第61話 それぞれの想い 上




 刃がぶつかり合う度に、火花がまき散らされる。

 徳川とくがわ家理亜いりあは、織田と武田の戦いに目を奪われていた。呆然とする家理亜の傍らに、すっと、本田ほんだ忠克ただかつが肩を並べる。


「織田に加勢するか?」

 忠克は家理亜に問う。


「ううん。織田君は『手を出すな』と言ったからね。それにもう、召喚呪符の効果時間が切れる頃だ。ボクも武田君には勝てないから、織田君に全てがかかってる」

 家理亜は、少し疲れた顔を忠克へと向ける。


「では、俺の仕事は終わりだな」

「うん。ありがとう本田君。今度また、ケーキバイキングでも奢るね」

「ふふ。その言葉、忘れるなよ?」


 言い残し、本田忠克の姿がかき消えた。取り残された家理亜いりあは、再び織田に視線を戻し、ぐっと拳を握る。


「織田君。手を出すなと言った以上は、信じるからね! ボクを失望させないでよね!」


 家理亜の声援が、織田おだ信秋のぶあきの背に届く。織田は舞台を縦横無人に駆け抜けながら、赤熱刀を振り回す。その流麗な剣舞は無数の残像を伴って、武田へと襲い掛かる。一方、武田も残像を残しながら、何度も織田と切り結ぶ。武田は、闘いながら呪文の詠唱を行っていた。


「させるか!」


 織田は武田へ鋭い斬撃を放つ。が、武田は剣先で織田の斬撃をふわりといなし、後方へと飛んで間合いを取る。


「天に星あり地に陣列あり。風のことわりは次元の境界を揺るがしたり。那由他なゆたの時空を超えて聴け。武田たけだ信一しんいちの名において命じる。盟約の鎖もて領界の狭間より力を示せ! 気高き風の加護よ、我れに味方し風の如き速さを齎したまえ。エアーエンチャント!」


 武田が詠唱を完了する。その直後、ぽうっと、薄ぼんやりとした緑色の光が、武田の身体を包み込んだ。


「速きこと、風の如し……!」


 武田が呟いて、ゆらりと踏み込む。次の瞬間、ふっと、武田の姿が消えた。

 パッと、血しぶきが上がる。

 織田が武田に切りつけられたのだ。武田は、織田の背後で、背中合わせに足を止める。織田は、武田の動きを目で追う事さえ出来なかった。


「ぐ……」


 織田はぐらりとよろめくが、なんとか、倒れる事は免れた。だが、肩と脇腹と太腿、三か所も切られて出血している。

 武田の奴め、【エアーエンチャント】の魔法を使える事を隠していたのか。不味いな。奴の動きが見えん……。

 織田は思考を巡らせて、冷や汗を浮かべる。【エアーエンチャント】の魔法効果は術者の素早さを上げる事。である。【ランクS高速移動】の保持者が、更に速さを増したのだ。最早、人間が対処できる速度ではなかった。


「倒れないとは中々しぶといな。流石は高レベルの上級職といったところか」

「抜かせ武田。これからお前を倒す者が、何故倒れる?」

「減らず口だけは達者だな。では、私も本気を見せるとしよう」

「ふん。ならば、俺は実力の半分ぐらいは見せてやるとしようか……」


 言い合って、織田と武田は黙り込む。その沈黙は重く、鋭い気当たりを伴っている。次に二人が切り結ぶ時、決着が付く。闘技場の誰もが、その事を予感していた。


「速きこと、風の如し……」


 ふいに、武田が呟いて、ふっと姿が消える。次の瞬間、織田から血しぶきが上がる。織田も対抗して赤熱刀を振るが、一瞬振り遅れて武田には当たらない。武田の猛攻は尚も続く。


「速きこと風の如し、速きこと風の如し、速きこと風の如し、速きこと風の如し……!」


 残像すらも残さない無数の斬撃が、あらゆる方向から織田を襲う。織田はあちこち切りつけられて、血だるまの様相を呈する。だが、それでも織田は倒れなかった。


「くそっ、武田! 林と火と山は何処にいった?」


 織田は叫びながら赤熱刀を伸ばし、ブン。と、武田の脚を刈る。攻撃が当たる直前で、武田は高々と飛び上がり、織田を見下ろす形となった。

 くっと、織田の口角が上がる。


「やっと飛んだな。空中そこでは早く動く事も、回避する事も出来まい。喰らえ!」


 織田が、上空にファイアーボールの魔法を放つ。巨大な業火球が、武田へと迫る!

