第2話 憧れの人

「んっ……」


 腕を上にゆっくり伸ばして背伸びをする。今日の配信も楽しくできたことにこの上ない喜びを感じる。


 学校で起きた愚痴をただしゃべっていた配信だけであったのに、多くの人が集まってきてくれたのは凄く嬉しいことだ。みんなも楽しんでくれてたらいいんだけど……


 そんな風に感傷にふけっていると、 『トントン』とノックの音とともに防音室の扉が開いた。


「お疲れさま」


 狙ったかのようなタイミングで訪ねて来たのはココアを手にした姉さんであった。このタイミングの良さ、絶対に見ていたな。


「姉さん、ありがとう」


 鵜久森 香奈うぐもり かな、有名大学に通う4年生であり、僕の従姉でもある。姉さんには小さい頃からよく面倒を見てもらっていて、今ではこの家に2人で住んでいる。


「もうすぐ1年だね」

「そっか、もうそんなに経つんだ……」


 久佐野 月ひさの つきに憧れたあの日、僕は姉さんにVTuberになりたいと相談をした。VTuberになるために何が必要なのかもわからなかった僕に色々と教えてくれたのも姉さんだった。そして何より、立ち絵として必要なイラストも姉さんが描いてくれるというありがたいことまで。


 人気イラストレーター毛利もうりカナ、7年前から活動を始め、今では数々のラノベのイラストを担当している。その正体こそが、僕の姉さんである。

 今思えば、そんな姉さんにイラストを頼むというのはかなり図々しいことだが、姉さんは快く引き受けてくれた。


「ボイスチェンジャーの方も寿人の声質に合うものがあって良かったよ、本当に」


 僕はバ美肉としてVTuberをすることに決めた。性別を変えた理由、男子高校生よりも可愛い女の子の方が人気が出そうと思ったこと。そして何より、バ美肉VTuberとしての輝きを見てしまったからだ。


 これなら自分でもやれる、いややってみたい。そんな気持ちが込み上げてきた。あの何ヶ月もの間、無気力だった僕を魅了してくれた存在。今度は自分がそんな存在になって多くの人たちに笑顔や生きる活力を与えたいと思った。


「何から何まで本当にありがとう」

「ううん、寿人がこうして楽しそうにやってくれているのを見るだけで私は凄く嬉しいんだから」


 引き籠っていた間、ずっと僕を呼びかけ続けてくれていたのが姉さんと沙良だった。だから2人には心を許しているが、反対にそれ以外の人間には怖さを感じてしまっている。


「だからね、返さなくてもいいんだよ? 私がしてあげたいと思って勝手にしたことなんだから」

「いやそういうわけにはいかないよ。何年掛かっても全部返すから」


 姉さんにしてもらっったのは、VTuberとしてのサポートだけではない。日頃の生活費だけでなく、学校へ行くための学費まで払ってくれている。それどころか……


 2000万の借金……、亡くなった両親が残していった物。 毎日毎日押し掛けてくる借金取り、この家を売れば少しは足しになるだろうが、僕はどうしても売れなかった。この家にはいろいろな思い出が残っていたし、売ってしまったら僕に居場所などなくなってしまうと思ったから。


 そんな時、姉さんが借金を肩代わりしてくれた。イラストレーターとして稼いできたお金のほとんどを投げうってまで僕を助けてくれたんだ。


「無理はしないことね。それに約束は守ってよ」

「うん」


 姉さんとの約束。それは借金の返済はVTuberで稼いだお金だけで返済すること。バイトして返すと言ったが、それでは学業に支障が出る上に、好きなVTuber活動の時間も減ってしまうからと、姉さんが決めたことだ。


『私は寿人が楽しんでいる姿が見えればそれでいいんだから』


 それが姉さんの口癖だった。だから僕はVTuberとして人気になって、早くお金を返す。それが目標だ。


「バ美肉だってことはバレないように頑張らないと……」


 顔はイラスト、声はボイスチェンジャー。画面に映る夏井心春なついこはるは完全に女の子だが、中身は平凡な男子高校生である。最初はそこまで人は集まらないだろうと思っていたが、人気イラストレーターの毛利カナがママということもあり、何千人もの人たちが初配信を見に来てくれた。


 それがとてもうれしくて、楽しくて、バ美肉だと言えないまま、1年が経とうとしてしまった。


「そこだけはしっかりと気をつけないとね。ちょっとしたことでバレることもありえちゃうからね」

「もちろん、言葉遣いとかも気を付けているつもりだよ」


 男子高校生であるのに、女子高校生と騙っているのだ。バレた時の炎上は避けることはできないだろう。それは=VTuberとしての死でもある。

 借金代を稼ぐという目的でVTuberをやっているのなら恐れることはないんだろうけど、僕は借金関係なく、VTuberは続けていきたいと思っている。


 そしていつか、憧れの久佐野 月とコラボできるようになることが目標だ。『あなたのおかげで今の自分がある』ということへのお礼も言いたい。だからこそ、身バレをしないことはもちろんのこと、その上で人気にならないといけない。


「ほら、そろそろ準備しないと始まっちゃうよ? そのために配信終えたんじゃなかった?」

「ほんとだ。早く準備しなきゃ」


 配信を終えた理由、それは久佐野 月ひさの つきの配信を生で観るため。僕のリスナーたちは僕が彼女に憧れていることを知っているので、突然の配信終了に今更。いつも戸惑うことはない。いつもののあれか、みたいな感じでファン活動も応援してくれているのだ。


「私もそろそろ部屋に戻るとするね」


 彼女のファンである姉さんも、配信は必ず観ているらしい。そもそも僕に彼女のこと、何よりVTuberの存在を教えてくれたのも姉さんである。だから僕なんかよりもずっとVTuberに沼っているようだ。


 まぁ、一緒に彼女のライブ配信を観たことがないので、どういう風に姉さんが楽しんでいるのかは見たことがないんだよな。僕も姉さんも1人で配信を観ていたいタイプだし。


「ココア美味しかったよ」

「そのココアには深い愛情も一緒に淹れてるからね」


 そんないつもの冗談を交えつつ、姉さんは自分の部屋へと戻っていった。


 姉さんの部屋には基本立ち入ることはない。姉さんが部屋に籠るときはイラストレーターとしての仕事をしている時で、それ以外の時は僕の部屋かリビングにいる。


 姉さんが今部屋に向かったということは配信を観ながら仕事もするのだろう。まぁ僕も次の配信で使うサムネを作りながら見るつもりだけどね。


 初めのうちはサムネも姉さんにお願いしていたが、最近では自分で作れるようになってきた。なんでもかんでも姉さんに頼るのも良くないしね。


 人気イラストレーターの姉さんは色んな所から仕事が依頼されている。不思議なのはこれほど人気のある姉さんなのに、同じく人気な久佐野 月とは一緒に仕事をしたことはない。他のVTuberさんとは時々絡んでいるようだけど……

 まあ僕が気にすることでもないか。姉さんの負担を減らせるように頑張ることが何より大事だろう。


 そろそろ始まる時間、僕はチャンネルを開きライブ配信が始まるのを待機する。


『みんな、おはよ~』


 3年前彗星のように現れた久佐野 月ひさの つき来賀美音くるがみおんという名前以外の情報の無いイラストレーターをママに持ち、今ではチャネル登録者数50万人超えの人気VTuber。


 そして僕の憧れの人だ。


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 次回、第3話『幼馴染たちと』 明日6時頃更新

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