第52話 緋碧の魚 上




「どうしてよ……」


 光は怒りを滲ませて、織田を睨む。織田はファイアウェポンの魔法を解除して、光に、溜息を吐き捨てる。

 そう。絶壁の際を切り落として、本願寺を突き落としたのは織田だったのだ。


「討伐目標ノ死亡ヲ確認。クエストガ達成サレマシタ。大壁ヘ帰還シテクダサイ」


 ドローンが舞い降りて、無機質な音声で言う。その無常さに、光の胸に、強い怒りが込み上げて来た……。


 ゆらりと、ひかりが立ち上がる。

 何か言いたそうな顔を見て、織田が口を開く。


「人生五〇年。明智は本願寺を救う為に、貴重な時間と労力を使った。それで十分だろう?」


 織田が言う。その頬を、光がパアン、と、張る。


「織田、あんた何様のつもりよ!」

「どうあっても救えぬ者もいる。明智は手を伸ばした。本願寺は掴まなかった。それだけの事だ」


 光は織田と睨み合う。光は尚も言葉を発しかけたが、ぐっと、言葉を飲み込んだ。


「とりあえず戻るっす。言い合っても、どうにもならないっすから……」


 秀実が苦い面持ちで促した。

 織田班は浅井あさい長代ながよを拘束し、迷宮ダンジョンを引き返した。拘束に使った道具は、治安維持局御用達マジックアイテムである。


 迷宮を戻り始めると、彼方から、ドオン、ドオオン! と、音が鳴り響いた。微かに、衝撃も伝わって来る。


「真田か。あっちも修羅場になっているらしいな……」


 織田がぽつりと言う。

 突然、織田班の眼前にドローンが降下してきた。


「緊急クエストノ内容ヲ更新。煉獄門ガ破壊サレマシタ。大至急、清原凪子班ト合流シテ下サイ。復元能力者ノ到着マデ、モンスターノ群レヲオシ留メテクダサイ」


 ドローンの言葉を聞き、冒険者たちが顔色を変える。


「れ、煉獄門が破壊されたって、大変じゃないっすか! また、東京が滅茶苦茶になっちゃうっすよ!」

 秀実ひでみは焦る。


「ほう。良い事じゃないか。永田町が灰燼かいじんに帰せば、俺の手間も省けるというものだ」

 織田は黒い微笑を浮かべる。


「私は戻ります。品川には、私の母親が住んでいますから……」

 柴田しばた勝奈子かなこは言い、速足で歩き出す。


「待て勝奈子かなこ。そういう事であれば、話は別だ」


 織田は勝奈子の肩を掴み、光へと視線を送る。光はもう、大量の水を呼び集めて船を形成し始めていた……。



 ★ ★ ★



 一方その頃、清原きよはら凪子なぎこ班の面々は、モンスターの軍団を相手に、熾烈な戦いを繰り広げていた。


「うおおおおおっ!」

 直江なおえ兼倉かねくらが、魔法矢を射ちまくる。モンスターの群れが、魔法矢を受けて次々と倒れる。が、すぐに、新たなモンスターの群れが押し寄せる。

「くそ! こいつら無限にいやがるのか? 倒しても倒しても、キリがない」


 愚痴る直江の傍らで、凪子なぎこ先生が【エアーカッター】の魔法を発動する。

 無数の空気の刃が、モンスターの群れを切り裂き、薙ぎ倒す! だがやはり、新たなモンスターの群れが現れて、次々と、冒険者たちへと押し寄せる。


「愚痴るな直江なおえ。お前はさっき、すぐに長安ながやすにやられてろくに働かなかっただろう。モンスターの相手ぐらいして貰わんとな」


 強気に言った凪子先生だったが、内心は、かなり焦っていた。

 魔法力MPが底をつきかけていたのだ。

 そこで凪子先生は長刀を掴み、直江の眼前へと踊り出す。固定砲台役の直江の盾となるつもりなのだ。


 直江と凪子先生の眼前では、真田さなだ幸人ゆきと霧隠きりがくれ才華さいか斎藤さいとう道三みちみつの三人が、巨大なミノタウロスと戦っている。ミノタウロスは、所謂いわゆる、ボスモンスターと呼ばれる類の存在だった。その体躯は一五メートル以上はある。


 ダンジョンの中層には、六匹の強力な首魁級モンスターがいる。六匹はそれぞれ多くの魔物を従えて、冒険者たちの侵入を阻んでいる。

 その六匹を、中層ちゅうそう六角ろっかくという──。


 これは、冒険者たちの共通認識だった。そして、目の前にいる、赤い巨大なミノタウロスこそが、中層六角の一角、通称「血染めの大角おおつの」と二つ名される魔物だった。


 ミノタウロスが、大戦斧を振り上げる。

 ドオン! と、大戦斧が地面に突き刺さった。大戦斧は容易く大岩を割り、破片が四方へと飛び散る。


「あっ……!」


 と、悲鳴を上げ、才華さいかが地面を転がった。岩の破片が命中したのだ。そこへ間髪を入れず、大戦斧が降り降ろされる!

