第71話 色彩の時間 中




 翌日は、終業式だった。

 終業式の朝、校門では新聞部の生徒が号外を配っていた。


『織田、本願寺で明智にしばかれる!』


 新聞の見出しには、そんな文言がでかでかと踊り、明智あけちひかりが水の剣を射ちまくっている写真が掲載されていた。


 ★


 明智光は職員室に呼び出され、清原きよはら凪子なぎこ先生からこっぴどい説教を受けた。二〇枚の反省文も書かされて、向こう一週間の無償奉仕活動も言い渡された。活動内容は、島に漂着したゴミや流木の撤去である。


「ごめん。でも、一週間耐えてくれないかな」


 なんて、幸人ゆきとが光を宥める。光はぷりぷり怒って睨んだが、結局は、幸人の言う通りにした。どうやら幸人には、島を抜け出す妙案があるらしいのだ。



 ★ ★ ★



 一週間が過ぎ、光は、やっと自由の身となった。それまでの一週間、幸人はずっと勉強に打ち込んでいた。

 幸人には、ここ三年間の記憶が無い。当然、勉強に関する記憶も失っている。このまま新学期を迎えたら、テストの点数がどうなるかは、火を見るよりも明らかだった。

 ちなみに、幸人に勉強を教えたのは徳川とくがわ家理亜いりあだった。

 家理亜はとても頭が良いので、きっと教えるのも上手に違いない。

 幸人はそう考えて家理亜を頼ったのだが、残念ながら、家理亜は教える事には向いていなかった。頭が良すぎるあまり、解らない人の気持ちが解らないのだ。結果、ひたすら暗記を強いる勉強法を選択し、幸人を大いに苦しめた。


 光が幸人の部屋を訪ねると、幸人は、その時も家理亜から勉強を教わっていた。


「幸人君……キミは地頭は良いのに、どうしてこんな問題が解けないのかな?」


 なんて、家理亜いりあは幸人を揶揄っている。


「僕には家理亜みたいな便利なスキルはないからね」


 幸人は悔しげに家理亜に目を向ける。そう。家理亜は【ランクA思考速度上昇スキル】の持ち主なのだ。


「幸人君。言っとくけど、赤点を取ったらボクの言うことをなんでも一つ、聴いてもらうからね」

「な、何を要求するつもりなのかな?」

「それは当然、ボクの彼氏になってもらうんだよ」


 と、家理亜は幸人にグッと顔を寄せる。窓からの風に栗色のショートカットが揺れ、黄色い瞳が、キラリと日光を反射する。家理亜はかなりの美少女だ。この猛アピールを前に、幸人の心拍数が上昇する。


「家理亜? えっと、気持ちは嬉しいんだけど、その要求は飲めないよ」


 幸人が断ると、家理亜はぷっくりと頬を膨らませ、つまらなそうな顔をする。


「じゃあ、もしも幸人くんが赤点を取ったら、ボクとの決闘を受けて貰うのはどうかな? それぐらいなら良いでしょ。勉強を教える報酬だよ」

「決闘ね。まあ、それなら構わないけど」

「言ったね? 約束したからね!」

「ああ。でも、なんで決闘なんか?」


 幸人が疑問を投げると、家理亜の顔に、悪戯めいた微笑が浮かぶ。


「そんなの、決まってるじゃないか。決闘に勝って、幸人君にはボクを好きになって貰うんだ。ボクがいなきゃ生きていけない。好き過ぎて狂っちゃう。ってぐらい、ボクを愛するように、ね」


 と、家理亜の微笑に狂気が混じる。幸人はやっと、してはいけない約束をしてしまった事に気がついた。

 決闘で取り交わす魔法契約の効力があれば、幸人の恋愛感情を操る事も可能だろう。勿論、決闘に勝てば良いだけの話ではあるのだが、家理亜の事だ。どんな奇策で幸人を罠に嵌めるか、わかった物ではない。

 幸人は冷や汗を浮かべ、必死にペンを動かした。現状、幸人は中学三年生レベルの英単語の書き取りを行っていた。


「幸人。約束通り来たわよ」


 光は、幸人の様子を見かねて本棚の陰から顔を出す。


「ひ、光……!」


 幸人は、光が来たのを口実に、これ幸いと、図書室から逃げ出した。


 ★


 幸人は光を連れて、路面電車に乗った。

 二人は、とあるクエストを受ける事にしたのである。


「お疲れ様。一週間の奉仕活動はどうだった?」


 道中、幸人が言う。光はなんだかムッとして、軽く、幸人の脛を蹴ってやる。

 やがて、二人はかいこの回廊の大門へと辿り着いた。

 大門は、既に修復されていた。どうやら、幸人が寧々ちゃんに個別クエストを出して復元を依頼したらしい。そのおかげで、光への罰も軽く済んだのだ。


「よお。真田に明智。今日はヨロシクな」


 と、一人の男子生徒が駆け寄って来る。直江なおえ兼倉かねくらだった。直江は魔法の弓と鎧で武装していた。幸人によると、迷宮では何が起こるか判らないから、念のために直江に援護役を頼んだらしい。直江は、無限再生ミノタウロス戦ではかなりの活躍をした。弓の腕前も申し分ない。組むのなら、頼もしい味方ではある。


