第65話 本能寺 中
観客たちがどよめいた。
闘技場の舞台の真ん中から、突然、大きな岩の柱が突き出して、
何が起こった──。
精霊は地面に手を当てて、次なる特殊能力を発動する。するとたちまち、勝奈子の落下地点が沼へと変化する。この沼は、底なし沼だ。柴田勝奈子には、この能力に対処する手段がない。
「く。こりゃ流石に手を貸さねえとヤベえな」
斎藤が愚痴りながら、沼へと飛び蹴りを放つ。すると、脚が沼に触れた瞬間に、パキン! と甲高い音が響き、沼が消える。地面は一瞬で元の状態へと戻ってしまった。斎藤の【ランクS魔法耐性】が機能したのだ。
「まったく、召喚魔法は便利だな、精霊ってやつは色々出来てつぶしが効きすぎるんだよ」
愚痴りながら、斎藤は地面の穴に手を突っ込んで勝奈子を引っ張り出す。勝奈子は助け出されると「ゴホン」と、咳をして、余計な事をするなと言わんばかり、斎藤の手を振り払った。
「で、斎藤君。そろそろ良いかな?」
幸人がつまらなそうに斎藤に声をかける。斎藤は「
幸人の傍らでは、せんりがぐぐぐ。と、身を起こし、幸人に視線を送る。柴田勝奈子もまた、斎藤の後ろ姿に見入っていた。
幸人は低い構えを作り、斎藤へと間合いを詰めて行く。構えの名は「ナイファンチ」という。空手において最も基本的な型であり、対、達人用の型でもある。
やはり、斎藤君は魔導士や超能力者の天敵だ。一瞬でも好き勝手やらせたら、忽ち、仲間が全滅してしまう。この一撃で必ず決める──!
瞳に強い物を秘め、幸人はぐっと踏み込んだ。対する斎藤も、必殺技を発動する。
「絶掌波・螺旋!」
斎藤が、氣功術の奥義を発動する。この技は、先程の絶掌波とは違い、闘氣をドリルのように収束させて放つ技だ。斎藤の最大攻撃である。
気の輝きが一点に収束し、放たれた。それは幸人目掛けて真直ぐに伸び、急所に肉薄する。幸人は全霊の集中力で、タイミングを計る。
もう少し、もう少し……ここだ!
気弾が制空圏に侵入するなり、幸人は腕にオーラを集めて受け流す。それでも腕が軋む。だが、苦痛を堪え、深く踏み込んだ。
床が強く踏み鳴らされる。爆音に似た響きが場を満たし、中段突きが放たれる。
どしりと、拳が突き刺さる。斉藤の胸を、衝撃が突き抜ける。幸人渾身の浸透勁が炸裂したのだ。
「ぐ、がああああっ!」
斎藤は地面に落下して、ピクリとも動かなかった。
やがて斎藤の肉体が滲み、
やっと、斎藤道三を倒したのだ。
「く……」
幸人は倒れ込みそうになり、ギリギリ踏みとどまった。見ると、絶掌波を受け流した左腕から、かなり出血している。左半身がやけに重い。まだ、衝撃の余韻が抜け切れていない。
そんな幸人の視界の隅では、ボロボロの池田せんりと、
せんりに加勢しなくては……。
幸人は背後に目をやって、愛用の魔法の棒を見つける。棒は、破壊を免れた舞台の隅に突き立てられていた。
ぐっと棒を引っ掴み、幸人は勝奈子の前に立ちはだかる。
「そうか。斎藤は負けたのか。だが真田幸人、私に勝てると思うなよ!」
勝奈子は状況を呑み込んで、幸人へと切りかかる。幸人は大長刀の攻撃を、棒で受け止める。が、その瞬間、勝奈子の口角が上がる。
「波動斬」
勝奈子が、囁くように言う。同時に、幸人は派手に切り飛ばされた。
どおん、と、壁に激突し、幸人は激しく咳込んだ。受け流すつもりだったのに、出来なかった。斎藤から受けたダメージのせいで、繊細な技を使えなくなっている。それにしても柴田勝奈子、なんて怪力だ。片腕で振り抜いた
