第15話
4日目、5日目、日を重ねるにつれて歩く距離はどんどん伸びていき、6日目にはついに火門の目の前まで来た。
そして7日目、私は誰もいない通学路でため息をついていた。夢の中まで校内に足を踏み入れなくてはならないのか、同級生や教師がいないとしても気が重かった。
火門の少し先にある警備室にもやはり誰もいない。学生証も用意せずにそのまま門を潜ろうとすると、遠くから何か音が聞こえた。足を止めて音の方向を振り返ると、一台の車がこちらに向かってくるのが見えた。こちらに近づくにつれて朝日を反射させる紺色の車体が徐々に鮮明になり、その車はちょうど私の目の前で止まった。それは、生徒は多くが寮住まいか自家用車での通学のため、朝夕に一度ずつしか運行しない学生バスだった。
バスの後部ドアが開き、私は何の疑問も持たずに搭乗した。座席にも運転席にも誰もいない。それでも後部座席に座ったあとに乗車ドアが閉じ、バスは動き出した。
「その時は学校に入らなくていいんだと思ってほっとしたの。バスは20分くらいかな、東の方向へ向かっていた。なにせ他に1台も走っていないから、それなりの距離を走ったと思う」
バスは他に車が走っていないにも関わらず、赤信号の度に律儀に止まった。
私は窓から改めて人っ子一人いない寂しい街の景色を眺めながらふと思った。この誰もいない世界は心の奥底に眠る願望を反映したものではないだろうかと。世の中には廃墟に安らぎを感じる風変わりな人間がいるらしいが、自分もその類いなのかもしれない。
「バスは見たことのない住宅街で止まったの。おそらく加賀谷市内だとは思うけれど」
その日は住宅街を降りたところで夢が醒めた。夢から覚めた時、私は一転してこの訳の分からない展開にほとんどパニック状態だった。予想と違い、夢が思わぬ方向に進んでいるからだ。あの住宅街の先には一体何が待ち受けているのだろう。これなら学校に足を踏み入れるほうがまだましだった。
その日、私は夢を先に進ませないためにも眠らずにやり過ごそうと決心した。女の子1人で外を出歩くのはやはり怖かったので、自分の部屋でできることを色々試みた。ポットいっぱいの濃いコーヒーと大量のガムを用意し、ベッドを壁に立て、ウォークマンで大音量の音楽を再生した。でも全部無駄に終わった。午後8時ごろになると耐えきれないほどの眠気が襲ってきて、ヘッドフォンが耳からずり落ちると同時に床に突っ伏したところまでは覚えている。コーヒーもガムも口に入れるチャンスさえなかった。
8日目、やはり同じ夢を見た。そしてバスに乗り込み、あの住宅街で降りた。ここが西日本の地方都市だと言われても気付けないくらい、日本中どこでもある平凡な住宅街だった。
私は何かに導かれるように歩き始め、数分後に迷うことなくある家の前に立ち止まった。その昭和に建てられたであろう古臭いデザインの一軒家は、庭は荒れ放題で家自体もまるで廃墟のようだったけれど、門の前には「売物件」の看板が立てられていた。一応は不動産会社の管理下にあるみたいだった。
当たり前だけれど、門の前にあるチャイムを押しても何の反応もない。勝手に門をくぐって大丈夫だろうか。人がいない世界とはいえ見知らぬ人の家に勝手に足を踏み入れることに一瞬躊躇したけど、もう一方ではここで何かを探さなくてはならないという強い気持ちが湧き上がった。
セミクローズドタイプの門扉を開き、玄関前まで歩いてノブを回したけどやはり鍵が掛かっていた。窓もすべて鍵が掛かっており、仕方がないので家の外を探索することにした。
まずは玄関前にある草が伸び放題の庭を隈なく探した。数十分後、かつて花が植えられていたであろうレンガで囲われた花壇跡の草を掻きわけると、泥だらけの小さな物体が目に留まった。
それは子供が身につけるような茶トラ猫のデザインのブローチだった。100円ショップにあるような素材で作られてはいるが、その手作りの可愛らしいデザインにどこか心惹かれるものを感じた。でも探していたのがこれなのか確信はなかった。前庭で探すべきところはもうない。私はブローチをポケットに入れ、今度は裏手の庭を見に行くことにした。
狭苦しい側面の犬走りを何とかして通り抜けると、大きな柿の木と物置が見えた。そのまま数歩進むとそれなりの広さの裏庭に出た。奥になにやら妙な物がある。私はそれに近づいたが、それが何か分かり派手に後ろにのけぞってしまった。
それは白髪の小柄な人間が椅子に座っている光景だった。
「思わず声を上げちゃったよ」
私はその瞬間をありありと思い出し、思わず身を縮こませる。
「だって廃墟のような一軒家の裏手に動かない人の姿だもの。死んでいるのかと思った」
私は走って犬走りの壁に隠れたけど、すぐに落ち着きを取り戻した。そしてそっと顔をだして改めて裏庭を確認した。その子供は庭に置かれた椅子にきちんと座ったまま微動だにしない。
私は自分自身にこう言い聞かせた、落ち着け、相手は子供じゃない。それに夢の中とはいえ独りぼっちの子供を放っておくことなどできなかった。私は壁からゆっくりと身を出してそろりそろりと近づき、1メートルほどのところまで来た。そしてまた体を震わせた。それは生身の子供ではなく人形だった。白髪の市松人形が、この背もたれのついた木製のカウンターチェアに座っていたのだ。
「市松人形は怪談の題材でよく使われるけど、一人きりで見るものじゃないね」
その病的なまでに白い顔と白い髪が日射しを浴びた姿は、日本人形に独特の不吉な雰囲気もありどことなく不気味だった。しかしその太くて艶のある白髪にはつい見惚れてしまった。白髪を美しいと思うのは初めてのことかもしれない。
それにしてもこんなに大きな市松人形は見たことがなかった。今まで見た市松人形はどんなに大きくても100cm程度だった。しかし目の前のものはそれよりも頭1つ分以上はありそうだ。
人形は淡い朱色で彩られた可愛らしい和紋様の着物を着て、着物には庭に落ちていたものと色違いの、灰猫のブローチが付けられていた。人形の橙色がかった瞳は、当たり前だが前方一点を向いたまま動かなかった。私は恐怖を感じる一方で、その白く輝く綺麗な髪を触りたいと思った。
カラスの鳴き声が聞こえ、また体を震わせたが、覚悟を決めてゆっくりと近づいて、手を伸ばせば届くほどの距離まで近づいた。そして白い髪に触れる直前、後ろから急に腕を引っ張られた。
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