第1話 VTuber 夏井 心春
「とく。……」
「ひさとくん…………」
「
耳元で何度も名前を呼ばれ、心地良かった夢の世界から現実の世界へと強制的に引き戻される。何事かと顔を上げてみれば、今にも怒りだしそうな顔をしている女子生徒の姿が目に写った。
「いつまで寝ているんです? あと寿人くんだけなんですから、早く提出していただけませんか?」
目の前にいる彼女――
「何それ?」
その紙を見た記憶はまったくないので正直に答えたのだが、沙良の眉間にしわが寄った。やばい、どうやら怒りを買ってしまったらしい。
「寿人くん、先週から言ってましたよね……進路希望調査書を早く出してくださいと」
「そういえば、そんなようなこと言われた気がする」
その言葉を待っていましたと言わんばかりの嬉しそうな顔をし、紙を受け取ろうと手を差し出してきた。
「その反応だともちろん」
「やってきてない」
「寿人くん‼︎‼︎」
天野沙良、僕と同じくこの
その理由は沙良とは幼馴染であり、昔からの腐れ縁だからである。
「まだ出してないの寿人くんだけなんですよ」
「ごめん、何時までだっけ?」
「昨日ですよ」
おっと、気づかないうちに締め切りが過ぎていたようだ。あまりのダメっぷりにハァ~とため息をつかれてしまった。
「じゃあ、もう締め切り過ぎていることだし、出さなくていいよね?」
「そんなことあるわけないでしょう。まったく……待っててあげますから早く書いてください」
割と本気で言ったつもりであったのだが、どうやら冗談だと思われたらしい。それどころか、どうせ失くしてたでしょう? と新しい紙まで用意してくれていた。
「4時までは待ってくれるそうですから、あと30分ぐらいですね」
つまり30分以内で書き上げろということか。でも、これ何を書けばいいのだろうか。素直に書くわけにもいかないし、書いたところでバカにされるのがオチだ。
しょうがない、困ったときは……と、僕はある職業だけ書いて沙良に渡す。進路希望欄を見た沙良の目がみるみる曇っていくのが分かった。
「本気で言ってるんですか?」
もちろん、本気ではない。困ったときはこう書いておけと姉さんに言われたからだ。
「授業を寝てさぼってる人が……教師になるんですか?」
「悪い?」
「悪くはないですけど、そうであるならもう少し真面目に授業を受けても……」
「じゃあ、紙は渡したから僕はもうこれで」
そそくさと帰り支度をして教室から出て行った。これ以上僕を引き留めたところで、正直に書くつもりはないからね。
「あっ、まだ話は終わってないですよ」
僕を呼び止める声が聞こえたが、無視した。悪いけど、この後予定があるんだ。
「あ~、もう! 私だってこのあと予定があるのに!!」
*
午後5時、
『みんな~、ただいま~』
画面には幼げのある金髪の少女が映し出されている。少女の配信が始まるなり、コメントが流れ始めた。
〈おかえり~〉〈勉強お疲れ様〉〈早く帰ってきて配信してくれるの嬉しい〉
『は〜い、心春の配信始まるよ~』
夏井心春 ――― 昨年活動を始めたVtuber、女子高校生であることを公言している。
『なんかさー、進路希望調査で教師って書いたらクラス委員長に怒られたんだけど!!』
〈そりゃ心春ちゃんには無理だよ〉〈ナイスだ、クラス委員長〉〈未来の生徒たちは感謝だな〉
『みんなひどくない? ウチは真面目に教師になろうと‥』
〈真面目なやつは授業中寝たりしない〉〈赤点とって追試になったりもしない〉
『うっ、ひどい。勉強したのに赤点取っちゃったんだからしょうがないじゃん』
〈どの口が言うw〉〈テスト前日に耐久配信してたアンタが言えんだろ〉
『じゃあ、みんなはウチに教師はむいてないって言うの?』
〈何を今更〉〈もちろん〉〈心春はVTuber以外はむいてないよ〉
『そうだよね、うちは大人気VTuberだもん』
〈底辺がよく言うw〉〈登録者数7000人で大人気はちょっと……〉
『待って、ここに来てくれる人たちはウチのことが嫌いなの⁉︎』
〈嫌いではないけど……〉〈現実は見て欲しいだけ〉
辛辣な言葉がコメント欄で覆われているが、夏井には心地良い空間であることには変わりなかった。その後も1時間程、雑談配信が行われたが、配信は突然終わりを告げる。
【
夏井の携帯に通知が届く。それを見るなり、夏井は興奮を抑えきれなかった。
『みんなごめん、予定出来たから配信そろそろ終わりにするね』
〈なるほどね〉〈しょうがない、我慢してやろう〉
『みんなありがとう。そして、高評価、チャンネル登録よろしくね』
僕は配信修了ボタンを押した。
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次回、第2話『憧れの人』 明日6時頃更新
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