第二十一話 香

 ……。

 あっさりと、居なくなってしまいました。

 何だか、硬派な文体で筆記するのも厭になります。

 はあ。

 また、私から大切な人が奪い去られてしまいました。


 私は、いつも誰かに依存してしまいます。ケーヴ、ご主人様、バカ2人。心を赦した相手が去り行く様は辛いものです。

 今日も虚な空を見上げ、生きる為買い物をしに行っています。普段はご主人様の残した車で食材を買いに行くのですが、今日は晴れない気分を晴らす為、散歩して出掛けてみる事としました。


 そうして大分歩きました。お店には車でないと移動したく無くなる程遠いのです。

 ――あそこの踏切を越えたら、大通りなのですが。

 踏切は閉じていて、今にも電車がやって来るのでしょう。しかし何でしょうか。踏切の奥に誘なうような、ふんわりとした花の香りがします。

 私は、踏切を越えようとしました。


「何しているんですか!」

 ――私は何をしているのでしょう。

 後ろから、誰かが私の腕を掴んでいます。振り向くと、将に電車が通り抜け、後ろに結んだ髪が慣性に沿い揺れました。

「……ごめんなさい。」

 その電車の風は、あのまま越えていたら死んでいた、と言う様な、ひやりとした感情を与えてくるのです。

「何があったのか話して貰えますか?」

「……はい。」


 彼女はプラメンティと言うようです。

 ご主人様ともう会えないかもしれない事、それが怖い事を伝えました。

「アピオ、さん、ですか。」

「知り合いなんですか?」

「まあ。でも、ピオーナちゃんが何故か避けてて、その所為で私も少し避けていました。」

「余り人付き合いが得意そうなタイプじゃ無いですしね。」

「そうなんです。何を考えてるか判らないですし、接し方を間違えたら嫌われそうで。」

「ご主人様はあまり人に興味が無いみたいなので、嫌われる事も余りないと思います。」

「そうなんですね。」

 このように、線路脇のベンチに座って小一時間談笑していました。


「そういえば、聞きたいのですが。」

 暫くの沈黙の後、プラメンティさんは口を開けました。

「アチェトちゃんは、今、何方にいらっしゃるのでしょうか。」

 どう答えましょう。

 私はプラメンティさんを疑っている訳では無いのですが、もし彼女から情報が漏れたりして、あの4人が暗殺されかけたら大変です。

 うーん。

「ピオーナちゃんが、『アチェ姉ちゃんに会いたい』とずうっと言っているんです。久しぶりに会って私もお話ししたいんです。」

 決めました。秘密にしてくれるなら、教える事としましょう。

「ピオーナさん以外には秘密にする事。守っていただけますか。」

「解りました。」

「アチェトさんは、サリスさんとルカさんとご主人様とでカルコアに向かわれました。」

「カルコアって……、あの、国のですか。」

「はい。」

 その後に何度かお礼を言わました。そうして「野菜を買いに行かなければ」と別れ、私もやる事を行い一日を終えたのでした。


 夜になり、ただただ眠れず徘徊していると、ご主人様の部屋に這入っていました。

 普段は気にしなかったけれども、私を優しくしてくれたご主人様の部屋の空気は、又もや私を優しく包みます。

 世界で一番可愛く美しいご主人様、アピオ。ベッド上に放られた枕からは仄かにシャンプーと土の香りがしました。ああ、ご主人様、貴女は今何をしているのでしょう。私を想っていてくれるのでしょうか。それとも、私よりもサリスの方が好きだから付いて行ったのでしょうか。何れにせよ私はご主人様に会いたいのです。手紙でも送れば其れを傍に置いて私を想って貰えたのでしょうか。ああ、ああ。


 ここは無人の家。誰にも見張られて居ないのです。しかし、箪笥をこっそりと開けていました。そうして手に取ったはご主人様の下着。それを口元へ持っていきます。しかし嗅げども香りはやって来ません。それはそうなのです。私が洗濯する時でさえしっかり綺麗にシミ一つ無く洗い落とすからなのです。

 洗い忘れていた、良い香りのご主人様のベッドに包まり、パンツを右手で顔に押し付けそれを嗅ぎ、左手でただ慰めていました。

 ご主人様が大好き。ご主人様は、今まで私にとっては家族でした。それでいてご主人様は、静かで、優しく、美しかった。私は、私を満ち足らせるそれをようやっと独り占め出来る、そう思って2年も経てば、私のご主人様は私のじゃなくなった。だけれども、見ているか、サリス、アチェト。ご主人様の香りをたっぷり蓄えたこの布団が、ノノの汗と体液で汚れていく様を。

 だけれども、こんな姿を見られたくない、私は何をしているんだ。そんな矛盾と呵責の感情が極上のスパイスとなり、私は絶頂してしまいました。


 はあ、はあ。私は、最低な女の子。

 直ぐに死んでしまいましょう。


 私は、今朝の線路前までやって来ました。

 そうして3時の暗闇の大通りに寝転び、起きた頃には悲しみすら無い虚無へ誘われようとしました。

 はあ。


 遠くから車がやって来ます。

 急ブレーキが掛かり、私は助かってしまいました。

「ノノさん!全裸で何しているんですか!」

 プラメンティさんと、ピオーナさんでした。

 ――全裸。何も考えず外に飛び出していました。

「ヤケ酒?」

 そんな失礼な事を言ってきた、初めて見る顔の薄紫色の髪の少女は、ピオーナちゃんでした。でも、ヤケ酒の様に見えますよね。

 これでも初春の深夜。気付けば段々と寒気を感じていくのです。それを察したのか、将又裸を隠そうとしてくれたのか、プラメンティがコートを着せてくれました。


 暫く社内で落ち着き、家まで送ってもらいました。

「これから、あたし達もカルコアへ行くんだ。」

 そうか、どうしても会いたければ此方から出向けば良いのです。


「私も、連れて行って下さい。」

 私は最低な女の子です。しかし、やはりご主人様に会いたい。ケーヴにも、久しぶりに会いたい。カルコアに行き、後にフェルタッタでも行きましょうか。

 ご主人様が渡してくれた300万メルクを車に積み、カルコア迄同行する事としました。

 4月1日午前4時。ご主人様の庭に咲いた沈丁花の花が、長い旅出を出送るかの様に、かすかに香りました。

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