第十一話 悪夢。


 あたしはたまに悪夢を見る。明晰夢に限りなく近い、実体験をもとにした悪夢だ。夢というよりは、追憶。一度経験した、その中でも特にひどく印象に残ったもの、あるいは、あたしの心の底に紐ついてしまった、劣悪極まった体験録。

 ふかふかした脳みそから芋づる式に這い出てくる化け物のフルコースは、時たまにこうして意識的暗黒下に現れるや、当時の幼いあたしに、今のちょっと大人になったあたしが、意識だけ反映された状態で記憶を追うことになる。

 まずもって、いい体験ではない。基本的に、失ったものを数えていくような実に無為なものだ。加えて直視したくないものばかり。目さえ覚めれば、すべて忘れる。忘れるまで、肉体に生じるわずかな感触までもを生々しく再現された世界の中で、ひたすらに向き合うことになる。

 だから、あたしはこれを悪夢と呼んでいた。

 あたしのこれまでの人生は、悪夢から地続きした結果の上で成り立っている。



 あたしの母は、あたしと同じ先天性白皮症を持っていた。人はこれを容易に病気と呼んでいたけれど、あたしはこれを個性だと思っている。確かに人より日差しに弱く、色味が薄く、視力も色彩感覚も並みと比べれば劣りはするものの、そのほかは健康的だ。あたしの白さをみて病弱そうだとか抜かすふざけた輩もこれまでにいたが、なんてことはない。血の気がないのと面の白さは全くの別物である。年に一度ほどしか風邪をひかんあたしをもって立証ができる。

 いうまでもないがあたしはこの個性がなにより好きだった。大本であるお母さんのことも大好きだった。お母さんは子供の目から見てもきれいだったし、横顔なんかは宝石のような凛々しさがあった。陽の光を浴びれなくとも、そこにあるだけ陽光が差し込んでいるかのような美しさがあった。そして優しく、彼女の持つ柔和な体温も大好きだった。

 お父さんに向ける愛情とはまた別の、あたしだけが浴びれる愛情。同じ個性を持つ、という点だけでもきっと、ほかの親子なんかよりずっと強いきずながあった気さえする。

 しかしこの個性を、奇異としてとらえるものがいる。好奇の視線は幼いころからずっと受けてきた。

 視線は、質量を伴わない攻撃だ。弾の要らない鉄砲である。空気ほど軽い引き金を引けば、忽ちに相手に着弾し、気のすむまで対象を滅多打ちに凝視することができる。好奇心を端となす、無意識的な凝視とくると、それは悪意がないだけ質が悪い。行う本人、悪気がないのだから、無邪気に人の心を削る結果となる。そういうものほど、後々は理解者面をして近寄ってくるものだった。

 見られる方は当然気づく。視線が刺さるから。だから幼いころから人の視線というのには過敏なほど察することができるようになっていた。なってしまった、ともいえるけれど。

 そんな気味の悪い環境の中で育ちながらも、あたしがこの個性を嫌えなかったのは、矢張り一重に、お母さんの存在がとっても大きかったに違いない。



 あたしは祖父母の顔というのを見たことがない。大葉さんによれば父方の祖父母はもうなくなっていると聞く。母方の祖父母はまだ存命なのだが、にしても、お母さんの面影を持つ、血のつながっていると確信できるあたたかな老夫妻を今までに一度だって見たことがなかった。

 悪夢の中でのあたしは、あるいは幼かった頃のあたしは、これを漠然と違和感としてとらえていた。事の発端は幼稚園の祖父母学級だった。教室には見ず知らずの人集りがあって、皺の浮いた手、曲がった腰に、少々古臭い服装の方々が、これまた眼球の所在が分からんほどによぼよぼの目元をさらにへの字に曲げて、あたしら園児を眺めている様子があった。まだ若く映る大人も何人かいた気がするけれど、結構な数は、よれたTシャツみたいなしわくちゃな人たちばかりである。

 あたしは、そんな人たちが、では何に関係しているのかがわからなかった。しきりにおじいちゃんおばあちゃんと先生が言ってたのだけれど、『それ』が何なのかしらなかったのだ。

 妙な話だがこの時初めて身内には枯れ枝のような人物があって然るものだとしった。あたしと祖父母の関係は、それまでに薄い。

 血のつながった他人というと聞こえは悪いけれど、実際のところ、あたしにとっては祖父母とは、共通点が同じ血液が使われているだけの、限りなく他人に近い関係性だっただろう。顔も知らぬものを相手に身内とは呼べない。

