第3話

「うおっ!」


 溝口の目の前には長い黒髪をたなびかせた女子生徒がいた。少女と目があった溝口は顔を紅らめすぐに視線を外した。少女も少し驚いたらしく目を見開いていたが、すぐに僕の方を見た。三人組も一斉にこちらを向く。ばつが悪いという言葉はこういう時に使うんだろうな。


「まあそういう訳で……」

「ヒナタ、早く帰ろう」


 まるで目の前の3人が存在しないかのように、ミツキは僕の手を強引に掴んで教室を出た。急に引っ張られた僕はそのまま転びそうになり、教室からクスクスと笑い声が聞こえてきた。恩田と泉は笑っていないようだが……。僕は手を振りほどきボソボソと言う。


「恥ずかしいからやめろよミツキ」

「恥ずかしい?何で?」


 ミツキはキョトンとした顔で僕を見つめる。ため息をつくしかない。ミツキが”ほら急いで”という視線を投げかけ、速足で廊下を歩き始めた。僕も慌てて付いていく。ミツキが何度もこっちを振り返り、大声で叫ぶ。


「速く!」

「へいへい」


 ミツキの廊下を歩くスピードはかなり速いため、追いつくにも一苦労だ。前方でたむろする二人組の男子がミツキの姿をチラチラと見ていたが、ミツキは気付いていないのか無反応だ。通り過ぎる際に長い髪がその一人の顔にふわっとかかり、男子生徒は顔を真っ赤にして下を向いた。


◇◇◇


 下駄箱に到着したが誰もいない。僕は1組、ミツキは2組なのでちょうどお互いのクラスの下駄箱が向かい合っており、僕たちは隣り合って下駄箱から靴を取り出した。ミツキが下駄箱の扉を開くと2通の封筒がひらりと地面に落ちる。一つはチョコレート色でもう一方は薄いピンクだ。封筒にはなにも書かれていないが中身は見るまでもなかった。ミツキの足元に落ちたラブレターを見た僕は小声でぼやく。


「彼氏でも作ったらどうなんだよ」


 ミツキはその質問を無視し、下駄箱に入っていたラブレター1通と床に落ちた2通をまとめてカバンにしまい込み、靴を取り出して履き替えた。この思いの丈を込めた手紙は封が開けられることもなく、紙の日にチラシや牛乳パックと一緒にごみ収集所に出される運命だ。靴を履き終わったミツキは、不機嫌そうにではあるがようやく口を開く。


「彼氏?なんで?」

「そりゃあ、年頃の女の子らしく青春の思い出を作るためだよ。彼氏と肩を並べて通学路の並木道を一緒に帰宅したり、デートしたり……」

「馬鹿みたい、そんなもの要らない」


 取り付く島もない。


「なんつーかさ、俺たちもう高校生だし兄弟でずっと一緒に帰るのも変じゃん」

「変?何が変なの?」

「お前を心配しているんだぞ。だいたいラブレター、この学校だけでいくつもらったよ。35通だ。もちろん同じ奴が何度も出しているのかもしれないけどさ。外でもらったのを合わせると軽く50通は超えてるぞ。この4ヶ月足らずでだ」

「だから?」

「30年前ならいざ知らず、今時ラブレターを出すのって勇気がいるんだぞ。少しはそいつらの気持ちを考えて一度くらい中身を見てあげたらどうなんだよ」


 ミツキがきっとした目つきで睨んでくる。


「そいつらが勝手に渡してくるだけ。なんで私がそいつらの気持ちを考えなくちゃならないの?」

「お前に青春の思い出を作ってほしいんだよ。高校生活は一度きりだ。歳食ってからじゃ遅いんだぞ」


 そう言いながら、僕はすぐ近くから僅かに感じる人の気配が気になって仕方なかった。誰かは考えるまでもない。


 下駄箱前の廊下の壁にこっそり隠れているつもりの三人組が僕たちのやりとりに聞き耳を立てているのだ。三人は一瞬だけ廊下から顔を出して、すぐに引っ込める行為を繰り返した。まるでモグラたたきゲームのようだ。村井のひそひそ声が聞こえてくる。三人は努めて小声で話してるようだが、生憎僕は地獄耳なのだ。


