第68話 明智光討伐令! 中




 光は幸人を部屋に案内して、温かいコーヒーを淹れてくれた。幸人はカップを手に、ぼんやりと部屋を見回した。

 女の子に来るのは初めての事だ。否、記憶を失う以前に誰かの部屋に入った事があるのかもしれないが、少なくとも、記憶を失ってからは初めての経験には違いない。

 幸人は、思ったよりも殺風景な部屋だな。と、感じながら、その視線は部屋の隅に置かれた紙の束を捉える。


「あれは何?」


 幸人は紙の束を指して問う。すると光は「興味ある?」と、瞳を輝かしながら、紙の束へと手を伸ばす。

 それは、沢山の写真だった。


「ねえ。見て。これも。この写真も。あたしの妹なのよ。たまちゃんはとっても大人しいけど、小っちゃい頃からあたしにとっても懐いてて、どこでもちょこちょこ付いて来て可愛いんだから」


 と、光はデレデレと頬を赤らめながら、幸人に写真を見せつける。写っているのは全て同じ少女であり、たまに、その少女と光とが、並んで写っていたりもする。どうやら、写真に写っているのは、光の妹であるらしい。少女は光によく似ているが、髪は黒く、長髪で、背も、光よりもちょっとだけ小さい。何処となく、気が弱そうな顔立ちをしていた。ともあれ、かなりの美少女である事には違いない。名前は、明智あけち玉子たまこというそうだ。


「うん。可愛いね。それより、大事な写真なら、どうしてそんな所に?」

「最初は壁に貼っていたのよ。ほら、あたしってせんりちゃんをかくまってたでしょ。で、せんりちゃんが寝る時に視線を感じて怖いって、全部剥がしちゃったの。酷いでしょ?」

「壁に貼ってたって、この写真、全部?」

「ええ。そうだけど」

「そ、そう……」


 幸人は再び、写真の束に目を移す。

 写真は軽く百枚を超えている。これが、びっしりと壁に貼られていたのか。そりゃあ、池田さんもビビッて剥がすだろうな。光め、飛んだシスコンお姉ちゃんだ。

 なんて、幸人は内心呟いた。間違っても口には出さなかったが。


「でね、でね、これが玉ちゃんと遊園地に行った時の写真で、こっちはお買い物に行った時の写真なの。これは玉ちゃんの一○歳の時のお誕生日の写真で、こっちは玉ちゃんが眠ってる時に部屋に忍び込んで撮ったやつで、こっちはお風呂上りで髪を乾かしてる玉ちゃんを、こっそり撮った写真よ。ね、可愛いでしょ」

「あ、うん。そうだね」


 つまり、写真の何割かは、妹を盗撮した物か。

 幸人は、気付きたくなかった事実を次々と突きつけられて、どんどん無口になってゆく。一方、光の話は熱を帯び、加速してゆく。滾々こんこんとのろけ話が続き、幸人は遂にシビレを切らす。


「うん。解った。解ったよ。玉ちゃんが可愛いって事は十分わかったんだけど、ほら。僕も光に聞きたい事があるんだよね」

「あ……。そういえばそうだったわね」


 と、光の顔に閃きが浮かび、水色の瞳に、真剣さが戻って来る。


「幸人の恋人の話だったわね」

「うん」


 それから、光は少々逡巡し、小さく息を吐き出して、語り出す。


「幸人。貴方の恋人の名前は、竹美たけみ大谷おおたに竹美たけみっていうのよ。復唱してみなさい」

「……大谷竹美」

「ええ。字はね……」


 と、光はペンに手を伸ばし、メモ帳にさらさらと、竹美の名前を書き記す。幸人はそれを受け取って、何度も、竹美の名前を反芻する。


「どう? 何か思い出せそう」

「……ううん。まだ、なにも」

「そう。じゃあ、仕方ないわね。あたしが解る範囲の事は教えてあげる。まず、この子は幸人と同い年よ。誕生日は六月六日。中学校では、幸人のクラスメイトだったらしいわよ。絵が得意で、インドア派。だけど、幸人を見習って運動もするようになったって」

