第51話 迷宮防衛戦線 下




 中層入り口の溶岩地帯には、深い谷がある。そして谷底には溶岩の大河が流れている。歩けそうな地面には所々亀裂が入っており、そこから時折、鮮烈な火炎が噴き出している。


 ちなみに、ここは既に中層ではある。ただし、清原きよはら凪子なぎこ班が進んだルートとは違い、門は設置されていない。溶岩の大河と、そこに住まう大型のドラゴンたちが、生き物の往来を阻害しているからだ。従って、モンスターが溶岩の河を渡って来る事はない。渡ろうとしてもドラゴンに捕食されてしまうだろう。


 本願寺は、灼熱の火炎に照らされても顔色一つ変えず、織田を見下ろしていた。

 織田班は、織田おだ信秋のぶあき明智あけちひかりが前衛を固め、二人に守られる形で羽柴はしば秀実ひでみと池田せんりが続き、後方は、柴田しばた勝奈子かなこ伊達だて正治まさはるが固めている。数の優位は間違いない。それなのに、本願寺には、一切、焦りの色が無かった。


本願寺ほんがんじ。逃げきれないと踏んで諦めたか?」

 織田おだの目に鋭さが宿る。


「馬鹿抜かせ。てめえらはここで全員死ぬんだよ」

 本願寺は吐き捨てるように言う。


「ならばとっとと降りて来い。殺し合うなら、手早く済ませるぞ」

「良いぜ。織田はいずれ潰すつもりだったからな」


 本願寺は言い放ち、大岩から飛び降りる。その肉体は既に、半分以上が金属化していた。油断の気配は微塵もない。


「本願寺いいいっ!」


 突然、池田せんりが踏み出して、二丁のサブマシンガンを撃ちまくる。無数の弾丸が本願寺に襲い掛かったが、本願寺は、腕を素早く大盾へと変化させ、攻撃を凌ぐ。着弾の火花が散らばる中、本願寺は顔色一つ変えない。


「うるせえぞ。雑魚は引っ込んでろ!」

 本願寺の肩から、金属がアメーバのように伸びて、せんりを襲う。


「危ない!」


 光は、咄嗟に飛び出して、水のバリアーで本願寺の攻撃を防ぐ。だが、辛うじてせんりを守りはしたが、せんりが装備していたサブマシンガンは、弾き飛ばされて溶岩の大河へと落下していった……。


 明智あけちひかりは言いようのない不安に満たされていた。

 能力相性だけ見れば、こちらが圧倒的に有利な筈。それなのに、本願寺のこの余裕は何なのだろう? 何か、嫌な切り札を隠し持っている気がする……。

 光の不安を他所に、織田は灼熱の刀身を顕現させる。【ファイアウェポン】の魔法を発動したのだ。


「下がっていろ。戦いの邪魔だ。ここは足場が脆いから、間違ってもアースアーマーは使うなよ? 使えば全滅する」


 織田はせんりに言いつける。せんりは、悔しさを滲ませて、崩れ落ちて泣き出した。


「……行くぞ」

 ゆらりと、織田が本願寺へと踏み込む。本願寺も、能力を発動した。


 グン。と、織田の灼熱の刀身が伸びた。本願寺は腕を金属の盾に変形させ、迎え撃つ。織田の攻撃は鋭く盾に突き刺さったが、次の瞬間、盾がぐにゃりと溶けて、ファイアウェポンを包み込む。


「オラッ」

 本願寺は、もう片方の腕を振る。それは長大な刀に変形して、織田に襲い掛かる。織田は咄嗟に飛び退こうとしたが、出来なかった。

 液体化した金属が織田の腕まで伝い、動きを拘束していたのだ。

 ガキッと、音が響き渡る。

 柴田しばた勝奈子かなこが飛び出して、本願寺の攻撃を受け止めた。


「勝奈子、余計な事を……」

「すみません信秋のぶあき様。ですが、ただ見ているなんて、私にはできません!」


 叫びながら、勝奈子は大きな長刀なぎなたを振り抜く。本願寺は大刀を打ち払われて体制を崩す。そこへ、勝奈子かなこがズイ、と、踏み込んだ!

