第9話 セーラー服と突撃銃 下





 ★ ★ ★



 竹美は辛うじて、危機を脱した。

 一分後、竹美たけみ山本やまもと陸尉りくいは、母子がいた場所へと戻った。


「う。お母さん。お母さん……」


 幼い女の子は、まだ母親に縋りついて泣いている。母親は、死んでこそいないが、かなりの重傷を負っている。急いで病院に運んだとしても、とても助かりそうにない。

 スポーツ用品店の割れたショーウィンドウの前では、ゴブリンが二匹、縄で縛り上げられた状態で転がっていた。二匹とも、さっきのゴブリンと同じように、自衛官が取り押さえて縛り上げたのだろう。


「まさか、こんな方法で制圧するとはね」

 山本陸尉がゴブリンを見て呟く。


「はい。こいつら無敵は無敵なんですけど、攻撃が効かないってだけで、怪力を持ってる訳じゃないみたいですし。筋肉があれば大抵の事はどうにかなります!」

 体格の良い自衛官が答える。


「ともあれ、この戦法が有効だって事は解った。他の部隊にも教えておいてやれ」

「了解。医官殿」

「おっと。棘があるねえ」


 そう言って、山本陸尉はしゃがみ込み、今度は女の子の母親の様態を確認する。


「不味いな。急いで病院に運んでも、これじゃ……」

 山本陸尉の表情が陰る。


「そんな。助からないんですか? な、なんとかしてくださいよ」

 竹美は悲し気に言う。


「解ってる。今、こっちに応援の車両が向かってる。それが来たら大至急、病院に搬送するよ。あ、竹美ちゃんもだぞ? 今はモルヒネでハイになってるから実感わかないだろうけど、大谷ちゃんの怪我もだいぶヤバいやつだからな」

「モ、モルヒネ? じゃあ、さっきの注射って……」

「えへへ。おじさん、美少女にぶっといお注射しちゃった」


 山本陸尉が下種ゲス顔で言う。直後、自衛隊の車両が角から姿を現した。


「お。思ったより早かったな。これなら希望があるかも……」


 言いながら、山本陸尉は車両に向かって手を上げる。

 その時だ。

 突然、巨大な何かが落下して、自衛隊の車両を押しつぶした。

 衝撃で車両は爆発、炎上する。その炎をものともせず、そいつはゆるりと身を起こす。

 それは巨大な蜘蛛だった。


「で、でかい……! マジかよ!」


 自衛官の一人が狼狽する。その言葉通り、蜘蛛の大きさは常識を遥かに超えていた。竹美の目測で、七、八メートルぐらいの大きさだ。


「な、なあ筋肉くん」

「はい」

「君の筋肉で、あれはどうにかなる?」

「あれは……ちょっと、どうにもならないっす」

「だよな」


 山本陸尉と筋肉自衛官が言い合う。その横で、他の自衛官たちは慌てて小銃を構える。


「は、早く発砲命令!」

「あ。撃て撃て。撃ってよし!」


 山本陸尉が言うなり、いくつもの小銃が一斉に火を吹いた。

 猛烈な制圧射撃が大蜘蛛を捉える。だが、大蜘蛛は銃弾をものともせず、飛び上がる。


「かわせえええっ!」


 山本陸尉が叫び、アスファルトを転がる。

 ドドオオン!

 大きな音を立て、大蜘蛛がスポーツ用品店の前に落下する。その足元には、逃げ遅れた自衛官の姿があった。自衛官は、大蜘蛛に踏みつけられて足が妙な方向に曲がっている。


「く、あ……」


 竹美は苦痛を堪え、上体を起こす。すると目の前の大蜘蛛が、ガパッと大口をあけ、ゆっくりと沈み込んだ。

 まさか、自衛官を食べる気なの?

 生ぬるい液体が、竹美の腰から周囲に広がってゆく。怖すぎて失禁してしまったのだ。手も震えが止まらない。思わず、竹美は後ろへと仰け反る。すると、指先が何か硬い物に触れた。


 それは、自衛隊の八九式小銃だった。

 迷ってる暇なんかない。竹美は無我夢中で小銃に手を伸ばし、構える。

 重い──。

 銃は、竹美が想像するよりもずっと重かった。これが、人の命を奪う武器の重み。装填されている銃弾の一発一発が、命を奪い去る力を持っている。これを使えば取り返しが付かない事を出来てしまう、その重み……。

 でも、それでも……!


「うわあああっ! その人を離せ!」


 竹美は意を決し、大蜘蛛を目掛けて引き金を引いた。

 タタタ、タタタ、タタタッ!

