第10話 大谷竹美は狙い撃つ 上





 竹美たけみは、あっという間に代々木体育館へと到着した。

 竹美を包む水が、ゆるりと降下する。それに合わせて、足元の体育館が迫って来る。

 やっとたどり着いた。ここに幸人ゆきとが……。

 竹美の胸に、様々な感情が込み上げる。


「お。何やってんのひかりちゃん」


 体育館前の広場には数人の男性がいて、上空の光に声をかける。

 竹美は、体育館前の広場に降ろされた。そっと、脚が芝にふれる。それなのに、竹美は立っていられずに倒れ込んでしまった。


「緊急事態なの。回復魔法を使える人は?」


 明智あけち ひかりが声を張る。すると男性たちは顔を見合わせて、首を振る。


「仕方ないわね……」


 光は再びサーフボードを駆り、体育館へと突入する。それから一〇秒とかからない内に、再び飛び出して来た。


「な、なんですか。急に何するんですか。怖いです。誘拐なのですううう!」


 ひかりは、見知らぬ少女を連れていた。少女は状況を呑み込めず、怖がって声を上げている。それをお構いなしに、光は少女を水から放り出す。

 少女は「きゃっ」と、声を上げ、竹美の目の前まで転がって来た。


「見て。状況は解るでしょ。大至急、さっちゃんの魔法が必要なの」


 光は言う。さっちゃんと呼ばれた少女は、竹美や、竹美が守った母子の状態を目にして顔色を変える。さっちゃんはすぐに起き上がり、手にした杖を竹美に向けた。


「天に星あり地に陣列あり。光のことわりは次元の境界を揺るがしたり。那由他なゆたの時空を超えて聴け。しま 左倉さくらの名において命じる。盟約の鎖もて領界の狭間より力を示せ! 光よ、直ちに癒したまえ。ライトヒール!」


 少女が呪文を唱えると、杖の先端から眩い光が放たれた。光は竹美たちを包み、照らす。とても清らかで、暖かな光だった。

 竹美はすぐに、身体の変化に気が付いた。

 痛みが引いてゆく……。

 あちこち擦りむいた傷がじわじわと塞がり、太腿の怪我も、徐々に小さくなってゆく。倦怠けんたい感や発熱も収まり、力が湧いて来る。

 紛れもなく、魔法を体感しているのだ……!

 竹美が振り向くと、幼い女の子の母親の出血も、既に治まっている様子だ。足を複雑骨折した自衛官も、幾分、安らいだ表情をしている。


「なんとか間に合ったわね」


 光が安堵あんどの声を漏らす。

 信じ難い現象を前に、竹美はただ、言葉を失っていた。



 ★



 五分程で、竹美の怪我は完治した。吐き気やだるさも収まっている。幼い女の子の母親と、自衛官は、もう少し時間がかかりそうだ。でも、顔色はかなり良くなっている。


「凄い……これは魔法、だよね? 二人は、どうしてこんな事が出来るの?」

 竹美は言う。


「どうしてって言われても。、としかいえないわよ」

 光は困り顔で微笑する。よく見ると、光の瞳は、綺麗な水色をしていた。


 言葉を交わす二人の隣では、まだ、さっちゃんが杖から光を放っている。さっちゃんは、まるでゲームやアニメの聖職者のような服装をしていた。それが見掛け倒しでは無い事を、竹美は心底思い知っていた。


「それにしても、竹美たけみはどうしてあんなところで襲われていたの? 戒厳令下だし、警察や自衛隊の避難ひなん誘導ゆうどうも始まっていたでしょう? あたしが見つけなかったら、本当に死んでいたわよ」


