第21話 未来へ

 スペースコロニー《トート》にたどりつくと、俺たちは九王くおう家のアパートに向かう。

 ここで俺はアンドロイドの母と一緒に暮らしていたんだよな……。

 踏み荒らされた足跡が散らかった新聞紙や衣服についている。

 寒空の下、俺は寂寥感と悲哀にさいなまれる。

「ここで暮らしていたのか?」

 マサヤが少し湿った声を上げる。

「ああ」

 乾燥した喉から出てきた声は思ったよりも軽かった。

「洗濯しなくちゃいけないね」

 乾いた笑みを浮かべて、そんな冗談を言う。

「少年……」

 気遣わしげに呟くマサヤ。

 それ以上の言葉が出てこないのか、視線をそらす。

「いいんだ。分かっていたことさ」

 いじめていた奴らが死んで、調査局が入ってきたのだろう。

 俺たちが逃げている間に、彼らは家を荒らしていったのだろう。

 防犯カメラにでも映っていたのかもしれない。

 銃声の音がまだ耳にこびりついている。

 俺はどこで間違えたのだろう。

 母がアンドロイドなのも、父が俺たちを捨てたのも、自分ではどうすることもできなかった。

 ただ悪魔が鎌を振るった際に立っているか、座っているかの違いだけだった。

 そこに俺の意思はない。

 運が悪かった。

 言ってしまえば、それだけのこと。

 なのに。

 なのに俺は自分の陰惨な過去を払拭できずにいる。

 リリやマサヤと会い、少し変わったとは思うけど、それでも不安の戸口は続いている。

 俺には勝ち続ける未来などない。そう言われている気がした。

 まだ生きていたい気持ちがある。それが産まれた者の義務なのかもしれない。

 命のバトンをつないでいく。

 そこに意味を見いだせれば、きっと世界は明るくなる。

 俺はまだ途上にいるのだ。

 分からないことだらけのこの世界で少し分かったことがある。

 俺を必要としている人はほぼいないということに。

 俺じゃなくてもいいんだ。

 俺が俺である必要はどこにあるというのだろう。

 日はまだ昇らない。

 暗幕で閉ざされた世界に閉塞感を感じ、息が苦しくなる思いでタンスにあるアルバムを手にする。

 懐かしい匂いとともに、写真が一枚はらりと宙を舞う。

 落ちた写真には俺と母、それに亡き妹の姿が残っていた。

りん……」

「リン?」

「俺の妹だ。九王凜。八歳の時に交通事故で亡くなった」

 そのときに母も亡くなったが、それを言うほど飲み込めてはいなかった。

 俺の中ではまだふつふつと怒りと、そして静かな悲しみがこみ上げてくる。

 ツーッと流れる涙を袖で拭うと、写真をポケットにしまう。

「感傷に浸るのはいいが、過去との決別はしなくてはな」

 マサヤが厳しい顔つきでこちらを捉える。

「そんないいかたしなくても」

 リリが悲しげに眉を寄せる。

「いや、少年には未来がある。まだ若いんだ」

「ふっ。それを言うならマサヤもだね?」

「ああ。そうだ。オレらは未来のことだけを考えていればいい」

「未来……か」

 そんなことを考えている余裕なんてなかった。

 毎日が忙しくて、生きるのに必死だったのだ。

 マサヤと出会いその余裕も生まれた気がする。

「オレらは未来を生きるんだ。今じゃない」

「今を生きていないと、いけない気もするけど?」

「どうだろうな。人生に正解なんてないからな」

 正解がない。

 その言葉にハッとさせられる。

 俺は答えのないことで迷っていたのではないか、と。

「生きているなら、未来を考えないとな」

「そうかな。俺にはよく分からないね」

 未来か。

「なんでもいい。未来がこうなって欲しいとか。希望はあるだろ?」

 いつになく真剣な眼差しを向けてくるマサヤ。

「希望、か。俺のような人は産んでほしくないな」

「それでもいいんだ。お前ならできる」

 マサヤが熱っぽい視線を向けてくる。

 期待をするような、優しい表情。

 初めて見る顔に、俺はたじろぐ。

「いや、なんでもない。忘れてくれ」

 マサヤがそう言い、一足先に部屋を出る。

「何かあったら言ってくれ」