 斧はドシッと、才華に命中して、土煙が上がる。だが……。

 次の瞬間、切られた筈の才華の身体が、煙となってかき消えた。


「忍法、変わり身の術!」


 叫びながら、才華が、ミノタウロスの頭上へと姿を現す。才華は「やっ!」と、ワイヤーを放ち、ワイヤーが、ミノタウロスの耳に巻き付いて切断する。


「霧隠さん、下がるんだ!」


 才華が着地すると同時、幸人が叫ぶ。才華が咄嗟に後方へと飛び退くと、目の前に、ドカン。と、大戦斧が降り降ろされた。


「うおおおっ!」


 幸人が大戦斧の攻撃の隙を突き、棒の連撃を放つ。

 膝、肘、鳩尾。棒が叩き込まれ、ミノタウルスの体内で、強烈な浸透勁しんとうけいが炸裂する。

 パアン、と、ミノタウロスの肘と膝が弾け、大きな骨が露出する。

 だが……。

 じわりと、ミノタウルスの傷口がうごめいて、見る見る傷口が塞がってしまう。才華から切り落とされた耳も、完全に再生してしまった。


 高速の自己再生能力──。


 それが、血染めの大角の特性だった。冒険者たちがその事に気が付いた時には、既に、魔法薬ポーション魔法力MPが尽きかけていた。


「グモオオオッ!」

 ミノタウルスが雄叫びを発し、大戦斧を横薙ぎに振る。


「どきな」


 斎藤さいとう道三みちみつが進み出て、大戦斧を蹴り上げる。大戦斧は衝撃で軌道が逸れ、岩壁に激突する。そこへ、斎藤が踏み込んで、強烈な掌打を叩き込む。

 ドン! と、気の塊が発射され、ミノタウロスを貫いた。ミノタウロスは背中が爆ぜ、背骨が露出して呻き声を上げる。しかし、それ程の大怪我もまた、二〇秒もせず完全に治ってしまった。


「く。このままじゃ、じり貧だな……」


 斎藤が、額に冷や汗を滲ませる。大戦斧を蹴り上げた足からは、血が滲んでいた。


「幸人君。無理だよ。これはフラグ的に、あのミノタウロスを倒さない限り、モンスターが無限に湧き出してくるパターンだよ。ボクも、もう何回も回復魔法を使えない。取り返しが付かない事態になる前に撤退しよう!」

「フラグ? そんな、アニメやゲームじゃあるまいし」

「あるんだよ。例えば、ナーロッパは人々の想念が作り出した世界なんだ。そして、あそこでは、お約束みたいな展開は珍しくもなかったそうだよ。現世うつしよの人々が、異世界とはそういうものだと思ったり、ゲームみたいな幻想を求めている限り、どんな事でも起こり得る。そういう世界なんだ。このダンジョンは、ナーロッパ帰還者が証言するナーロッパの環境と酷似している。だとしたら、これはだいぶ不味い状況だよ!」


 と、徳川とくがわ家理亜いりあが撤退を促す。家理亜は、二つの刀を素早く振り回し、骸骨アンデッドの群れを蹴散らしている。それは流麗な、見事な剣舞だった。だが、敵の数が多すぎる。倒しても倒しても倒しても、迷宮の地面から、次々と敵が湧き出して来る。


 幸人は周囲を見回して、事態の深刻さを理解する。

 斎藤道三はこれまで氣功術を乱発したせいで、かなり疲弊している。才華も、飛び道具系の暗器を使い果たし、負傷して満身創痍の状態だ。凪子先生も、あと一回、魔法を使えるか使えないかまで魔法力を消耗している。直江兼倉は魔法矢を射ちまくり続けているが、やはり、かなり体力を消耗している。かくいう幸人も肩で息をしている……。


「仕方がない。家理亜、みんなの回復を頼む。詠唱の時間は、僕が稼ぐから!」

「で、でも……」

「頼む。家理亜」

「わかったよ。皆、回復魔法を使うから、ボクの所に集まって!」


 叫ぶ家理亜を尻目に、幸人はモンスターの大群へと踏み込んだ。


「うおおおっ!」


 幸人は、切り札の【緋碧の魚】を円盤状に変形させて、モンスターの群れへと放つ。円盤は、キッと鋭い音を放ちながら、瞬く間に、魔物を切り裂いてゆく。

 巨大な狼が、甲虫が、蜥蜴戦士リザードマンや大蜘蛛や骸骨アンデットが、次々と細切れにされる。それなのに、モンスターの軍団は怯まない。倒された魔物の屍を踏み越えて、続々と、幸人へと殺到する。その数は数千か、数万か……。

 その隙に、仲間たちは家理亜の許へと集結し、回復魔法の発動を待つ。


「ぐ。うおおおっ!」


 幸人は一人、洞窟に立ち塞がって、敵の進撃を押し留め続けた。

 無数の矢を潜り、不死者アンデッドの群れを薙ぎ払う。巨大な狼の牙をかい潜ってカウンターを放ち、人食い甲虫の分厚い装甲を叩き割る。襲い来るミノタウロスの大戦斧をいなし、浸透勁の連撃を叩き込む!

