第32話 帰るべき家はない

 スペースコロニー《セクメト》に彼の陰があった。

 大衆食堂が建ち並ぶ繁華街を避けて通る姿は追われた獣のようだった。

 事実、彼は背中にサブマシンガン、腰にハンドガンを携行している。

 気を抜けば自分がやられる。

 そう思った彼は警戒しつつ周囲に目をくべらせる。

 ギラギラした目を向けてくる者も少なくない。

 手提げ鞄一つの身で来たことを後悔しつつ、俺は路地裏を歩く。

 俺の弱気な心を見透かされないよう、背中に視線を這わせ、歩き続ける。


 川を渡り対岸へ行くと、パイプの上を乗り越えていく。

 長くかかった時間が俺の心をざわつかせる。

 この先に何が待ち受けているのだろう。

 いくらマサヤの言葉とはいえ、鵜呑みにしすぎたか。

 不安と焦りが産まれる。

 それでも俺は行かなくちゃいけない。

 そんな気がした。

 今なら引き返すこともできただろうに。

 でもマサヤの言った顔がチラつく。

 彼は何か、大事なことを俺に伝えようとしているように思えた。

 俺にはそれが分からない。

 彼の見つけた情報を知らないのだ。

 今度ばかりはいいことだと信じて俺はここに来た。

 彼を信じるのは、ただのハッカーだからじゃない。

 マサヤの心に触れたから。

 俺は地下に潜ると、金属の森を歩き続ける。

 途中、水を飲み身体を休め、少しずつだが前に進める。

 俺は……。

 パイプや動力線の通った森を抜けると、見慣れたドアが一つ。

 座標によるとここが目的の場所だ。

 マサヤの示した何かが、ここにはある。

 俺はそのドアを開く。

 そして、

「おお。昌治まさはる。良く来たな」

「とう、さん……?」

 俺は目を見開き、父の姿を認める。

 彼は孔明な科学者である。

 その父の奥にうごめく姿がある。

「ご主人、さま……?」

「り、リリ……?」

 俺は目を疑った。

 彼女は死んだはずではなかったのか?

