第64話 本能寺 上



 ◇


 秀実の超能力が発動して、世界の全てが静止した。

 秀実はすぐに駆け出して、【豊臣のハンマー】を振り上げる。

 ──狙いはうさ耳の首一つっす。覚悟するっすよ!

 黒い思惑と共に、鈍器を叩き込む。筈だったが、秀実は服部はっとり半菜はんなの間合いに踏み込んだ瞬間に、ピタリと動きを止め、前方へとつんのめった。

 脚の裏に鋭い違和感を感じたのだ。

 秀実は倒れそうになりながらも、ぐっと踏みとどまって視線を下にやる。だが、見るまでもなく感触で理解した。何か釘のような物を踏み抜いてしまったのだ。

 痛みへの予感と恐怖が秀実を満たし、次に、本格的な痛みが押し寄せる。思わず息を吐き出しそうになったが、必死でそれを堪えた。

 秀実はじわりとしゃがみ込み、舞台のタイルに触れてみる。すると、タイルそっくりの迷彩柄を施した布が指に触れ、めくれる。

 布の下にはびっしりと、マキビシが撒かれていた。


 羽柴はしば秀実ひでみは全て理解した。

 この功は、服部半菜の功にあらず。服部半菜に策を授けておいた徳川とくがわ家理亜いりあさんの手柄っす。あの、勝負に負けたと見せて、その実、これを狙っていたっすか。最初から、自分と刺し違えるつもりだったっすね。

 でも──。

 秀実は、痛みを覚悟して、もう一歩踏み出した。その瞬間、ぐさりと二つ、マキビシが足裏に突き刺さる。その苦痛を押し込めて、服部半菜へとハンマーを叩き込む!

 一◯回、否、もっと。必死で殴りつけて、元居た位置へと戻る。その視界はぐにゃりと歪み、今にも気を失ってしまいそうだった。

 毒だ。

 当然、っすね。家理亜さんが自分の能力に気付きつつあったなら、毒や細菌を使う。そうすれば、自分が時間停止を解除する頃には……。

 朦朧と思考を続けながら、秀実は衝撃波の構えを作り、息を吐き出した。


 ◇


 ドン。と、衝撃音がなり。服部半菜が吹き飛ばされる。

「今っす、才華さん」

 呟く秀実には、もう、何も見えていなかった。時間を止めている間に、充分に毒が回ってしまったのだ。でも、まだ倒れる訳にはいかない。

 今倒れたら、自分の能力の正体を見抜かれるっす。負けるにしても、攻撃を受けて倒れなければっす。

 薄れゆく意識の中で、秀実の耳に闘争の音が届く。


 霧隠きりがくれ才華さいかは、好機を見逃さなかった。吹き飛ばされた半菜はんなへと、無数のくないを放つ。くないは見事に半菜を捉えたが、突き刺さった瞬間に、パチリと、半菜の姿が水の塊へと変わってまき散らされる。


 しまった。水分身なの──!

 才華は敵の狙いを直感し、振り返る。すると羽柴秀実の胸から、ぐっと、忍者刀の刀身が突き出した。

 かっ。と、血煙を拭き出して、秀実が崩れ落ちる。服部はっとり半菜はんなが背後から忍び寄り、秀実を刺したのだ。


「後は、任せたっすよ……」


 呟いて、秀実は薄く微笑を浮かべる。そして最後のあがきとばかり、服部半菜の手の甲に爪を立てる。小さな引っ掻き傷がついて、半菜は「痛いぴょん」と、秀実の手を振り払う。直後、秀実の肉体が光粒子フォトンへと変わり、大気へと霧散していった。


「ひ、秀実さん!」

 才華の眼に、悔しさが滲む。


「とりあえず、邪魔者はいなくなったぴょん。これで思いきり戦えるぴょん」

「秀実さんを邪魔者扱いするの? それは聞き捨てならないの」


 霧隠才華はくないを両手に握り、闘志を剝き出しにする。服部半菜も静かに忍者刀を下段に構え、余裕を滲ませる。

 次の瞬間、二人の忍者は一瞬で間合いを詰める!