 木の枝が根っこを知らないとはおかしな話だけれど。



 そんな背景があるものだから、追憶の中のあたしは、お母さんにこう問うた。

 「おばあちゃんやおじいちゃんも、あたしたちとおんなじだったの?」

 お母さんは微妙な顔をして

 「おじいちゃんおばあちゃんは普通の人だよ。ただ、めんどくさいほど頭の固い人たちでさ」と、ちょっと悲しそうな物言いで語る。

 「あってみたいな」と子供らしく願望を口にすれば、お母さんは

 「いつか会えたらいいねえ」とほほ笑む。

 「ママはあいたくないの?」と聞くと

 「ママとおじいちゃんたちは喧嘩しちゃったからさ。なかなか会えないんだ、これが」と言い

 「会いたくないか、と言われたら、まあ。若菜には悪いけど、会えたとしても会わない、かな」という。

 「おじいちゃんたちのことはきらい?」と幼心で聞く。

 お母さんと、祖父母が仲直りをしてくれたなら、あたしもきっと会えるもの、とこの時思っていたのだろう。教室で見たあの大人たちは、どこまでも園児に甘く、優しかった。

 きっと祖父母もそういう人たちだと、優しくしてもらえるものだと淡い期待を持っていた。

 お母さんは、どこか遠くを見るような目で

 「嫌いじゃないよ。好きでもないけど」と言った。

 「生んでくれたことには感謝してるな。パパや若菜に会えたし。だけれどきっと」

――おじいちゃんは、今でもママのことが嫌いなはずなんだ。

 そう呟いたお母さんの蒼い瞳が、ほんの少しだけ、揺れ動いた気がした。



 序章を終えた悪夢は、さらなる深層にあたしをいざなう。世界が暗転し、次に確認したのは寂れたアパートの一室。幾度となくまみえた悪夢の中で、最もあたしが蓋をしておきたかった、悪臭の大本。

 ある日、あたしは両親を亡くした。何年も住んだ、決して広くない集合住宅の一室で。今が数え年で十六だから、今から九年も前のことだった。

 この時の記憶は端々、でしかない。あたしはこのうっすらと残る薄い木綿のような記憶を、どう失ったのかわからない。平常、日常の内には決して思い出せない類の記憶だ。これは喪失と呼んでもたがえないだろう。それだけ精神に多大なダメージを負ってしまったのかもしれないし、あるいは自己防衛の一環としてあたしの脳みそが無意識的に、封じ込めてしまったのかもしれない。だけれど夢とは、記憶の整理だ。布団を力で押し込めた戸棚の戸を、うっかり開放して布の塊を浴びることもあるだろう。そのように、こういった記憶整理の延長では、拒絶していた記憶が断片的に色を取り戻す。

 夏の日のことだった。

 遠い蝉時雨。似つかわしくない冷暗所のような涼しさ。昼時なのに、夜中的な暗さを持つ、台所。あたしの瞳に移る、日常的な『いつもの』我が家。

 台所から寝室に移る、わずかな空間。扉一つ隔てたその先は、地獄だった。幼いあたしは、日常と異常の、両界の狭間に立っていた。

 血の沼。生臭い香り。立ち込める温い風。おどろおどろしい雰囲気。息のない白い肌。倒れ伏す壮健な身体。それまで失われるとすら思ったことがなかった二つが、冷たく床に転がっていた。

 部屋の中心には、真っ黒な悪魔がいた。

 両親の血を、浴びるように被った、真っ黒な悪魔が。



 悪魔の正体はわからない。大きな人影だったかもしれないし、意外と小さなものだったかもしれない。ともあれ目線の高さがまだ低い時分のことだったから、正確な大きさはわからないものだった。

 ともかくあたしは、両親を亡くした。強盗か、ただの殺人か。理由はどうあれ、大好きだった大人二人を亡くした。今になって思うが、どうしてあたしだけ生き残ったんだろうか。あの状況下にあれば、あの悪魔はあたしを殺してしかるべきだろうに。少なくともその時点であたしの命は終わらなかった。だからいまだに、左乳房のやや内側寄りの裏側に、脈を打つ臓物が悲しげにぶら下がっている。

 心境的には、生きているというよりは生かされているだけ、だ。死ぬ日が今日でないから、仕方なく今日を生きる。漫然と日々を過ごすさまは、味気のない飯を口にするのと同じだ。まったくもって面白くない。

 それでも飢えたくないから食事をする。死にたくないから息をする。

 どっちも同じことである。その行為が甚だ失礼なものである、という共通点も加味して。

 味覚を失ったような生活をすることになるのは、もう少し先の話。

 悪夢の内容からは逸れてくるだろうから閑話休題とする。



 あたしは、斎場に在った。

 視線をまっすぐに見遣ると、母さんが笑っていた。

 大量の花の真ん中で、お母さんが笑っていた。

 その一つ手前で、お母さんは静かに眠る。

 寝息も立てずに静かに眠る。

 周りには黒い服をまとった大人たちがたくさんいた。どれもこれも、見たことがない人たちばっかりだ。本当にたくさんいた。

 恐らくは、お母さんにゆかりのある人たちなのだろう。顔の造形まではさすがに記憶の中にも無いようで、黒鉛筆で擦ったように真っ黒だった。

 あたしは、誰からも話しかけられることもなく、ただ茫然と、お母さんの入っている箱をばかり見ていた。誰に話しかけることもなければ、近寄る存在もなかった。不思議なものだ。

