第62話 それぞれの想い 中



 ★


 舞台へ続く通路は、長い一本道だ。

 幸人はブリーフィングルームを出る前に、カレンと霧隠きりがくれ才華さいかを、紋章の異空間に隠しておいた。

 通路を行く幸人の胸に、様々な想いが去来する。


『すみません。自分、どうしても織田様は攻撃できないっす……』


 羽柴はしば秀実ひでみは先程、ブリーフィングルームで呟いた。幸人も光も、秀実の我儘を許してやる事にした。

 秀実の相手は徳川とくがわ家理亜いりあただ一人。それだけ考えてくれれば良い──。

 そんな風に言って、幸人は秀実の頭を撫でてやった。


『私は柴田しばた勝奈子かなこさんと戦います。正直、それ以外の人を相手にしても、私の魔法は通用しないでしょうから──』


 池田せんりも、ブリーフィングルームでは顔を曇らせていた。無理もない。織田のファイアウェポンの前では、せんりのアースアーマーはあまり役に立たないだろう。それどころか斎藤相手には、そもそも魔法が通用しない。せんりの判断は最善だといえる。


「じゃあ僕は、斎藤君をどうにかするよ。僕でなければ対処できない相手だし、ね」


 幸人も、仲間にそう告げた。本当なら織田と戦いたいところではあるが、チーム明智で物理戦闘に特化しているのは幸人だけ。そして、物理戦闘以外の方法では斎藤を倒せそうもない。それだけ斎藤の【ランクS魔法耐性】は厄介なのだ。


 つまり、織田おだ信秋のぶあきの相手は明智あけちひかりが務める事となる。その重圧はどれ程だろう。

 幸人は心配な面持ちで、光の背中を見つめる。光は先頭を歩きながら、一言も言葉を発しない。

 やがて、通路の先に会場の光が満ちる。

 舞台のざわめきが、徐々に大きくなってきた。

 ピタリと、光は足を止める。

 俯く光の肩に、幸人はポンと、手を置いた。

 すっと、秀実が手を差し出した。そこに、仲間たちが手を重ねてゆく。秀実、せんり、幸人、そして光が互いを見つめ合い、頷き合う。


「勝ちましょう……」


 明智光が呟くと、仲間たちが「応!」と、呼応した。



 ★



 一方、チーム織田の面々も、ブリーフィングルームを後にした。


「どうするの? 織田君。明智さんの提案を呑むの?」

 家理亜いりあが、織田に問う。


「ああ」

 織田はそれだけ言って、無言で歩き出す。


 実は、決勝戦を戦うに当たり、明智光は織田にある提案を持ちかけた。


『決勝戦は、決闘扱いにしない?』


 そんな提案だった。

 もしも織田が勝った場合、明智光は織田の恋人になる。そのかわり、光が勝った場合は、今後、織田が野望を達成するに当たって、異能力によって他人を縛るやり方をせず、自衛する場合を除き暴力にも頼らない。

 それが、光が出した魔法契約の条件である。

 織田は、条件を呑む事にした。


 ──明智がこういった取引を思いつく筈がない。真田の入れ知恵だな。この俺に勝てると踏んだか。舐められたものだ!


 織田の胸中に、メラメラと怒りが燃え盛る。その織田の武装は、いつもとは少し違っていた。

 織田は、決勝戦に限っては、切り札の【妖刀蘭丸】を帯刀していた。妖刀蘭丸はナーロッパの魔法道具マジックアイテムであり、伝説級の武器の一つだ。蘭丸の能力は、【使い手が望む属性の亜空間を作り出す】事だ。この亜空間は、明智光の超能力に対して強力な対抗策となるだろう。織田はこれまで一つも切り札を切ってこなかったが、決勝戦では、この切り札を迷わず使うと決めていた。

 織田なりに、幸人を敵と認めたからだ。

 幸人に、あの腕輪の能力を使わせる訳にはいかない。だが、それは決して難しい事ではない。幸人が【万有引力の操作】能力を開放する為には、多大な時間と集中を要する。その時間を与えなければ良い。それだけの事だ──。


 織田はぐっと顔を上げ、通路の先に目をやった。そこには観客たちのざわめきと、午後の光が眩しい程に溢れていた。



 ★ ★ ★



 舞台上に、チーム明智とチーム織田が出そろった。


「決勝戦は、両チームの提案により、決闘として扱われる事になりました。双方、既に魔法契約書にサインを済ませております。なんと! この試合でチーム織田が勝った場合、明智光さんは織田信秋選手の恋人になる。と、いう契約を交わしたようです。一方で、チーム明智が勝利した場合には、織田選手は野望を挫かれるに等しい制約を負う事になります」