「やっ!」

 才華は鋭い連撃を放つ。半菜は忍者刀を使いこなし、攻撃を受け止める。無数の火花がまき散らされて、焦げた鉄の匂いが火花を追いかける。

 ふっと、半菜が残像を残し、才華の視界から消える。


「こっちだぴょん」


 まるで瞬間移動をするが如く、半菜はんなは才華の背後に現れて刃を振り抜いた。攻撃は命中。だが、切られた才華の肉体は、ドロン。と、木の葉の塊に替わり、崩れ落ちる。

 変わり身の術である。

 才華と半菜は互いに変わり身の術を繰り返しながら斬り合い、死角を奪い合う。が……。

 バチリ。と、才華が弾き飛ばされる。


「くっ」


 才華が苦悶の声を漏らす。

 強いの。対応しきれない。この感触、半菜ちゃんの【剣、刀、双剣、盾使用術】のランクはBぐらいはあるの。私の【暗器術】も、ダンジョンでランクCに上がったけど、まだ足りない。近接戦闘では勝ち目がない。でも、それは問題にはならないの。だって……。

 才華の眼は、何故だか勝ちを確信していた。


「わあああっ!」

 才華は雄叫びと共に、無数のくないを放つ。くないは簡単に、半菜の忍者刀で弾かれる。それでも、才華の瞳は光を失わない。

「臨む兵、闘う者、皆、陣列を為して前に在り。風遁ふうとん、風舞の術!」


 半菜が素早く印を結び、忍術を発動する。その瞬間、叩き落されたくないが暴風に運ばれて、再び半菜へと襲い掛かる!


「わ、わっ。ヤバいぴょん。やるぴょんね!」


 服部半菜は襲い来るくないを切り落とすが、何度でも、くないが風に乗って戻って来る。それは絶え間なく繰り返され、徐々に、半菜の体力を奪ってゆく。

 流石なの。これだけの攻撃が掠りもしないなんて。けど、私だって甘くはないの!

 才華は気迫を込めて、ワイヤーを振る。そしてついに、服部半菜が高く飛び上がった。


「やっと飛んだ。飛んだ物は必ず落ちるの……!」


 才華の口角が上がる。次の瞬間、才華は両手から無数のワイヤーを広げ、膝程の高さに張り巡らせる。それはまるで目の細かい蜘蛛の巣だ。服部半菜の落下予測地点には、ワイヤーの刃がこれでもかと広がった。


「なあんだ。ガッカリぴょん」

 半菜はポツリと呟いた。

 刹那、半菜が無数の十字手裏剣を放つ。手裏剣は、高速で回転しながらワイヤーを切り裂いた。更に!


「臨む兵、闘う者、皆、陣列を為して前に在り。水遁、水玉の術!」


 半菜はんなが印を結んだ瞬間に、口からいくつもの水の球が吐き出される。水球は超高速で才華を襲う。才華は咄嗟にワイヤーを眼前に張り巡らせる。が、切断された水の塊は勢いを失わず、才華を直撃する。

 ドドドドドドドドッ!

 機関銃のような水球の連打が、空中からこれでもかと撃ち込まれる。才華は弾き飛ばされて、舞台を転がった。

 そして、半菜がやっと舞台へと落下してゆく。

 才華の口元が緩む。風舞の術は、まだ、解除していないのだ……!

 どっと風が吹き、舞台上に転がっていたある物を、半菜の足の下へと運ぶ。それは、半菜自身が撒いた大量のマキビシだった。

 これはちょっと不味いぴょん──。

 半菜が心の叫びを上げる。直後、舞台へと着地する。それは霧隠才華の勝利を確定させる。筈だったが、半菜は平静な眼差しで、才華を見下ろしていた。


「どうして……」

 才華の表情が凍り付く。


 半菜の足の下には、サッカーボールぐらいの水の球が形成されていた。半菜は水の球の上に着地して、無傷だったのだ。

 なんて発動の速さ。早いだけじゃない。あの水遁忍術には水蒸気爆発の爆風を防ぐ程の力があるの。半菜ちゃんは間違いなく、私より強いの──。

 霧隠才華が、悔しさを噛みしめる。


「ほんと、ガッカリぴょん。もしかして、こんな作戦が切り札だったぴょん? 散々期待させといてそりゃないぴょんよ」

 半菜のうさ耳が不敵に揺れる。


 それでも才華さいかは立ち上がり、苦痛を押し殺しながら、くないを構える。


「無駄ぴょん」と、半菜が再び印を結び、水球を才華へと撃ち込む。


 才華は無数の水球を身に受けて、血を吐た。


「闘争スキルも忍術も、力も体力もレベルも、私が上ぴょん。才華っちに、勝ち目はないぴょんよ?」

 と、半菜は余裕を滲ませる。


 才華は、更なる水球の連打を受けて吹き飛ばされた。痩せた身体が観客席の魔法障壁に叩きつけられて、地面に落下する。だが、才華はよろめきながら、再び立ち上がる。


「理解に苦しむぴょん。どうして降参しないぴょん?」

「どうして、降参するの? 勝ったのは、私なの」

「勝ったって、何を言ってるぴょん?」

「まだ、気付かないの?」

「気付かないって、何を──」


 言いかけて、服部半菜がぐらりとよろめいた。

 まさか、まさか、まさか……。

 半菜はんなの胸中を不安が満たす。全身に悪寒がして、力が入らない。視界がぐにゃりと歪み、強い吐き気も襲って来る。


「これ、は……。まさか毒、ぴょん?」

「ええ。服部半菜ちゃん。貴方を倒したのは私じゃない。羽柴秀実ちゃんなの。私はただ、時間を稼げばよかったの」


 霧隠才華は言い放つ。その言葉を受けて、服部半菜の脳裏に先程の記憶が蘇る。

 羽柴秀実は消滅する直前に、服部半菜の手の甲を引っ掻いた。その時、手の中に、半菜のマキビシを握り込んでいたのだ。そう。半菜は、自分自身が撒いたマキビシの毒で、動けなくなったのである。


