

スラム街で襲われている女性を助けたと思ったら、それが実は聖女で。何故か俺に冤罪がかけられて、ヒロに三度目の敗北を喫して、その代償に左腕を失った。俺の全てが失われ、呆然としている間に有罪判決が下りここへ連れてこられた。


もう、取り返しなどつかない。


時を戻せれば、俺にその力があれば。そう、強く願う事しかできなかった。




「入れ」


その時、久しぶりに囚人の呻き声以外の声が耳に入った。

それは、自分がこの部屋にぶち込まれる時にも掛けられた言葉だが、自分はずっと動いていない。となれば、声を掛けられたのは自分以外の誰かという事になる。


開かれた独房の扉の向こうに、暗い地下牢でも分かるくらい綺麗な金髪をした少年がいた。俺より少し年上だろうか。悔しそうな表情をしているが、その目の奥は、爛爛と燃えていた。

希望だろうか、怒りだろうか。目の中で燃えているその炎の正体は計り知れないが、少なくとも、そこに絶望はなかった。


「敵国の王子だ。精々仲良くしろよ」


言うや否や、看守は踵を返して戻って行った。

俺の新たな同居人は、どうやら王子らしい。

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