第70話 色彩の時間 上
★ ★ ★
時間は、夜の八時を過ぎていた。
蚕の回廊の地下通路では、冒険者や超能力者が隊列を組み、明智光を追っていた。
「くそ。だいぶ進んだがまだ追いつかない。明智光、一体、いくつ関門を破ったんだ?」
一人の青年が愚痴る。隊列の先頭には、やけに小柄な少年の姿がある。少年は濃い緑色の長髪をしており、少女と見紛うような優し気な顔立ちをしている。
「なあ、
青年が、緑色の髪の少年に声をかける。
少年の名は、
「なんね。心配ね。俺が負けると思うなら、引き返してもよかよ?」
島津は至極、穏やかに答える。それなのに、問いかけた青年は、唾を呑み込んで黙り込んでしまった。
「待って。前から誰か来るわ。皆、警戒して」
一人の少女が声を上げる。すると、能力者たちは前方を見据えて、警戒態勢へと移行した。
間もなく、通路の奥に人影が見えて来る。
「明智、か?」
青年が呟く。
「ううん。そんな感じじゃなかね。あの歩き方は男ばい。それに、怪我しとるね」
島津は言い、前方の人影を待ち受ける。
やがて、人影の姿が露になる。それは真田幸人だった。幸人は額から血を滲ませながら、脚を引きずって歩いて来る。幸人も島津一行に気が付いて、歩みを止める。
警戒を滲ませながら、島津一行は幸人へと歩み寄る。
「あんた。
島津が問う。
「光には勝てなかった。なんとか連れ戻したかったんだけど、話にならなくて。今は、織田君が戦ってるよ」
「ふうん。確かに、
「ああ。かなり激しい戦いになってるから、近付かない方が利口だと思うよ」
「そういう訳にもいかんとたいね。明智と戦ってみたいけん。あ、俺は
と、島津はゆるりと手を伸ばし、握手を求める。幸人は薄く警戒を浮かべながらも、島津と握手を交わした。
「どうしても行くなら止めないけど、気を付けた方が良いよ。じゃあ、僕はこれで」
幸人は言い残し、島津一行とすれ違う。その背中を見送る島津の口元に、薄く笑みが浮かぶ。
「待ちなっせ」
島津の声を受け、幸人が足を止める。その首筋に、汗が浮き上がる。幸人はたちまち島津一向に取り囲まれて、行く手を阻まれる。
「真田は明智とはチームメイトで、仲も良かった筈たいね。話し合いにもならんなんて、変ばい。それに、真田が試合で使った能力。あの、人間を何処かから出し入れする能力があれば、明智を安全に連れ出せる筈たいね」
島津が言った直後、場の空気が張り詰める。幸人が棒を握る手に、力が籠る。緋碧の魚も、幸人の眼前で動きを止める。
そう。島津の推測通りだった。
「怪しい動きをしないで!」
島津の連れの少女が叫ぶ。その瞬間に、無数のナイフが出現して幸人を取り囲む。ナイフは空中に静止したまま、切っ先を幸人に向けている。
「君たちは、僕を怒らせたいのかな?」
幸人の穏やかな声に、怒りが滲む。すると、幸人を取り囲む能力者たちにも冷汗が浮かぶ。
幸人は過去、蚕の回廊を突破しようとした事がある。その時、何十人もの能力者を相手に大立ち回りを演じた。この島に、幸人の脅威について知らない者はいない。明智光に曰く、硬化能力を持つ者を一瞬で倒したとか、一度の攻撃で五人の能力者を病院送りにしたとか、ランクB剣術スキル持ちをボコボコにしたとか、ビームを打ち出す超能力を完全に防ぎ切ったとか。そんな
幸人の鋭い眼光が、能力者たちに突き刺さる。
皆、怖気づいて半歩下がる。恐れていないのは、島津だけだった。
「怒らせるも何も、もう、勝負はついとるよ?」
ふいに、島津が呟く。
幸人は、言葉の意味を察しかねる。が、島津の視線を追って足元に目をやると、幸人の足が凍り付いていた。例えではない。幸人の足元の周囲が凍り、氷が這い上るようにして、幸人の下半身全体を包み込んでいたのだ。
凍結能力──! 幸人は、島津の能力に感付いた。
いつの間に凍らされた? 発動条件はなんだ? 思考を巡らせる幸人の脳裏に、先程、島津と握手した場面が蘇る。
あれか。恐らく、発動条件は触れる事。やられた……。
でも、幸人は余裕の態度を崩さない。
「これは攻撃とみなすけど、構わないね?」
完全にハッタリだ。恐れる者は恐れたままでいてくれた方が都合が良い。とはいえ、内心は、少々焦っていた。
不味い。思ったよりも氷の強度が高い。全く動けない。緋碧の魚は使えるけど、それだけで、この人数を倒しきる事ができるだろうか?