朦朧とする意識の中で、幸人はじわりと身を起こす。その視界の先で、せんりの巨体が大きく吹き飛ばされる。
行かなきゃ……。
踏み出した瞬間に、幸人は再び倒れ込む。自分で思うよりも、ずっと大きなダメージを負っているのだ。
動けよ。動け。
藻掻く幸人の目の前に、小さな薬瓶が転がった。
確か、僕の分は既に秀実から受け取って使ってしまった筈。それなのに何故、まだ余っているのだろう。
考えを巡らした幸人の脳裏に浮かんだのは、
そうか。霧隠さんが僕に託してくれたのか。
幸人は理解して、回復薬に手を伸ばした。
一方、せんりは再び起き上がり、巨大な足を振り上げた。ドシン、ドシンと、勝奈子を踏みつけようと追い回す。が、勝奈子は体格の割にかなり素早くて、簡単には攻撃が当たらない。それどころか、脚を振り下ろすたびに足首に、カウンターの斬撃を見舞うのだ。普通なら、アースアーマーは長刀で切られた程度ではビクともしない。だが、勝奈子の怪力は、常識の遥か上を行っていた。
「無様だな。池田せんり。チーム明智でお前だけが、戦力外だ」
叫びながら放った勝奈子の斬撃が、せんりの脛を捉える。せんりはつんのめるようにして動きを止める。そこに、勝奈子渾身の「波動斬」が叩き込まれ、せんりの鋼鉄製の身体を衝撃が突き抜ける。
暫しの沈黙の後、ズズン。と、せんりが倒れ込む。浸透勁が金属装甲の中へと伝わり、大打撃を受けたのだ。そこへ、止めとばかり、勝奈子が大長刀を振り下ろす。
が、瞬時に蒼い膜が割って入り、勝奈子の斬撃を受け止める。
「取り消しなさい。せんりちゃんがいなければ、あたしたちは勝ち上がって来れなかったわ」
怒りを押し込めた、静かな声がする。
せんりを守ったのは、
勝奈子は光の姿を目にして、咄嗟に背後を振り返る。すると織田信秋が地面に片膝を衝き、肩を揺らしていた。その服は汚れ、かなり消耗している様子だ。
「信秋様……。おのれ、明智光。やはりお前だけは、私が倒す!」
勝奈子は、怒りを露に光へと突進する。光も対抗して、水を水龍に変化させて放つ。
ぐぱ。と、水龍が口を開け、水のビームを発射する。勝奈子は迷わず、必殺技を繰り出した。
「うおおおっ。鬼神乱舞!」
目にも留まらぬ無数の斬撃が、水のビームを切り裂いてゆく。勝奈子の突進は止まらない。
一方、幸人はやっと回復して、光へと駆け出していた。このままでは光が危ない。勝奈子を止めなければ──。
──朱い一閃が閃いた。斬撃だ。幸人は咄嗟に攻撃を潜り、脚を止める。
「ふふ。真田。俺を無視とは随分と舐めたものだな」
幸人に切りかかったのは、織田信秋だった。そのまま、織田と幸人は激しい攻撃の応酬を開始する。互いに、仲間を庇う余裕などなかった。その背後では、勝奈子がもう、光の眼前へと肉薄していた。
「覚悟。明智光いいい!」
「あんたにだけは負けないんだから!」
光は水の剣を撃ちまくり、勝奈子の鬼神乱舞の斬撃は止まらない。次の瞬間、二人の少女が激突し、バチリと、音が響き渡る。
かっ。と、柴田勝奈子が血を拭き出して、膝を衝く。その全身にはあらゆる方向から水の剣が突き刺さっていた。一方で、光も吐血して崩れ落ちる。その胸は勝奈子の斬撃で切り裂かれており、傷口からは大量に出血していた。
「くっ。光!」
幸人は怒りを発し、織田に連撃を叩き込む。その圧で織田が飛び退いた隙に、幸人は光の許へと駆け付ける。抱き起した華奢な身体は、恐ろしい程に震えていた。
「幸、人……」
「光。喋らなくていい。すぐに
だが、幸人は既に
間に合え、間に合え!