 お母さんが亡くなっているのは確実だが、実はあたしも幽霊なんじゃなかろうか。人からは見えてないから、誰もよってこない。だからこの孤独が当然ではないか、と思う。

 けれど、そんな妄想も結局は気の安めにすらならない。視線が刺さる。視線とは、あたしが確かに、ここにいるという決定的な証拠だ。

 さらには、静まった会場では、声が響く。潜めいた声ではあるけれど、隠しきれていない文句が、耳に届くのである。

 「どうすんの、あの子」「めいの残し子か」「誰か引き取らんとまずいよ」「あいつは家から出てったじゃないか」「うちとは離縁してるだろ」「今更絶縁した娘の子を引き取るなんざうちのメンツに響きやしないか」「しかも迷と同じ肌だよ。どうみられるか分かったもんじゃない」「気味が悪い。悪霊でもついてんじゃないか」「うちはもう子供が三人いるし、ちょっと」「独り身に子供の面倒はきついって」


 「何で生き残っちゃったんだろう。あの子だけ」

 「可哀そうに」


 知るもんか。あたしが聞きたい。どうしてあたしだけ、生き残ってしまったんだ。そんなもの、生き残った者が一番聞きたいことに決まっている。

 意味がないのに、一人残るなんてことはきっとない。意味があって、きっとあたしは生き残った。残された。きっとそうだ。そう思わなければ、みじめじゃないか。一人だけのうのうと、図々しく生き残り、死ぬべきに死ねず、だが実のところ、本当に意味がなく、ただ単に運がよかっただけに生き残ってしまったというのなら、すぐにでも死んでやりたい。きっと、生きていることには意味がある。そう思わねば、いくら幼かったあたしでさえ、事の重大さを理解しつくしていない当時でさえ、足らない力と脳を駆使して、どうにかこうにか、死ねる方法を熟慮するところだ。だってお母さんもお父さんもいない世界で、何を楽しみにすればいい。あたしの唯一の救いだった二人が、世にいないなら、それはもはや、救いの絶たれた世界で老いさらばえるまで無暗に生きろということになる。生きてりゃいいことがある、だから死ぬな、なんていう口の端に泡が生じるほどに説かれ続けてきた文句が、間抜けな正義面した奴から吐き捨てられるかもしれない。

 なるほどそりゃそうだ。生きてりゃいつかは幸せにまみえるだろうさ。生きていてよかったと、ほっとする日がいつか来るかもしれない。だけれどそれは報われたわけじゃなく、なんとか幸福に思える日を迎えることができただけだ。マイナスがゼロに戻っただけのことだろう。そしてそれが必ずやってくるという確証はない。ガチャを回してあたりを引くほどに信頼性が薄く、必ずもうかるといって聞かせるインフルエンサーの広告ほどに信ぴょう性がない。いいことがあるというなら、そのいいこととはいつ来るんだ。来る時期も知らず、ただそれを待って生きろというのか。必ずとは言えない事象を、どうして生きる糧にできる。狸の皮の運用など、取れなければ意味をなさない。くるともかぎらんわずかばかりの幸福のために、続く甚大な不幸を被って生きるくらいなら、そんな藁にすがって生きるような様で過ごすのなら、矢張りいっそ楽になった方がいいに決まっている。幸せなんてもんがあるもんか。二人がいた時ほどの、幸せがあるもんか。失った不幸を埋め合わせるだけの、幸福があるもんか。

 あたしは愈々、いてもたってもいられなくなり、棺桶に突っ伏した。幼いあたしがした行動だけれども、意識的には、あたしも、突っ伏さざるを得なかった。

 子供が泣けば許してくれるのが世間だ。泣いても結果が覆らない、無慈悲なのが世界である。

 この夢の、結果の先に生きているのが今のあたしだ。

 嘘みたいな現実のその先を、どうにかこうにか生きている。



 悪夢という名の記憶の整理は、ここで終わる。もうじき、あたしは全身に冷や汗被った状態で目が覚めるだろう。そうして、今見た夢の記憶もまた、蓋を閉じたようにさっぱりと消えてなくなる。

 生きていてもお前は不幸せだ。そんなことを訴えかけるようなこの悪夢は、これからさきもずっと、定期的に見てしまうのだろう。答えにたどり着けぬ限り、この胸の内のもやもやがさっぱり晴れぬ限り、親離れできない子供のようにねっとりとまとわり続けるはずだ。