「へえ。いろいろ知ってるんだね」

「貴方が散々のろけまくったからね」

「そ、そうなんだ? なんかごめん」

「本当にね」


 と、光は呆れ顔を浮かべて見せる。幸人は、のろけまくったのはお互い様だ。と、言いたかったが、ぐっと堪えた。


「そういえば、光はさっき海岸で、僕の心配がなくなるって言ってたけど……あれってどういう事?」

「ああ、それね。明日には終業式でしょ? で、春休みを挟んで、あたしたちは高校二年生になるわ。それは解るわね?」

「うん」

「それで、幸人の恋人の竹美ちゃん、新学期から、この学校に転校が決まってるのよ」

「え? じゃあ……」

「ええ。幸人は待ってるだけでいい。春休みのたった数週間を堪えれば、確実に、竹美に会えるわよ」

「そう。そうか……!」


 幸人は無意識に腰を上げ、居ても立ってもいられないといった表情を浮かべる。光は少し淋し気に微笑んで、幸人の腕のスカーフに触れる。


「幸人のこのスカーフもね、竹美の物なのよ。あたしが竹美から託されて、幸人に届けたの。感謝しなさいよ?」

「そうなのか。光、色々とありがとう」

「ええ。気にしないで。幸人も約束を果たしてくれた。で、一つだけ聞いておきたいんだけど」

「何かな?」


 幸人が微笑み返すと、光は、何故か泣き出しそうな顔をした。真剣で、切実な眼差しが、幸人に向けられている。


「幸人って、あたしの事、どう思う?」

「え?」

「その、あたしの事……」

「それは、凄く感謝してる。光は僕にとって大切な仲間だよ。ううん。親友、かな」

「そう。そう、よね。ありがと。そんな風に思ってくれて嬉しい。あたしも幸人の事、大好きよ。あ、勿論、親友として……ね」


 光は益々淋し気な微笑を浮かべ、背を向ける。そしてそのままキッチンへ行くと、お湯を沸かし始めた。


「コーヒー、また飲むでしょ? あ、それから幸人。あなたの部屋の本棚の、絵画入門って本を開いてみなさい。そこに、竹美からの手紙が挟んである筈だから」


 光は背中越しに言い、暫く、振り向かなかった。



 ★ ★ ★



 幸人は光との話を終えて、自室へと駆け戻った。

 息を切らしてドアを開けると、部屋は、しんと静まり返っている。幸人は部屋に駆け込んで、本棚の、絵画入門を開いてみる。

 絵画入門には、小さな封筒が挟まっていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 幸人へ

 お元気ですか? 私は元気です。幸人と離れ離れになって、もう、二年以上が経ったね。幸人はそっちではどんな高校生してるのかな?

 私、あれから少しだけ背が伸びたよ。あと少しで149センチになります。絵も、少しだけ上手になったよ。また、いつか幸人の絵を描いてみたい。きっと、幸人はもっと背が伸びてるね。今の幸人ってどんな感じなのかな、ずっと会ってないし声も聴いてないけど、幸人の事、今も少しも忘れてないよ。忘れるのが怖くって、いつも幸人の事ばかり考えてたんだから。

 幸人はきっと、遠い世界でたくさん大変な思いをしてきたんだよね。手紙には書いちゃいけないみたいだから聞かないけど、今度、不思議な世界とか、魔法とか、そんな話もいっぱい聞かせてね。


 それと、帝都学院の手続きの事、教えてくれてありがとう。

 幸人からのお手紙、凄く嬉しかった。自衛隊の人が口を利いてくれたから、春にはなんとかそっちに転入出来ると思う。まだ、満たさなきゃいけない条件や、クリアーしなきゃいけない課題もあるみたいだけど、私、頑張るから。凄く凄く、頑張るから。だからもう少しだけ待ってて。会いに行くから。幸人も会いたいって思ってくれてたら嬉しい。


