ターニングポイントⅠ・回り始めた運命の歯車
「だりー...」
ベッドから起き上がるのが。学園に行くのが。
というか正直、何もかもが面倒に感じた。
昨日の光景がフラッシュバックする。あの直後はなんだか現実味がなかったからよかったものの、興奮が収まった今思い出すと吐き気がする。
それが罪人の物であれど、首のない死体や脳味噌がはみ出た死体というのは見るだけで気持ち悪くなるのだ。そこに罪悪感などはないが。やはり胸糞悪い。
のそりと起き上がる。
欠伸を噛み締め、大きく伸びをした。
体は軽くなったが、やはり暗い感情は無くなってはくれなかった。
どうしようもない。取り合えず、今日は学園に顔を出してみよう。昨日の今日であのスラム街に行く気にはなれなかった。
〇
という事で学園到着です。
どうにも気が晴れないしやる気も起きない。
自分の机に突っ伏しながら、ただ時間が過ぎるのを待つ。なんだか疲労感も出て来た。俺は学園に来るだけで疲れる様な軟弱者だっただろうか。
意味のない思考を振り払い、何を考えても気が晴れないならと昨日の事を思い返す。
(...そういえば、結構危ない橋渡ったかもな)
あそこはスラム街。たかが数人が惨殺された程度では調査もされないだろう。俺になんらかの容疑が掛かる可能性は低い。今となればそう気付けるが、あの時は冷静じゃなかった。もしあの連中に何らかの肩書があれば、剣聖の息子とは言え無事では済まなかっただろう。
剣に捧げたこの生涯を、己の剣で傷付ける様な事はしたくない。あのような状況には遭遇したくないが、もし次があればその時はもっと冷静でいよう。
「おい」
思案する俺に、誰かが声を掛けた。
誰だよこんな朝っぱらから。苛立ちながら顔を上げる。
「ヒロか。なんだよ」
違和感。
怒気、というか殺気だろうか。ともかく、ヒロは何故かキレているように見えた。心当たりがない。
「答えてくれ。君、昨日は何処で何をしていた」
腰に掛かっている剣の柄を握りながら、有無を言わせぬ雰囲気でそう問い詰めるヒロ。やはりキレている。一体俺が何をしたと言うのか。
「なんでお前に言わなきゃならねぇんだよ」
悪いが、今の俺は大分機嫌が悪い。心当たりのない事でキレられても困るのだ。そもそも、それは人に物を聞く態度じゃないだろう。
「最後のチャンスだ、答えろ」
「上から目線で偉そうに...!何なんだよ!」
なんなんだ。なんなんだよ、本当に。
いい加減にしてくれ、俺に何の怨みがあるんだ。
「失望した。君は僕が一番嫌いな類の人間だ」
――あぁ。その言葉、そのままお前に返そう。
お前は今、俺の逆鱗に触れた。
「俺もだよ。その言葉を使う人間が、俺は一番嫌いだ」
立ち上がって抜剣、正眼に構える。
今の俺は冷静じゃない。それは分かっていたが、もう止められなかった。理不尽への怒りだけではない。積もりに積もった不満が、憎しみが、今爆発した様に体を突き動かしていた。
ヒロもまた剣を抜いた。見た事のない構え。理解が出来ない怒りをその目にありありと浮かべながらも、決して切り掛からない自制心。纏う雰囲気は、何故か冷やかで鋭い物だった。
コイツ、修羅場を経験してやがる。
何故だ。幾つもの戦場を経験したようなその雰囲気、まるでエルのようなそれを。何故お前が持っている。
「来なよ」
「...お前が来いよ。怪我しても安心だな、お前には聖女が居るんだから」
つい口から飛び出てしまった言葉。特に意味はない煽り文句。
しかし、ヒロにとってはそうではなかったようだ。
「お前ぇ...ッ!!」
はち切れんばかりの憤怒、それは形を伴って俺に迫った。
全力で横に飛び退く。数瞬も間を置かずして、俺が今居た場所に魔術が通過する。冷や汗が額を濡らす。今の魔術には、間違いなく殺傷能力があった。
俺を本気で殺す気だ。
あぁ、上等だよ。俺がお前を殺してやる。
「ッ――シイィィ!!」
獣の様な低姿勢からの突き。被弾面積を最小限に、それでいて最速の一撃。当然見逃すわけがなく、教室を掛ける俺目掛けて魔術が飛んでくる。
――遅い。
俺の速さを計り違えたな。首を少し傾げるだけで大部分は回避できた。だがその全てを避けれた訳では無かった。風の刃の端が、俺の頬を切り裂く。
構わずに走る。ヒロは直ぐそこだった。
魔術のレンジではない。この距離は俺の独壇場っ!