「ミツキちゃん、やっぱり綺麗だなあ……」

「のう……」


 川瀬はあのゴツゴツした顔を赤らめているのだろう。溝口が不思議そうに言う。


「しっかしあの二人、双子なのに似ていないし性格も全然違うよな。凹凸コンビというか」


 凸凹コンビ。そう、僕はミツキの人を寄せ付けない雰囲気とは対極の性格をしている。早い話、僕は割と誰とでもうまくやれるほうなのだ。対するミツキはその愛想の欠片もない性格のため、その圧倒的な、他人を恐れされるような美貌も相まって同級生が話しかけることに気後れしてしまい、友達はいまだに一人もいない。冷たい性格と噂されているようだがそれは大変な誤解で、他者とのコミュニケーションが極端に苦手なうえに人嫌いなだけなのだが(人付き合いが下手だから人嫌いなのかもしれない)。当然学校で話す人間は僕一人しかいない。


 村井が何故か弁解するような調子で言った。


「二卵性双生児でしょ?普通の兄弟と同じだよ。僕の姉貴だって所謂ギャルだし全然似てないもの」

「お前の姉ちゃん、絶対俺らのこと馬鹿にしてるよな」

「うん、間違いない……」


 村井の家には僕も行ったことがある。部屋から偶然出てきたド派手なネイルの村井沙良が見せた、あの容赦なく男をジャッジする視線を溝口は忘れることができないのだろう。


 川瀬のいがぐり頭が今や半分壁からはみ出している。あのゴリラのような顔が一部分だけだけ見える絵はかなり怖い。こいつの左目にはもうミツキしか映っていないようだ。


「ミツキちゃんは変わりすぎなんじゃ。せっかく可愛いのにあの性格はもったいないのお」

「ばっかお前、あの性格だから尚更そそられるんじゃねーか。そりゃ愛想はないけど裏表がなくて純粋な感じがいいんだよ。泉と恩田を見てみろよ、清楚さの欠片もねえ」


 川瀬は憤懣やるかたないといった調子で、はみ出たバカでかい頭を小刻みに震わせる。


「ヒナタの野郎、いつもいつもミツキちゃんを独り占めしやがって。二学期が始まったら軍法会議にかけてやるわい」


 軍法会議ってなんだ。こいつの大時代的な言動にはしょっちゅう混乱させられる。


「そんなことしても余計惨めになるだよ」


 村井が川瀬をたしなめる。こいつの正常な思考回路に何度助けられたことか。アホをそのまま性格にした溝口と、脳みそが筋肉でできている川瀬、オタクだが良識のある村井。3人寄っても文殊の知恵は出ないようだが、このまるで性格の違うトリオは絶妙にバランスが取れている。


「まあ俺にはミツキちゃんがヒナタを独り占めにしているように見えるけどな。それより混んじまう前に早くバッティングセンターに行こうぜ!」


 溝口に急かされバッグを勢いよく肩にかけた三人衆は下駄箱に向かって元気よく走りだそうとして、重なり合うように下駄箱の床に転んでしまった。その光景をミツキはきょとんとした顔で見下ろしている。川瀬は慌ててすぐに立ち上がり、制服からごみを払う仕草をした後に直立の姿勢になった。村井は倒れた際に眼鏡が外れたようだ。

 ミツキは下駄箱の端に落ちていた眼鏡を拾い上げ、村井の目の前に押し付けるかのように無言で手渡そうとする。


「あ、ありがとう」


 極端に視力が悪くて近くの距離でもぼやけるはずの村井だが、それでも腕一本分しか距離のないミツキの眼をまともに見ようともせず、慌ててミツキの手から眼鏡を取り装着した。今度は眼鏡越しにはっきりと映るミツキが視界に入ったようで、耳から首の付け根まで真っ赤にした顔をそむけた。川瀬も右に同じで、どうやら猫背で後頭部に手を当てながらへらへらする溝口だけがミツキに声を掛ける勇気があるようだった。


「えへへ、ミツキさん。いつもいつもお恥ずかしいところをお見せしちゃいまして……すぐに退散しますね!おら、二人ともさっさと行くぞ!」


 三人はミツキに一礼をした後にすぐに下駄箱から靴を取り出して、そのまま走り去っていった。やれやれまったく……。


◇◇◇

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