炎天

 事件は中学に上がったその年の夏に起きた。

 別の小学校と合流して、園田くんと私のクラスは分かれた。その頃には私は彼について多くのことを教えてもらっていた。他の人よりも水をたくさん飲まなければならないこと、光合成のエネルギーだけでは動き回るほどの元気はまかなえないこと、直射日光に当たりすぎると肌が硬化してしまうこと。運動は得意だが身体的な制約も多いので、得意のサッカーもチームに所属するのは控えていた。試合に出れば活躍できただろうに、当時はまだルールが追いついていなかったのだ。

 背も手足もすらりとのびて私よりもひとまわり大きくなった姿に、青くみずみずしい枝を連想した。

 新しい環境ではよい出会いも、望まぬ出会いもあった。

「水と光があれば生きられるって、やばくね」

「日に当てたらどんどんみどりになるらしいよ、ホラ、そこの葉っぱもそんなかんじじゃん」

「ウケる、あれ以上みどりになる?! まじ人じゃねえ」

 いわゆる素行不良のグループが、どう聞いても園田くんのことを指して笑っていた。なんの恨みがあるのか、勉強や運動ができたり、目立つ人を馬鹿にするのが趣味のような人たちで、大きな声で騒いでいるから嫌でも耳に入ってしまう。たまり場が階段そばだからまたよく響くのだ。そんな簡単なものじゃない、間違ってることだらけだと不快だったけれど、下手に指摘してひけらかしていると思われたくなかった。ので、いつも足早に通過した。何やら私のことも言っているようだったけれど、露骨に品のない言葉が耳をかすめて、以来できるだけ聞かないように努めた。

 今思えば、あのとき面倒でもしゃしゃり出ておけばよかったのかもしれない。

 しばらく経った日の昼休み、借りていた本を返そうと園田くんのクラスに行くと、彼の姿がなかった。クラスの子が言うには、前の時間もいなかったという。珍しいな、と思いつつ念のため保健室まで行ってみたもののやっぱりいなくて、メッセージを送ってみても返事はなかなかこなかった。学校に来れば会えるからとあまりマメに返信するタイプではないからと、ひとまずその日は様子を見ることにした。

 それがいけなかったのだ。

 翌日も、園田くんは学校にこなかった。代わりに彼の両親の姿を見かけて、一気に心がざわついた。

「そのだくん……葵くん、どうかしたんですか」

「ああ、咲ちゃん」

 振り返った表情の影で事態を察した。同世代の親にしては高齢のふたりは園田くんの里親で、会話は敬語だけれど仲がいいのは私もよく知っていた。目のしたの隈、血色は悪く、髪にも艶がない。きっと二人とも寝ていないのだ。

「咲ちゃんは、葵がどこにいるか知らないよね」

 声色ににじむ焦燥にことの深刻さを突きつけられながら、小さく首を振る。なにかよくないことが起きている。梅雨が明けて、日照りの続く時期。園田くんはどこでどうしているのだろう。不安が渦を巻いて、口から溢れ出しそうだった。


 その日の夕方、園田くんは学校の屋上でぐったりしているところを発見された。

 担架からはみ出した腕が、黒っぽくひび割れているのが見えた。何もできないのに、頭の中は「どうしよう」でいっぱいだった。救急車が見えなくなるまで見送って、見えなくなってからも立ち尽くして、下校中の野次馬のざわめきをどこか遠いところで聞いていた。

「やばくない?」

「やばいよね」

 声のしたほうに耳をそばだてる。人の話を聞く余裕などなかったのに、それだけはくっきりと聞こえた。

「いやだってあんな弱いと思わないじゃん」

「水も置いといたし」

「まじか、意味ねえ」

 今度こそ振り返った。案の定の顔ぶれがそこにいた。逃げられたくないのでまず手近な腕をつかんだ。びっくりするほど力が入って、これが怒りなんだと自覚した。

「あんたたちがやったの」

「え、なに、こわいんだけど」

「こわかったのはあんな目にあった園田くんのほうでしょうが。なにしたの。屋上に締め出したの。そもそも屋上って立入禁止だよね。ていうかこれ犯罪だからね。めちゃくちゃたくさん水飲まないと死ぬんだよ。日に当たりすぎると硬くなって動けなくなるんだよ。何にも知らないでしょ。知らないからあんなことできたんだよね。あんたたちのやったことは人殺しと一緒だよ。馬鹿だったら何でも許されると思ってるの。ほら、なんとか言ってみなさいよ。いつもギャーギャー騒いでるじゃない、ねえ!」

激昂するとつぶれたような声しか出ないことを知った。目の前の顔は揃ってばかみたいに口があいて、何ひとつ響いている気がしなかった。悔しくて、熱い涙が転がり落ちる。彼らは園田くんを同じ人間だと思っていない、だからこんなふざけた真似ができるのだ。無知は罪、悪ですらあると心底思い知った。

 つかんだ腕は頑として離さなかった。騒ぎを聞いて駆けつけた大人たちに、「この人達が園田くんを殺そうとしました」とだけ告げて、やっと突き放した。

 私の役目はここで終わり。あとは園田くんが無事に帰ってきてくれれば。ただそれだけを祈った。


 秋も深まった頃、園田くんが帰ってきた。

 無事に、とはいかなかった。ひび割れた肌はもとに戻らず、彼の生活にはさらなる制約が課せられた。それでも、並んで歩けるし話もできる。園田くんが園田くんのまま帰ってきてくれたことが、私はなによりも嬉しかった。ということをそのまま伝えたら、彼は耳までまっかになった。

「そこまで赤くなるとさすがにわかるね」

「そういうことは言わなくていいんだよ」

 例のグループの子たちが親に付き添われて謝罪にきたという。園田くんは終始無言を貫いたそうだ。

「終わらせてなんかやらないよ」

 彼は暗い目をして、静かにそう言った。皮膚の硬化は進行性のもので、少しでも遅らせるために頻繁な通院を強いられることとなった。私の不自由さなんて比にならない。みずみずしさの失われた、まるで樹皮のようにざらついた彼の手をとって、ただただ涙をこぼす。

「私、こういうスジっぽい手も好きだな」

「咲ちゃん枯れ専だったのか」

「カレセンってなに?」

 できることといったら、わざと的を外したことを言って場を和ませることくらい。不甲斐なくて嗚咽を繰り返していたら、園田くんののんびりした声が宙に浮かんだ。

「俺、いい友達もったなあ」

 私と同じ、ちょっとずらして和ませようとしてくれているのがわかったので、歯を食いしばって泣き止んだ。


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