痛い程の沈黙の中、島津がホルスターから拳銃を引き抜いた。
「触れる事が発動条件。多分、そう考えとるよね? ハズレばい。俺が生み出した氷が触れた物も凍る。それが、俺の能力だけんね」
と、島津の銃口が幸人を捉える。リボルバーに詰まった弾丸は、弾頭が氷に覆われていた。
乾いた音が鳴り響く。島津は一切躊躇せず、引き金を引いたのだ。
だが──。
ドン! と、音が鳴り響き。幸人を取り囲んでいた能力者たちが一斉に吹っ飛んだ。空中に浮かんでいたナイフも吹き飛ばされて、氷の弾丸も、何故か島津の肩に突き刺さる。
「何が!?」
困惑する島津をよそに、幸人だけが状況を理解していた。
再び、ドン! と衝撃音が鳴り響き、幸人を縛り付けていた氷が砕け散る。同時に幸人も吹き飛ばされて地面を転がる。その傍らに、シュ。と、人影が現れる。
小麦色に日焼けした太腿に、金色に染めた髪。
二人は、少し離れた木陰に姿を現した。
木陰には、
「すみませんっす。あまり丁寧に氷を砕いてる余裕がなくて。幸人様を吹っ飛ばしちゃったっす」
そう。秀実が【時間停止】能力を使い、幸人を救ったのだ。
「秀実。どうして?」
「どうしても何もないっすよ! 光さんのピンチなのに、自分が動かない訳がないじゃないっすか」
「ああ、そうだね。ありがとう、秀実」
「だから、お礼を言うのは筋違いっす! 自分は、自分が助けたくてクエストを受けたんすから」
言い合う幸人と秀実の肩に、
「ま、待て!」
吹き飛ばされた能力者が間抜けな声を上げる。だが、もう、手遅れだった。
★ ★ ★
幸人と秀実と久枝は、女子寮の談話室へと
「おかえりなさい。思ったよりも早かったですね。あ、ポーション使います?」
見知らぬ、物凄い美少女が、幸人にポーションを差し出した。美少女は小柄でスレンダーで、ツインテールが良く似合っていた。肌も色白でスベスベだ。黒い大きな瞳には、小悪魔みたいに悪戯めいた光が宿っている。
美少女の隣には
「えっと。君は、誰?」
幸人は少々困惑する。すると、ツインテールの美少女が、クスリと笑う。
「えへ。私、せんりですよ? 池田せんり。忘れちゃったんですか?」
「え! 池田さん? でも、なんというか、体型が……」
「うふふ。マーメイドタブレットの効果って、凄いですね。でも、こっちが本来の私の姿に近いと思いますよ。なんて」
と、せんりは上機嫌で反応を伺う。幸人は、せんりのあまりの変わりように衝撃を受け、言葉を失っていた。
そう。池田せんりはチーム対抗戦の優勝賞品として、【マーメイドタブレット】なる、魔法の丸薬を手にいれた。どうやら、せんりの変化は丸薬の効果によって起こったらしい。
「話は済んだ? えっと、真田、君。これで、
松永久枝が、薄く頬を赤くしながら言う。
「あ、ああ。まさか、松永さんに助けられるなんてね。ありがとう」
「そ、そういうの良いから。次からは、ちゃんと報酬を払って貰うからね」
「報酬? あ、ポイントとか、そういうアレか。解った。次からは、依頼する時はちゃんと個別クエストを出すよ」
「うん。解れば良いのよ。じゃあ、私はこれで……」
言い残し、久枝は
沈黙が満たす中、秀実が、幸人に真剣な眼差しを向ける。幸人は頷いて、近くの大きな鏡に、腕の紋章を映した。
鏡が淡く輝いて、中から、
光は仲間たちと目が合うと、すぐに眼を逸らして俯いてしまう。光が言葉を失っていると、秀実がおもむろに歩み寄り、バチリと、光の頬を張る。
「秀実?」
困惑する幸人を他所に、秀実は尚も、光の胸をポカポカ叩く。
「どうしてっすか。どうして何も言ってくれなかったっすか。自分たちがどんなに心配だったか、想像しなかったっすか? 自分は、幸人様は、せんりちゃんは、霧隠さんは、光さんの仲間じゃ無かったっすか? 光さんは馬鹿っす。愚か者っすよ! 自分は、自分は……」
幸人はそっと秀実の肩に触れ、下がらせる。次に、光の頭をポンポン撫でる。
「無事で良かった。もう、一人で無茶しちゃ駄目だよ。いいね?」
「うん。ごめんなさい」
光がしおらしく呟くと、秀実は、光に抱きついて泣き出した。光も崩れ落ち、声を上げて泣く。せんりと才華の目にも、涙が滲んでいた。
幸人は一人、談話室の隅に目をやった。すると、天井辺りに監視カメラがあった。幸人はカメラに顔を向け、少し怒った表情を浮かべる。
「どうせ監視してるんだろ? 見ての通り、光の捕獲は済ませたよ。でも、ここは帝都学園の寮だ。クエスト管理局に光を引き渡す事もない。文句はないね?」
幸人がカメラに向かって言うと、間もなく、幸人たちの携帯端末が鳴った。
『明智光ノ捕獲を確認。緊急クエストハ完了シマシタ。クエスト報酬ハ、明朝、支払ワレマス』
談話室のスピーカーから機械的な声が告げる。クエスト完了だ。これで、カウンセラーシティの能力者たちが光を狙う理由は無くなった。
「なんとか、一件落着、だね」
と、幸人は安堵の息を吐く。光と秀実は、まだ、わんわん泣きじゃくっていた。
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