 それでも、この悪夢にも少しだけ救われる点がある。今はもう見ることができなくなってしまったお母さんの全体像を、鮮明にみられるということだ。今のあたしじゃもはや体熱も、感触すらも定かではないのだけれど、確かにお母さんという存在がいた。お父さんもいた。二人の子として生まれて、今のあたしがある。こればかりは不幸とは思いたくはない。恵まれていた箇所だと思える。

 目が覚めればさっぱりと忘れてしまうのだろうけれど、それでも、この悪夢の終わる数瞬だけはあたし達の時間だ。

 真っ白な、親子だけの時間なのだ。



 「よっ若菜ちゃん」

 あたしは、はっとして顔を上げた。否、顔を上げる、という行動をとったのは、遠い記憶の幼いあたしだ。少なくとも、夢を観測している今のあたしは行動できない。

 それはそれとして、あたしはかなり戸惑った。

 悪夢は、このまま醒めるはずなのだ。声をかけられる、なんてシチュは今まで受けたことがないぞ。

 背後を振り返ると、そこには黒い服を身にまとった、いかにも健康そうな女性がいた。

 濃い茶色のロングヘア。きれいなストレートの髪は、肩のあたりで一本にまとめ上げられて、大きな尻尾のようになっている。薄い化粧で整えられた顔、どことなくお父さんの面影がある、はっきりとした目鼻立ち。

 今じゃすっかり見知った面。それでも、幼いあたしにとっては、たまに顔を合わせるだけの、ただの類縁者でしかなかった。

 ただの、叔母さん。

 「久しぶり、元気してた? ってか、私のこと覚えてる?」

 陽気で活発そうなその若い女の人は、とても気さくに、あたしに話しかけてくれた。

 傍らに座りこまれて、同じ目線。きれいな瞳の光彩が、あたしの姿をとらえている。

 「……大葉、お姉さん」

 お父さんは大葉さんのことを姉ちゃんと言っていた。それだから、あたしもその場じゃそれに倣って、そう呼んだ。

 呼ぶと彼女は満足そうに笑いながら

 「あったまイイね。覚えててくれたんだ。そうそう、大葉姉さん」といって、あたしの頭を優しくなでてくれた。大葉さんは、あたしの頭をひとしきりこねくった後、流れるように、お母さんが眠る棺に手をかけた。

 いたわるように、その固い木の壁をゆっくりとさすっている。

 「若菜ちゃんとはさ、あんまりこうやって話すことは今までなかったんだけどさ。迷ちゃんとはよく話す仲だったんだよ」

 迷、出里迷いでりめいとはあたしのお母さんの名前だ。実の苗字はわかんない。あたしにとっての苗字は、お父さん方の、出里の苗字だけだ。

 「若菜ちゃん、お母さんのことは好き?」

 「……大好き」

 「……お姉ちゃんも、迷ちゃんのことが大好き」

 はにかみながら彼女は言う。少し、声が震えている。どころか、大葉さんは鼻声だった。よく見れば、目元も、化粧のものではない、腫れっぽい赤みを帯びていた。

 「本当に、いい義妹いもうとだよ」

 彼女は絶えず棺桶をなでていた。赤子のゆりかごを揺らすかのように。あるいは、傷心したものを慰めるため、背中をさするように。

 周りの大人とは、すごく毛色が違う。そんな印象だった。

 大葉さんは、心の底から悼んでいる。形だけの葬式のようなこの場で、彼女はしっかりと、お母さんという人間が喪われたという現実をかみしめているようだった。



 「若菜ちゃんはお母さんによく似てるね」という言葉に、幼いあたしは

 「だって、お母さんの子供だもん」とぶっきらぼうに答えた。

 「そ。だから私は若菜ちゃんのことも好き」

 大葉さんが腕を広く伸ばして、ゆっくりとあたしを包み込む。深く、抱きしめられた。

 お母さんとはまた違う香り。だけれど、きっちりとした服装の、生地越しに感じる体の温かさだけは本当で、その温もりは、お母さんが持っていた体熱とおんなじものだった。心の内からほっとできる、言い表しようのない力を持っていた。

 数分抱きしめられた後、彼女はおもむろに顔を話して、再度あたしと見つめあう。本当にきれいな瞳だ。うるんでいて、でもしっかりとした筋が一本、通っているかのような目だ。

 大葉さんはあたしの顔を両手でむにっと抑え、両親指で、あたしの頬をなぞった。

 これには覚えがある。幼少のころ、あたしがぐずって泣き出すと、お母さんは必ず、こうしてくれた。涙の痕をぬぐうという、一種の慰め方。そうされるだけで空いた胸の穴もちょっとは楽になる、そんな不思議な作用が含まれている。



 「ねえ、若菜ちゃん」

 大葉さんが言う。

 「お姉さんとさ、一緒に暮らそっか」

 「寂しい思いは絶対させないよ」

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