「ああ」

 再び自分の部屋を見渡す。

 狭い八畳一間の部屋。

 そこに母と二人だけだった。

 市の職員が与えてくれた母。

 それだけが頼みの綱だった。

 テロリストさえいなければ、母はまだ生きていたのかもしれない。

 じわりと湧いてくる殺意を押しとどめ、バラバラになった姿見の前で立ち止まる。

 鏡の中の世界があるとするなら、俺にどんな虚像を見せるのだろう。

 ふと思い出したように視線を這わせる。

 生前の母はよく見ていたっけ。

 懐かしい香水の香りが鼻につく。

 俺の身体のどこかで母親を覚えているらしい。

 ふと顔が緩む。


 しばらくして、俺は部屋から出る。

 リリの充電も終わった。

「どうだ。少しは落ち着いたか?」

 マサヤは俺の頭をさっと撫でる。

「子どもじゃないんだ。よしてくれ」

「悪いな。少年」

 クスッと笑みを零すマサヤ。

 それにつられて笑みを浮かべる。

 未来か。

 俺にはどんな未来が待っているのだろう。

 俺は未来をどうしたいのだろう。

 ハツカネズミのように頭の中で思考がぐるぐると回る。


 静かに故郷を後にすると、俺はマサヤの後をついていく。

 リリは子どものようにトテトテと駆け寄ってくる。

 これが運命だったのだろうか。

 俺はどうしてこうも何もできないのだろうか。

 あの惨状を見て、俺の気持ちはざわついている。

 俺だってあの部屋で生きてきたんだ。それも八年近くも。

 居場所だったんだ。あの家は。

 それを奪われた俺の気持ちなんて、誰にも分からない。

 分かってたまるか。

「オレらはこの地下にいた」

「地下……?」

 スペースコロニーはその構造上、地下が存在する。

 何層にも分かれた筒状の構造をしているのだ。

 その階層によって、役割が違うと聞いたことがある。

「オレと夏帆かほは同じ同郷でな。あいつが好きだったぬいぐるみの一つくらい見つけたいと思っている」

「そうか……」

 カホさんが死んでからかなり経つ。

 それでも彼はカホさんのことが好きなのだろう。

 二人は最初からラブラブカップルだった。

 少なくとも俺の目にはそう映った。

 もっと仲良くしておけば良かった。

 彼女の生きた証として。

 俺が何かできたかもしれない。

 何かすれば良かった。

 行動しなければ何も変わらない。

 何も終わらない。

「オレと夏帆はここに閉じ込められていた」

 そう言って地下室の一角を案内するマサヤ。

「やはり綺麗に片付けられているな」

 そこはがらんどうの部屋が一つ。

 貨物室に似た雰囲気を纏っている。

 パソコンもなく、防火のための設備だけが取り残されていた。

「いや。ここまで片付けられていると感傷の余地もないな」

 にべもなく笑うマサヤ。

 ぬいぐるみの一つ、と言っていたがそれすら残されていない。

 無茶な人心掌握と遺伝子操作、それに改造を施された人間改造だったマサヤとカホさんはここで一生を終えるはずだった。

 それでも生きていると訴え続けている彼は強いとも思った。

 まだ未来に希望を見いだしている。

 生きている。

 それが間違いなんて誰にも言えない。

 彼だって不幸な生い立ちだと思う。

 未来も、過去も、決められたレールの上だった。

 運命に逆らうことなく、抗うことなく、ただ自分の運命を受け入れてきた。

 そういった意味ではマサヤは強い。

 自分の役割や立場を理解し、それでもなお生きようと努力を続けている。

 信念を曲げることもなく、へそ曲がりなことをするわけでもなく、ただそこに存在する。

 純然たる意思を持って。

 彼のようになれるだろうか?

 俺はまだまだだな。

 苦笑を浮かべ、俺はマサヤの隣に立つ。

「大丈夫だ。これから楽しい未来を築いていこう」

 俺は励ましのつもりで言った。

 言葉の重みも責任も考えずに。

「そうだ」

 こくりと頷くマサヤ。

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