 幸人は神経を研ぎ澄まし、緋碧の魚を操り続けた。しかし、魚の操作は、かなり体力と精神力を削られる。その上、棒を振り回して、近接戦闘までもをこなしているのだ。やがて、幸人は切れ目のない攻防に息を切らし、気を失いそうになる。だが、まだ倒れる訳にはいかない。まだ……。


 幸人が敵を押し留める隙に、家理亜の【ウォーターヒール】が発動した。仲間たちは最後の回復魔法により、じわじわと傷が癒されて、体力も回復されてゆく。


「幸人君ありがとう。ボクの最後の魔法薬ポーションだよ。幸人君も回復して!」


 家理亜が、幸人へと魔法薬を放る。幸人は倒れそうになりながら、魔法薬へと手を伸ばす。しかし……。

 ヒュ。と、矢が飛んで、魔法薬の瓶を貫いた。瓶は割れ、最後の魔法薬が台無しになる。

 矢を放ったのは、骸骨の射手だった。


「よ、よくも!」


 才華さいかが怒りを発し、ワイヤーを振る。骸骨の射手は、ワイヤーに巻かれて細切れに切断された。


「く……」


 遂に、幸人が膝を折る。

 家理亜は現状を分析し、判断を下す。


「幸人君、逃げよう! もう、ボクたちだけじゃ戦線を維持できないよ。帰り道でもモンスターと戦闘する事になるんだ。体力は、その為に残しておく必要がある」

「そうだね。家理亜、今なら全力で走れるだろう。君は皆を連れて逃げてくれ」

「何を言ってるの? 幸人君も逃げるんだよ」

「僕は逃げない」

「どうして。どうしてそこまで? どうしてさ!」


 家理亜の問いかけに、幸人は答えなかった。代わりに、再び幸人は立ち上がり、モンスターの群れへと突撃する。

 目にも留まらぬ勢いで、棒が唸る。続けて、パアン、パアン、パアンと、無数の破裂音が響き渡る。浸透勁の乱れ撃ちだ。緋碧の魚も円盤に変形して、ミノタウロスを切り刻む。幸人は荒れ狂う竜巻のようにモンスターを蹴散らして、仲間たちの壁となる。


「僕が殿しんがりになる。みんなは走るんだ!」

「でも幸人君。キミは本当は……」

「他に選択肢はない。家理亜。みんなを頼んだよ。体力が残っている内に、早く!」

「……く。みんな、一時撤退だ。凪子先生も、ボクの判断を信用してくれるなら、従って欲しい……」


 徳川とくがわ家理亜いりあは絞り出すように言う。その目には、絶望が、スローモーションで写っていた。

 幸人が討ち漏らした巨大な狼や大蜘蛛が、こちらへと殺到して来る。その向こうでは、モンスターに包囲されながら、幸人が奮戦している。でも、モンスターの数が多過ぎて、幸人の姿が隠れ、見当たらなくなる。直江が必死に魔法矢で援護しているが、敵が多すぎてとても追いつかない。斎藤道三は、近くのモンスターを蹴り飛ばしている。凪子先生は、家理亜の傍で長刀を振り回し、敵の矢の攻撃を防いでくれている。才華は泣きながら、風遁の術をモンスターの群れに放っている。

 災厄は留まるところを知らない。

 ゆらりと、ミノタウルスが起き上がる。幸人のあれ程の攻撃を受けても、まだ再生を続けている。


 家理亜の絶望が加速する。

 どし、どしと、ミノタウロスが駆け出して大戦斧を振り上げる。それは幸人がいると思われる辺りに振り下ろされて、ドカン! と、土煙が上がる。

 そして──。

 幸人が弾き飛ばされて宙を舞う。血まみれで、意識を失っている。幸人は天井から垂れる鍾乳石で頭を打ち。空中をぐるぐる回る。ズタボロになった幸人は、ドサリと、家理亜の足元に落ちて来た。

 家理亜も、もう冷静ではいられなかった。


「うわあああ!」


 家理亜は絶叫しながら二刀を構え、敵へと駆け出した。


 刹那──。


 キュン。と、鋭い音がして、水の剣が放たれる。水の剣はモンスターの群れを薙ぎ払い、ミノタウロスの腕を切り落とした。


 家理亜はハッとして振り返る。

 するとそこには、透き通った小船が浮かんでいた。船には、織田信秋班の姿があった。織田信秋が、明智光が、羽柴秀実が、柴田勝奈子が、池田せんりが、伊達正治が、船から飛び降りて、モンスターの群れへと突撃して行く。


「待たせたな。家理亜」

 織田は駆け抜けながら言い、赤熱した刀身を振り抜いた!




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