第16話 カレンちゃん登場! 上




 ★


 サラサラと、書面に名前が記入される。

 足利あしかが義孝よしたかはペンを置き、軽く舌打ちをする。


「サインしたぞ」

 足利は言う。


 武田たけだは足利のサインを確認して、パタリと本を閉じる。本には、まるで魔法の本みたいに、でかでかと魔法陣の意匠が施されていた。


「契約は成立した。これで、足利あしかが君は今後も、真田幸人と明智光に関する秘密を一切口外できない」

 武田は言う。


「ん? 今後も? そりゃ一体、どういう事だ?」

「言葉通りだが? 真田君が出した条件は『喫茶店で足利君が知り得た秘密を守る』ではない。『足利君が僕たちの秘密を守る事』だ。つまり足利君は、今後、二人について何か知ったとしても、その情報についても一切口外できない」


 武田の説明を聞き、足利の顔に驚きが浮かぶ。


「くそ。やられたぜ。真田、お前……俺を嵌めやがったな?」

 足利の怨嗟えんさの眼差しが、幸人に注がれる。


「あはは。嵌めようって気が無かったわけじゃあないけど……そこは君の国語力の問題もあるんだから、諦めなよ」

 幸人はからりと笑って言う。


「ま、悔しかったらもう一度、幸人と勝負して契約を取り消させる事ね」


 光が言う。すると、足利はまじまじと幸人を見つめた後、


「やめとくわ……」


 脂汗を浮かべて言い、闘技場を後にした。

 ちなみに、幸人と足利が交わした契約は「魔法契約」というらしい。もし、足利が約束を破って秘密を洩らそうとしても、どう頑張ってもそれを実行できなくなるそうだ。



 ★ ★ ★



 幸人ゆきとひかりに案内されて、男子寮の、自室へとやってきた。


「へえ。ここが僕の部屋なのか……」

 幸人は扉を開けて言う。


「それより、入ってもいいかしら?」

 光はちょっぴり緊張した顔で言う。


「どうぞ」


 幸人は光に入室を促して、自分も部屋へと入った。部屋は八畳程の洋間で、キッチンやベッド、ユニットバスも備え付けられていた。


「幸人は座ってなさい。どうせ、どこに何があるのかも覚えてないんでしょ?」


 光はそう言って、キッチンでお湯を沸かし始める。

 幸人はベッドに腰掛けて、ぐるりと部屋を見渡した。すると、机の上の写真立てに目が留まる。

 写真を見た瞬間、幸人の胸に強い何かが込み上げる。

 幸人はそっと手を伸ばし、写真を手に取った。写真には、黒髪の少女が写っていた。


 猫みたいな形の大きくて優し気な瞳。肩に届かないぐらいの猫毛の髪。顔つきは童顔で、少し気が弱そうな印象。華奢な体躯に、何処かで見たようなセーラー服……。


 暫くして、光が暖かいカップを持って、幸人の許へとやってきた。


「どうして泣いてるの?」


 光に問われ、幸人は自分の頬に触れる。

 とめどなく、涙が溢れていた。拭っても、拭っても、涙は止まらない。胸を締め付ける切なさの正体すらも、幸人には解らなかった。


「あれ。なんでだろう。なんでかな。あれ……」


 繰り返す幸人の手元に、光は視線を移す。


「そう。見たのね……」


 言いながら、光は幸人の背を擦る。光の眼にもまた、薄く涙が浮かんでいた。


 どうして、こんな気持ちになるのだろう。

 まるで見渡す限り何もない荒野に一人、ポツンと置き去りにされているような、胸にポッカリ穴が空いて、乾いた風が吹き抜けているような、仄暗い場所で気が遠くなる程の時間、膝を抱えているような、そんな気持ち。それなのに、どうしようもなく心が何かを求め、叫び、渇望している。失った物が何なのかも分からないのに、とてつもなく大切な事だ。と、いう事だけは分かるのだ。出所不明の感情が、失った何かを求め続け、ヒリヒリとする様な痛みをもたらす……。