 スパン。と、白刃の軌跡が煌めく。織田の魔法は真っ二つに切断されて、上空高くまで飛び、爆発した。武田が必殺の【風林火斬】を放ったのだ。だがそこへ、織田は次の攻撃を繰り出していた。

 伸びた赤熱刀の一閃が、武田の胴体へと迫る。武田はその攻撃も、流麗な剣技でふわりと受け流してしまう。

 刃と刃が触れ合って、ギギギ。と、火花が上がる。武田は、長い赤熱刀を滑るようにして、織田へと落下攻撃を仕掛ける。

 断!

 武田の、オリハルコン刀が降り降ろされる。次の瞬間、織田の片腕が切り飛ばされた。着地と同時に放たれた一刀が、見事、織田に大打撃を与えたのだ。


「勝負あり。だな……」


 呟きながら、武田は織田の胸をグサリと刺し貫く。だが、織田は血煙を吐き出しながらも、その口元に、強気な微笑を浮かべていた。


「この瞬間を待っていたぞ……」


 織田はぐっと踏み込んで、武田の胸倉をしかと掴む。

 次の瞬間、織田の身体すれすれを、ゴオオッ! と、猛烈な業火が包み込む。【ファイアーウォール】の魔法を発動したのだ。


「ぐ。まさか、これを狙って……」


 武田は業火に焼かれながら、オリハルコン刀を振り上げる。が、握られていた筈の刀は、もう、存在しなかった。手首から先が、一瞬で蒸発してしまったのだ。


「う。うおおおっ!」


 断末魔の叫びと共に、武田が業火に焼かれる。その身体は一瞬で黒焦げになり。崩れ落ちて行く。

 そして……。

 ぽう。と、武田が光の粒子へと変わり、大気へと霧散する。それと同時に、ファイアーウォールが解除され、織田が姿を現した。


「侵略すること火の如し……」


 織田はポツリと呟いて、観客席へ鋭い視線を投げる。

 幸人は、織田と目が合った。業火の残り火の中、血塗れで嗤う織田の姿は、狂った修羅そのものだった……。


「……勝負あり。チーム織田の勝ちです。壮絶な戦いでした……!」


 寧々ちゃんのアナウンスが響き渡る。そして、闘技場に歓声が沸き起こった。



 ★ ★ ★



 こうして、決勝戦を戦うチームが決まった。

 チーム織田とチーム明智。その試合は、昼休みを挟んで午後から行われる事となった。それまで、両チームは少しばかりの休息を味わっていた。


 織田の試合から三十分後。チーム明智の面々は、食堂で昼食を囲んでいた。食事中、誰も言葉を発する事はなかった。あまりに壮絶な戦いの余韻が、次の試合の壮絶さをも予感させていたからだ。


 黙々とサンドウィッチを齧る幸人の胸に、昨日の記憶が蘇る。


 ★


 昨日、幸人は織田と共闘して、緊急クエストをやり遂げた。その帰り道、幸人は織田と、何気ない会話をしていた。


「織田君は、どうしてチーム対抗戦を戦う気になったのかな?」

 長いダンジョンの道中で、幸人は問いかける。


「質問の意味が分からんな。俺の意図を想像できんのか?」

 織田は不敵に笑い、言い返す。


「だって、織田君は前に言っていたじゃないか。『政府は異世界帰りを保護するだのと綺麗事を並べ、実質、必死で隔離かくりしているに過ぎない。そのくせ、筋が通らん偽善的な良識で我々を縛り、反目させ、互いに争うように仕向けて同士討ちを狙っている』って。だとしたら、チーム対抗戦を戦う事は、踊らされるって事じゃないか」