 寧々ちゃんがマイクを手に、観客を盛り上げる。観客席にはいくつものテレビカメラが設置されていて、舞台の上空では六機もの撮影用ドローンがホバリングしている。どうやら、この決勝戦には世界中が注目しているようだ。


「あの、寧々ちゃん、この前はありがとね」


 幸人は、小声で寧々ちゃんに礼を言う。

 実は、緊急クエストの時、幸人は大切な魔法の棒を紛失した。だが、寧々ちゃんが見つけて拾っておいてくれたのだ。おかげで、決勝戦でも【基幹棒ボクサツ君】を存分に振り回せる。


「ふふ。これはチーム明智への貸しですよお? 貸しは、今度返して貰うからね」


 寧々ちゃんも小声で言い、パチリと、色気の籠ったウインクを返す。そのウインクは、何故か秀実に向けられていた。


「なんかゾクっとしたっす……」


 秀実が小さく身震いする。それを尻目に、寧々ちゃんは声を張る。


「では、両チームとも位置に着きましたね。この試合でチーム対抗戦の優勝チームが決まると共に、高等部最強の能力者が誰なのかもわかるでしょう。では、観客席の皆さんもご注目下さい……」

 寧々ちゃんは言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。

 鋭い緊張が、闘技場全体を覆いつくす。

「試合開始いいっ!──」


 合図がかかった瞬間に、織田が【ファイアーボール】の魔法をブッ放す。対して、光も、素早く片腕を振り上げた……。


 ◇


 じわりと、秀実が歩み出す。その眼には、強い闘志と決意とが滲んでいる。

 いつも通り【時間停止】能力を発動したのだ。秀実の瞳に映る何もかもが、完全に停止していた。


 この決勝に来た事で、自分は目的の殆どを果たしたっす。だから勝敗に固執する理由なんてない筈なんすけど……どうしてっすかね。

 秀実は内心呟いて、チラリと幸人へと目を移す。

 何故かこの試合、手を抜く気にはなれないっすよ。流石に織田様は攻撃できないっすけど、でも、勝ってみんなと笑い合いたい。心から、そう思ってしまっているっす。きっと、お人よしの光さんや、真田様のせいっすね──。


 想いを巡らしながら歩みを進めると、舞台の真ん中辺りには、大きな炎の塊が浮かんでいた。織田が放った【ファイアーボール】である。


 これは……流石にどうにもならないっすね。熱くて近寄る事も出来ないっす。流石は織田様っす。今回ばかりは、光さんの能力を信じるしかないっすね。


 なんて考えながら、秀実はチーム織田の陣地へと辿り着く。その目の前には、徳川とくがわ家理亜いりあの姿があった。家理亜は、手にした召喚呪符を破りかけている。まだ、完全に破り切った訳ではない。

 間に合った──。

 秀実はそう感じると共に、少しばかり、家理亜いりあへの攻撃を躊躇ためらった。

 家理亜の立ち位置が悪いのだ。家理亜は、織田の背後に隠れるように位置していた。これでは、秀実が家理亜を仕留めた場合、衝撃波では説明が付かなくなってしまう。衝撃波は、普通は直線でしか飛ばないものだ。家理亜は、織田に秀実の超能力の正体を確信させるために、わざと、秀実から狙えない位置に陣取っておいたのだろう。

 不味いっすね。でも、甘いっすよ家理亜さん。自分だって何も考えていない訳ではないっす。


 秀実は内心呟いて、舞台を飛び降りて家理亜の後方へと走る。そして、客席の壁を四回、ハンマーでぶっ叩く。それが終わると今度は、家理亜の背後にやって来て、華奢な背中を一○回程、ハンマーで殴りつける。


