第9話 一変した世界
……いつまでも、ここにいるわけにもいかないわ。だんだん、暗くなってきたし。何があるかわからないもの。
その場で立ち上がり、体を右に左にと捻る。柔らかいその体は、なんなく動かせそうである。体を伸ばそうとのびをしようとして、短い腕を上げて万歳になってしまったことはご愛嬌。誰も見ていないと苦笑いで済ませた。
……誰にも見られていなくてよかった。こんな恥ずかしいところ。それにしても、さすがに、この手足は、すごく短いわね?
前に突き出し、腕の長さを確認した。突き出したはずの手がものすごく近くに感じる。その状態で下を見たら、足も手と同じように薄いピンクなのだろう。つま先がちょこっと見えるだけだ。
試しに歩き始めるが、二足歩行では思ったとおり、うまく歩けない。一歩足を出しただけで、よろけてドレスにつっぷしてしまい、起き上がるために足をバタバタとさせる羽目になった。
……二足歩行は、無理。足の形状からして、きっと、向いていないのね……? だとすると……四つ脚での移動になるかしら? ……こう?
両手を地面についてみた。先ほどまでうまく歩ける気がしなかったが、とても安定しているように感じ、これなら走れるのではないかと思えた。
さっきまで着ていたドレスの真ん中をちょろちょろと走り回る。
試行錯誤して、身近にいる猫のイメージをしながら地面に手をついてみると大丈夫そうだ。
……二足では歩けなかったけど、幸い、四つ脚でなら何とかなるかな。四つ脚で移動できるなら、困らないかしら?
歩く練習、走る練習を一通りして、コツのようなものがわかったところで、ここから出発することに。
ドレスに囲われた小さな塀をよじよじと登り、乗り越える。今まで感じたことのないものをお尻に感じながら……。
しばらく駆けていくと、石畳に水たまりができていた。昼前に降った通り雨は、完全に蒸発しなかったらしい。
目を手で隠し、水たまりをおそるおそる指の隙間から覗き込む。そこには、もちろん人間としての姿ではなく、赤い目をした白い毛のネズミの姿が映っていた。
……ネズミ? 今の私、ネズミになってしまいましたの?
驚愕した。体の様子から、小さな生き物になったであろうことはわかっていたが、まさか、図鑑でしか見たことがないネズミになっていたとは思いもよらなかった。
……どうしたら、元の人間に戻れるのかしら? 私、ネズミのままで生涯を終えることになるのでしょうか? そうすると、どれくらい生きられるの?
次々と湧いてくる疑問にも、答えをくれる誰かがいるわけでもなく、途方にくれる。水たまりの中の私の姿をじっと見つめ、どうしたらいいのかもわからず、この先のこともわからず、不安から小刻みに震えている。
……お父様、お母様、……アンダルト様。私、どうしたらいいですか? どうすれば……!
そのとき、水たまりに波紋が広がっていく。途方にくれた私から涙が流れたかと思った。
手を顔に持っていっても頬を伝うものはなく私からではない。見上げると、植物の葉から雫が落ちたようで、覗き込んでいた私の顔が波打ったようだ。
いつの間にか夜になったようで、朔月だったらしく月明かりもなく、暗闇に星が瞬いているだけ。不安から私を助けてくれそうな両親と頼りにならなさそうなアンダルトが頭に浮かんだ。
アンダルトに期待はしていなくても、数ヶ月後には婚姻となる。長年連れ添ってきたのだから、咄嗟に思い浮かんだのだろう。こんなことになった今、頭を横に振りアンダルトを追い出し、両親のことだけを思い浮かべた。
……屋敷に、屋敷に帰らないと……! お父様もお母様も私の帰りを今か今かと待っていてくださるわ!
待ってくれている人を想い、不安でいっぱいの胸の中を隠すように自身を奮い立たせた。
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