 あとね、大好きだよ。凄く好き。手紙じゃ言いたりないけど、幸人が生きててくれて良かった。帰って来てくれて本当に良かった。世界を守ってくれてありがとう。


 じゃあ、桜が咲く頃にまた会おうね。

              共犯者より。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 幸人は手紙を読み終えて、記憶を辿ってみる。だが、思い出せない。何も思い出せないのだ。それなのに、胸が疼いて仕方がない。止め処なく涙が溢れて、手紙に落ちる。丸い、小さな文字が滲んで、視界も滲む。肩が震え、嗚咽が止まらない。

 封筒をひっくり返すと、差出人の名前と住所が記載されていた。

 大谷おおたに竹美たけみ

 やけに親しみを感じる名だ。こんな覚えやすい、簡単な名前を忘れてしまったのか。

 幸人は無性に、自分が腹立たしくなった。同時に、薄く不安が胸を過る。

 大谷竹美という少女は、幸人が記憶を失ってしまった事を知らない。もしも記憶を無くしたと知ったら、彼女はどれぐらい悲しんでガッカリするだろう。その事を考えるだけで、酷く胸を締め付けられる気持ちになる。

 僕は、なんて馬鹿で無力かなんだろう。

 幸人は顔を上げ、涙を拭う。そして、やっと気が付いた。


 何か、違和感がある。

 妙に、部屋が静か過ぎるのだ。

 幸人は視線を巡らせて、違和感の正体に気が付いた。

 机の隅っこで、妖精カレンが、マネキンみたいに固まっているのだ。まるで、人形のふりをしているみたいに。

 カレンはずっと同じ姿勢でいたせいか、プルプルと小刻みに震え、薄く涙を貯めている。目が合うと、カレンは視線を動かして、ベッドの下を指し示す。

 そして、幸人もやっと気がついた。

 ベッドの下に何かいる!

 幸人はベッドから飛び退いて、警戒を露にする。

 敵か? こんな近くに居ながら気が付かなかったとは、なんて不覚──。

 言いようのない邪悪な気配を感じ、背筋に冷や汗が浮かぶ。まるで纏わりつくような、陰気な湿り気が部屋を満たしている。悪寒がする。何故か、いつか見たホラー映画の場面が頭を過る。

 この気配、本当に幽霊でもいるのか? まさか。ね……。

 内心呟きながら、幸人はじわりと屈みこみ、ベッドの下の暗闇を覗く。


 目が合った。


 闇の中に、青白い女の顔があった。乱れた長い黒髪は怨念に似た何かを宿し、血走った目は、カッと見開かれている。身体は痩せこけており、口からは、ハア、ハアと、陰鬱な吐息を吐き出している。その薄い唇に、にまあ。と、薄笑いが浮かぶ。

 怖気おぞけが沸き上がる。


「う、うわああああっ! 恐っ。こっわっ!」


 叫びながら、幸人は仰け反って尻もちを衝く。その足首に、痩せた手が伸びて掴む。それはベッドの下からずるりと這い出して、幸人に覆いかぶさった。

 ひたりと、細い指が幸人の頬に触れる。


「ふふ。ふふふっ。見つかっちゃったっすね。流石は幸人様っす……」


 それは耳元で囁いた。

 そう。ベッドの下に潜んでいたのは、羽柴はしば秀実ひでみだったのだ。


「見つかっちゃったじゃないよ! 何をやってるんだ、何を!」


 幸人は涙目で抗議する。まだ、心臓がバクバク鳴っていた。


「何をって、さっき言ったじゃないっすか。自分。幸人様と暮らそうと思って。早速、お嫁に来たっすよ。くくくっ」

「そ、そうなんだ? じゃなくて! こわっ。どうしてベッドの下に? 僕に用があるのなら、男子寮のエントランスで待ってればいいじゃないか。どうして不法侵入したのかを聞いてるんだよ?」

「そんな事、どうでも良いじゃないっすか。幸人様は、自分の事……キライっすか?」

「いや、この状況でどうして、そんなムードに持ち込めると思えるのかな。ここで何をしていたのか答えなよ」


 幸人が秀実を見据えると、秀実はじわりと目を逸らす。そして、幸人はピンと来る。


「秀実」

「は、はいっす」

「ポケットの中の物、出そうか?」

「ど、どうしてっすか? な、何も入ってないっすよ」

「へえ。聞こえなかったのかな? ひ・で・み、ちゃあん」


 と、幸人は秀実の両手首を掴み、耳元で囁く。すると秀実は顔を赤くして「はい」と、呟いた。


 ★


 テーブルの上に、秀実のポケットの中身が並べられた。幸人の使用済みのティッシュペーパーと、使用済みのティッシュペーパーと、使用済みのティッシュペーパー。そして幸人の顔写真と、靴下と下着。幸人の歯ブラシもあった。これらが何に使われるのか、幸人は考えたくもなかった。