幸人は祈るようにして、光を抱きしめる。次の瞬間、光の身体がぽう。と、
「光さん、が……」
池田せんりがやっと身を起こし、悔恨を口にする。一方、織田も勝奈子の大柄な身体を抱きしめて、そっと頬を撫でる。
「すみ、ません。信秋様。私はここまでのようです」
「良い。お前の働き、見事だったぞ」
「うれ、しい」
言葉を交わした直後、勝奈子の身体も光の粒子へと変わり、煙のように、上空へと立ち上っていった。
舞台に残されたのは、真田幸人、池田せんり、織田信秋の三人だけとなった。
ぐっと、織田が立ち上がる。幸人も闘志を滲ませて、織田と睨み合う。
「真田。この期に及んで正々堂々などと口にするまいな? やれる事は全部やれ。全てを出し切らねば、許さん」
「勿論さ。ここから先は、知略も含めて、やれる事は全部やるつもりだ」
織田と幸人が言い合う。幸人が傍らに目をやると、せんりも、深く頷いた。
「いくよ」
「来い。チーム明智!」
幸人とせんりが駆け出して、織田が二人を迎え撃つ。幸人は素早く
受け流した? まさか織田君は緋碧の魚の【無敵】という特性を知っているのか? 或いは、見抜いたのは徳川家理亜、か。
幸人が瞬時に考えを巡らす一方、せんりが幸人の頭上を跨ぎ、どしりと、織田へと踏み込んだ。
「ここは私が時間を稼ぎます。真田君はあの切り札の発動を!」
「でも、池田さん」
「早く。それに私にも、少しぐらい恰好付けさせて下さい。良いですか。何があっても絶対に、集中を切らしちゃ駄目。ですよ?」
せんりは肩越しに言って、織田に蹴りを放つ。蹴りはファイアウォールに阻まれて、次の瞬間には
幸人は全力で、集中を開始した。緋碧の魚が激しく泳ぎ、滝を登るような勢いで月の花の腕輪を目指す。
せんりの巨体が、幸人の目の前で切り刻まれてゆく。魔法の
「甘いぞ真田。発動を許すと思うのか!」
叫びながら、織田がファイアーボールを撃ち出した。火球は、瞬く間に幸人へと襲い掛かる。
「危ない!」
ボロボロのせんりが、幸人へと覆いかぶさる。同時に火球が着弾した。爆炎と轟音が辺りに充満する。闘技場全体が、衝撃で揺れている。
それでも、幸人は集中を解かなかった。
幸人を見下ろすせんりのタングステン製の頭部がゴトリと落ちて、魔法の鎧が砕け散る。アースアーマーの魔法が解除され、池田せんりの身体が剥き出しになる。それと前後して、緋碧の魚が腕輪へと飛び込んだ。かに思われた刹那──。
朱い閃光が、せんりの柔らかな身体ごと、幸人を貫いた。織田のファイアウェポンだ。赤熱した刀身は幸人の右腕を切断。幸人は腕輪ごと腕を切り飛ばされて、苦悶の声を上げる。
膝を折った幸人の視線の先には、せんりの姿があった。せんりは胸から肩までを切り裂かれて、崩れ落ちる。
「ごめん、な、さ……」
呟きながら、せんりの身体が
「ふん。時間稼ぎだと? 雑魚め。一瞬でも、俺に対抗し得るとでも思ったのか」
吐き捨てる織田に、幸人が怒りの視線を向ける。
「それは聞き捨てならないな。取り消してもらうよ」
「させてみろ。その身体で出来るなら、な」
「いいや。取り消させるのは池田さん、だよ」
幸人が言い放つ。その瞬間、織田を背後から、大岩が襲った。
一○メートル程の岩石が降り注ぎ、ドオン。と、織田が弾き飛ばされる。落下した岩陰には、土の
「くっ」
織田はたまらず地面を転がって大岩を避ける。なんとか岩の攻撃を回避して体制を立て直すと、土の精霊の身体が
「くっ。最後のあがきか。召喚魔法は厄介だが、これでもう、切り札は無くなったな。真田のあの能力も、腕輪が無ければ発動しないのだろう?」
「いいや。手遅れさ。魚はもう、腕輪へと飛び込んだ」
幸人の身体から、ぼっ。と、蒸気が噴き出して、肌に赤みが増す。確かに、腕輪は腕ごと切り飛ばされてしまったが、それは、魚が飛び込んだ後の事だ。もう、幸人は本当の力を取り戻していたのだ。
「ふん。片腕で、今更何ができる?」
「それは織田君も同じだろ?」
幸人が指摘する。その言葉通り、織田の左腕は骨折して腫れあがり、だらりと垂れ下がっていた。せんりの魔法が、重傷を負わせたのだ。
「それがなんだ。俺に勝つつもりか?」
「ああ。僕等は勝つ」
織田と幸人は言い合って、互いに踏み込んだ!
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