 今回はここまでっすね……。

 秀実は攻撃を終えると、小走りで自陣へと戻る。そして、いつも通り衝撃波の構えを作り、ふう。と、息を吐き出した。


 ◇


 時が動き出す。

 ドン! と、音が上がる。一つは家理亜から。もう一つは、家理亜の背後の壁からだ。

 ──ボクの後ろからも音が来た。まさか、跳弾を使ったの? じゃあ、羽柴はしば秀実ひでみの能力は時間停止ではなく、本当に衝撃波だったのか──。

 家理亜は瞬時に理解する。と、共に派手に吹き飛んだ。そのまま隣にいた斎藤目掛けて宙を舞い、ぶち当たる。それと交錯するように、織田のファイアーボールが着弾する。

 爆炎、そして轟音。

 チーム明智陣営は、裂光に包まれて、視認不能となる。


「家理亜!」


 斎藤はふわりと家理亜を抱き止めて叫ぶ。

 家理亜は明らかに致命傷を受けていた。が、その口元には薄い笑みがある。


「斎藤君、そんな顔をしないでよ。ボクは一足先に退場するけど、これで良いんだ。やるべき事はやった。試合が始まる前に、ボクの仕事は終わったんだ」

「喋るな家理亜。今、薬草を……」

「良いんだ。それは斎藤君が、使っ……」


 家理亜の微笑は、決して強がりではない。彼女は言葉通り、裏で策略を巡らしていた。

 まず、試合開始前に、チーム明智の切り札を潰しておいた。明智あけちひかりの弱点は、水を呼び出すまでに時間がかかってしまう事だ。だから決勝までには必ず、弱点を補うような仕掛けを用意する筈。家理亜はその仕掛けを見つけた。闘技場の裏に、大きな大理石のプールが作られていたのだ。プールには大量の海水が詰まっていた。それを試合前に破壊してやった。それに、仲間には策を授けてある。これで家理亜に残された仕事は一つだけ──。


 家理亜は、薄れゆく意識の中で最後の力を振り絞り、召喚呪符を破り捨てる。そして斎藤の腕の中で、ぽう。と、光粒子フォトンへと変わり、消滅した。


「家理亜……」

 斉藤が、空へ立ち登る光粒子を見上げ、絶句する。


 やがて、爆炎の余韻が治まって、明智陣営の様子が明らかになる。


「なん……だと」

 柴田しばた勝奈子かなこが絞り出す。


 明智陣営には、分厚い水のバリアーが張られていたのである。それはこれまで光が作ったどんなバリアーよりも分厚く、濃い色をしていた。


「ど、どういう事だ。明智光の切り札は家理亜が破壊した筈。何故、信秋様の詠唱短縮に対応する程の速さで水を呼び出せたのだ?」


 勝奈子が軽く狼狽し、誰にともなく問う。


「切り札はね、二つ用意する物なのよ?」

 明智光が勝奈子に応えて言う。


 そう。光は、第三回戦を終えた※第43話に、池田せんりと協力して、二つの切り札を用意しておいたのだ。

 まず、せんりのアースサーバントで精霊ノームを呼び出して、大理石のプールを作った。それが一つ目の切り札だ。但し、徳川家理亜の眼を逸らす為の陽動的仕掛けでもある。

 二つ目の切り札は、闘技場の地下に仕掛けておいた。精霊ノームは闘技場の地下深くにトンネルを掘り、海まで繋げておいたのだ。これにより、闘技場の地下には大量の海水が溜まっていた。光は、地下から膨大な海水を瞬時に呼び出して、織田のファイアーボールを防いだのである。また、光のバリアーの仕組みは至極単純だ。二◯〇万気圧まで圧縮した海水をドーム状に張り巡らせて、超高速で対流させているだけの物である。


「光。それは僕の台詞だよね?」

「あ、ごめん。なんか言ってみたかったから」


 光は幸人と言い合って、つい、と、指先を織田陣営へと向ける。


「お返しよ」


 光が呟くと共に、キュン! と、水の剣が放たれる。水の剣は音速を超え、織田陣営へと肉薄する。だが、命中寸前で、ゴオオオッ! と、紅蓮の壁が現れて水を防ぐ。織田が【ファイアウォール】の魔法を発動したのだ。


 こうして、明智と織田、両チームは膠着状態へと移行した。


「ま、ここまでは家理亜の読み通りだな。じゃあ俺、ちょっくら行って来るわ」

 斎藤が呟いてファイアウォールを通り抜ける。


「ふふ。思う存分暴れて来い」

 織田は微笑を浮かべ、斎藤の背を見送った。


 一方、明智陣営は斎藤の姿を見て、思わず息を呑む。


「来ると思ったっすけど、やっぱり出て来たっすね」

 秀実の額に、じわりと冷汗が浮かぶ。


 斎藤は、燃え盛るファイアーウォールを平気で通過して、のんびり舞台を歩いて明智陣営まで到達する。そして、とてつもない強度の水のバリアーすらも、まるで存在しないかのように通り抜けて、幸人の眼前で足を止める。斎藤の【ランクS魔法耐性】には、光の超能力でさえも、通用しないらしい。


「よう真田。ちょっとツラかせや」

「仕方ない。全く面倒な能力者だね、君は……」


 幸人は斉藤と言い合って、どすりと、床に魔法の棒を突き立てた。




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