「ふっ。なんだ。そんな事か」

「そんな事?」

「踊ってやるのさ。考えてもみろ。チーム対抗戦を勝ち抜けば、俺の実力を全ての異世界帰りに知らしめる事が出来る。片っ端からねじ伏せて従わせるよりも、余程効率が良いではないか」

「結局、そういう考えなんだね。じゃあ、織田君は、やっぱり大勢の異世界帰りを従わせて、何かをやろうとしているのか」

「当然だ」

「……それって、結局何が目的なのかな? 織田君は、世界を征服でもしたいのか? 大勢の異世界帰りの能力を使えば、そりゃ確かに世界征服だってできるだろうけど」

「それは聞き捨てならんな。真田は、俺がそんな下らんところを目指している程度の男だと思っているのか?」


 織田の言葉は、何処か、ほんの少しだけ淋し気な響きを孕んでいた。


「じゃあ、織田君の目的は、なに?」

 幸人は織田の横顔に、問う。


 織田は微かに逡巡して、顔を上げる。


「真田。お前の夢はなんだ?」

「え? 夢?」

「なんだ。真田には夢がないのか」

「ええと、僕の大切な物を取り戻して、穏やかに暮らしていく事かな」

「はっ。小さいな。お前も男だろう。何かこう、野望の一つでも持たんのか?」


 織田に問われ、幸人は自問する。

 幸人には、ここ三年間の記憶がない。その三年間の中に、何かとても大切な事があって、どうしても取り戻したいと感じている事は確かだ。だが、それは夢とは少し違う。

 では、夢は何だっただろう……。

 そうやって記憶を紐解いた時、幸人に、幼い頃の記憶が蘇る。


『俺。いつか火星に行きたいんだ──』


 懐かしい声が、思い出された。



 ◇◇◇



 それは、幸人ゆきとが小学生の時の事だった。


「俺。いつか火星に行きたいんだ──」


 公園のブランコで、その少年は言った。

 少年の名は、津藤つとうはがね。幸人の、たった一人の親友だった。はがねはとても整った顔をして、ちょっぴり繊細な印象で、クラスの女子生徒からよくモテた。当時、幸人は気弱で病弱で、学校の生徒達からは馬鹿にされて見下されていた。だが、鋼だけは幸人を対等に見てくれて、いつも遊びに誘ってくれていた。

 当時、幸人にとって鋼は、眩しい程に格好良くて、信頼できる兄のような存在だった。


「火星?」


 幸人は、ぽわんとした顔で、オウム返しに問いかける。するとはがねは、ちょっぴり意地悪な微笑を浮かべ、幸人の頭をワシワシと撫でる。鋼の、切れ長の二重瞼から覗く瞳には、斜陽の煌めきがいっぱいに溜まっていた。