 瞳孔が開くのを知覚しながら、俺は彼女を見つめる。

「わしが、データから復元した」

 復元。

 アンドロイドの知能は全て頭にある。

 あのとき、リリは死んでいなかった。

 ただ外部電力やデータテスターといった機械の部品が破損しただけ。

 脳は無事だったのかもしれない。

「わしのことはいい。リリと仲良く生きるのだ」

「父さん……」

 俺はそれでも父を見捨てることなんてできない。

「俺は父さんにも来てもらいたい」

「はっ。わしにか?」

 皮肉めいた顔を見せる父。

「わしなどいい。すでに世捨て人よぉ」

「だが……」

「わしはもう十分生きた。スターシアンにもなれん」

「……そうか。行くぞ。リリ」

「ご主人さま、でも父上は……」

 ハの字に曲げる眉根。

「リリ……」

「わしはいいと言っておろう?」

「父上……」

 リリは悲しげに眉根を寄せる。

「わしは昌治にリリを帰したくて、生きてきた。息子の願いを叶えるのが父の仕事だ。許せ」

 そう言って父はリリの背中を押す。

「……分かったよ」

 俺はリリを連れて、その場から立ち去る。

 直後、大きな熱量を感じて、身をよじる。

 父のいた場所が爆破されたらしい。

 煤けたドアを見て、もう無理らしいと判断し、リリを連れて地下から飛び出す。


「リリはどこに行きたい?」

 俺はもう帰る家などない。どうして生きようか。

 困惑していると、リリはクスッと笑う。

「慌てているね。ご主人さま」

 リリは少し大人びた様子で俺を見てくる。

 そうか。父によって記憶媒体も回復したのか。

 AIとしての機能も回復したわけだ。

 だからもう子どものままじゃない。

 子どものままでいられない。

 それがなんだか寂しく思った。

 しかし、それほどのことを行える父はやはり技術者なのだなと思った。

「わたしは、ご主人さまと……お兄ちゃんと一緒ならどこでもいいよ」

 システムがアップデートされたのか、俺を『ご主人さま』と呼ぶのを止めた彼女。

 それが少し寂しく感じた。

 俺はやっぱりリリのことが好きなのだろう。

 こんな気持ちのまま、家族として扱っていいのだろうか。

 俺は……。

 困惑する感情の揺さぶりに、めまいを覚える。

「じゃあ地球に向かうか?」

「うん」

 俺は地球に向かうシャトルに乗り込む。

 ボギー01。

 地球への片道切符。

 安さを売りにしたスペースシャトルだ。

 サービスは悪いが俺たちのような根無し草にはちょうどいい。

 記録も適当だしな。

 船内で、映画を観ながら地球へと降下していく。

 プラズマ残滓による熱を浴びてシャトルは降下していく。

 地球に戻ってきたんだ。

 この振動をじかに味わえて満足する俺。

 その隣で震えるリリ。

 俺は彼女の手を握り、微笑む。

 するとリリは安心したように目を細め、口元を緩める。

 ビリビリとした殺気に包まれていたスペースコロニーとは違い、柔らかな暖かい雰囲気を感じ取る。

 俺はもう戦わなくていいんだ。

 そう思い、リリと少し会話をした。

 どこに行きたいか。何をしたいのか。

 俺自身すらよく分からない会話を、気がつけば二時間もしていた。

 地球のヴェネアチに移動する。

 水の都。

 家屋の建て並ぶ町並み。その間を河川が流れている。

 ゴンドラがその河川を流れていく。


 俺はリリと一緒にゴンドラに身を任せていた。

 デート。

 そんな言葉が脳裏をよぎるが、彼女は俺の妹だ。下手な気は起こさないだろう。

 切り替えると、水の都を堪能する。

 ゴンドラを下りて、すぐに露店で串焼きを購入する。

 食べ歩きをしながら、俺とリリは白塗りの町並みを歩く。

 リリはリンゴ飴を食べている。

 その光景に俺はホッとする。

 あの激戦の日々は無駄じゃなかった。

 彼女らを守るために俺はできるだけのことをしてきた。

 それは紛れもない事実なのだから。

 微笑ましい光景だとも思い、俺はリリの頭を撫でる。

「もう、急になに?」

 リリは頬を赤らめて、呟く。

「いや、すまん。つい……」

「いいよ。お兄ちゃんになら……」

 甘い雰囲気を醸し出すリリ。

 変な空気になってしまった。

「そうだ。リリも学校に行かないとな」

「そういうお兄ちゃんは大丈夫?」

「あははは。それは聞かないでくれ」

 俺は一応高校から退学処分が下り、そのあとは行方不明となっている。

 だから高校に戻ることなんてできない。

 同級生も間接的に殺しているしな。

 もっとマシなやり方があったとも思う。

 いじめるくらいなら最初からやるな、とも思う。

 自業自得と言えばそれまでなのかもしれない。

 いじめというのはそういうものだ。

 人を喜ばせることなんて一度もない。

 ただみんなが苦しむだけの行為だ。

 それを訴えかける人もいるのだが、世界は何も変わらない。

 旧世代から色を変えることなく、このみじめで残酷な世界がどこまでも続く。

 俺はそれが許せないのかもしれない。

 自分の未熟さを理解をし、歩き出す。

 ヴェネアチは綺麗な街だ。

 俺とリリは歩きながら食事を済ますと、柔らかいベッドに飛び込む。

 少し疲れた。

 意識を遠くに向けると、俺は目をつむった。


 寝過ぎたかもしれない。

 そう思い、夜中に目を覚ますと、ホテルのシャワーを浴びる。

 流れていった汗や涙。

 スッキリした顔で、俺はリリのもとに駆け寄る。

「お兄ちゃん……?」

 目を擦るリリ。

「眠っていていいんだぞ」

「やだ。お兄ちゃんと同じ時間をすごしたい」

 猫のように目を細め、腕に絡みついてくるリリ。

 そんな姿も可愛らしい。

 俺はリリに家族以外の思いを抱いていると知る。

 それがいけないことだと分かっていても、気持ちが変わらないでいる。

 なんて不甲斐ない。

 俺はこんなにも子どもだったか?

 自分の感情一つ押さえ込めないとは。

 盛大なため息を一つ吐き、俺はベッドに倒れ込む。

「お兄ちゃん?」

 疑問に思ったのか、リリが呼びかけてくる。

「いいだ。これは俺の問題だ」

 そう言ってリリを眠らせる。

 本当にどうしてしまったんだよ。俺……。

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