 斬!

 長刀の攻撃が、しかと本願寺を捉える。本願寺は攻撃をモロに受け、三〇メートルも吹っ飛んで、激しく壁に叩きつけられた。


「うおおっ。とどめだ!」

 勝奈子が叫びながら走り出す。


 その刹那──。

 ピシャーン! と、雷光がほとばしり、勝奈子を直撃した。

 やがて雷光の余韻が冷め、景色が色を取り戻す。


 勝奈子は全身焦げ、黒くなっていた。白目を剥き、口からは煙が上がっている。その大きな身体は微動だにせず、案山子のように立ち尽くしている。

 ヒリつくような沈黙が、冒険者たちを包んでいた。


「わあ。驚いた。そこそこ本気で撃ち込んだのに原形を留めてるなんてねえ。ナーロッパ能力者はなんて頑丈なのおっ!」


 気怠い声が響き渡る。声の主に目をやって、冒険者たちの目に動揺が浮かぶ。そこに居たのは浅井あさい長代ながよだった。


「浅井さん……」

 光の声に絶望の気配が漂う。


「また会ったわねえ、明智さん。貴女にはこの前の借りがあるからあ、突っかかって来ないのであれば、今回は見逃してあげる。そこのもね。まあ、本願寺君が見逃してくれるとは限らないけどねえ」

 と、浅井長代は池田せんりにも、侮蔑の微笑を向ける。


「どう、して。浅井さんはNSJとはもう、無関係な筈でしょ……」

「あれえ? 明智さんは知らないのお? カウンセラーシティで一番危険視されてるのはね、織田君なのよお。彼はとっても凶暴なの。放っておけば、世界が大変な事になっちゃう。だから私は織田おだ信秋のぶあき包囲網に参加した。正義の為にね……」

「織田信秋包囲網?」

「ええ。織田君は政府やNSJだけじゃない。カウンセラーシティの治安維持局や、多くの能力者たちからも危険視されているのお。そして、何人もの能力者と治安維持局が協調して、危険を排除する事にした。それが、織田信秋包囲網なのよお」

「だ、だからって百足会に協力するの? 本願寺だって危険でしょ!」

「馬鹿ね。本当に何も気が付いていないのお? 追い詰められたのは私たちじゃない。嵌められたのは、明智光さん。貴女たちなのよ?」


 ひかり長代ながよと言い合って、やっと、何もかもを悟った。


 つまり、この緊急クエストそのものが、仕組まれていたのだ。

 恐らく、このクエストに参加している面子は、政府や治安維持局にとって都合が悪い存在なのだろう。そしてクエスト管理局も、治安維持局の目論見を知りながら、罠の片棒を担いだ。彼らは、本気で殺すつもりなのだ。織田おだ信秋のぶあきはおろか、ひかりも、羽柴はしば秀実ひでみも、池田せんりも、柴田しばた勝奈子かなこも、伊達だて正治まさはるも……。

 それだけじゃない。

 清原凪子班のメンバーもまた、罠にかかった事になる。

 幸人ゆきとや、才華さいかちゃんが危ない……!

