第23話 明智光の戦術論 中
★
カレンはとても幸人に懐いている。異世界で何があったのか、幸人には思い出せない。でも、幸人はカレンに対して、言いようのない親しみを感じていた。
幸人とカレンは、夕食を食べながら話をした。カレンはテーブルにちょこんと座り、小さな皿に盛られたハンバーガーの欠片を食している。
「そういえば、さっき聞きそびれたんだけど、僕の固有能力についてカレンに聞いておきたいんだけど」
「幸人しゃまの固有能力? なんの話をしてるんでしゅ?」
カレンは可愛らしく首を傾げて言う。
「ほら。シャングリラかナーロッパかによって、能力の性質が異なるだろ?」
「はい。でしゅ」
「僕ってどっちなの? シャングリラ? それともナーロッパ帰還者?」
「幸人しゃまは、どっちでもないでしゅよ?」
「……は? それってどういう……」
幸人は思わず言葉に詰まる。それを尻目に妖精は浮かび上がり、洗面所まで飛んで行く。
「ちょっと服を脱いで鏡を見てみるでしゅ」
「え。なんで?」
「幸人しゃまの特別な力について知りたいんでしゅよね?」
「あ、ああ」
カレンに言われ、幸人は服を脱いで鏡の前に立った。
「ちょっと後ろを向いてみるでしゅ」
カレンが言うので、幸人は背中を鏡で確認する。すると……。
「ん。これは……?」
幸人の肩甲骨辺りに、小さな天使の羽のような刺青があった。大きさは五、六センチぐらい。羽の刺青は二つ、背中に左右対称に彫りつけられている。
「これは刺青、かな?」
「違いましゅ。妖精の紋章でしゅ」
「また紋章、か」
「はいでしゅ。右の紋章が妖精の
「妖精の
「幸人しゃまの腕の紋章を入れたら、これで全部でしゅよ」
幸人は再び服を着て、テーブル前へと腰を下ろした。
「で、紋章の詳しい効果については?」
「えっと、腕の紋章は、身体強化の加護でしゅ。人並外れて早く動けたり、強い力を出したり、反応速度が上昇したり。でしゅ。単純に強くなる紋章でしゅ。鏡像反転すれば、異空間に道具をしまう事も出来るでしゅよ」
「身体強化……。だから
「そうじゃないでしゅよ」
「ん?」
「幸人しゃまは、紋章がなくても凄く強いでしゅ」
「そうなんだ?」
「そうでしゅ。加護は身体能力を二割ぐらい底上げしてるだけでしゅ。幸人しゃまはそもそもが規格外なんでしゅ」
「異世界で何があったんだろ。背中の、飛び道具除けの紋章については?」
「飛び道具除けの紋章は、矢とか、飛び道具の攻撃が当たりにくくなるでしゅ。でも絶対じゃないでしゅよ? 当たる確率が下がるだけでしゅから。ちょっとだけ、魔法とか呪いに対しても抵抗力が上がってるでしゅ」
「成程。妖精の翅の紋章については?」
「飛べるようになるでしゅ」
「え? 僕って空を飛べるの?」
「はいでしゅ。でも、飛ぶのは疲れるから一、二分ぐらいが限界でしゅよ。一分ぐらい飛んだら、一度地上に降りて休憩する必要があるでしゅ」
「ふうん。全力で走り続けるのは無理だから、一度止まって休む。みたいな感じかな?」
「はいでしゅ。せっかくだから、ちょっと飛んでみたらいいでしゅ!」
カレンは紅い眼をキラキラさせて言う。幸人も少しワクワクしていた。
★
幸人は部屋の窓を開け、窓枠に足をかける。
「で、どうするの?」
「背中に力を入れて、翅が生えるようにイメージするでしゅ」
説明を聞き、幸人は背中に力を入れる。するとその瞬間、背中に、ブン。と、光るトンボの翅のような物が現れた。羽は、背中から直接生えているわけではない。根元が、背中から少しだけ離れている。そして、カレンの翅と同じで、直接触れる事が出来ない。手がすり抜ける。
幸人は心中に呟いて、翅を動かしてみる。すると翅が振動し始める。
不思議な浮遊感が幸人の身体を包み、脚が、窓枠から離れる。幸人の身体が浮き上がり、夜空へと舞い上がった。
「うお。飛んでる! わ、風だ」
「落ち着くでしゅ。幸人しゃまは飛ぶのが上手でなんでしゅよ。すぐに慣れるでしゅ」
カレンが幸人の周囲を飛び回り、前方へと加速する。幸人はそれを追い、上昇する!