 ひかりに叱られて、竹美は肝心な事を思い出す。


「あ、その事なんだけど。光さんは、真田さなだ幸人ゆきとって男の子を知らない? ここに居る筈なの」

「真田幸人?」

「うん。歳は、私や光さんと同じぐらいなんだんだけど……」

「ううん。ここには何千人もいるから。あ、竹美はその人に会いに来たのね。もしかしてその真田って人、竹美の恋人なの?」

「……はい」

「あ。敬語はいらないわよ。あたしの事もひかりって呼んで」

「はい。あ、うん。助けてくれてありがとう。光。それと、さっちゃんもね」


 竹美は、さっちゃんに顔を向け、ぺこりと頭を下げる。

 さっちゃんはにこりと笑い、やっと治療を終えた。

 幼い女の子の母親は「う」と、声を漏らし、目を開けた。幼い女の子は母親に縋りつく、母親も女の子を抱きしめる。


「お母さん。お母さん、お母さん……」


 幼い女の子は泣きじゃくり、繰り返す。母子は抱き合って、声を上げて泣いた。

 竹美とさっちゃんの目に、じわりと涙が浮かぶ。


「それにしても竹美。貴女は勇気があり過ぎよ。スキルも能力も無しにモンスターに立ち向かうなんて。普通の人なら見捨てて逃げるでしょうに」

 光の微笑に呆れ顔が混じる。


「それを普通とは思いたくない。それに幸人ゆきとなら、きっと見捨てないって思うから」

「ふうん。竹美の彼氏って、良い人なのね。いいわ。会いたければ、あたしが体育館の中を案内してあげる」


 そう言って、光は腰を上げる。だが……。


「それは出来ませんよ!」


 突然、竹美たちの背後から声がかかる。

 現れたのは、スーツ姿の一団だった。


「明智さん。勝手な事をしてくれましたね。ここに一般人を連れ込むなんて」

 スーツの一団から、サングラスをかけた女性が進み出て言う。


「勝手? それは誰から見た勝手なのかしら?」

 光はムッとして言い返す。


「どうであれ、そこの四人には、聞き取りを行う必要があります。これ以上、帰還者との接触を許可する訳にはいきません」

「あら。どうしてオバサンの許可が必要なのかしら? あたしは貴女の部下でもなければ奴隷でもない。貴女の命令に従う理由なんてないのよ」

「では、政府を敵に回しますか? その場合、静岡に残された明智さんの家族はどうなると思います?」


 サングラスの女性が言う。すると、光の目に鋭さが宿る。

 水が渦を巻いて浮かび上がり、スーツの一団を包囲する。


「その脅しは、聞かなかった事には出来ない」

「では、ここで我々を相手に傷害や殺人事件を起こすんですね? であれば、こちらにとっても都合が良い。現行法で充分に裁けますし、貴女方帰還者を拘束する理由になります」


 睨み合う二人に、竹美が割って入る。


「ちょ、ちょっと待って下さいよ。拘束って、光が何をしたっていうんですか! 光は二度も、私を助けてくれたんですよ。大蜘蛛に追われていた自衛官の人だって、そこの女の子とお母さんだって、光に助けられたんです。光は何も悪い事はしていません。とても、優しい子なんです」


 言い放ったその細腕が掴まれる。竹美はスーツの男から、腕に手錠をかけられた。


「え……?」

「建造物への不法侵入。戒厳令下の無許可の外出。これは法に照らした正当な措置です。文句はありませんね?」

 サングラスの女性が竹美の耳元に口を寄せ、囁く。


「あるに決まってるでしょ! 竹美は、あたしが連れて来たのよ。不法侵入には当たらないわ」

 光が叫ぶ。


「我々は許可していませんよ? まあ、いいでしょう。どちらにせよ戒厳令破りは重罪ですから。それと明智あけちひかりさん。貴女も今後は無断外出をしないように」


 そう言って、サングラス女は光に背を向けて歩き出す。竹美は手を引かれ、スーツの一団に連行される。


「お前等、本当にそのやり方で良いんだな? 俺達はそれぞれが、強大な軍事国家のような存在だ。いつでも日本を潰して作り替える事が出来る。だったら、失望されないように気を遣うのが普通だろ。あんたはその悪手の責任を、どう取るんだ?」


 去り行くスーツの一団に、近くにいた男性がすれ違いざまに声をかける。眼帯を付けた、目つきの鋭い青年だった。


「勘違いするな! そんな事は百も承知だ!」

 サングラスの女性が声を荒げる。


「……なんだと?」

 眼帯の青年の目が、鋭さを増す。


「日本は、お前達の属国ではない。だから引くわけにはいかないのだ。これからもな!」


 言い残し、サングラス女は再び歩き出した。



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