 光は視線を上げる。その先で、ムクリと、本願寺が身を起こす。


「まあ、そういうこった。織田。お前はここで終わりなんだよ……」


 と、本願寺が邪悪な笑みを浮かべる。その傍らに、浅井長代が肩を並べる。光は思わず、言葉を失っていた。


「ちょっと待つっす」

 秀実が口を開く。ピクリと、長代が眉を上げる。秀実は言葉を続ける。

「浅井さんっていったっすか? 自分、難しい話はよく分からないっすけど、あんたさんが酷い人だって事は解るっす。何より許せないのは、せんりちゃんを馬鹿にした事っすよ」


「何が言いたいのかしらあ? 羽柴はしば秀実ひでみちゃん」

「謝るっす。さっきの言葉を取り消して、せんりちゃんに謝るっすよ!」

「あら。もしも謝らなかったら?」

「じ、自分は浅井さんを許さないっす」


 秀実は震える声で言う。せんりは薄く涙を浮かべて「秀実さん……」と、呟いた。


「じゃあ、謝らないわ。だって私い、貴女の事も始末するつもりなんだもん。それに前から興味があったのよねえ。私の電撃と羽柴ちゃんの衝撃波、どっちが速いのかし──」


 ──突然、どむっ。と、音が響き渡る。

 言い終わる前に、浅井長代は白目を剥いて崩れ落ちた。

 秀実が衝撃波を(と、いう事になっている)放ったのだ。

 それはあまりにも一瞬の出来事だった。


「今……何をした?」

 本願寺の顔に、動揺が浮かぶ。


「おっと。ご自慢の切り札が無くなって驚いたのか? 形勢逆転だな……」

 織田がニヤリと笑い、ファイアウェポンの切っ先を、本願寺の眼前に突きつける。


「織田あああっ!」


 本願寺が叫んだ瞬間に、ぐっと、ファイアウェポンが伸びる。赤熱した切っ先が本願寺の金属装甲に突き刺さり、突き飛ばす。本願寺は数十メートル宙を舞い、岩壁に叩きつけられた。

 そこへ、

「ふんっ!」

 と、織田がファイアーボールを放つ。火球は本願寺を直撃し、ドオオオン、と、爆炎が上がる。


 業火は眩い程に本願寺を包み、燃やし続ける。だが……。

 炎から、無数の針が伸びる!


「危ない!」

 光が数千本の針に立ちはだかり、水のバリアーを張る。針はバリアーに突き刺さり、動きを止めた。

 やがて、ぐぐぐ。と、針が縮む。


「やってくれるじゃねえか……」

 業火から、おもむろに本願寺が歩み出す。本願寺は、体表面の殆どを、金属化していた。


「ふん。腐ってもシャングリラ能力者という訳か」

 織田が吐き捨てる。


「織田、あんた、躊躇ちゅうちょなくファイアボールを撃つなんて。本願寺を殺すつもり?」

 光が織田に非難の目を向ける。


「文句があるのか? だったら、明智が本願寺を仕留めて見せろ」

「ふん。言われなくたってやるわよ!」


 光は織田と言い合って、本願寺へと歩み出す。その傍らに、秀実が肩を並べる。

『ふふ。これはチャンスっす。ここで織田様に良い所を見せればポイント高いっす!』

 秀実はボソボソ呟いて、光と頷き合う。

 次の瞬間……。


 ダン、ダン、ダン、ダン、ダアン!

 突然、発砲音が響き渡る。銃弾は、全て本願寺に命中。そのうち一発は、本願寺が僅かに露出させている頬を掠め、微量に出血させた。

 一同が、背後に目を向ける。

 発砲したのは伊達だて正治まさはるだった。伊達は左目に眼帯を着け、鋭い威圧感を放ち続けている。この伊達正治の能力について知る者は、ここには一人もいない。織田も、光も、殆ど言葉を交わした事がない相手だった。


