第9話 才能
才能という言葉は、先天的なら「talent」や「gift」、後天的なら「ability」などというような英語が与えられる。中には「gifted」と「talent」を区別して使う人間がいるが、専ら同じと言って良いだろう。私が関心を向けるのは「gift」である。古ノルド語において贈り物や幸運を意味する「gift」や「gipt」から来ていると言われている。プロトゲルマンからの派生であるらしいが、私にはそれが真実なのかは分からなかった。また、ドイツ語の「Gift」やスウェーデン語やデンマーク語の「gift」は、いずれも「毒」という意味を持つ。元来は英語と同じ「贈り物」という意味で使われていたが、「毒は与えられるもの」として認識されている理由から、このようになったらしい。私が気になるのは、類稀なる才能を持つ人間を「ギフテッド(gifted)」というが、それは誰から与えられたものなのか。多くの人間は「偉大なる存在、神様からの贈り物」だと思っているらしい。私はそうは思わないが、そう思いたければそうすれば良いと思う。私は自身で獲得したという自覚がある。だから、私の能力も知識も、才能だとは思わないし、まして毒とも思うことはない。君達のように。
体育祭が終わり、いつもの日常が帰ってきた。そして、この時期には特に行事が存在しないため、夏休み前に残された期末試験を除けば、私の自由を束縛する要因は存在しないということだ。
「河合は文化祭の役割はどうするんだ?」
秋に催される文化祭、私たちのクラスは順当にお化け屋敷を行うことにしたらしい。私としては途轍もなくくだらないが、ルールで定められている以上、一定の役割を担う必要はあるだろう。
「道具製作に立候補した。人気度と優先順位からして、何の問題もなくその役を与えられるだろう」
当日、想定外の事故の対処をする以外には、自由時間があるということから、道具製作を希望した。待機している間に勉強できるという私の自由を確約してくれるなら、特に不満はない。
「あーあ、河合の才能をフルで使えば、最高の文化祭ができると思うんだけどなぁ〜」
…山村の割には感情的な発言だな。もう少し理性的な人間だと思っていたが、評価を改めた方が良いだろうか。
「くだらないことを言ってないで、目の前の問題に集中しろ」
「はーい…」
私の能力は私の物であり、能力の行使は私の自由である。無能な人間を導く義務など、私には存在しない。
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