 乾いた音と共に弾丸が放たれる。全て目に命中。それは勿論、効かない筈だった。が……。


「ギョギイイイ!」


 大蜘蛛は悲鳴に似た声を発し、大きく飛び退いた。

 なんと、目から体液を滴らせている。どうして攻撃が効いたのかは誰にも分からなかった。しかし、山本陸尉は好機を逃さなかった。


「今だ。お前等全員逃げろ。ライン一つ分、後退だ」


 号令がかかるなり、筋肉自衛官は幼い女の子の母親を抱きかかえて走り出す。女の子もそれを追いかける。大蜘蛛に踏まれた自衛官も、仲間に担ぎあげられて退避する。竹美も、山本陸尉の肩を借りて逃げる。


「に、逃げるってどうするんですか? 逃げた先に何か勝算があるんですか?」

 竹美は山本に問う。


「勝算? あ、勝算ね。そうだな。とりあえず、あいつを霧がない所まで誘導してから仕留める他ないだろうな」


 山本陸尉は不機嫌に言い返し、大蜘蛛に小銃を発砲、仲間の脱出を援護する。だが、山本陸尉の弾丸は、まるで効いていない。

 大蜘蛛は、竹美たちを追って前進を開始する。当然、その速度は人間よりも遥かに早い。竹美たちはあっという間に距離を詰められて、今にも捕まりそうな状況だ。


「だ、駄目っす。逃げるも何も、早速追いつかれますよおおお!」

 筋肉が叫ぶ。


 逃げ惑う全員が、背中に、死の実感を感じ取っていた。

 神様……。

 竹美は逃げながら、夜空に目を向ける。すると真上には、また、不可解な物があった。

 川? 否、蛇?

 竹美が見たのは空をうねる透明な何かだった。それは長大で、キラキラと街の灯を反射している。水だ。空を流れる水はうねり、竹美の上空を通過してゆく。水が向かう先には、大蜘蛛の姿があった。

 そして……。

 なんと、水の上には、サーフボードに乗った人間の姿があった。

 水色の髪が夜風になびき、軽装の女騎士のようないでたち。色白の肌に、涼し気な瞳。

 そう。サーフボードを駆っているのは、昨日、竹美をドラゴンから救った謎の少女だったのだ。少女は、手にした細身の剣を大蜘蛛に向け、振る。すると水が巨大な剣へと姿を変え、伸びる!


 キュン。と、音を上げ、水の剣が大蜘蛛を両断する。

 ドドオン! と音を上げ、蜘蛛が路上に倒れ込む。残されたのは、呆気ない沈黙と静寂だけ……。

 たった一度の攻撃で、謎の少女は大蜘蛛を倒してしまった。


「これは……驚いたな」


 山本陸尉が空を見上げ、茫然と呟く。そこへ、水が蛇のようにうねりながら舞い降りて来る。


「えいっ」

 水色の少女はサーフボードを抱え、竹美の目の前に飛び降りた。


「あ、貴女、は?」

 竹美は恐る恐る、少女に声をかける。


は光。明智あけちひかりっていうの。そういう貴女は? 銃声がしてると思ったら、やっぱり人が襲われてたのね。日本は、たった二年で物騒な国になったものね」


 そう言って、明智あけちひかりは手を差し出す。竹美も手を伸ばし、光と握手を交わす。


「私は竹美。大谷おおたに竹美たけみ、です。助けられるのは、これで二度目です」

「二度目? 前にどこかで会ったかしら」

「その、昨日、ドラゴンから。あ、それより大変なんです……!」


 竹美は幼い女の子の母親に目を向ける。母親は、もう、呼吸をしているかどうかも怪しい状態だった。


「うん。状況は想像が付くわ。その人、急がないとまずいわね」

「はい。急いで病院に運ばなきゃ。助けてくれますか?」

「病院では助からないわ。このままでは運んでも死んじゃう」

「そんな。どうすれば……」


 竹美の目に、不安が滲む。


「こうするのよ」


 と、明智光は指をパチリと鳴らす。すると、周囲に浮かんでいた水がうねり、幼い女の子と、その母親を浮かべて上昇する。水は、足を骨折している自衛官も包み、持ち上げた。


「竹美ちゃんって言ったわね。貴女の怪我も深刻だわ。一緒に来なさい」


 ひかりが言う。すると、水が竹美の胸までを包み、身体を持ち上げる。


「あ、ちょっと。それは不味まず──」


 山本陸尉が慌てて手を伸ばし、何かを叫ぶ。それを尻目に、水は竹美らを運び去る。


「ごめんなさい。今は急がないと不味いみたいだから、話は後でね」


 言い残し、光もサーフボードに乗って水ごと上昇する。

 そうして、空中の川は高速で流れ始める。街の灯りが尾を引き、風が、竹美の頬に当たる。鳥が飛ぶよりも早く、竹美は運ばれてゆく。行く手に見えるのは、代々木体育館だった。




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