「で、クエストって、なんのクエストを受けたの? もしかして、モンスターの討伐クエストかしら?」


 光が疑問を口にする。


「うん。そうだよ」

「そうだよって、どうして討伐クエストなんか?」

「ちょっと試したい事があってね」


 幸人は含みのある笑みを浮かべる。


「ふうん。クエストを受けるっていうのは、勿論、島を出る口実なのよね?」

「ああ。約束は果たすよ。でね……」


 と、幸人は光の耳に口を寄せ、ごにょごにょ作戦を伝える。光は聞き終わり、薄く驚きを浮かべる。


「それは確かに思いつかなかったけど、出来るかしら?」

「やってみるだけさ」


 こうして、三人は地下の新幹線に乗り、品川ゲートへと向かった。



 ★ ★ ★



 一時間後。

 幸人たちは、品川ゲートから地下迷宮ダンジョンへと潜った。幸人が受けたクエストは、迷宮上層の、オークリーダーの討伐クエストだった。オークはモンスターの中ではやや知能が高く、迷宮で監視カメラを見つけるとすぐに壊してしまう。監視カメラは岩等に偽装され、簡単には見つけられない筈なのだが、何故か、オークは監視カメラをよく見つけてしまうのだ。その指示役が、オークリーダーだという事が解ったらしい。

 幸人一行は、四〇分程迷宮を進み、オークの軍団に遭遇した。


「いた。あの長い一本角。オークリーダーだ!」


 幸人が叫ぶ。幸人たちの前方に、二〇匹程の鬼の群れがいる。連中も既に幸人に気付き、臨戦態勢だった。

 忽ち、戦闘が開始される。

 幸人は突撃して棒を振り回し、オークの群れを薙ぎ払う。光は幸人の死角を守り、水の剣で援護する。直江も、次々と魔法矢を放ってオークを射ち倒す。

 やがて、オークの軍団は数を減らし、オークリーダーだけが残された。


「グルルルッ!」


 大きな牙を剥き出して、オークリーダーが威嚇する。その肉体は筋骨隆々で、身長も、並みのオークの倍。四メートルはありそうだ。

 戦槌ウォーハンマーを振り上げて、オークリーダーが襲い掛かる。幸人も駆け出して、棒を薙ぐ。

 バチリと、火花が散った。幸人が戦槌の一撃を棒でいなし、反撃の一撃を叩き込んだのだ。

 オークリーダーの巨体が一○メートルもすっ飛んで、迷宮の壁にぶち当たる。が、屈強なオークの頭目は、怒りを露に立ち上がる。


「グルオオォオッ!」


 怒りの戦槌が幸人を襲う。幸人は深く踏み込んで戦槌を潜り、必倒の突きを叩き込む。

 パアン。と、オークリーダーの背中が爆ぜ、巨体が崩れ落ちる。

 勝負ありだ。

 やがて、オークリーダーの肉体が崩れ始める。屈強な身体は、砂が風で散らされるようにして、迷宮の大気へと霧散していった。


「クエストノ達成ヲ確認シマシタ。直チニ、品川ゲートマデ帰還シテクダサイ」


 監視用ドローンが、機械的な音声で告げる。


「やったね、幸人!」


 光が安堵の笑みを浮かべる。


「お。よくやった真田。それにしても、モンスターって奴は不思議だな。どう説得しても耳を貸さないし、人間を殺す事しか考えてねえ。おまけに、倒したら肉体が消滅してしまう。消滅するまでの時間にも個体差があったり。全く、この迷宮ダンジョンは謎だらけだな」