「なんだよ? 余計な手出しをするなとでも言いたいのか? ダラダラやってるから撃っただけだろ。あ、言っとくけど、もう勝負はついたからな?」

 伊達は不機嫌に言う。


「お前、戦いの作法もへったくれも無いな」

 織田が伊達へと呆れ顔を向ける。


「知るかボケ。俺は誰の手下でもねえんだよ。好きにやらせて貰うぜ。カス共が」


 伊達は悪態を吐き、拳銃をホルスターへと収める。銃は、44口径のオートマグナムだった。


「勝負はついたって? 舐めてるのか」

 本願寺が、怒気を露に踏み込む。


「させない。あんたの相手は私よ!」

 光もまた、本願寺へと踏み込んだ。


 光と本願寺は互いに気合を発し、能力を発動させる。

 本願寺からは万本の針が、放射状に放たれる。光は水を操って水龍を形成。ぐぱっと、水龍が口を開き、水のビームで対抗する。

 水と、金属が激しくぶつかり合う。その勢いで蒸気が発生し、轟音が周囲を満たす。


「うわあああ! 負けるもんか!」

 光が雄叫びを上げる。


 押し勝ったのは、光の水龍だった。

 ドン。と、本願寺が吹き飛ばされて、洞窟の天井に打ち付けられる。


「うぐ。まだ……だああっ!」

 本願寺も怒声を張り、更に数万本の針を伸ばす!


 無数の針が蛇のようにうねりながら、明智光を追尾する。光も対抗して、龍の形状を変化させる。


「ゴメン。それは流石に手加減出来ないわ……」

 悲し気に言って、光は、水の剣を伸ばす。


 キュン。と、鋭い音が響き渡る!

 水の剣が無数の針を切り裂いて、本願寺を貫いた。本願寺が天井の岩にぶつかって、岩が砕け散る。

 やがて、ドサリと、本願寺が落下する。その口元からは、大量の血が滴っていた。

 本願寺の喉元に、水の切っ先が伸び、静止する。


「諦めなさい本願寺。貴方は強いけど、あたしとは能力相性が悪すぎる」


 言い放つ光に、本願寺の怨嗟の眼差しが突き刺さる。


「抜かせ、クソが……」


 本願寺はこの期に及んで腕を金属化させる。腕は大きな槍へと変わり、光へと延びる!

 その刹那、光の前に、大きな影が飛び出した。

 ぐっと、本願寺の槍が掴まれる。


「舐めるなよ、シャングリラ能力者あああっ!」

 叫んだのは、柴田しばた勝奈子かなこだった。


 勝奈子は槍を引っ張り、本願寺を持ち上げる。そして……。

 ドシン、と、本願寺を地面に叩きつける。本願寺が落下した場所は、断崖絶壁の際だった。絶壁は溶岩の河の上にせり出しており、本願寺が落下した衝撃で、少々亀裂が入った。


「ぐ……あ、柴田勝奈子……だと? お前、どうして生きて……」

「あんな落雷ぐらいで、私を仕留められるとでも思ったか?」


 柴田しばた勝奈子かなこが言い放つ。一方、本願寺はほぼ、戦闘不能の状態だった。


「これが最後よ本願寺。投降して。お願いよ。これ以上、力なんて求めてどうするの? あたしたちと学校に戻りましょう……」

 光の目に、薄く涙が滲む。


「一線を越えた事がないお前に何が解る? 嫌だね」

 本願寺が、血反吐と共に吐き捨てる。


 ──次の瞬間、斬。と、紅い一閃が振り抜かれた。本願寺が居る絶壁が、斜めに切って落とされたのだ。

 本願寺が、なす術もなく溶岩の河へと落ちてゆく……。


「本願寺、掴んで……!」


 光は咄嗟に駆け出して、水の塊を本願寺へと放つ。水はロープに変化しながら伸びる。だが、本願寺は、目の前のロープを掴まなかった。


「偽善者が……」


 本願寺が微かに呟く。そこへ、溶岩の川面を割り、巨大なドラゴンが姿を現した。

 竜はガパッ、と、口を開け、落下してきた本願寺を丸呑みにする。

 ゴリ。と、竜の口から嫌な音が響く。骨を噛み砕くような音だった。


 あまりの光景に、光はぞっとして言葉を失ってしまう。それを尻目に、竜は、再び溶岩の河へと身を潜らせて、見当たらなくなった……。




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