「闘争スキルも忍術も、腕力も体力もレベルも半菜ちゃんが上。でも、それは問題にはならないの。だって……忍者同士の戦いは、より、ズルい方が勝つの」と、才華は再び印を結ぶ。「忍法、突貫かまいたち!」


 叫ぶと共に、目の前の大気がぐにゃりと歪み、歪みは半菜へと襲い掛かる。半菜は圧縮された空気弾に包まれてズタズタに切られ、弾き飛ばされる。舞台を転がる半菜に、間髪を入れず、無数のくないと含み針が突き刺さる。


「う、ぐ。容赦ないぴょんね……」

「ええ。半菜ちゃんを相手に油断は出来ないもの。どうやらズルかったのは、私の方だったの」

「そうでもないぴょんよ?」

「え?」


 才華は半菜と言い合って、やっと自身の異常に気が付いた。薄く、眩暈と吐き気と倦怠感が感がある。独特の痛みも、身体中に広がってゆく。


「これは、いつの間に……」

「才華っちは、散々水玉の術を貰ったぴょんね。水玉に、私が何も仕込まなかったと思うぴょん?」


 ニヤリと言い、服部半菜の肉体が、光の粒子へと変わる。そうして、半菜はパチリと砕け散り、消滅した。


「そう。そういう、事……なの」


 才華もまた、膝を衝く。その顔や身体には、半菜から受けた水玉の術によって、無数の傷が刻まれている。傷口周辺は、既に青黒く変色していた。

 毒だ。

 そう。服部半菜は、水玉の術を放つ際に、隠し持った毒を混ぜ込んでいたのだ。


 途切れそうな意識の中で、才華は出来る事を探す。

 消える前に、何かをしなければ……。

 指先から、ワイヤーが伸びる。ワイヤーは懐から回復薬ポーションを探り出し、それを前方へと届ける。才華にはもう、幸人の後ろ姿しか目に入らなかった。

 ワイヤーが幸人に到達し、ポケットに回復薬を放り込む。それを見届けると共に、才華は光の粒子へと変わり、さらりと崩れ落ちて消滅した。


『真田君。後は頼んだの』


 ふと、声が聞こえた気がして、幸人は振り返る。だが、背後には誰もいない。

 秀実と才華はもう、倒されてしまったのか?

 疑問が過る幸人の背に、斎藤の蹴りが突き刺さる。


「よそ見してんじゃねえぞ!」


 怒る斎藤の顔面を、幸人は殴り返す。

 幸人も斎藤も、互いに血まみれで、脚もふらふらだった。


「く。痛え。無駄に殴り合っちまったな。真田」

「本当にね。とっとと倒れてよ。斎藤君」

「煩え。それはこっちの台詞なんだよ。だが、不毛だってのは賛成だ。そろそろ、終わりにしねえか?」

「ああ。一発で君を倒すとしよう」

「口だけは達者だな。足がふらついてんぞ」


 言い合って、幸人と斎藤は低い構えを作る。そして、じりじりと、距離を詰め始める。そんな二人のすぐ傍で、ボッ! と、衝撃波が発生する。


「奥義。鬼神乱舞!」


 柴田勝奈子が必殺の連撃を放ったのだ。豪快にして高速の斬撃と打突が、せんりの鋼鉄の身体へと打ち込まれ、せんりが吹き飛ばされる。その巨体は高々と宙を舞い、幸人と斎藤のいる地点に影を落とす。

 やがて、せんりの巨体が落下する。その鋼鉄の背中が、見る見る斎藤へと迫る。


「しまった。避けろ斎藤!」


 柴田勝奈子が、自らの過失に気付き、叫ぶ。

 次の瞬間──。


「うるせえ」


 と、斎藤がせんりへと回し蹴りを放つ。蹴りはせんりの背中に突き刺さり、打ち砕く。なんと、たった一撃で、せんりの超合金の右半身が大きく砕け散ってしまった。

 ズシン、と、超合金の腕が落下して、せんりの巨体が横たわる。


「ぐ、う……」


 せんりから、苦悶の声が漏れる。そこへ勝奈子が飛び上がり、追い打ちをかける。


「とどめだ、池田せんり!」


 勝奈子の大長刀おおなぎなたが唸りを上げ、降り降ろされた。





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