第6話
「そうなんだ……」
洗いざらい話した後、ミツキは寂しそうに笑った。あれ?今日の反応はいつもと違うぞ?いつもだったら
「今日はご飯、全部ヒナタが作って」
とか(それを言われる度に「毎日俺が作ってるんだけど」というツッコミも忘れない)
「別にいい、わたしは寂しく一人で生きるから」
とか(この婆さんみたいな台詞は少し可愛いと思う)不貞腐れた顔で言うのに。そして「何回目だよ」と毎回うんざりしながら、夕食にミツキの大好きなキンピラを作って機嫌を直してもらうのに。
「今日はどうした、なんでそんな慎み深いんだ」
僕は首をぼりぼりと掻いた。ミツキは相変わらず下を向いたままだ。
「今までごめん……」
「は?」
「私のせいでヒナタの人生が台無しになっている」
一体今日はどうしたというのだ。そういえば日曜日から様子がおかしかったな。
「どうしたんだよ?また変なもんでも食ったのか?もう食中毒は勘弁してくれよな」
ミツキは神妙な面持ちでこちらに顔を向けた。冗談を言うタイミングではなかったようだ。
「私のせいでガヤ高にも行けなかった」
僕は呆れたように笑った。
「まーたその話か」
中学時代の僕は学校の勉強が好きな訳ではなかったが、総合成績は常に5位以内だった。学校にいる時間と教科書代を無駄にすまいと生来の貧乏性を発揮して授業に集中し、予習・復習も欠かさなかったためだ。教師たちは男子校の進学校である県立加賀谷高校、通称ガヤ高への進学を強く勧め、僕も周囲には何も言わなかったもののまんざらではなかった。そしてある日、あと数年で引退する担任の田口春夫が格差社会が子供の学歴にまで及んでいるというニュースを引き合いに出し、ミツキのクラスで長々と僕の話をしたらしい。要約するとこうだ。
「2組のヒナタ君は塾にも行かず、学校の授業だけで常に成績上位です。毎年東大生を輩出する加賀谷高校にも問題なく進学できるでしょう。塾に通っている生徒も多いようですが、授業内容をしっかり学べばちゃんと結果が出るのです。昨今は格差社会が叫ばれていますが、勉強はお金をかければいいというものではありません。学校の勉強で重要なのは学んだことをしっかりと予習・復習すること。彼が良い見本です。分からないことがあれば先生たちに聞きにきてください」
ミツキはその話を聞いた日から情緒不安定になった。ミツキも成績は良かったが(地頭は僕よりも遥かに良い)、どんなに頑張っても男子校へは通えない。そのうち旺盛な食欲が消え失せ、ほとんど何も喉に通らなくなり、ついには授業中にも泣き出すようになった(教師たちはその都度保健室に行かせた)。仕舞には不登校になってしまい、訳が分からず何度も事情を聞いたがミツキは何も答えてくれなかった。そして僕もその日から学校を休んだ。
その日、僕は引きこもるミツキの部屋の前で座り込みを開始した。朝食を乗せたお盆を床に置いて、鍵のかかった部屋の前で大声で叫んだ。
「お前が飯を食うまでは俺も学校に行かないからな」
1日目、2日目、僕がドアの前にいる間は一切出てこようとしなかったが、家事のために部屋を離れている間にすっかり冷めた料理を食べていたようで、部屋の前に戻ったら盆の食べ物が半分ほどに減っていた。3日目の昼、ようやく観念したのかゆっくりとドアが開いた。少し頬のこけたミツキがドア越しに顔を半分覗かせ、泣き腫らして真っ赤になった目で僕を見つめた。心なしか僕に対して怒っているように見えた。そして俯きながら不機嫌そうに呟いた。
「私なんかのために休まなくていいよ」
僕はその言葉を無視して盆を持ち、部屋に入った。寝間着を着ているミツキはそのままベッドに突っ伏し、こちらを見ようともしなかった。僕はすっかり冷めたコロッケ定食を勉強机に置いた。
「学校になんか行かなくていい、教育を受ける機会は他にいくらでもあるからな。でもな、残飯処理をする俺の身になってみろ。ぶくぶく太っちまったじゃねーか。言いたくないなら何も言わなくていいが、頼むから飯だけは食べてくれよ」
ミツキは枕に顔を埋めたまま力なく言った。
「私、ヒナタと離れ離れになっちゃう」
その後、僕は進学先を共学の北高に決めた。教師一同は驚き必死に説得したが決意は変わらなかった。田口に理由を問われ、「歩いて行ける距離だから」と答えた時、この温厚な教師に本気で怒鳴られた。田口が弟を説得するようミツキを職員室に呼び出したこともあった。ミツキは僕に北高を選んだ理由を一切聞いてこなかったが、弟の将来を潰してしまったと未だに責任を感じ続けているみたいなのだ。
◇◇◇
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