「らアアァッ!」
突きの一閃、俺にとって最速の攻撃手段。
狙うは胸、低姿勢からカチ上げる様に突き刺す。
「っ、チィッ!」
――いなされた。ヒロの構えた剣で、軌道を逸らされた。
上の方に弾かれた俺の剣は、ヤツの肩を掠っただけに終わった。
「こんの...っ!」
姿勢が崩れた両者。先に立ち直ったのは、俺よりも安定した防御の姿勢を取っていたヒロだった。繰り出されるは蹴り技、左腕で防ぐも再び体勢を崩される。
そして、そこに魔術を叩き込まれる。
それは無詠唱ではなかった。
「【風神の息吹!】」
――あぁ、失敗した。
あの大技、省略詠唱できんのかよ。
己の短慮さに悪態を付きながら、何とか耐えようと後方へ飛び退く。これで衝撃を少しでも軽減できたら御の字。出来なければ敗北。
「ぐ、うぅッ...!」
タイミングは合っていた。それでも尚消しきれぬ巨大な衝撃。質量その物が俺を押し潰さんとしていた。
だが、ここは教室という狭いフィールドであった。
「ガッ...!」
背中と壁が衝突した。背骨が折れたのではないかと思うほどの激痛、肺の空気が全て押し出された。しかしそれだけでは済まず、勢いのまま後頭部を壁にぶつける。視界に火花が散り、明滅を繰り返す。
平衡感覚を失った。酷い頭痛と吐き気もする。
正直、今すぐにでも意識を失いそうだった。
それでも何とか顔を上げると――そこには、剣を振り上げた状態のヒロがいた。目と目が合う。殺気を迸らせ、自制などとうに無いとばかりに一色に染まった目。
壁を背にもたれる俺に、ヒロは迷わず剣を振るった。
(不味い...ッ!)
直感で悟る。もうこの剣は避けられない。
本能のまま、俺は左手を顔の横に掲げた。そんな物で、鋭い剣を防げるわけがないと言うのに。
衝撃。しかし、それは予想していたより遥かに小さかった。
全身を駆け巡る嫌な予感。左手、肘の先に走る熱。
見れば、そこには綺麗に切断された腕があった。
あぁ、そんな。
俺の左腕が、無い。切り落とされた。
「...う、あ、あぁ、アァァァア゛ア゛!」
脳みそが焼き切れるかのような痛みと、体の一部を欠損した時にしか生じないであろう、己を押しつぶすような喪失感。
そしてそれは、自分がもう、剣を振れないことを意味していた。
走馬灯の様に、色んな情景が脳裏を過る。
初めて剣を振るった日。少し嬉しそうな親父の微笑み、母親の心配そうな表情。
泥だらけになりながら、無我夢中に剣を振ったあの日。血だな、と言う父、俺を叱る母。
ウィリアムに勝ったあの日。悔しそうな、それでいて何処か誇らしげな顔をしたアイツの顔。
10歳の誕生日、父から剣を貰った時。
その全てが、今無に帰した。
よくも。よくも―――ッ!!
「ア゛ア゛アァァぁァあッッ!!」
全てを塗りつぶすような怒りのまま、右手の剣でヤツの首を断とうとする。
だが、一歩目。立ち上がる事もまともに出来ずに、俺は足を滑らせた。
簡単な事だ。左手を失って、重心がズレたんだ。
こんな状態で、剣など振るえる物か。
「自業自得だ」
冷めた目のヒロ。とどめの様に、俺の頭目掛けて蹴りを入れた。
最後に見たのは、止めどなく溢れる己の血と、教室の床に転がる左腕だった。
〇
そこから先の事は、よく覚えていない。
悪い夢のような、そんな感覚だけが脳を支配していた。
親父の声も聞こえた。ラウラの声も聞こえた。ウィリアムの声も聞こえた。だけど、皆何を言っているのかは分からなかった。
その時もぼんやりとしていると、初めて意味を成す言葉が耳に突き刺さった。
「罪人、ライト・スペンサーには監獄島への追放を言い渡す」
この日、俺は罪人になった。
罪状は強姦。それだけではこうはならなかっただろう。俺は剣聖の息子だから。だけど、俺が助けたあの女性、見覚えがあると思ったら。
「その犯行は非常に卑劣です。神の申し子である聖女に汚らわしい欲望をぶつけたのだ。死刑にしなかっただけマシと思いなさい」
あれは聖女だったらしい。だからあの時、ヒロはあんなに怒りを露わにしていたのか。妙に納得がいった。
事の顛末はこうだ。
攫われ強姦された聖女。その犯人を俺と勘違いした彼女は、あの後町を歩いていたヒロに保護された。そして彼女の口から告げられる下劣な物語。
それを聞いたヒロが、あのような事をしたのだ。
平民が剣聖の息子の腕を切った。本来なら許されないその事についても、背後に居た聖教会の圧力でなかった事にされた。
そして行われた調査の結果もまた最悪。
元々劣等感を抱いていた俺がヒロにボコされ、しばらく学園に来ないでスラム街でよく出没。
そして今までとは大きく変わった謎の戦い方――学園関係者の中に犯罪者であるエルの事を知っている人物がいて、その人物が俺の戦い方を見て疑問に思ったらしい――で再びヒロに挑むも敗北。
そしてその日にヒロと仲のいい女性がスラムで襲われた。俺もその時スラムにいた。
俺にスラムに居た理由を聞くも、「言えない」の一点張り。
...自分で言うのも何だが、確かに怪し過ぎる。
恩を仇で返された、という事だ。あんな女助けなきゃ良かった。
手段を選ばずに、ただひたすらに強さを求めた結果がこれか。
「ははっ。皮肉だなぁ」
俺は裁判場にいる多くの人間が侮蔑と軽蔑の籠った目で俺を見ているのを感じながら、虚ろな目でそう呟くのだった。
地位も名誉も、そして何よりも努力してきた剣さえも奪われた。
剣。己の全て。
夢、アイデンティティ、自己、全ての努力は剣が為、時間と血と労力の全てを注ぎ込んだ、文字通り俺の全て。
それを、奪われた。
もう、俺には何も残っていなかった。
...あぁ、いや。そんな事はなかった。
この胸を焼く怒りは、憤怒は、復讐心は。決して、消える事はないだろう。
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