 直江は疑問を口にして、首を傾げる。幸人も光も、その答えについては分からなかった。


「……痛」


 ふいに、幸人がしゃがみ込む。光が駆け寄って、幸人の状態を確認する。


「大変。脚を怪我してるじゃない」


 光が


「大丈夫。死ぬ程の怪我じゃないよ。でも、脚を引きずる事になりそうだ。地上に戻るまで二時間ぐらいはかかるかも。それでも構わないかな?」


 と、幸人はドローンに視線を送る。すると、暫しの沈黙の後、


「了承シマシタ。気ヲ付ケテ帰還シテクダサイ」


 ドローンが告げる。

 次の瞬間、何かがドローンを貫いて、ドローンが砕け散る。三機のドローンは同時に粉々になって墜落してしまった。


「ふう。三機の死角から攻撃するのは、思ったより難しいもんだな」


 直江が弓を手に、ニヤリと笑う。

 そう。ドローンを撃ち落としたのは、直江なおえ兼倉かねくらだったのだ。


「ありがとう、直江君。良い腕だね」


 幸人も笑みを返し、周囲を見回した。もう、ドローンは一機も残っていない。監視が途切れた事を確認すると、幸人は、光が連れている水の塊に、腕の紋章を映す。

 ぽう。と、水球の表面が光り、水面から、人影が現れる。

 松永まつなが久枝ひさえだった。


「あーあ、こんな事して。知らないわよ?」


 久枝がやれやれといった調子で言う。


「こんな事って? ドローンは、突然のモンスターの奇襲によって破壊されたんだ。そうだよね? 直江君」

「ああ。そうだ。真田の言う通り。その替わり、報酬は弾んでくれよな」


 幸人と直江が笑い合う。久枝と光は呆れ顔を浮かべる。


「で、松永さん。打ち合わせ通り、瞬間移動を頼めるかな?」


 幸人に促され、松永久枝は幸人と光の肩に触れる。


「ま、やってみるだけよ。それは兎も角、そこの直江って人、置き去りにして大丈夫なの?」

「ああ。一人で持ちこたえられる人を選んだ訳だからね。そうだよね、直江君」

「余裕だよ。余裕。さっさと行ってこい」


 直江がしっしと、手で合図を送る。

 次の瞬間、幸人と光と久枝の姿が消えた。瞬間移動が機能したのだ。



 ★ ★ ★



 とある見晴らしの良い場所に、ふっと、三人の姿が現れる。その頭上には、見渡す限りの青空が広がっていた。

 幸人たちが瞬間移動した先は、富士山の山頂だった。


「信じられない。本当に、瞬間移動できた」


 光が茫然と呟いた。幸人と久枝の顔にも、若干の驚きが浮かんでいる。

 無理もない。彼らがカウンセラーシティーや品川ゲート、その地下の迷宮ダンジョン以外の場所を訪れたのは、数か月ぶりの事だったのだから。


「やっぱりね。カウンセラーシティは、外部への瞬間移動を阻害する結界のような物で覆われている。品川ゲートもね。だから、松永さんの瞬間移動能力をもってしても外部に行く事はできない。だけど、地下迷宮ダンジョンは人類の支配領域の外にある。結界が張られていない可能性があると考えたんだけど……当たりだったね」


 幸人は得意気に言う。


「で、明智さんの実家は何処? ここからなら、見えるんでしょ?」


 久枝ひさえに促され、光は遠くに目をやった。やがて、光は彼方に指を差す。指先が、震えている。


「遠くに見えるあの街、あの辺りに、あたしが通った中学校があるの。今は妹が通ってる筈」

「へえ。じゃあ、とりあえずあの辺りに飛ぶからね?」


 久枝が言い、幸人と光の肩に触れる。その瞬間に、三人の姿はかき消えた。


 ★


 とある中学校の校庭の真ん中に、シュッ。と、三人は姿を現した。


「あれ。人の気配がない。今日は、学校は休みみたいだね」


 幸人が言う。


「当然よ。今は春休みでしょ。で、どうするの? 次は何処に飛ぶ?」


 久枝が光へと視線を送る。


「ううん。ここからなら、もう近い。松永さん、ありがとう」

「あっそ。じゃあ、私はもう行くからね。せっかく外に出られたんだから、やりたい事があるのよね」

「ええ。本当にありがとう」

「そういうの要らないから。私、あんたの事、気に入らないのよね。じゃあ、一時間後に迎えに来るから。それまでにはここに戻っておいてよね」


 久枝は言い残し、瞬間移動で姿を消した。

 光はすぐに、近くの川から水を呼び寄せて、水に乗って空へと舞い上がる。幸人も妖精の翅を広げ、光を追う。


「信じられない。本当に外に出られるなんて! 玉ちゃん。もうすぐだから。今、行くからね……」


 光は祈るように繰り返し、サーフボードを駆る。その眼には懐かしい街の景色が映り、流れてゆく。

 やがて、白い屋根が目に飛び込んで来る。それは光にとって懐かしい、実家だった。




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