風を切り、幸人はコツを掴み始める。
「幸人しゃま、見るでしゅ」
カレンが下を指し示す。
眼下には、街の灯りが宝石のように煌めいていた。
整備されたカウンセラーシティの島の街並みに、街灯やビルの灯り、住居の灯りが溢れている。自動車や、路面電車の灯りも行き交っている。遥か彼方には、海を隔てて大きな街の灯りも見える。多分、東京だろう。
幸人は感動のあまり、声を失っていた。
「ねえ、カレン」
「なんでしゅか?」
「ありがとう……」
幸人は呟いて、ほんのり微笑んだ。
★
二分後、幸人は公園の芝生の上で四つん這いになり、ゼイゼイと息を荒げていた。
「ぐ……は。飛ぶのが、こんなに疲れるなんて……」
「えへへ。幸人しゃまは調子に乗って無茶し過ぎでしゅよ。だから一、二分が限界って言ったんでしゅ。危うく、地面に落ちて大怪我するところだったでしゅよ」
「だって、あんな体験、初めてだったから……楽しくて」
「初めてじゃないでしゅよ? 記憶を無くすって、大変でしゅね」
「ああ。そうだね」
言葉を交わす内に、幸人は平静な呼吸を取り戻す。
「じゃあ、帰ろうか……」
幸人は再び瞳を輝かせ、妖精の翅を広げる。疲れや落下の怖さよりも、空を飛ぶ楽しさと開放感の方が、遥かに勝っていた。
★ ★ ★
翌朝、幸人はドアをノックする音で目を覚ました。
目を開けると、
幸人は思い出しながら、そっと身を起こす。すると何故か、一筋の涙が頬を伝った。
どうして泣いているんだろう?
幸人はぼやりと自問する。そこに、再びノックの音が急かす。
幸人はベッドを抜け出して、ドアから顔を出した。
「もう。いつまで寝てるの?」
ドアの外で、
「あれ。集合は、午後だったよね?」。
「そうよ。チームの集合時間はね。それとは別に、友達として、遊びに来てはいけないのかしら?」
光はそう言って、少々顔を赤らめた。
★ ★ ★
幸人と光は路面電車に乗った。行先は、海岸沿いの公園だ。
揺れる路面電車の中、光と影が交互に光の瞳を染める。車内はガランとしていて、やけに静かだった。
「それにしても、リュックなんかして。珍しいわね」
光が幸人の背中のリュックサックを見て言う。
「ああ。何か買うかもしれないし、ね。あはは」
幸人は笑って誤魔化した。その背中に、ゴソリと、リュックが動く感触が伝わる。
そう。
幸人のリュックには、カレンが潜んでいたのだ。幸人は留守番をするように言いつけたのだが、カレンが泣いてわめいて拗ねるので、連れて来る他無かったのである。一方、光は池田せんりを匿っていた筈だが、せんりの護衛は現在、
「ところでさ、光はどうして、対抗戦での優勝に
「……本当は、知ってるんじゃないの? 昨日、
「そうなんだけど。光の口から直接聞きたくて」
「そう……」
少しだけ、光の顔が曇る。そのタイミングで、路面電車が目的の駅へと滑り込んだ。
★
幸人と光は少し歩き、目的地に辿り着いた。
広々とした公園からは、海と砂浜が見えた。
「わあ。風が気持ちいい!」
光が駆け出した。幸人も追いかける。二人は公園から伸びる階段を降り、砂浜へと辿り着く。二人は肩を並べて水平線を見つめ、暫し沈黙する。
波音と海風が、二人を無口にしていた。
「あたしね、妹がいるの」
ふいに、光が沈黙を破る。
「妹は三年前、突然、視力を失った。原因は不明。医者に見せてもどうにもならなかった。でね、チーム対抗戦で勝ち抜いた上位二チームは、マジックアイテムが貰えるのよ。私が欲しいのは、優勝賞品の『グレイスエリクサー』。グレイスエリクサーはどんな病気も怪我も、障害も、身体の欠損さえも根治させる魔法の薬なの。それがあれば、妹の視力だって取り戻せる。あたしはどうしても、グレイスエリクサーを手に入れなければならないの」
そう言って、光は張り詰めた顔をする。
「話してくれてありがとう。光は、妹想いなんだね」
「この二年以上、何もしてあげられなかったから……」
光の弱気な顔を見て、幸人の中に強い感情が込み上げる。
「光。君を勝たせるよ。どんな事をしても、必ず……!」
幸人の真っ直ぐな視線に、光は頬を赤くして、視線を逸らす。
「あなたって、そんな頼もしい事も言えるのね」
「え?」
「だって、幸人はどこか浮世離れしてる感じがするっていうか。勝敗に拘る人じゃないと思ってたから」
「そんな事はないよ」
幸人は呟いて、ぐっと拳を握る。
「僕の中に、とても大切でかけがえのない何かがある。それだけはわかるんだ。僕はそれを取り戻す。その為なら、何とだって戦ってやる!」
と、眼に強い決意が浮かぶ。
すると光は何故か、下を向いて黙り込んでしまった。水色の髪が邪魔をして、どんな顔をしているのか、わからない。
「あたしの事は、ついで。って事?」
ポツリと、光が言う。
「ついで? 急になにを言ってるのさ」
「だって……」
「あのね、光。僕には記憶がないんだよ? この世界で光しか知らない。僕には君しかいないんだ」
その言葉に、光の肩がピクリと動く。
「バ、バカ……」
長い沈黙の後、ふいに、光は顔を上げる。そして、突然駆け出して、波を蹴り上げて幸人のズボンを濡らす。
「わ、冷たっ! 何するんだよ」
抗議する幸人に、光がとびきりの笑顔を向ける。水滴が、光の前髪から滴って、一瞬、キラリと反射する。
「ねえ幸人……」
「なに?」
「ありがとね!」
光は、再び波を蹴り上げた。
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