「全部出す」のハードルが高すぎる件
片付け本でよく出てくるのが、①全部出す、②仕分けする、③しまう、というものだ。
さも当然のように、そして簡単なことのように、「まずは全部出しましょう」と言う。
皆様、これ、ハードル高くありませんか。少なくとも私は、これを聞いた瞬間、始める前から挫折する。
理屈はわかるのだ。理にかなった方法であることも理解している。でも、挫ける。つまり、片付けは始まらない。
たしかに、片付けのプロがそばにいて目を引く光らせ、横からあれこれ口を出してくれるのならば、口は出さなくとも控えている人の圧があればできるだろう。しかし、一人ですべて出したら片付かない状態で終わる自信しかない。
私は自慢じゃないが(本当に自慢にならない)、子どもの頃から片付けをしようとものを並べ、一番散らかった状態で挫折したことが何度もある。広げて終わるという、典型的な失敗パターンだ。
片付けは苦手な私だが、並べること、整頓することは昔から好きだった。本棚の中身をきれいに入れること、箱や引き出しの中身を少しの隙もなく美しく埋めること(今思うと取り出しやすさとは無縁だった)が好きだったのだ。
片付けメソッド「全部出す」を子どもの頃に実は実践していた私であるが、要不要の仕分けをするということはできなかった。しまう、の前に代わりに「脇道にそれる」という工程ができ、しまう、に到達しなかったことが幾度となくある。
散らかして終わるという地獄絵図を何度も見てきた身としては、そもそも「全部出す」はやってはいけない行為であると刷り込まれている。ゆえに、できない。どんなに理にかなった方法だとわかっていたとしても、おそろしい。
そこで、効率の悪さを自覚しつつ、引き出しの一段ずつを検分する方法をとる。数々の失敗を経て、同じ段には同じ種のものを入れることくらいはできるようになった私。同じ種類のものを分別することはできるわけだ。
この方法には難点があって、あとから同じ種類のものが別のところから出てくることがあるのだ。
何せ、もともと収納しているのがずぼらな人間である。入りきらない、とりあえず、などあらゆる言い訳を駆使して平気で別の場所に侵食するわけだ。
おかげで分別できたと思ったそばから、別のところから出現する同じ種類のブツたち。それでも、全部出すハードルは越えられず、ため息をつきながら分別するのだった。
ちなみに、片付けは服から、というメソッドは多いと思うが、何かの本に靴から始める、というのがあった。サイズや汚れ、痛みなど判断しやすいというのが理由らしい。
これにはふむふむと納得。しかも靴って、履いて外に出てから思っているより二倍汚れていてびっくりすることはないですか(私だけか?)。しかも、きれいに洗ったり磨いたりするほどの気持ちになれない。
靴くらいの量だったら全部広げてもなんとかなりそうだし、明るいところで分別すれば見切りもつけられそうだ。そう思って実行したところ、靴箱に余裕ができた。
しかし私には懸念していることがある。以前捨てようか悩んだりブーツはどうしただろうか。手放した記憶がない。どこか奥深くに、分別されることもなく眠っているブーツがありそうだ。
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