 記憶を失うという事がどんな事なのか、それがどんなに寂しくて所在ない事なのか。幸人はやっと、思い知った気がした。


「その写真のはね、幸人にとって大切な人なのよ。貴方の恋人なの」

「恋人? この娘が……」

「ええ。あたし達が二年に上がる時にはね……」


 そこまで言いかけて、光は言葉を止める。その顔には、閃きの色が浮かんでいる。


「な、何? 急に黙って……」

「ねえ幸人。そのの事、もっと知りたい?」

 光は、ぐっと幸人に顔を寄せる。


「う、うん。知りたい。知りたいよ!」

「教えてあげても良いわよ。但し、条件があるわ」

「条件?」

「ええ。幸人が対抗戦で、チームを優勝に導くの。そうしたら、教えてあげてもいいわ」

「ゆ、優勝? どうして」

「だって、幸人には記憶がないでしょ? 勝ち負けに拘る性格でもないし。モチベーションの維持が不安要素なのよね」

「成程。そうかもしれないね」

「でも、簡単じゃないわよ。ここには、幸人以上に手強い能力者がゴロゴロいる。それでも優勝する気はある?」

「……やる。やるよ! 必ず優勝する」

「よろしい。じゃあ、あたしと約束。どんな時も信じ合い、力を合わせて必ずあたしを勝たせて」

 と、光は幸人に小指を伸ばす。


「ああ。どんな時も信じ合い、力を合わせて必ず光を勝たせる」

 幸人も応じ、光と指切りをした。


 指切りの余韻の中、幸人はじっと光の顔を見つめる。


「な、何よ?」

「その、もしかしたら、僕とひかりは恋人同士なのかって思ってたから、ちょっと意外で」

「ば、バカね! そんな訳ないでしょ」

「ゴメン。でも、色々ありがとう。でもそれなら、どうして、光はこんなに僕に親切にしてくれるのかな?」

「それはあれよ。気に入ってるのよ。幸人も、幸人の恋人もね」

「そう。じゃあ、光はこの子を知ってるんだね」

「ええ。とても優しくて勇気がある子よ。あたしなんかよりも、ずっとね」


 光は遠くに目をやって、少し淋しそうに言った。


 ★


 十分後、幸人はこんこんと光の説教を受けていた。


「そういう訳だからね。命知らずも大概にしておきなさい!」

「はい」

「本当に解ってるの? あんた、下手すりゃチーム解消してたのよ」

「わかってる。兎に角、今後は気をつけるよ。記憶喪失である事を知られないようにする。どんなに弱そうな能力者にも、油断はしません」

「よろしい。それと、幸人の能力が何か解っても、それについてはべらべら喋っちゃ駄目よ。あたしにもね」

「光にも? どうして?」

「ここはカウンセラーシティなのよ? あたしが何も言わなかったとしても、心を読み取られたら? サイコメトリーや霊視みたいな能力を持ってる人がいたら?」

「そういう事か……」

「そう。あたしも、自分の能力に関しては何も話してないでしょ?」

「まあ、見れば解るけど。液体を操る能力なんだよね」

「……そういう事にしとく」

「え?」

「兎に角! あんたの為に資料を置いていくから、すぐに目を通しておきなさい。一時間後には迎えに来るから。残りのメンバーを捜しに行くわよ!」

「これから?」

「当たり前でしょ。とりあえず、シャングリラの帰還者はあたしがいるから、ナーロッパからの帰還者を捜しに行くからね!」


 光はぷんすか言って、資料を置いて部屋を出て行った。


「シャングリラ? それにナーロッパ? 異世界って……一つじゃないの?」


 光が去った扉を見て、幸人は呟いた。

 やがて、幸人は資料に手を伸ばす。資料には【極秘】【持ち出し禁止】【重要】と、紅いスタンプが押してある。

 これは一体、何処の誰にとっての極秘事項なんだろう?

 素朴な疑問を浮かべながらも、とりあえず、異世界に関する大雑把な概要に目を通してみる事にした。



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