 ギロリと、怒りの眼差しが秀実を捉える。


「あ。あはは。ちょっと怖いっすよ。ちょっとした出来心っす。決して、匂いを嗅いだりはしてないっす。そう。自分の茶目っ気が走り出しちゃっただけっすよ。テヘっ」


 言い訳する秀実の腕を、幸人が掴む。


「午後七時一三分。犯人確保。君には黙秘権がある。証言は、不利な証拠に使われる事がある……」

「ま、待つっす。許してっす。まずは弁護士を呼ぶっすよおっ!」


 と、二人は暫く、不毛な喜劇を演じた。


 ★


 五分後、幸人は秀実を部屋からつまみ出した。普通に追い出すと、扉を閉めた瞬間には何故か、秀実が部屋に戻ってしまう。なので、見かねたカレンが背後から昏倒の針でぶっ刺して、秀実を昏倒させてから、池田せんりへと引き渡した。


「すいません。うちの秀実ちゃんが本当に」


 せんりは何故か幸人に頭を下げ、秀実をおぶって女子寮へと連れ帰った。秀実は白目を剥いていびきをかきながらも、うわ言で、幸人の名前を連呼していた。


 ★


 ドアを閉め、幸人はやっと一息吐く。その胸に、妖精カレンが飛び込んで泣きじゃくる。


「うえええんっ。怖かったでしゅ。きつかったでしゅよおおおっ」


 幸人は「うん、うん」と、カレンの頭を撫でて労を労ってやる。ずっと人形のふりをしているのはさぞかし疲れただろう。


「それにしても……秀実はどうして部屋に入れたんだろう。男子寮の受付では強力な感知能力者が睨みを利かしているし、マジックアイテムで不審者の立ち入りを拒んでいる筈なのに。吐かせておくべきだったかな」

「ダメでしゅ。幸人しゃまはカレンの幸人しゃまなんでしゅ、本当ならカレン以外の女の子とは、口を利いちゃダメなんでしゅ。さあ、穢れを消毒するでしゅ。あんな汚らわしい人とは、もう一秒だって関わっちゃ駄目なんでしゅうっ」


 カレンはカレンで、ヤンデレをまき散らしまくった。


 ★


 それから、幸人とカレンは夕食を食べた。メニューはカレーライス。カレンは意外と料理上手で、幸人を感心させた。


「明日は終業式でしゅね。春休みになったら、幸人しゃまはダンジョンに潜るんでしゅか?」

 カレンが問う。


「まだ考えてないよ。春休みにはクエストも増えるらしいから、気に入ったのがあれば受けるかも」


 答えた幸人の心中は、とても穏やかだった。

 ここまで色々な事があった。何も思い出せない自分を、光はいつも気遣ってくれた。戦って約束を果たし、今は胸に希望がある。信頼できる仲間もいて、恋人の名前を知る事も出来た。春休みが終われば、大谷竹美と会えるのだ。記憶は無いが、胸が高鳴って仕方がない。


「それもこれも、光のおかげか。感謝しなきゃ」


 幸人は呟いて、ふと、胸に微かな不安が過る。


『で、一つだけ聞いておきたいんだけど……』


 光の言葉が蘇る。

 最後だなんて、大げさだよ。まるで、もう会えないみたいじゃないか。

 そんな予感がした直後、突然、幸人の携帯端末が鳴り出した。幸人は慌てて、端末の画面覗き込む。どうやら、緊急クエストの通知が出されたらしい。


「え?」


 幸人は思わず言葉に詰まり、眉を顰める。

 緊急クエストの内容は『明智光の捕獲、又は討伐』だった。




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