第8話

 家に戻ってからの未映子は、いろんな感情を押し殺して過ごしていた。


 狩野が調べてくれているはずだという安心感と、裕真が何かボロを出してくれないかという希望で、未映子の心はいっぱいだった。


 怪訝な顔で未映子を見ていた裕真だったが、昨日の自分の失態を隠すかのように、今日の裕真は優しかった。


 話す事も思いつかないので、未映子は何気に今日街で見た女の話をしてみた。


 自分に瓜二つの女がいたと。


 裕真が持っていたコーヒーカップを床に落とした。動揺しているように未映子には見えた。


 やはり何か裏があるのか。狩野の読みはあたっているのか。この男が母を殺したのか。


 「あなたが倒れている私を発見したって聞いたんだけど」


「そ、そうだけど」


「あのマンションで二人で暮らしていたの?」


「そうだよ」


「何かおかしい事はなかった?」


「おかしい事って?」


「不自然な事とか」


「特に気付かなかったけど」


 裕真は早く話を切り上げたいように見えた。


 ああ、モヤモヤする。私の記憶さえ戻ればと、未映子は記憶を呼び覚まそうとするのだが、またあのどーんどーんという音と共に、頭の痛みがやってくるだけだった。


 母の部屋で休んでいると、階下から話し声が聞こえてきた。


 未映子は音をたてないように、ドアをそーっと小さく開け、耳をすませてみた。


「もう少しの辛抱だから。明日弁護士が……」


 弁護士?今の話はいったい何なのだろう。裕真の声だった。誰と電話しているのだろう。


 未映子は明日の事を考えてみた。確か、明日は弁護士が来て、母の財産についての手続きが行われるはずだった。


 母の財産より記憶が欲しい。


 記憶を取り戻して、裕真と別れて、狩野の元に走っていきたい。未映子の心は、事態がぐちゃぐちゃになればなるほど、シンプルに狩野を求めた。


 裕真の電話の相手は誰なんだろう。


 今日のあの女は誰だったのだろう。




「あんたなんて生みたくなかったんだよ」


 血塗れの顔で母が未映子に言った。未映子は泣きながら必死で謝っていた。


「ごめんなさい。生まれてきてごめんなさい」


 母は煙草に火をつけて、未映子の顔に煙を吐きかけた。


「じゃあこの家から出てってよ」


 まだ吸い始めたばかりの煙草を、ガラスの灰皿に擦り付けながら、母は未映子を睨みつけた。


 血塗れだと思った母の顔は、赤い頬紅と赤い口紅が塗りたくられたケバケバしい顔だった。


「あんたには一銭のお金もやんないよ」


「別に私は」


「わかってんだよ。あたしのお金狙ってんだろ」


「お金なんていらない」


「あたしが死ぬのを待ってんだろ」


「そんな」


「子供なんて生みたくなかった」


「でもあなたが私を生んだ」


「生んだから何だっていうんだよ。誰も彼もが、自分の生んだ子供を愛せるなんて思わないでよね」


 何がおかしいのか、突然大声で笑い出した母の声を引き金に、未映子は咄嗟にガラスの灰皿を掴んでいた。


 その瞬間、母の赤い唇が裂けるのではないかと思うぐらい横に広がった。


「あんたは人殺しなんだよ」



 (つづく)


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