「幸人は超古代文明とか、日油にちゆ同祖論どうそろんとか、不思議な事に興味はあるか?」

「え? まあ。好きだよ。宇宙人も、何処かにいるって思うし」

「そうか、良かった。世界には不思議がいっぱいなんだ。火星にだって、もしかしたら古代文明の遺跡があるかもしれない。そういう説があるんだぜ?」

「へえ。遺跡って宇宙人の遺跡かな? なんだかワクワクするね」

「だろ? それがどんな遺跡かは分からない。でも、だから行くんだ。いつか、俺は火星に行って、宇宙人の遺跡を見てみたいのさ」

「わあ。だったら僕も行ってみたい。その時は、連れて行ってよ」

「ああ。約束だ。いつか、一緒に火星に行こうぜ」


 言い合って、幸人ゆきとはがねは指切りを交わす。鋼なら、いつか必ず火星に辿り着くだろう。幸人には、何故かそういった確信があった。

 だが、その約束が果たされる事はなかった。この約束をしてから半年もしない内に、鋼が死んだからだ。


 津藤鋼は、とある事件に巻き込まれて、たった一二歳の生涯を終えた。でも、幸人と鋼が何気なく交わした約束は、幸人の胸の片隅に、ずっと引っかかっていた。

 そう。火星への旅は、いつしか幸人にとって夢といえるものに変わっていった……。



 ◇◇◇



 幸人は胸の痛みを押し込めて、顔を上げる。


「強いて上げるなら、いつか火星に行ってみたいな……」


 幸人が呟くと、急に、織田が高笑いを始めた。それはもう、顔を真っ赤にする程の笑い様だ。幸人は思わずムッとした顔を向けるが、織田はそれでも堪えきれず、高笑いを続ける。

 やがて、織田の高笑いが治まる。


「なんだ真田。そう怒るな。お前の夢を嗤ったのではない。嬉しくて笑ったのだ」

 織田は目に涙を浮かべながら言う。


「嬉しくて?」

「ああ。真田は、人類が月に行ったのがいつか知っているか?」

「ええと、いつだったかな。僕等が生まれるよりもだいぶ前だって事は解るんだけど……」

「アポロ11号が月面着陸に成功したのは、1969年7月24日。16時50分35秒だ」

「へえ。よく覚えているね」

「当たり前だ。人類が歩みを止めた日だからな」

「歩みを止めた?」

「そうだ。アポロ11号は西暦1969年に初めて月面着陸に成功したが、それは人類が最後に月に行った日でもある。考えてみろ。もう、60年近くも前の事だぞ。人類の月面着陸から、半世紀以上が経過したんだ。その間、人類は何をしていた? 答えは、。だ。半世紀以上もの間、70億人以上の人類が、寄ってたかって一歩も前に進んでいない。たまに『次は火星を目指す』などとほざく指導者もいるにはいるが、現状はどうだ? 我々はたったの一歩も踏み出さず、無駄に差別し合って殺し合って奪い合っているだけだ。どいつもこいつも、己が利益の事しか考えず無駄に人生を浪費して死んでゆくだけの豚共に過ぎない」


 話す内、織田の言葉には熱が籠ってゆく。幸人も話を聞いて、少しだけ納得してしまう。


「君は口が悪いね。じゃあ、もしかすると織田君の夢は、火星に行く事なのかな?」

「そうだとも、違うとも言えるな」

「どういう事?」

「俺は、この銀河を手中に収めたいのだ。まず、半年以内に全ての異世界帰りを俺の傘下に置く。来年にはこの国と世界中のゴミを掃除して、人類の力を一つに束ねる。地球での後顧の憂いが無くなったら、月を目指す。月の次は火星、火星の次は木星。こうして、10年以内に太陽系を征服する。次の五年は準備期間に当て、次の一〇年で銀河を征服する。馬鹿だと思うか? だが、真田ならば、絵空事とは思うまい」


 幸人は織田に問われ、暫し押し黙る。確かに、織田が言う事は可能だと思われた。そう。幸人たちには、常識を超えた力がある。誰かが先頭に立ってみんなの力を合わせる事が出来たならば、決して、絵空事ではないのだ。

 知らず、幸人の瞳にも、強い輝きが宿っていた。


「ああ。確かに絵空事じゃない。異世界帰りが力を合わせたなら、きっとできるだろう。まあ、織田君のやり方には賛成できないけどね。それでも、僕が火星に行く時は、織田君を連れて行ってあげても良いよ」


 幸人は、不敵に言う。すると織田もニヤリと笑い、


「抜かせ。火星へ連れて行くのはこの俺だ」


 そう言って、ぐっと拳を差し出した。幸人はコツリと拳を合わせ、再び笑い合った。


 ★


 幸人は記憶を押し込めて、顔を上げる。試合前の緊張が、仲間たちに浮かんでいた。


「決勝戦まであと二○分です。選手の皆さんは、ブリーフィングルームへと移動してください──」


 闘技場の館内放送が、食堂に響き渡った。




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