それでもだめなら分割せよ
思い出のある本は手放し難い。同様にもう手に入らないと知っている本も手放し難い。しかも、この二つは両立することも多く、手放せない度が格段にあがる。
私が中学生くらいの頃、某少女小説レーベルは最盛期、もしくは最盛期に近い状態だった。友人との話でもいくつものシリーズが話題にのぼった。その時期をともに過ごしていない友人でも、同世代だと「流行ったよね」と話題にできる。いわば共通の思春期の思い出だ。
ところがこれらのレーベルは悲しいことにすぐ絶版になる。よほど売れた作品でも一般の文庫などで出版し直すことはほぼない。あるかもしれないが、少なくとも私が狂い読んでいた時期の、狂い読んでいたレーベルのものではたぶんないと思う。
二度と手に入らないと思うとなおさらだ。ネットと足を駆使して古本で探し当てればみつかるかもしれないが、実際たぶん難しいと思う。
そんなだからお前はものが減らないのだ、という声が聞こえる。まあ、そうです。読み返したいと思っているものどころか、たぶん読み返さないだろうと思っているものまで手放せずにいる。
そこで私は考えた。考えるほどでもないし、考える頭もないが考えた。どうしても手放せないなら、持つことを自分に許そう、と。一方で、このすべてが必要だろうか、と。
大体においてこの手のレーベルの人気作は長い。終わったと思いきや、続く。はたして私はどこまで夢中で読んでいたか。
私は例のごとくパラパラと本を捲ってみたが、やはり読み直そうという気にならなかった。表紙(この手の小説はイラスト表紙)とタイトルを見返していて、はて?となった。こんな子いた?
あらすじと帯を読んで思い至った。この巻から新章で、ヒロインも変わったのだ。それで再びパラパラする。もういいかな、と思えた。
そこで新章になったこの巻から手放した。全部を手放すだけの覚悟はもてなかったが、それでも半分くらいになった。この先、全部揃ってないからもういいや、と残りも手放せる日が来る、かもしれない(希望的観測)。
この方法で、この手の小説を何作か手放した。しかし小説は巻で新章になることが多いが、漫画はわりとがっつり巻の途中で新章(のようなもの)に突入したりする。分割しにくいことこの上ない。
ただ、この「新章はあまり好きじゃない」現象に気づくと、まるっと手放せることもある。
私はそもそも、大長編の壮大な話よりも、読みきりや短編シリーズみたいなものが好きだ。少年漫画でいうところの、連載はじめの小悪党相手におきまりなかんじで倒す、的な小さい話が好きなのだ。人気が出てきたのか、話や敵のスケールが大きくなると、うーん、となることがある。
なので、もはや最初の一冊さえあればよいのでは?と思うこともある。そうは言っても、かえってキリが悪い。漫画は特に。結局、キリのよい数冊で手を打つ。
この方法のよいところは、手放すという経験ができるということと、目で見て本が減ったことが感じられることだ。長年鎮座してきたものを手放せたぞ、自分、と思える(たとえ一部でも)。自分にもできる、という自信は大事だ。
一軍だけの本棚を目指しながら、今日もちまちま手放せる本と向き合っている。
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