第7話

「もうこれ以上ヒナタを困らせたくない」

「その台詞に困るだろうが」

「拗ねて言っているんじゃないよ、ヒナタには自分の人生を生きてほしいの」


 そう言いミツキは無理やり笑顔を作った。やはり今日のこいつは変だ。思い当たる節は一つしかなかった。無理もない、あの出来事は僕ですら未だ後味の悪さを引きずっているのだ。僕は大きく咳払いをした。


「ミツキ、こっち向いて」

「ん?」


 俯いていたミツキがこちらを向き、鼻頭に僕の指が突き刺さる。


「ばーか」

「な、なんだよ!人が真面目に話しているのに!」

「あのさ、勘違いしているようだけど、別にお前のためじゃないからな」

「え?」

「俺は家から北高までの道を歩くのが好きなんだ。」


 僕は頭の後ろに手を組み夏の青空を見上げた。ソフトクリームのような雲が太陽を遮り、鮮やか過ぎる風景は少しだけ落ち着きを取り戻した。


「季節ごとに移り替わる景色を背景にしたお寺を見ながらとかさ、春には花びらで地面が敷き詰められるこの通学路も好きだ。ガヤ高は街中にあるだろ?毎日バスに揺られて人込みの中を通学するなんて冗談じゃないよ」

「じじ臭い……」

「やかましい。だから北高を選んだのは完全に俺のエゴだ。教師共は随分がっかりしたようだがな、自分の人生は自分が決める。だいたい何が悲しくて3年間勉強漬けの男子校に通わなきゃならないんだ?そしたらお前も勝手に北高を受けてよ」

「ごめん……」


 ミツキは申し訳なさそうに上目遣いに見上げてきた。


「北高では俺は相変わらず成績優秀者だ。ガヤ高だったら多分落ちこぼれていたよ。鶏口牛後とはよく言ったもんだ。俺は北高に入学したおかげで毎日この上なく充実してるんだ」

「うん……」

「あとな、お前との登下校の時間は水や空気と同じだ。もちろん家での生活もな。当たり前にあるものって、実はないと困るものなんだよな。俺は変わることのない平凡な日常こそが最高の人生だと思っている。昔のあるフランス人は言った。平凡なことを毎日平凡な気持ちで実行することが、すなわち非凡なのである、とな」

「その格言ってそういう意味なの?」

「とにかく総合的な見地から、北高以外の選択肢はあり得なかった。だからミツキが気に病むのはお門違いもいいところだ」


 ミツキは少し沈黙した後、嬉しそうな、申し訳なさそうな、照れくさそうな、いろいろな感情が混ざった表情でクスクス笑った。


「そういうことにしといてあげる」


 我ながら臭い上に嘘臭いセリフばかり吐いているな。臭い食い物は嫌いじゃないが、こういうセリフは本当に苦手だ。夏の暑さに頭をやられたかな。


 ただ、彼氏を作ってほしいという思いは掛け値なしの本音だった。彼氏じゃなくたっていい、友達でもいい。小学校時代から、いや、生まれてこのかた一人ぼっちだったミツキ。中学1年生の時には一時期いじめにもあった。高校生になり、周囲も恋愛やら進路やらで他人に構う暇もなくなったためか、彼女は中学時代よりずっと静かな生活を送れるようになったけど、一人ぼっちであることに変わりはない。そのことを本人は全く気にしていないようだが、少なくとも僕には本当に暗い青春に見える。


「おまけにあの仕事だしな。呪われた人生としか思えない」

「え?なに?」


 いかんいかん、つい独り言が。


「いや、なんでも」


 僕は双子の弟だが、気持ちの上では親を気取っている。ガヤ高を蹴って北高に進学した本当の理由はもちろんミツキを一人にはしておけないと考えたからだ。その結果、双子そろって平凡極まりない生徒が集まるパッとしない公立高校に進み、今も中学時代とあまり変わらない生活を送っているのだが。もちろんミツキが幸せだというならこのままでも……いやよくない。幸せとはこういうものだ。そして僕はいつものようにミツキのウエディングドレス姿を妄想し始めた(他人から指摘されて初めて気付いたが、妄想をしている時の僕は決まって腕組みをし目を瞑るそうだ)。


◇◇◇

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